第26話 焼き菓子は返礼として有効です
友人への返礼は、難しい。
魔王城における返礼は、比較的分かりやすい。
忠誠には庇護を。
軍功には褒賞を。
献上品には相応の下賜を。
同盟国からの贈り物には、相手の面子を潰さず、こちらの威厳も損なわない品を返す。
つまり、地位、価値、目的、関係性を整理すれば、ある程度は答えが出る。
だが、友人から弁当のおかずを分けてもらった場合はどうか。
ティナは、卵焼きや焼き野菜を気軽に分けてくれる。
それに対して、私は何を返すべきなのか。
高価すぎる品は重い。
少なすぎると不義理。
魔王城式保存食は、父上とノノの両方から禁止。
乾燥魔獣肉は論外。
魔力回復薬も、おそらく重い。
護身用短剣は、もっと重い。
そもそも人間界では、友人への返礼に短剣を渡す習慣がない可能性が高い。
私は朝の食堂でパンを食べながら、その問題について考えていた。
「ルシェラ、また難しい顔してる」
ティナが向かいの席で言った。
「はい。難しい問題について考えています」
「今日の授業?」
「いいえ」
「じゃあ、アレンの訓練?」
「いいえ」
「学級委員候補の仕事?」
「それもありますが、今は別件です」
「別件」
ティナは少し楽しそうに身を乗り出した。
「何?」
「秘密です」
「えっ、ルシェラが秘密って言った」
ティナが目を丸くした。
私は姿勢を正した。
ノノは言っていた。
秘密に関わる話題では、「今は言えません」と答えることを推奨します。
これは父上や魔王城に関わる秘密ではない。
友人への返礼についての秘密である。
だが、相手本人に言うわけにはいかない。
「今は言えません」
私が言うと、ティナはさらに目を輝かせた。
「何それ! 余計気になる!」
「言えません」
「えー、気になるなあ」
ティナは笑った。
疑っているわけではない。
純粋に楽しんでいる。
秘密にも種類がある。
危険な秘密。
悲しい秘密。
守るべき秘密。
そして、相手を喜ばせるための秘密。
今回のこれは、おそらく最後のものだ。
そう考えると、少しだけ胸の奥が軽くなった。
食堂の別の席では、アレンがまた購買のパンを食べていた。
朝から購買のパン。
しかも、具の少ないもの。
栄養配分に問題がある。
私は思わず見てしまった。
アレンがこちらを見る。
「言うな」
「まだ何も」
「顔が言ってる」
「では、行動で示します」
「何をする気だ」
私は自分の皿から果物を一切れ取り、アレンの紙皿に置いた。
アレンは顔をしかめる。
「お前、最近それ雑になってないか」
「効率化です」
「食事管理を効率化するな」
「あなたの栄養状態は班の生存率にも関わります」
「ポルカみたいなこと言うな」
ポルカが少し離れた席から顔を上げた。
「呼びました?」
「呼んでない」
「生存率の話なら参加できます」
「座ってろ」
ポルカは素直に座った。
ティナが楽しそうに笑う。
「アレン、ちゃんと食べなよ。ルシェラに心配されてるんだから」
「心配っていうか、管理されてる気がする」
「心配と管理は近い場合があります」
「近くない」
アレンは文句を言いながら、果物を食べた。
よし。
栄養改善、成功。
ただし、今日の本題はアレンの食生活ではない。
ティナへの返礼である。
午前の授業が終わると、私は昼休みに一人で購買へ向かった。
購買は、校舎と食堂の間にある小さな売店である。
パン、焼き菓子、インク、羽ペン、予備のリボン、訓練用手袋、簡易包帯、魔法陣用の紙、寮生活用の日用品などが並んでいる。
品揃えは広い。
補給拠点として優秀。
ただし、人間界では購買と呼ぶ。
私は棚を一つずつ確認した。
果物。
茶葉。
焼き菓子。
ノノの助言によれば、この三種が適当。
果物は食堂でも出るため、返礼としては少し弱いかもしれない。
茶葉は良い。
だが、ティナはお茶より甘いものの方が喜びそうだ。
となると、焼き菓子。
棚には、小さな紙袋に入った焼き菓子が並んでいた。
蜂蜜入り。
木の実入り。
干し果物入り。
黒糖風味。
塩バター。
私は一つずつ確認する。
保存性。
持ち運びやすさ。
価格。
味の好み。
相手への負担。
どれも重要だ。
「何してるんだ、お前」
背後から声がした。
アレンだった。
私は少しだけ肩を揺らしかけたが、抑えた。
「購買で物資を確認しています」
「物資って言うな。買い物だ」
「買い物をしています」
「で、何をそんな真剣に見てるんだ」
「焼き菓子です」
「見れば分かる」
「返礼品としての適性を比較しています」
「また堅いことを」
アレンは私の横に立ち、棚を見た。
「誰に?」
「今は言えません」
私はノノ式回答を使った。
アレンは少し目を細める。
「へえ」
「何ですか」
「前より誤魔化し方がましになった」
「改善しました」
「本当に改善するとは思わなかった」
「私は学習します」
「知ってる」
アレンは棚から木の実入りの焼き菓子を一つ取った。
「ティナなら、これより干し果物の方が好きだと思うぞ」
私は止まった。
「なぜティナだと?」
「分かりやすいだろ。弁当のお返しとか考えてたんじゃないのか」
見抜かれた。
危険。
いや、これは危険な秘密ではない。
だが、あまりにも簡単に見抜かれた。
「あなたの観察眼は、やはり危険です」
「友達に菓子選んでるだけで危険扱いされるのか」
「相手の隠した意図を読む力は危険です」
「お前が分かりやすいだけだ」
アレンは干し果物入りの焼き菓子を指差した。
「ティナは甘いの好きだし、見た目が明るい方が喜ぶだろ。あと、分けやすい方がいい」
「分けやすい」
「どうせあいつ、一人で食べないで誰かに分ける」
なるほど。
正しい。
ティナは自分で食べるだけでなく、他者へ分ける可能性が高い。
であれば、個数が複数あり、割りやすく、手が汚れにくいものがよい。
アレンの助言は有用だった。
「参考になります」
「そりゃどうも」
「では、これにします」
私は干し果物入りの小さな焼き菓子袋を二つ取った。
一つはティナへ。
もう一つは、班で分ける用。
アレンがそれを見る。
「二つ?」
「ティナが分ける可能性が高いので」
「そこまで読むのか」
「あなたの助言です」
「俺のせいにするな」
「有用でした」
アレンは少しだけ照れたように視線を逸らした。
「まあ、失敗はしないと思う」
「ありがとうございます」
「あと」
「はい」
「高すぎるやつはやめとけよ。ティナ、たぶん気を使うから」
私は手を止めた。
価格。
相手への負担。
考慮していたが、アレンはそこまで見ている。
「あなたは、よく見ていますね」
「何度目だ、それ」
「何度でも重要です」
「褒めすぎるな。逃げ道がなくなる」
「逃げ道はポルカに相談してください」
「そういう逃げ道じゃない」
私は焼き菓子を購入した。
購買の店員は、私があまりにも真剣に選んでいたせいか、少し微笑んでいた。
人間界では、焼き菓子を買うだけでも表情を読まれるらしい。
注意が必要。
教室へ戻ると、ティナはミナと話していた。
弓術場の話らしい。
ティナが身振り手振りを交えて何かを言い、ミナが短く訂正している。
私は自分の席へ戻り、鞄から焼き菓子の袋を取り出した。
「ティナ」
「うん?」
「これを」
私は袋を差し出した。
ティナは目をぱちぱちさせた。
「えっ、なに?」
「返礼です」
「返礼?」
「いつもお弁当を分けてもらっているので」
ティナは袋を受け取り、中を見た。
干し果物入りの焼き菓子。
小さく、丸く、表面に砂糖がかかっている。
ティナの顔がぱっと明るくなった。
「わあ! これ購買の焼き菓子だ! けっこう人気のやつ!」
「人気」
「うん。売り切れる時もあるんだよ。ルシェラ、買ってきてくれたの?」
「はい」
「私に?」
「はい」
ティナは一瞬だけ黙った。
それから、嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
勢いよく言われ、私は少し背筋を伸ばした。
「どういたしまして」
「うわ、嬉しい。ルシェラからお菓子もらった」
「それほど珍しいことですか」
「だってルシェラ、何か返す時に公式文書とか出しそうだし」
「用意した方がよかったですか」
「いらない!」
即答だった。
やはり、友人への返礼に文書は不要らしい。
覚えておく。
ティナは袋を開けようとして、すぐに止まった。
「みんなで食べてもいい?」
「その可能性を考慮し、もう一袋用意しています」
「さすが!」
ティナは目を輝かせた。
「ミナも食べる?」
ミナは少し驚いたように私を見る。
「私も?」
「はい。複数人で分けることを想定しています」
「……ありがとう」
ミナは一つ受け取った。
小さくかじる。
「甘い」
「苦手でしたか」
「嫌いじゃない」
よかった。
ティナは嬉しそうに、ポルカとクロードにも声をかけた。
ポルカは「焼き菓子……平和の味がします……!」と言いながら受け取り、クロードは少し戸惑いながらも礼を言って食べた。
「悪くない」
クロードが言う。
「それ、褒めてる?」
ティナが聞く。
「褒めている」
「じゃあ、もっと分かりやすく!」
「……おいしい」
「よし!」
ティナは満足そうに頷いた。
アレンは少し離れた席にいた。
自分は関係ないという顔で、購買のパンを食べている。
私は焼き菓子を一つ持って近づいた。
「アレン」
「何だよ」
「あなたにも」
「俺も?」
「助言への返礼です」
「別にいいって」
「干し果物入りを勧めたのはあなたです」
「まあ、そうだけど」
「有用でした」
アレンは少し困ったような顔をした後、焼き菓子を受け取った。
「……どうも」
「どういたしまして」
彼は一口食べた。
「甘いな」
「苦手ですか」
「いや」
アレンは少しだけ口元を緩めた。
「悪くない」
「クロードと同じ感想ですね」
「やめろ。急に嫌になりそうだ」
「失礼だな、フォルク」
聞こえていたらしいクロードが振り返る。
教室に小さな笑いが起きた。
焼き菓子は、あっという間になくなった。
ティナは最後の一つを半分に割り、私に差し出す。
「はい、ルシェラも食べよ」
「私は購入者ですので」
「だから食べないの?」
「皆への返礼なので」
「一緒に食べるまでが返礼だよ」
そうなのか。
私は少し考えた。
ティナは真剣な顔で焼き菓子の半分を持っている。
これは受け取るべき場面だ。
私はそれを受け取り、口に入れた。
甘い。
干し果物の酸味。
焼いた小麦の香ばしさ。
砂糖の粒。
ティナがこちらを見ている。
「どう?」
「おいしいです」
「よかった!」
ティナは本当に嬉しそうに笑った。
返礼とは、相手に物を渡すだけではない。
一緒に味わい、相手が喜ぶのを見ることまで含むらしい。
私は心の中で記録した。
――焼き菓子は返礼として有効。分けやすいものが望ましい。返礼者本人も一緒に食べると効果が高い。
その日の午後は、基礎魔法実習だった。
私は少し気分が軽かった。
だが、油断はできない。
焼き菓子で友人関係が進展しても、魔法の癖は隠さなければならない。
セフィナ先生は今日も穏やかな顔で言った。
「今日は、魔力の揺らぎを観察します。緊張した時、嬉しい時、怒っている時。魔力は少しずつ変わります」
私は心の中で警戒度を最大にした。
嬉しい時。
今。
非常に危険。
「ルシェラさん」
セフィナ先生が微笑む。
「今日は魔力の流れが少し柔らかいですね。何か良いことがありましたか?」
見抜かれた。
危険。
教師も危険。
私は表情を保つ。
「焼き菓子を食べました」
教室が一瞬静かになった。
ティナが吹き出した。
アレンが後ろで肩を震わせている。
セフィナ先生は少し驚いた後、ふふっと笑った。
「そうですか。甘いものは、魔力にも少し影響するかもしれませんね」
「はい」
嘘ではない。
焼き菓子を食べた。
良いこともあった。
だが、具体的な感情は言っていない。
ノノ式対応。
かなり有効。
授業後、アレンが近づいてきた。
「焼き菓子を食べました、って」
「事実です」
「そうだけどさ」
「嘘は言っていません」
「上手くなったな、誤魔化し」
「改善しました」
「本当に改善すると、ちょっと寂しいな」
「なぜですか」
「前の方が面白かった」
「面白さより偽装維持が重要です」
「偽装って言った」
「……言っていません」
「今のは遅い」
危険。
まだ改善の余地あり。
放課後、ティナが私の隣を歩きながら、紙袋を大事そうに折り畳んでいた。
「袋も取っておくのですか」
「うん。なんか嬉しかったから」
「袋が?」
「ルシェラがくれたってことが」
私は返答に迷った。
胸の奥が少し温かい。
「また買います」
「えへへ、楽しみ。でも、無理しなくていいよ。お返しって、義務になったら大変だし」
「義務ではありません」
「じゃあ?」
ティナが笑って聞く。
私は少し考えた。
何と答えるべきか。
任務ではない。
補給線でもない。
関係維持のための儀礼でもない。
ただ、ティナが喜ぶと思った。
だから買った。
「ティナが喜ぶと思ったので」
ティナが目を丸くした。
そして、顔を少し赤くした。
「ルシェラって、たまにすごい直球だよね」
「問題がありましたか」
「ないよ。ないけど、ちょっと照れる」
「照れる」
「うん。でも、ありがとう」
「どういたしまして」
ティナは紙袋を胸の前で大事そうに持った。
その様子を見て、私は思った。
焼き菓子は返礼として有効。
だが、本当に有効だったのは焼き菓子そのものではないのかもしれない。
何を選ぶか考えた時間。
相手が喜ぶと思って買ったこと。
一緒に食べたこと。
それら全部が返礼なのだ。
その夜、私は記録を書いた。
――ティナへの返礼として、購買の干し果物入り焼き菓子を購入。アレンの助言により、分けやすく甘いものを選択。
――ティナ、非常に喜ぶ。紙袋も保存。
――ミナ、クロード、ポルカ、アレンにも共有。焼き菓子は班内の空気を柔らかくする効果あり。
――返礼は物品価値だけでなく、相手を考えて選んだこと、一緒に食べることが重要。
――セフィナ先生に魔力の柔らかさを指摘される。感情変化が魔力に出る可能性。今後注意。
――「焼き菓子を食べました」は有効な回答。ただしアレンには誤魔化しと見抜かれる。改善継続。
最後に一行。
――友人が喜ぶと、私も嬉しい。
これはもう、分類不能ではなかった。
私はその感情の名前を知っている。
嬉しい。
そう書いて、消さなかった。
窓の外では、勇者学校の夜が静かに広がっている。
魔王城式保存食ではなく、人間界の焼き菓子。
下賜でも褒賞でもなく、友人への返礼。
私はまた一つ、人間界の普通を学んだ。
普通は難しい。
だが、時々、甘い味がする。




