第19話 魔法の癖
魔法には、癖が出る。
これは、人間式でも魔族式でも同じだ。
同じ火を灯すだけでも、慎重な者は小さく安定した炎を作る。せっかちな者は勢いよく燃え上がらせる。自信のない者は詠唱が長くなり、逆に自信がありすぎる者は制御を雑にする。
魔法とは、単なる技術ではない。
性格。
経験。
恐怖。
得意不得意。
そういうものが、魔力の流れに混ざる。
だから魔王城では、魔法の癖を読む訓練があった。
相手の魔法を見れば、力量だけでなく、戦い方や精神状態も分かる。
私も当然、その訓練を受けている。
問題は。
人間界では、私自身の魔法の癖も見られる可能性がある、ということだった。
「今日は基礎魔法実習を行う」
午前の三時限目。
一年二組は、校舎裏の魔法演習場に集められていた。
担当はグレイン先生ではない。
魔法基礎担当の女性教師、セフィナ・クレイス先生である。
昨日、中庭を見下ろしていた柔らかな雰囲気の教師だ。
近くで見ると、さらに穏やかそうだった。
茶色の髪をゆるくまとめ、手には分厚い教本。声は柔らかく、立ち姿も威圧的ではない。
ただし、油断はできない。
穏やかな者ほど、細かいところを見ている場合がある。
魔王城の宰相メルギスも、普段は静かに微笑んでいるが、会議で予算の矛盾を見つける時は猛毒より鋭い。
「まずは、基礎四属性の魔力循環を確認します。火、水、風、土。得意不得意はありますが、今日は威力ではなく、流れを見る訓練です」
流れを見る。
私は内心で警戒度を上げた。
威力なら抑えられる。
属性も偽装できる。
だが、魔力の流れは癖が出る。
私は人間式に似せて魔法を使っているが、本質は魔族式だ。
内在魔力を基点とし、血に宿る魔力を極めて細く、人間式の外部循環に見せかけている。
普通の生徒なら気づかない。
教師も、おそらく即座には気づかない。
だが、アレン・フォルクがいる。
あの少年は、普通なら見ないところを見る。
私はちらりと横を見た。
アレンは眠そうな顔で立っていた。
しかし目は起きている。
すでに演習場の魔法陣、教師の立ち位置、生徒たちの距離、そして私の手元を順に見ていた。
危険である。
「ルシェラ、どうしたの?」
隣のティナが小声で聞く。
「魔法実習なので、少し緊張しています」
「ルシェラでも緊張するんだ」
「平均より少し上ですので」
「それ、まだ言うんだ」
ティナが笑う。
私は笑顔を返そうとして、やめた。
今は集中が必要だ。
セフィナ先生は、生徒たちの前で小さな水球を作って見せた。
「見てください。水を作るのではありません。周囲の水属性魔力を集め、形を与え、維持します。無理に押さえ込むと、魔力が濁ります。流れを邪魔しないことが大切です」
水球は先生の手の上で、静かに揺れていた。
良い制御だ。
柔らかく、無理がない。
教師として優秀。
セフィナ先生は続ける。
「では、二人一組で互いの魔力の流れを見てください。片方が小さな水球を作り、もう片方が観察します。形、揺れ、詠唱、魔力の入口と出口。気づいたことを言葉にすること」
二人一組。
またである。
人間の学校は、よく二人一組にする。
関係構築を促す制度なのだろうか。
いや、魔法の観察なら一人ではできないので合理的ではある。
「ルシェラ、一緒に」
ティナが言いかけた瞬間、セフィナ先生が名簿を見ながら言った。
「今回は、普段あまり組まない方と組みましょう。ええと……ルシェラさんは、アレンさんと。ティナさんはミナさん。クロードさんはポルカさんとお願いします」
まただ。
最近、この組み合わせが定着しつつある。
私はアレンを見る。
アレンは、こちらを見ていた。
「また俺か」
「不満ですか」
「いや。お前の魔法を近くで見る機会なんて、そうそうないからな」
「……」
「今、嫌そうな顔したな」
「していません」
「した」
危険だ。
非常に危険だ。
私はできる限り自然に短杖を構えた。
アレンは向かいに立ち、腕を組む。
「先にお前がやるのか?」
「はい。小さな水球を作ります」
「平均より少し上で?」
「はい」
「便利な言葉だな」
私は詠唱を始めた。
人間式。
人間式。
人間式。
内側の魔力を抑え、外部の水属性魔力を集めるふりをする。
実際には、完全に外部魔力だけでは不安定になる。
だから、ほんのわずかに自分の魔力を芯として通す。
魔族式の癖を薄く薄く伸ばし、人間式の流れに混ぜる。
「水よ、手に集い、静かに形を成せ」
私の手の上に、小さな水球が浮かんだ。
大きさは卵ほど。
揺れは控えめ。
表面は少しだけ波立たせる。
完全に滑らかだと不自然なので、意識的に乱す。
よし。
今回はかなり人間らしい。
ティナが少し離れたところで「わ、綺麗」と言っているのが聞こえた。
まずい。
綺麗すぎたか。
私は表面の揺れを少し強めた。
すると、アレンが眉をひそめた。
「今、わざと揺らしただろ」
早い。
「自然な揺らぎです」
「嘘だな」
「自然です」
「いや、不自然に自然っぽくした」
何だその表現は。
だが、当たっている。
私は沈黙した。
アレンは水球ではなく、私の手首と杖先を見ていた。
「なあ、ルシェラ」
「何でしょう」
「お前の魔法、流れが滑らかすぎないか」
心臓が、静かに跳ねた。
「そうでしょうか」
「他のやつの魔法って、もっと引っかかるんだよ。ティナは柔らかいけど、集める時に少し広がる。ポルカは細かく震える。クロードはまっすぐだけど、押しが強い。ミナは無駄が少ないけど、警戒してる分だけ出始めが硬い」
アレンは淡々と言う。
見ている。
他の生徒の魔法も、すでに見ている。
「でも、お前のは……なんか、最初から最後まで一本でつながってる。引っかかりがなさすぎる」
私は水球を維持したまま、答えを探した。
偽装身分。
魔法研究者の養女。
基礎制御を厳しく教わった。
これでいける。
「養父から、基礎制御を厳しく教わりました」
「それ、実技試験の時も言ってたな」
「事実です」
「どの辺境だよ。そんなに制御だけ化け物みたいに仕込む家」
「辺境です」
「辺境って言えば何でも済むと思ってるだろ」
「ある程度は」
「認めるな」
アレンは水球へ視線を戻した。
「それにさ」
「まだありますか」
「お前の魔法、外から集めてるっていうより、中から出したものを外側に回してる感じがする」
危険。
非常に危険。
私は水球を消した。
少し早すぎた。
アレンの目が細くなる。
「今、消すの早かったな」
「維持時間は十分でした」
「誤魔化しも下手だな」
「……」
反論できない。
アレンは、答えを求めるようにこちらを見る。
だが、声は責めるものではなかった。
「お前、何を隠してる?」
直球だった。
私は周囲を確認する。
セフィナ先生は別の組を見ている。
ティナとミナは水球を作る練習をしている。
クロードはポルカに「震えすぎだ」と言い、ポルカが「魔力も心も震えてます!」と返している。
今なら、周囲には聞こえない。
だが、答えられない。
「誰にでも、言えないことはあります」
私はそう言った。
アレンが少し目を見開く。
「……開き直ったな」
「嘘を重ねるよりは、ましかと判断しました」
「そこで判断って言うのが、お前らしいな」
「アレン」
「何だよ」
「今は、聞かないでください」
言ってから、少し驚いた。
私は頼んだ。
命令でも、誤魔化しでもなく。
聞かないでください、と。
アレンはしばらく黙っていた。
そして、短く息を吐く。
「分かった」
「よいのですか」
「よくはない。でも、今ここで問い詰めても、お前は答えないだろ」
「はい」
「正直だな」
「はい」
「じゃあ、今は聞かない」
アレンはそう言った。
その言葉に、私はほんの少しだけ安堵した。
危険な相手だ。
けれど、彼は踏み込みすぎない。
それもまた、彼の観察眼なのだろうか。
相手が今どこまでなら答えるかを見る力。
「ただし」
アレンが指を立てる。
「いつか聞く」
「……はい」
「あと、お前の嘘が下手なのは本当だからな」
「改善します」
「そこは改善しなくていい」
「なぜですか」
「分からない方が怖いから」
アレンはそう言って、自分の番だと短杖を構えた。
彼の水球は、小さく、形も不安定だった。
だが、私はその魔力の流れを見た。
細い。
弱い。
けれど、周囲の魔力の乱れに敏感に反応している。
水球そのものは頼りないが、魔力の揺れを拾う感度は悪くない。
「アレン」
「何だ」
「あなたの魔力は弱いですが、周囲の変化に反応しやすいです」
「また弱いから入るのか」
「事実です」
「分かってるよ」
「ですが、それは索敵や罠の検知に向く可能性があります」
アレンが水球を見た。
小さく震える水。
「魔法で戦えなくても?」
「戦うだけが魔法ではありません」
「……そうか」
その時、セフィナ先生の声が響いた。
「皆さん、よく見ていますね。では、次は魔法の癖と歴史の話を少ししましょう」
歴史。
私は嫌な予感がした。
セフィナ先生は黒板代わりの石板に、二つの円を描いた。
「人間式魔法と魔族式魔法は、よく対比されます。人間式は外部魔力を術式で整える。魔族式は内在魔力を血統や本能に従って展開する。もちろん、これはかなり単純化した説明です」
単純化。
セフィナ先生はそう言った。
私は少し意外だった。
人間側の教師なら、魔族式を危険で野蛮なものとして説明するかと思っていた。
「魔族式魔法は危険です。強大で、時に人間の術式では追えない動きをします。ですが、危険だからといって、仕組みを知らなくていいわけではありません」
教室、いや演習場の空気が少し変わる。
魔族。
その言葉だけで、生徒たちの反応が違う。
ミナの手が止まった。
彼女の水球が、ぱしゃりと崩れる。
ティナが心配そうに見る。
「ミナ?」
「……大丈夫」
大丈夫ではなさそうだった。
ミナの目は、石板の「魔族式魔法」という文字を見ている。
冷たい。
静かな怒り。
私は胸の奥が重くなるのを感じた。
セフィナ先生は、ミナの反応に気づいているようだった。
だが、授業は止めない。
「魔族の魔法は、しばしば人間社会に大きな被害をもたらしてきました。国境の村、交易路、砦、町。多くの記録があります」
ミナの指が、短杖を強く握る。
「ですが、記録には人間側の視点しか残らないこともあります。歴史を学ぶ時は、何が書かれているかだけでなく、何が書かれていないかも考える必要があります」
何が書かれていないか。
私はセフィナ先生を見た。
この教師は、人間側の歴史をただ信じているわけではない。
人間側の記録に疑問を持っている。
危険ではある。
だが、重要な人物かもしれない。
ミナが低く言った。
「でも、魔族に襲われた村は、本当にあります」
演習場が静まった。
セフィナ先生はミナを見る。
「はい。あります」
「記録が人間側だけでも、死んだ人はいました」
「その通りです」
セフィナ先生は否定しなかった。
「だからこそ、学ぶ必要があります。憎しみだけでは、次に同じことが起きた時、何を見ればいいか分からなくなるからです」
ミナは黙った。
その横で、ティナが何も言えずにいる。
私も、言えない。
魔族全てが悪いわけではない。
人間側にも過ちがある。
そう言うことはできる。
だが、ミナの村を襲った魔族がいた。
それは、おそらく事実だ。
私は魔王の娘として、その事実から目を逸らしてはいけない。
アレンが小声で言った。
「お前、顔が硬い」
「……そうですか」
「魔族の話になると、変な顔するな」
「歴史が不得意なので」
「下手な嘘だな」
「……」
私は何も返せなかった。
授業後、ミナは一人で演習場を出ていった。
ティナが追いかけようとして、迷っている。
私は言った。
「ティナ」
「うん」
「今は、少し時間を置いた方がよいかもしれません」
「でも」
「追いかけてほしい時と、追いかけられたくない時があります。ミナは今、おそらく後者です」
ティナは唇を結び、少しだけ頷いた。
「……分かった。でも、あとで声かける」
「はい」
アレンが私を見る。
「そういうのは分かるんだな」
「分からないことの方が多いです」
「でも、見てはいる」
「あなたほどではありません」
「俺は魔法の流れは見えても、人の気持ちはよく分からない」
「私もです」
「嘘つけ」
「嘘ではありません」
アレンは少しだけ笑った。
「じゃあ、二人とも勉強中ってことで」
「はい」
その日の夜。
私は寮の机で記録を書いた。
――基礎魔法実習。
――アレンに、こちらの魔力の流れが滑らかすぎると指摘される。
――外部魔力に見せかけた内在魔力循環を見抜きかけた可能性あり。危険度上昇。
――ただし、今は聞かないと言った。理由不明。信頼か、保留か。継続観察。
――アレンの魔力は弱いが、周囲の変化に反応しやすい。索敵・罠検知適性の可能性。
――セフィナ先生、魔族式魔法を単純に野蛮とは扱わず、記録の偏りに言及。人間側歴史に疑問を持つ可能性。要注意かつ重要。
――ミナ、魔族の話題で強い反応。家族または村に被害あり。接し方に最大注意。
私はそこで羽ペンを止めた。
ミナは、まだ戻ってきていない。
ティナが談話室へ探しに行っている。
部屋は静かだった。
私は最後に一行書く。
――魔族によって傷ついた人間がいる。これは否定してはならない。
その一文は、これまでのどの記録よりも重かった。
魔王の娘として。
ルシェラ・ディアとして。
私はそれを、覚えておかなければならない。
やがて扉が開き、ティナとミナが戻ってきた。
ミナの目は少し赤い。
ティナは何も言わず、ただ隣にいた。
私は立ち上がりかけて、止まった。
何を言えばいいか、分からなかったからだ。
ミナがこちらを見る。
「ルシェラ」
「はい」
「魔族の話、苦手?」
私は息を止めた。
問いは静かだった。
疑いではない。
ただの確認。
私は慎重に答えた。
「簡単に話せることではないと思っています」
ミナは少しだけ目を伏せた。
「そっか」
それだけ言って、彼女は自分のベッドへ向かった。
会話は終わった。
だが、完全に拒絶されたわけではない。
私は胸元のお守りに触れる。
魔法には癖が出る。
言葉にも、沈黙にも、きっと癖が出る。
私の沈黙は、ミナにどう見えただろう。
アレンには、何を隠しているように見えただろう。
分からない。
だが、今日一つだけ分かったことがある。
人間を知るということは、人間の明るさだけを見ることではない。
人間の傷を見ることでもある。
そしてその傷の一部には、魔族が関わっている。
私はそれを、忘れてはならない。




