メイド仲間
ダンジョンまでの旅を終えた私達は、無事屋敷へと帰ってきた。
幸いなことに、公爵夫妻は国王主催のパーティーに招かれており、屋敷には不在だったみたいで、とりあえずまだ問題にはなっていなかったようだ。
ゲームのラスボスである魔神の力を手に入れたお嬢様だったが、どうやら今の実力にはまだ満足していないらしく、ダンジョンから戻ってきてからも、夜更けになると一人外へ出ては、黙々と鍛錬を続けている。
そんなお嬢様に触発され、私も負けていられないと、メイドとして精進する日々を送っていた。
そして、ダンジョンから戻ってきて三日が経とうとしていた。
「まずい、やり直し」
「うぅ……すみません」
私はこの日、四度目の紅茶のカップを返され、泣く泣くそれを下げた。
リリスお嬢様は、前世である『カーミラ・レイジー』の記憶を取り戻したことにより、その性格までもがカーミラ寄りに変わってしまっていた。
カーミラは別のゲームのキャラクターだが、実力はもちろん、あらゆることを完璧にこなす、いわゆる完璧主義で、そのため私は、毎日のようにメイドの仕事へダメ出しを受けていた。
「ちなみに、今日は何がダメだったのでしょう?」
「そうね……まず紅茶の温度と茶葉の量。それに、紅茶を注ぐときに跳ねた湯や、カップを置くときの音も気になったわ。要するに、全部ね」
「な、なるほど……」
私はすぐに指摘事項をメモする。
メモ帳には、これまでメイドとして受けた注意点がびっしりと書き込まれているが、その内容はすべて同じだった。
つまり、まったく成長できていないのである。
まあ、まだ数日しか経っていないのだから仕方ないと言えば仕方ない。
それでも、まるで進歩が見られない現実は、やはり少なからず堪えた。
そもそも前世でも紅茶など嗜んだことのない私には、作り方ひとつで味がどう変わるのかなど、当然わからない。
そのため、言われた点をひとつずつ直しては淹れ直し、お嬢様に評価してもらう、という形になっていた。
ただ、お嬢様は厳しいことを言いながらも、私が何度も淹れ直した紅茶を、最後まで残さず飲んでくれている。
そう言うところが魅力的なのだ。
「あなた、元いた世界では紅茶は飲んだことなかったの?」
「いえ、一応ありますけど、ほとんどがインスタント――いわゆる市販のもので、こうやって一から淹れる機会はなかったんです。なので正直に言うと、あまり飲み慣れていなくて、違いとかもよく分からなくて……」
私は苦笑しながら正直に告げる。
お嬢様は怒ることもなく、「あら、そういうこと」とだけ言い残し、部屋を出ていった。
そしてしばらくして戻ってくると、新しい茶葉と、湯の入ったポットをなぜか二つ持ってきた。
「とりあえず、紅茶の淹れ方の基本だけ教えてあげるわ」
お嬢様はそう言うと、テーブルの上にポットを置き、片方のポットの湯を窓から捨てた。
「あれ? 捨てるんですか?」
「ええ。今のはポット自体を温めていたのよ。紅茶というのは、温度で味が決まるの。冷たい器に熱湯を注げば、それだけで香りが死んでしまうから」
そう言ってお嬢様は、茶葉の入った容器の蓋を開け、ティースプーンで正確に一杯分の茶葉を掬う。
それを、先ほど湯を捨てたポットの底へ落とし、もう一つのポットから勢いよく湯を注ぎ込んだ。
そしてポットの中を私に見せる。
中では茶葉が水面を舞い、渦の中でふわりと花びらのように散らばっていた。
「見える? これが“ジャンピング”って呼ばれる現象。
新鮮なお湯の酸素が、茶葉を舞い上がらせるの」
「おお……」
ポットの中で広がる茶葉を見て、思わず声を上げた。
お嬢様は立ちのぼる湯気を眺めながら、砂時計を返し、静かに時間を計り始める。
そして砂時計が三度落ち切ると、
お嬢様はポットを手に取り、テーブルに置かれた空の器へと、ゆっくりと注ぎ始めた。
最後の一滴まで流し込んだ瞬間、黄金色の液体が器に落ちるのを見て、彼女は微笑む。
「この最後の一滴、『ゴールデンドロップ』って呼ばれているの。旨味のすべてが、ここに集まるのよ」
そう言って器を置くと、今度はカップを手に取り、顔の高さから茶こしを通して、一滴もこぼすことなく、優雅に紅茶を注いでいく。
私は差し出されたカップを手に取り、恐る恐る口にする。
すると――
「⁉」
思わず息を呑んだ。
それは、本当に今まで私が淹れてきた紅茶と同じものなのかと疑ってしまうほどだった。
――こんな味、知らない。
市販では味わえない初めての感覚に、私はただ茫然と立ち尽くしていた。
「どう? 紅茶というのは、茶葉、温度、注ぎ方……そういった些細な違いで、いくらでも味が変わるの。面白いでしょう?」
お嬢様は満足そうにそう言ってから、私をまっすぐ見据える。
「そして、これが私の中での紅茶の基準よ。あなたはこれから、この味よりも美味しい紅茶を作りなさい。」
「こ、これを超える紅茶、ですか?」
「あら、当然じゃない。これと同じ程度なら、自分で淹れた方が早いもの。」
う……確かに、それはそうだ。
でも、この味を超えるなんて
本当に、そんなことができるのだろうか?
「別に、時間なんて問わないわ。あなたも私もまだ若い。何年、何十年かかっても構わない。
ただ、毎日一歩ずつでいいから、決して歩みを止めないこと。あなたはこの私のメイドなのだから、
ゆっくりと、私に相応しい実力を身につけなさい。」
「……はい!」
私はお嬢様の激励に大きく返事をした。
それからというもの、私は毎日紅茶の研究に時間を注ぐ日々が始まった。
昼間はメイドの仕事に追われ、自由に使えるのは皆が眠りについた深夜だけ。
眠気と戦いながら、地道にコツコツ、ひたすら同じ作業を繰り返す。
そしてそれから一週間――
「んー……駄目だぁ~」
私は料理場の調理台に顎を乗せ、大きくため息をついた。
目の前には、飲みかけのものから手も付けていないものまで、紅茶の入ったカップがずらりと並んでいる。
お嬢様に飲ませてもらった、あの味の記憶を頼りに修行を続けているが、未だに近づいている実感はない。
……とはいえ、まったく成果が出ていないわけでもないと思う。
以前よりは確実に美味しくなっている気がするし、お湯を零す量も減ってきた。
それでも、お嬢様の基準には到底及ばないのだろうけれど。
お嬢様が、淹れ方を一度見せただけで、それ以上何も教えなかったのはきっと、こうした試行錯誤の中から、自分で答えを見つけ出せということなのだろう。
ただ……いくら許可をもらっているとはいえ、毎日五十杯以上の紅茶を淹れては試飲する生活は、正直お腹が限界だ。
さて、どうしたものかな?
「……また練習してるの?」
「ひゃあ!?」
私が頬杖をつきながら考え込んでいると、背後から突然声をかけられ、思わず悲鳴を上げてしまう。
慌てて振り返ると、そこには私の驚きぶりに、逆に目を丸くしている同僚メイド、アリスが立っていた。
「あ、ごめんなさい。」
「ううん、ちょっと驚いただけだから。」
アリサは軽く謝罪した後、改めて私が淹れた紅茶を見つめる。
「ここ最近、何かしてると思ってたけど……もしかして、紅茶の淹れ方の練習?」
「うん。メイドなら、主人が満足する紅茶くらい淹れられないとね」
「へえ……意外、エリーがそこまで仕事熱心だったなんて。」
「ふふ、私、生まれ変わったからね」
まあ、実際に生まれ変わったのはお嬢様の方なんだけど。
事情を知らないアリサは、首を傾げていた。
「ところで、カリーナはまだ帰ってないの?」
「さあ?どうせいつもみたいに、街で遊んでるんでしょ。」
もう一人のメイド、カリーナは、基本的に街で遊び歩いていて、屋敷の掃除もよくサボっている。
今日みたいに帰ってこないことも、別に珍しくはなかった。
私たちは全員同じ年齢で、立場も同じメイドだ。
けれど身分で言えば、私は男爵家、アリサは騎士爵家、そしてカリーナは子爵家と一番身分が高い。
だから私たちも、あまり強くは言わないようにしている。
「ねえ、せっかくだから私も手伝ってもいい?」
「え?もちろんいいけど、どうしたの急に?」
「なんだか、真剣な顔で紅茶を作ってるエリーを見てたら、応援したくなっちゃって。それに、せっかく三人しかいないメイドなんだし、仲良くしたいじゃない?」
そう言ってアリサは、はにかんだ。
アリサ……本当にいい子だなあ。
彼女は、ゲームの中でも、唯一リリスが心を許していた存在だった。
背中まで伸びた、美しい水色の髪と青い瞳。同性の私から見ても可愛いと思えるほど整った顔立ち。
そして何より、その抜群のプロポーション。
ゲームでは、姿が一切描かれていないキャラだったから、こんなに綺麗な子だとは想像もしていなかった。
本邸の方にいたら、きっとこの家の騎士たちのアイドル的存在になっていたに違いない。
私も何も知らなければ、彼女に心を許していただろう。
そう……彼女が、夫人の手先でさえなければ。




