3,内心めっちゃビビった話
帰りのホームルームが終わると、ある者は部活に、ある者はバイトに、ある者は家に帰るなど、それぞれが自分の放課後を過ごそうとする。
結局、あの後特に先生に呼ばれる事もなかったため、琴石は今朝の出来事を先生には報告しなかったようだ。
ただしすれ違うたびに睨まれたし、かなり恨まれているとは思うが。
「慎ちゃ~ん、オレらボーリング行くけどおまえも来る?」
帰り支度をしていると、小森と腕を組んだ状態のアッくんに声をかけられる。
「悪いアッくん。今日は欲しい漫画の発売日なんだわ」
「ひぇー、インドア派だねぇ慎ちゃんは」
「しょうがねーだろ。最速で手に入れて、最速で読みたいんだよ」
「ねぇ~今度はうちらにちゃんと付き合ってよ」
「わかってるよ、じゃあな」
友達の誘いはありがたい話だが、今日は新作漫画の発売日。
しかも人気漫画だから、早めに書店に行かないと売り切れの可能性が高い。
今の時代、電子書籍という形で配信される事が多く、ぶっちゃけそれでも内容はほぼ変わらないのだが、俺は漫画本を手元に置いておきたいタイプなので、電子書籍という選択肢はその時点で外れている。
足早に玄関に向かい、外靴に履き替える。
「あれ、センパイじゃないですか!!」
玄関を出たところで、ちょうど同じタイミングで出たのか、安達とばったり鉢合わせになった。
俺を目撃した安達は、まるで飼い主を見つけたわんこのように走ってくる。
「安達、お前も今帰りか?」
「はい。あたしこの後道場なので」
「ああ、空手か。それで一人なんだな」
「ですね、友達もみんな部活ですから」
綾の森高校は部活動に力を入れており、特にサッカー部と陸上部は強いらしい。
それゆえか生徒の多くは部活に入っているため、俺のように部活に入っていない奴は少数派である。
安達も部活に入っていない少数派のようだが、空手を継続している時点で俺より真面目なのだろう。
「センパイも一人で、友達とは遊びに行かないんですか?」
「今日は漫画買いに行くんだよ」
「あ、今日バンババンの発売日でしたね!!」
安達も漫画が好きなタイプだからか、理解が早くて助かる。
「センパイ、読み合わってからでいいので貸して欲しいです」
「買いに行けばいいだろ」
「今月、服買っちゃったからお財布ピンチなんですよ」
「しょうがねーな……読み終わったら連絡するわ」
「ほんとですか!? ありがとうございます!!」
まんまと安達の作戦に乗せられたような気もするが、嬉しそうな顔でぺこりと頭を下げる安達を見ていると、不思議と気分は悪くない。
それから安達と駅までは一緒に移動したが、空手の道場に行かなければならない安達は改札口を通り、一方俺は駅前にあるショッピングモールを歩き、その中にある書店で無事にお目当ての新刊を購入できた。
さっそく家に帰って読みたい気分だが、駅に到着すると絶望する事になる。
「……は? 人身事故……?」
駅員さんによって繰り返される構内放送と、電光掲示板に流れる文章。
人身事故で電車が不通になるのは首都圏、度々ある事ながら今このタイミングでソレが起きるなんて、間が悪いにもほどがある。
とりあえず電車が動かないのでは家に帰りようがないため、その辺で時間を潰すしかないだろう。
どうしようか迷った挙句、公園ならギリ漫画を読んでも許されるのではないかと思い、駅からほど近い公園に移動する事にした。
本来ならば喫茶店に行くのがいいのかもしれないが、金がないからな。
緑色に彩られた公園内を、どこかにベンチが無いか探しながら歩き回る。
「いいから飛び込めよ!!」
公園内に下品な怒声が響き渡ったのは、そんな時だった。
この公園には道路を挟んだ向こう側に池があり、その方向から怒声が聞こえてきたので、何事かと思ってその方向に目を向ける。
「ごめんなさい……っっ」
「ごめんじゃねーよ、飛び込むんだよ!!」
「ナヨナヨしてんじゃねーよ、さっさとやれよ!!」
多分、中学生だろうか。
涙目を浮かべた学ラン姿を着た小柄な少年が、一発殴られたのか腫れた頬を抑えながら、二人にか細い声で謝罪をしている。
そんな少年を嘲笑うかのように、二人の変形学生服を身に纏った不良少年二人が、少年に池に飛び込むよう大声をあげている。
「藤井~、動画撮っといて」
「当たり前っしょ、これ絶対おもろいやつだわ」
短ランにボンタン、黒髪のリーゼントに、藤井と呼ばれた奴は茶髪はリーゼントだが襟足が長めで、上は赤いパーカーで下はボンタン。
今時こんなステレオタイプな昭和の不良が居るのかと、心の中で呆れてしまう。
多分振るわれた暴力に、池への飛び込み強要。そしてスマホでその様子を撮影。
まあ普通に考えてイジメだよな、コレ。
下劣な笑みを浮かべてか弱そうな少年に加害するなんて、過去イジメを受けていた身からしてみれば、見ていて気分が良いものではない。
本来ならば助けてやる義理は無いのかもしれないが、無性にむかっ腹が立つ。
「ちょっと、弟に何してるのよ!!」
飛び出そうと一歩歩み始めた次の瞬間、彼らの前に叫びながら飛び出す人影が現れた事で、俺の足は止まってしまう。
いきなり現れたのでびっくりしたのもあるが、その人物に見覚えがあった。
「なんだこの女は?」
「……ね、姉ちゃん!!」
少年の窮地を救うべく、飛び込んだ勇気ある少女は少年の姉らしいが、その姉というのが琴石紗月だった。
あの少年、琴石の弟だったのか。
琴石は今朝、俺に向けていたような嫌悪感に満ちた瞳で、不良少年二人に怒りをあらわにしている。
相手は中学生とはいえ、男子。
琴石よりは体格も良いのだが、それでも物怖じしない琴石は中々の度胸である。
「お前、優斗の姉ちゃんなの?」
「こいつは傑作だぜ、中々マブいじゃん」
可愛いって、死語だろ。
あの二人のセンスがあまりにも古すぎて、思わず吹き出しそうになる。
「あんた達ね、優斗をいじめてるって不良どもは」
「イジメなんて人聞き悪いな、俺らは優斗クンと遊んでるだけっすよ?」
「そうそう。俺らも一緒に池に飛び込もうと思ってたんすよね~」
「嘘つきなさい!! 優斗、怯えてるし、大体この顔の怪我はなんなのよ!?」
琴石は不良少年二人に啖呵を切りながら、ビシッと人差し指を少年の右に向け、顔が僅かに腫れあがっている事を指摘する。
「証拠は押さえたから、あなた達のやってる事は傷害事件よ。警察と学校には連絡させてもらいますから」
琴石は怒りに満ちた表情で、スマホの画面を少年二人に見せつけている。
優斗君という弟が暴行を受けている瞬間を、証拠として撮影したのだろう。
「コラ女ァ、年上だからってあんま調子こいてんじゃねーぞ?」
「俺たちはテメーみたいな弱いくせに威張ってる奴が、一番嫌いなんだよ」
証拠を撮影された事に危機感を覚えたのか、不良少年たちは琴石にガンを飛ばしながら詰め寄る。
琴石の方が年上だが、やはり中学生でも男子なので体格差は歴然。
恐らく腕力も向こうの方が上なので、琴石にとって状況が悪い。
事実、琴石は二人に詰め寄られた事で、僅かながら顔に焦りの色が見え始めた。
「なによ、私に暴力振るう気?」
「おい、そのスマホの画像消せよ。そしたら勘弁してやっからよ?」
「嫌。優斗の事は見逃せないし、あんた達みたいな不良の言いなりになんかならないわよ!!」
琴石、大した覚悟だけど、今そうやって強気に出るのは悪手だ。
「てめえ、調子乗ってんじゃねえぞ!!」
「きゃっ!?」
予想通り逆上した黒髪リーゼントの少年が、スマホを持つ琴石の右手首を掴む。
その事に驚き、そして痛かったのか、琴石は短く悲鳴をあげる。
「加藤、そいつどうする?」
「とりあえず拉致って画像消させるか。その後……体に教え込もうぜ?」
「いいねぇ」
「……ひっ!?」
不良少年二人の下劣な笑みは、さらに狂気を増していく。
そんな二人に体の自由を奪われた琴石の表情が、恐怖と絶望に染まっていく。
──しょうがねえな。
琴石を助けてやる義理は無いが、ただでさえ優斗君という少年が虐げられている現場を見て、今は虫の居所が悪い。
正直、俺は殴り合いのケンカなんて殆どしたことがない。
だから不良二人を退けられるかは博打でしか無いが、このまま琴石が連れ去られる様子を黙って見ているよりは良い。
「……オイ」
不良少年たちの背後から近寄った俺は、琴石を掴んでいた加藤という方の少年の右手首をがっちり掴んだ。
琴石が目を見開き、俺の登場にぽかんと口を開けて見つめる。
「なんだてめ……うぇっ!?」
不機嫌そうにドスの効いた声をあげ、加藤が振り返って俺の顔を見た。
その瞬間、加藤の表情が強張り、その動きもピタリと止まった。
無理もない。俺は今、精一杯のガンを飛ばして二人を威圧しているのだから。
しかも幸いなことに、加藤と藤井の二人より俺は背が高かった。
「……櫻井?」
「な、なんだてめえは!?」
琴石が俺の名前をぼそっと呟く中、藤井は吠えるチワワのように怒声を上げる。
「いでででっ!?」
俺は加藤の手首を握る手に精一杯の力をこめて、少し捻るように握ってやった。
すると加藤は痛みから、苦悶に満ちた表情で悲鳴に近いような声をあげる。
「……消えろ、殺すぞ」
それだけ言うと既に琴石から手が離れていた加藤は、俺から手を振りほどこうとしたので、あえて一気に力を抜いて加藤を解放してやった。
逃げようとした勢いからふらついた加藤が、その場でなんとか踏みとどまる。
「くっそ、いてえ……っ!!」
「おい加藤。ヤベーよコイツ、行こうぜ?」
「チッ」
藤井が加藤を説得すると、加藤はバツが悪そうに舌打ちをする。
そして二人が踵を返し、俺たちから離れていく姿を見送り、ある程度離れたところでようやく俺は緊張から解放された。
──はあああ、めっちゃビビった。
過去イジメを受け、そして現在でも不良のレッテルを貼られる原因である目つきの悪さが、ここにきて役に立つとは。
正直、見た目と脅し文句だけで相手がビビッてくれるかは博打だったが、願望通りに事が進んでくれた良かった。
だが、めっちゃ怖かった。
いくら中学生が相手でも、腕っ節に自信ないのでマジ怖かった。
「……櫻井」
琴石が困惑した様子で俺を見つめ、そして俺の名前を呼ぶ。
だが今朝の事もあるし、琴石を助けたつもりはないので無視して歩き出す。
──はずだったんだが。
「櫻井、足が震えてるわよ?」
「うっ……」
情けない事に恐怖のせいか、それとも一気に訪れた安堵感のせいか、俺の両足はガクガクに震えていた。
「もしかしてあんた、怖かったの?」
「……こ、怖くねーよ」
しまった、琴石からの指摘に反論しようとしたら声が裏返ってしまった。
「……ぷっ!! くすくすっ」
そんな俺の様子を見てか、琴石が口元とお腹を手で押さえて笑いを堪える。
琴石が俺に対して笑うなど、入学以来初めての出来事だ。
「……チッ」
ただ琴石に対して愛想よくする義理は無いし、正直俺にとっては恥ずかしさの方が勝っているため、舌打ちを悪態をつきながら踵を返す。
最悪の事態は回避してやった。
もうこれ以上、琴石姉弟に構う必要はない。
「あの、お兄さん!!」
だが数歩歩いたところで、弟の方から呼び止められた。
発育が遅いのか声変わりの兆しも無く、透き通った少年の声だった。
「ありがとうございます!! その、姉も僕も助かりました!!」
「ちょ、オイ……」
深々と頭を下げる優斗君は、俺への感謝からか目の奥が輝いていた。
姉も美人だが、弟も目鼻立ちの整った美少年で、幼さに加えて女子っぽい顔立ちの可愛らしい男の子だった。
ナチュラルショートの黒髪も、姉と同じくサラサラとした髪質だった。
「櫻井君……どうして私たちを助けてくれたのかしら?」
続いて姉のほうが、自分たちを助けた理由を尋ねてくる。
その表情はこれまで見たことが無い、申し訳なさの混じったものだった。
「……弱い者イジメって嫌いなんだよ、それだけ」
「あ、ちょっと待ちなさいよ……っ!!」
一言、簡潔に理由を伝えてから再び踵を返す。
後ろで櫻井が何か叫んでいる様子だったが、無視して歩き続けた。




