2,俺の事を嫌うクラス委員長
菫山綾の森高等学校。
千葉県立の公立高校で、二十一世紀になってから東京方面への私鉄が開通した事を受けて、急速にベッドタウンとして発展した綾の森地区に所在し、近隣にあったいくつかの高校が統廃合して出来た新しい高校だ。
偏差値は五十二、レベルとしては中堅校。
最近、校舎が建て替えられたおかげか、校舎は新しめで綺麗である。
玄関で安達と別れて、俺は二年A組の教室へと向かう。
「あー、おはよ~慎ちゃん」
「櫻井おはよ~」
教室に入ると、人の机に身を寄せ合って座る男女の姿があった。
「お前ら……朝から人の机でイチャつくなよ」
「なんだよ~、櫻井嫉妬?」
ニヤニヤしながら彼氏に抱き着く姿をアピールする、褐色肌で黒髪セミロングのセンター分けのギャル。
「慎ちゃんも彼女作ればいいじゃん」
そして真っ当な指摘と言えばそうなんだが、いざ言われると非常にムカつく事を言ってくる、赤みがかった明るい茶髪のウルフカットにパーマをかけた、チャラい雰囲気の男子。
小学校からの親友であるアッくんこと春田厚成は、隣にいる小森優里亜と、去年の夏ごろから付き合っている。
親友に彼女が出来た事は喜ばしいし、小森のほうもフレンドリーな性格で、大切な友達の一人である事には違いない。
だが朝からイチャつく姿を見せつけられるのは、ちょっとウザい。
「簡単に出来たら苦労ねーよ」
「でもさ、櫻井って最近一年の子と一緒に学校来てるらしいじゃん?」
「どこ情報だよ」
「オレだよ。同じ電車乗ってんのに、最近毎朝あの子とイチャイチャしてるから声かけにくいんだよねー。あの子と付き合ってんの?」
アッくんとは小中学校が同じだから、電車が被るのは必然的ではある。
安達と一緒に登校している姿を目撃されていても、確かに不思議ではない。
「付き合ってねーよ、ただの後輩」
「そうなん? てかどうやって知り合ったのよ」
「そうだよ~。櫻井って帰宅部だし、一年と接点なくない?」
「大したアレじゃねーよ。ただ、落とし物を拾っただけ」
「ねえ聞いたあーくん? 落とし物拾っただけだって」
「慎ちゃんもやるねえ。漫画じゃん、運命じゃね?」
こいつら、他人事だと思って面白がっているな。
そして人の関係を茶化しながら、自分たちはお互いの腰に手をまわしているのが腹立たしい。
そりゃまあ、付き合っているんだから当然と言えば当然なのだが。
「ねえよ……」
口では否定しつつも、やはり頭に浮かぶのは今朝の出来事。
俺が口走ってしまったせいもあるんだが、やっぱり意識せざるを得ない。
どうせ安達の事だから、俺の事をからかっているだけだろうが。
「いっそ告ったらいいんじゃね?」
「はあ? なんでよ」
「だって慎ちゃんあの子の事好きなんじゃねーの?」
「てめえの目は節穴かよ」
「いやいや、毎朝電車で傍から見てたらそう見えるんだって」
「ねえよ……」
確かに安達は可愛いし、今朝安達に言った事も反撃が目的だったとはいえ、正直嘘ではない。
だが安達は、どうせ俺をからかって反応を楽しんでいるだけだろう。
勘違いして安達に告白なんかしたら、一生そのネタでからかわれそうだ。
「あーくん、どう思う?」
「慎ちゃんツンデレだからねぇ。向こうも慎ちゃんのことしゅきぴって感じだし」
「てめえいい加減にしろよ」
「はいはい。まあ良かったじゃん、仲いい奴増えて」
「まあ……」
アッくんの言う事は、その通りだ。
確かに俺は友達が少ないので、安達みたいに好意的に接してくれる人は、貴重な存在で喜ばしい事だと思う。
アッくんも中学時代は荒れていたが、高校ではチャラくてフレンドリーなキャラに変更した結果、俺より友達もいて彼女もできたわけだ。
俺もそうすれば良かったのかもしれないが、踏ん切りがつかなかった。
結局、俺は見た目がヤンキーだから、第一印象は基本悪い。
「ねえ、ちょっと」
俺に悪印象を抱いている代表的な存在が今、俺たちに声をかけてきた。
「あれー、いいんちょじゃん」
「いいんちょ言うな」
半分からかうように小森がいいんちょと言った少女は、不機嫌そうに小森を睨みつける。
低い声のトーンからして嫌悪感丸出しで接してくる彼女は、クラス委員長だ。
「ねえあんた達。昨日出してなかった進路希望、ちゃんと書いてきた?」
「あー、オレは書いたよ。ほら」
「うちも書いたよー、ほれ」
クラス委員長──琴石紗月の用事とは、進路希望調査を未提出だったアッくんと小森への催促だった。
ちなみに俺は一応出した。
こう見えて、俺は進学希望だったりする。
「ふ~ん……まあいいわ、提出物の締め切り守らないのはこれっきりにしてよね」
「「はーーーい」」
アッくんと小森は揃って気の抜けた返事をする。
「それと櫻井君!!」
「あ、俺?」
琴石はビシッと人差し指を向けて、力強い声色で俺の苗字を呼ぶ。
セミロングの黒髪で、髪型はツインテール。安達よりもさらに色白で、少し紫がかった瞳はほんの僅かに吊り上がった目尻によって、気の強さが強調されている。
背は安達と違って平均か、それより少し高め。
黙っていれば透き通った雰囲気の美少女なのに、素直に可愛いと思えない。
「その金髪、いつになったらやめてくれるのかしら?」
これだもの。
琴石は一年の頃から、俺に対してやたらと手厳しい。
「生まれつきなんで」
「嘘つきなさいよ、地毛証明書なんて提出されてないわよ」
「流石委員長、先公と仲いいだけあってバレてたか」
「当たり前よ。とにかくみんなが怖がっているから、やめて欲しいのよね」
「別に校則には色の規定なんてねぇし、良くね?」
「良くないわよ。公序良俗の範囲でって書いてるでしょ、アンタのソレはもう威圧的なのよ。制服はちゃんと着てないし」
確かにこの髪色をもう少し落ち着いた色に戻せば、いくら目つきが悪かろうと周囲の目は少し変わるだろう。
それに制服をルーズに着こなしているのは事実なので、これに関しては校則違反をしている俺が悪い。
だけどなんかこの女、鼻につくんだよな。
先生に言われるならともかく、同級生のくせに命令口調で腹が立つ。
「放っとけよ。別に見た目以外、アンタらに迷惑はかけてねーだろ」
「そうそう。慎ちゃんってばこの見た目で成績良いし、わりと優等生じゃん?」
この見た目、というのは余計だが、アッくんが援護射撃をしてくれた。
「確かに成績は悪くないわね。数学に関しては私より上なのが癪だわ……けど成績の問題じゃないの、マナーの問題よ」
「マナーマナーって、結局お前が俺を気に入らねーってだけじゃねーの?」
「……っ、そうよ!! 私、あんたみたいな不良って大っ嫌いなの!!」
そう感情を昂らせる琴石は、憎悪に満ちた瞳で俺を睨んでいる。
まるで自分か大切な人の仇でも見るかのような、そんな目つきだった。
「あんた達不良はいつも自分勝手で、粗暴で、他人に迷惑ばっかり、最低よ!!」
「いやぁ~落ち着いてよいいんちょ。慎ちゃんマジで見た目だけだからさぁ」
「だったら校則くらい守りなさいよ!! 結局あなたも櫻井もただの不良なのよ!!」
「オイ、お前そろそろいい加減、鬱陶しい──」
流石に一方的に罵倒をされ続けると、こちらも気分が悪い。
少しくらい言い返してやろうかと、琴石を睨みながら声に出し始めた次の瞬間。
「てめえのパンツは何色だーーーーっ」
突然、素早く俺たちの前に割って入ってきた小森が、両手をばさっと上げてバンザイをするような姿勢になった。
それと同時、目に飛び込んだのは舞い上がるネイビーブルーのスカート。
そして琴石の白くて、か細くも程よく肉感のある肢体に、黒い生地を主体として、純白のレースに黒のリボン付きという、可愛らしくもアダルティックな雰囲気を漂わせるショーツが丸見えになった。
時間にするとほんの一瞬だったけれど、それがやたらと長く感じた。
そして琴石が履いていたソレに、俺の目は釘付けになってしまった。
「…………ひっ!? いやぁあああーーーーーーーーーーー!!」
一瞬固まった琴石だったが、我に返った瞬間に瞬間湯沸かし器の如く顔面が紅潮すると、スカートを抑えながら甲高い声で絶叫した。
「おー、黒。いいんちょ、意外とエロいパンツ履いてるじゃん」
小森がニヤニヤしながら、琴石が履いていたショーツの感想を述べる。
「最低!! 最悪!! あんた何するのよ!?」
「いやー、なんかカリカリしてたからさー、場を和ませようとおもってね~」
「ほんと最低なんだけど!! しかも男子の前で……最悪!! 死ね!!」
琴石は散々小森を罵倒してから、今度は俺とアッくんのほうを怒りの籠った眼差しで睨んできた。
「オレは見てないよ~?」
「ガキのパンツに興味ねーよ」
「~~~っ、最っっっ低!!」
顔面真っ赤ながらも怒り心頭な様子の琴石は、それだけ言い残すと踵を返した。
騒ぎを聞いたクライメイト達の視線が突き刺さるが、まあタイミング的に俺たち以外には見えていないだろう。
それにしても興味は無いと建前上言ったが……いいものを見せてもらった。
「あっははは。いいんちょブチギレじゃん、ウケる~」
「ゆりちゃん、流石にやりすぎじゃね?」
アッくんの顔は笑っていたが、でもどこか呆れた様子であった。
「だってあいつイライラするんだもん。がっぺムカつく~」
「いや~、でもオレらパンツ見られるのは流石にショックでしょ」
「そうだね。悪かったよ、お詫びにうちのパンツ見る?」
小悪魔のような笑みを浮かべた小森は、かなり際どいラインまで自らのスカートをたくし上げる。
本当にギリギリ、小森のパンツが見えそうで見えない。
「いやダメ!! それだけはダメ!! てか謝るのオレらじゃなくてあっち!!」
アッくんは慌てた様子で小森の行動をやめさせようとしていた。
スカッとしたかしなかったかで言われれば、正直言うとスカッとしたが、確かにやりすぎだよな。
でも琴石の言っている事が酷くて、イライラしていたのもまた事実で、正直複雑な気分である。
「また琴石さんと櫻井君たち揉めてたね」
「今度はなんだろう?」
「どうせ櫻井たちが何かやったんじゃね?」
美人で、文武両道で、人望がある琴石に同情的な話が耳に入ってくる。
まあ当然だ。
ていうか発端はアッくと小森が提出物の期限を守らなかった事で、俺も校則違反であるのは間違いないので、悪いのは間違いなく俺たちだ。
とはいえ琴石の不良嫌い、あれはもうアレルギーというか恨みがあるレベル。
もしかして過去、あるいは現在進行形が何かあるのかと、思ってしまった。




