18,終わり、そして始まり──
「よぉ慎ちゃん、生きてるか?」
激闘の末、東をノックダウンに追い込んだアッくん。
血まみれのアッくんは、いつものおちゃらけた雰囲気に戻って、俺の心配をしながらこちらに歩み寄ってくる。
「来るのが遅ぇから、ボコボコだ……」
「でも慎ちゃん、東の腹殴ったろ? 発勁が妙に効いたからな……」
アッくんは自分の右手を握って、ソレを見つめながらしみじみと語る。
「え、センパイあの男に一発入れたんですか?」
「私、見たわよ。確かに慎君は一発だけ、東って男に重い一撃を打ったわ」
「へぇ、慎ちゃんやるねぇ。初めてマトモにやった喧嘩で東に一発入れるだなんてセンスあるじゃん。鍛えたら強くなるんじゃないの?」
「勘弁してくれ……」
今回は紗月の身の危険があったから体を張っただけで、本来こういう荒事には関わりたくないし、痛い思いをしたくないから武道とかもやりたくない。
とはいえ安達とアッくんが駆け付けてくれなければ、今回の件はどうにもならなかっただろう。
やっぱり嫌でも、少しは鍛えた方がいいのだろうか。
「それより早くここを出ましょう。あたしが倒した連中も、多分すぐ起き上がると思いますので」
「そうだな、慎ちゃん動ける?」
「あ、ああ……」
伸びてアッくんの喧嘩を見ている間に、少しだけ体の疲労感が抜けてきて、灼熱と痛みは残っているので満足には動けないが、ギリギリ立ち上がれる程度には回復しつつあつた。
アッくんが肩を貸してくれたので、アッくんに掴まって立ち上がる。
足元にはあまり力が入らず、フラついてしまうがギリギリ動けそうだ。
とにかく紗月を救い出す事に成功した。
そして東、加藤、藤井。不良グループを退ける事にも成功した。
これで平穏が訪れれば、万々歳だな。
◇ ◇ ◇
「私の家が駅から近いわ、そこで二人を手当しましょう」
紗月の提案により、電車で移動した後、案内される形で紗月の家に向かった。
綾の森の閑静な住宅街の一角にあるという紗月の家は、俺とアッくん、そして安達の目を点にした。
「……でけえ」
「マジ? これ琴石さんの家なの?」
「めっちゃ金持ちじゃないですか!!」
紗月の家はなんというか、周辺の家の数倍は大きくて、家だけでなくて庭の面積も大きかった。
安達の言葉遣いといい、振る舞いといい、優斗君にも感じる気品ある雰囲気といい、薄々予想はしていたものの、やはり琴石家はかなりの資産家だった。
「さ、遠慮なく上がってちょうだい」
俺もアッくんも安達も、琴石家のスケールの大きさに萎縮しつつも、紗月の手招きを受けて自宅に上げさせてもらう。
両親は仕事なのだろうか、それっぽい人たちが出てくる気配はなく、アッくんの肩を借りながら二階までなんとか上がって、そこからまた少し廊下を歩く。やがて二つのドアが並ぶ場所に到達すると、片方のドアがゆっくりと開く。
「姉ちゃん? え、櫻井さん!?」
部屋から出てきたのは、優斗くんだった。
優斗君は上半身はタンクトップのシャツ一枚で、肩のあたりに湿布を貼った状態だったが、ボロボロの俺の姿を見た優斗君は青ざめた顔になって叫んだ。
「優斗、肩は大丈夫?」
「うん……多少動くから、骨は折れてなさそう。湿布貼って、サポーターつけてたら多分大丈夫だと思う」
良かった、優斗君は軽傷のようだ。
「それより櫻井さん、大丈夫ですか!?」
「慎ちゃんはあんまり大丈夫じゃないかな~」
「そっちのお兄さんも血だらけですよ!?」
優斗君はアッくんの顔を見て、さらに顔面が青ざめてしまった。
傍から見たら俺はズタボロだが、アッくんも動けるだけで十分ズタボロの状態である。
「優斗、部屋で休んでいなさい。さ、みんな私の部屋はこっちよ」
紗月は優斗君の部屋の隣のドアを開けて、俺たちに手招きをする。
「良かったな慎ちゃん、彼女の部屋だって」
「この状況で喜べねえよ……」
「そうですよ!! ていうか春田先輩も、冗談言ってる場合じゃないですよ、その出血量は」
「う~ん。ああ~、そういえばオレもフラフラしてきたな」
けろったした感じでアッくんは言っているが、恐らくこれは本当にフラフラしている時の感じだ。
アッくんは大怪我したり風邪で熱がある時、ギリギリまで我慢するタイプだ。
紗月に言われるがまま紗月の部屋に入ると、白とベージュを基調としてシンプルながら小奇麗で、それでいて熊のクッションが置いてあったり、畳まれた布団が可愛いデザインだったりと、随所に女の子らしさが漂う部屋だった。
俺とアッくんは絨毯の上に座る。
紗月はガサゴソと棚の中から何かを探している。
多分、あの中に救急箱みたいなものが入っているのだろう。
「安達さん。ここに消毒とか包帯とか諸々があるから、処置手伝ってくれる?」
「もちろんですよ」
安達は消毒と包帯、絆創膏など、色々と両手に抱えた状態で俺の方へと歩み寄ってくる。
「さあセンパイ、お手当ての時間ですよ」
「……悪いな」
怪我の手当をしてくれる手前、俺は素直に安達に詫びを伝える。
「春田君、あなたのおかげで無事に帰れたわ。お礼に手当てしてあげます」
「いいの? オレじゃなくて、彼氏にやってあげた方がよくね?」
「いいのよ。状況が状況、どっちがやるとか関係ないわ」
アッくんも紗月から手当てを受ける事になり、こうして俺とアッくんは二人から小一時間ほど怪我の手当を受ける事になった。
安達は俺の事をいつも通りからかってくるかと思いきや、意外にも真剣な様子で処置をしてくれて、俺も痛みと疲れから話す気力が無く、ただ無言でされるがまま、安達から処置を受け続けていた。
「痛い痛い!! しみる!! 優しくしてぇ!!」
「ちょっと騒がないでもらえる? あんなに強いんだから、少しは我慢してよ」
一方のアッくんは、俺より怪我が軽いのに処置の間、痛がって騒がしかった。
その様子に紗月も呆れた様子だったが、気にせず淡々と処置を進める。
こうして全ての処置が終わった頃、俺は重傷という事で紗月と安達に布団を敷いてもらい、そこに横たわる事になった。
「さて、一通り手当てを終えたわけだけれど……」
「センパイ、病院行った方がいいんじゃないですか?」
紗月と安達が、横たわっている俺の顔を心配そうに覗き込んでくる。
「いや、その……医療費、迷惑かかるし……」
「いやー、そんなの気にしてる場合じゃないっしょ」
「そうよ、あと春田君も病院行ったほうがいいと思うわ」
「え、オレも?」
「春田先輩も頭殴られてますから、気持ち悪いとかそういう症状があったらすぐ病院行ってくださいね」
博識の紗月はともかくとして、安達にやたらと医療知識がある事に俺は内心驚いていた。
やはり武道やっていると、そういう危険もあるからなのだろうか。
「つーかオレ、原チャ取りにいかねぇと」
「え、それ今気にする事なんですか?」
「大事なんだよオレにとっては!! 先輩からもらったやつだし、オレ金ねぇから、アレ紛失したらもう買えねえよ!!」
確かにアッくんは家庭の事情でそれほど裕福ではないし、それでバイト代の半分くらいは家に入れているわけで、自分の衣服や小森との交際にかかる金額を想像すると、貯金すらままならない状況だろう。
その状況で原付を新しく買うなど、夢のまた夢でしかない。
「安達、護衛だと思ってアッくんについてってもらえる?」
「え、センパイまで?」
「頼まれてくれよ。アッくん、原チャ貰った時スゲー喜んでて、大事に乗ってるわけだからよ……」
「……わかりましたよ。春田先輩、行きますよ?」
俺が説得すると、安達は渋々といった感じだが納得した様子で、アッくんに付き添う形で同行する事になった。
「ごめんね安達ちゃん。それと琴石さん、慎ちゃん任せて大丈夫?」
「大丈夫よ、慎君の保護者に来てもらうつもりだから。春田君も無理はしないで、異常を感じたらすぐ病院行きなさいよ」
「わかってるよ。じゃ、慎ちゃんオレ行くわ」
アッくんは立ち上がり、俺に向けて手を挙げた。
「アッくん。まだ連中居るかもしれねーから、気をつけろよ」
「安心してくださいセンパイ、その時はあたしが戦いますから」
安達は今回の件で、数少ない無傷でなおかつ戦闘能力の高い人間だ。
やっぱり女の子なので多少の心配は付きまとうものの、さっきの戦いぶりからして、安達に勝てる素人はそんなに居ないだろう。
アッくんの護衛として、今の状況で安達ほどの適任は居ない。
「それじゃあセンパイ、お大事にしてください」
「ああ、安達も気をつけろよ」
「はい。それと琴石先輩、センパイにイタズラしちゃダメですよ?」
安達が紗月をぎろりと睨み、恥ずかしげもなく妄想全開な忠告をする。
それを聞いた紗月の顔面が、みるみるうちに紅く染まっていく。
「しないわよ!!」
そして一言、安達に大声で反論する。
それを聞いた安達はアッくんと共に部屋から出ていき、二人の足音がどんどん遠ざかっていく。
部屋の中は、俺と紗月の二人きりになった。
「…………。」
「…………慎君」
しばし沈黙に包まれた後、紗月が思い詰めた表情で俺を呼ぶ。
「どうした?」
「今回は……いえ、あの日、私と優斗を助けてくれた日から、あなたにずっと迷惑をかけっぱなしで、本当に申し訳がないわ」
紗月は目に涙を溜めて、今にもソレが決壊しそうだった。
それほど紗月は一連の出来事に罪悪感を覚え、自分を責めているのだろう。
「……気にすんなよ。元はと言えば、俺が首を突っ込んだからでもある」
「それでも、何度も助けられて、恋人のフリをさせて、結果的にあなたにこんな大怪我を負わせてしまって……私、私……っっ」
紗月の目尻から涙が滴り、頬を伝って零れていく。
それが二つ、三つと、ぽろぽろ続いて、その間隔が次第に短くなっていく。
俺は右腕を伸ばして、前のめりになっていたため、近づいていた紗月の頭に優しく手を置いた。
泣きじゃくっていた昔の陽葵をあやすように、ポンポンと優しく叩く。
「泣くんじゃねーよ。こうなったのは、お前の責任じゃねーだろ」
とにかく紗月に責任はない。
それを分かって欲しくて、傷だらけで口内まで痛む中、頑張って言葉を紡いでみせる。
「優斗君をイジメてた、アイツらが悪い。それ以上でもそれ以下でもない」
紗月を撫でていた手を頭から離して、今度はポンと紗月の肩に手を置く。
「お前はお前なりに、姉ちゃんとして優斗君を守ろうとした。たまたま俺はその手助けをした、それだけの話だ……だから泣くな」
俺がどれだけ優しく語り掛けても、紗月の涙は止まらない。
紗月は鼻を啜り、右腕で涙を拭う。
「あなた……どれだけ優しいのよ」
「話の流れだ、別に優しさじゃねーよ……」
面と向かって、しかも泣きながら褒められると恥ずかしさが勝る。
体が痛くて寝返りをうつ気は起きなかったが、首を動かして紗月から目を逸らしてしまう。
「……ねえ、恋人のフリの件だけど」
顔を逸らしてしばらくの沈黙の後、紗月が切り出した話。
それは現在、俺と紗月との間で結ばれている、偽装カップルの関係についてだ。
「解消、しないかしら?」
やっぱり、そういう話だったか。
「……まぁ、あれだけやればもう、加藤と藤井が手ぇ出してくる事は無いな」
「ええ。それにこれ以上、あなたの行動を縛るわけには……いかないわ」
確かに偽装とはいえ、何処から加藤と藤井に情報が伝わるかわからないからという理由で、結構大々的に彼氏彼女を演じていたわけだ。
その流れで安達とひと悶着があり、結果として安達とは今まで通りでいたいという我儘を、紗月には突きつけた。そして我儘を紗月に認めさせ、それから数日後に今回の事件が起きた。
結果的にもう恋人のフリをし続ける理由は無い。
そして紗月としても、俺や安達の行動を縛るのは心苦しいのだろう。
まあ、俺も──これ以上、偽の恋人を演じる必要は無いと思う。
「……お前がそれでいいなら、解消って事でいいぞ」
「じゃあ、これにて恋人のフリは……解消ね」
これでいい。
元はと言えば、俺が失言をしてしまった事も原因で、そもそも俺と紗月が交際するなどありえない話だった。
担任からも色々と疑われてしまった手前、これ以上の継続は厳しい。
明日、というか来週からは、俺と紗月は元の関係に……。
──慎君、一緒に帰りましょう?
──ええ。頼りにしているわ、私の彼氏。
──危ない事はできれば避さけてよね。怪我をされるのは正直嫌よ。
──前から思っていたけど、あなたって反応が初心よね。
元の関係か。
偽の関係とは言え、今まで見る事がなかった紗月の笑った顔、泣いた顔、心配そうな顔、色んな表情を見てきた。
紗月に対して恋愛感情があるかというと、それは微妙だ。
少なくとも嫌いではないし、可愛いとは思うが、それはいったん隅に置いておくとして、俺は紗月とこれから、どういう関係になりたいのか。
元の関係に戻りたいのか。
……それは絶対にない。
紗月への情が湧いてしまっているのは、否定しようのない事実。
「ああ……まあ、これからは、まあ……普通に友達って事で、いいな?」
「え……?」
紗月は間の抜けた声を出して、驚いた様子でぽかんと口を開ける。
「今更、前みたいにいがみ合えるかよ……」
「あなた……私に苦手意識とか、ないわけ?」
「何度も言わすなよ。一連の件はお前の責任じゃねえし、そのよ……普通に友達として仲良くしても、いいんじゃねーの?」
そう言ってやると、紗月はまたしても目からポロポロと涙を零し始める。
だけど今までの責任と重圧に追われ、悲しみからくるモノとは違って、口元も緩んで穏やかな表情をしていた。
「慎君……ありがとう。これからも仲良くしてもらって、いいかしら?」
「当たり前だろ。まあ、これからも仲良くしてくれよ……」
紗月から顔を背けるが、それでも灼熱を顔面に帯びる。
これは絶対、怪我のせいではない。
安達がこの場に居たらきっと、顔が真っ赤だとからかってくるのだろう。
「慎君、顔が真っ赤よ」
だけど紗月は、安達が言いそうな事を嬉しそうに囁いた。
「うるせえ……」
それに対し、俺は安達に悪態をつくのと同じように、紗月にそう言ってやった。




