17,春田厚成 vs 東辰吉
かつて菫山市の南側で名を売っていた春田厚成と、北側で猛威を振るっていた東辰吉の猛者二人が、一年と少しぶりに廃倉庫で相まみえる。
もう見る事は無いと思っていたアッくんの喧嘩が、久しぶりに見られる。
「この二人、安達ちゃんがやったの?」
「はい、僭越ながら……」
「スゴいね、何かやってるの?」
「空手です!!」
アッくんと安達が会話をしていて、安達が左の拳を引きながら右の拳を正中線に構えた。
そうか、アッくんは安達が空手家だって知らなかったのか。
「じゃあ残りの中坊、お願いしても大丈夫?」
「はい、多分勝てると思います」
「おっけ。じゃあ片づけたら慎ちゃんと琴石さん保護して欲しいかな」
「わかりました、では!!」
アッくんとのやり取りを終えた安達が、小動物のような俊敏さで駆けだして、円を描くように廃倉庫内を走る。
「なんだあのチビは!?」
「やっちまえ!!」
加藤と藤井、そしてテルなど、中学生たちが安達に向かって飛び掛かる。
安達はそのまま中学生軍団と乱戦に突入するのかと思いきや、なんと予想に反して急ブレーキをかけるかのように立ち止まり、床を激しく蹴り上げると安達の小柄な体が宙を舞う。
「なんだ!?」
加藤が叫ぶ間に、跳躍した安達はコンクリートの支柱を蹴り、なんと加藤たちに向かって飛び掛かった。
スカートがひらひらと舞い、チラリとミント色のショーツが見え隠れしていたため、目を逸らそうとしたが、そんな暇はなかった。
もう次の瞬間には、安達の飛び足刀蹴りが加藤の顔を蹴り抜いていた。
「か、加藤ォォォーーー!!」
声もなく失神KOされた加藤に対し、藤井が絶叫。
「せい!!」
「ご、ふっ!?」
だが間髪入れず、安達が藤井に向かって間合いを詰めると、神速の順突きが藤井の上顎に突き刺さっていた。
「テメェ!!」
それで脳震盪を起こした藤井が怯む中、テルが安達に飛び掛かる。
「甘いですよ!!」
「タコス!?」
だがテルよりも早く安達が反応してみせ、安達は蹴り足を高く上げて、上段へ華麗な回し蹴りをお見舞いする。
側頭部に蹴りを浴びたテルは声もなく、がくんと膝が崩れ落ちた。
「ひ、ひぃ!?」
「か、空手……なんなんだよこの女は、強すぎるだろ……!!」
「呼ォォ……ッ!!」
安達が内股気味の立ち方で、左の拳を引きながら右腕を正中線に構える。
漫画で見た事があるけど、アレが三戦。
実物は初めて見たが、普段の可愛らしい姿からは想像がつかないほど真剣な表情で、静かながらも闘志を帯びた安達には、素人目に見ても全く隙が無い。
黒帯を持っているだけあって、安達は凄まじいレベルの達人だった。
「うわぁ……あれ下手したらオレより強いんじゃね?」
そう言いながらヘラヘラ笑っているアッくんだが、アッくんの方も事態が動き出そうとしていた。
「春田、あんな空手家を連れてくるなんて……ビビってんのか?」
「自分だってボクシングやってた癖に、文句言うんじゃないよ」
「昔の話だ……それより春田、俺は今でも忘れてねえぞ」
東の目に憎しみ宿る。
「え、何を?」
「てめえにボコボコにされた卒業式の後の事だよ……」
「あー、アレ? だってタイマンだって挑んできたのそっちじゃん?」
「うるせえよ。あれから俺はてめえに復讐しようと機会を伺っていたのに、てめえは呑気に一般人やっててよ、ふざけやがってよぉ」
指の関節をパキポキと鳴らす東。
その口ぶりからして、アッくんの動向を追っていた様子だ。
「いや、高校生だよ? あんま暴れたら退学になるよ? 嫌じゃね?」
「腑抜けたなぁ、春田」
「まぁどうでもいいんだけどさ……」
耳をほじるアッくんが鉄パイプから手を放し、金属音が倉庫内に響き渡る。
そして耳をほじるのをやめたアッくんは、これまでのおちゃらけた雰囲気から変貌して、久々に鋭い目つきを見せる。
「──慎ちゃんに何してくれてんの、お前?」
アッくんの目には、ハッキリとわかるほどの怒りが宿っていた。
「お前の相棒、根性はあったぜ? 一発貰ったがよ……ブランクのあるテメェには丁度いいハンデだ!!」
東が腹をさすった次の瞬間、一瞬にして構えてアッくん飛び掛かった。
「久しぶりにキレちゃったぞ、本気出しちゃうもんね」
狂気を帯びたアッくんは、向かってくる東に対して受けの構え。
だがアッくんの構えは少し、変わった構えだった。
空手のように腰を落としているが、特徴的なのは手の形。小指と薬指を握り、中指と人差し指にに親指を添えた形を作り、蟷螂のように両手を構える。
出る、アッくんが南側で喧嘩最強だと言われた所以。
「──シュッ!!」
やはり速い、東が放ったジャブは俺の目では捉えきれない。
だがアッくんは俺が躱せなかったジャブを、いとも簡単に右手の手首外側を東の手首の内側に当てて、東のジャブを受け流すと同時、アッくんの左手が東の顔面に向けて突き放たれる。
東にはアッくんの攻撃が見えていたのか、皮一枚でソレを躱す。
「ハハ、流石アッくんだ……」
思わず笑いが零れた。
アッくんの攻撃は東に直撃こそしなかったが、東の右頬には薄く切り傷が出来ていて、そこから鮮血が滲んでいた。
「……前から気にくわなかったんだよ、不良のくせに拳法なんか使ってよぉ」
「うるせぇ、近所の爺ちゃんが教えてくれたんだ。捕食しちゃうぞコノヤロー」
中国拳法、蟷螂拳。
カマキリの動きを模倣して組み立てられた技術体系で、数ある中国拳法の中でも実戦的で危険度の高い武術だ。
アッくんの家の近くに、昔から親切にしてくれた老人が居て、その老人から手解きを受けたと大昔に聞いた。喧嘩の場ではここぞという時に使っているようで、俺も何度か套路や喧嘩での使用を見た事がある。
いきなり蟷螂拳を解放するという事は、東はそれほどの相手という証だ。
「俺はジムを破門になったがよぉ、一日たりともトレーニングをサボってねえ」
「オレも毎日、家に帰ってから稽古は続けてるよ」
「チッ、近代格闘技が胡散臭い大陸の拳法に負けてたまるかよ」
そう啖呵を切って、オーソドックスなボクシングの構えを取る東。
「かかってこいよ、東」
それに対してアッくんは、やはり蟷螂拳の構えを取った。
こんな高レベルな戦いをする連中の片割れと、さっきまで殴り合っていたと思うと、時間稼ぎのためとは言え自分の行動が無謀だったと思い知らされる。
「慎君!!」
アッくんと東の戦いを見入っていると、突然紗月の叫び声が聞こえて、涙目の紗月が俺の目の前で屈んだ。
気づけば周りが静かになっていて、加藤ら中学生軍団は全員が床で伸びている状態だった。
どうやら全員、安達にぶちのめされたようだ。
そして安達は紗月の拘束を解き、自由になった紗月がこちらに来たようだ。
「センパイ!!」
次いで安達も駆け寄り、紗月の横に並んで俺の名前を叫ぶ。
「ひどい怪我……センパイ、大丈夫ですか?」
「あんま大丈夫じゃねえ……」
「慎君……ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
「紗月……」
泣きじゃくる紗月に腕を伸ばそうとするが、起き上がらないと届かない距離な上、今の俺は起き上がる体力もなく、上がった腕が小刻み震える。
もう少し寝ていれば多少回復しそうだが、これは参った。
「センパイは安静にしていてください。琴石先輩はセンパイの傍にいて、あたしはあの野郎をぶちのめします!!」
安達が拳を握りながら立ち上がる。
その目つきは闘志に満ちていたが、その目はすぐに見開かれる事になる。
「ほらほらほらほらぁ!!」
「シュッ!! シュッ!!」
アッくんの蟷螂拳と、東のジャブ。
どちらも凄まじい速度で、殴打の応酬が繰り広げられていた。
「ボクシング。それに春田先輩……蟷螂拳?」
「心配する必要ねぇぞ、安達……アッくんはああ見えて、拳法の達人だからよ」
「はええ、人は見かけによらないんですね……」
俺から言わせれば、安達の空手も十分に化け物クラスだし、その可愛らしい容姿からあの華麗な技が飛び出るなんて、実物を見た今でも信じられない。
ともあれ格闘漫画を読んだ程度の知識しかない俺とは違い、安達は実際に武術を嗜んでいる人間だからか、アッくんと東がどういう技を使っているのか理解ができるはず。そのせいか安達は真剣な目つきで、二人の戦いを見届ける。
あれだけ泣いていた紗月も、今は無言でアッくんと東の戦いを見つめていた。
「チッ!?」
アッくんと東の力は拮抗しているように見えたが、アッくんが形作る蟷螂手はもはや刃物と同じと言うべきか、切れ味を帯びて東の体から血飛沫が舞う。
「このままだとシュラスコになっちゃうぞぉ!!」
「フン……えげつねぇな」
東はたまらずか、バックステップを踏んでアッくんと距離を置く。
当然、そんなものをアッくんが見逃すわけもなく、アッくんも震脚をすると驚異的なスピードで東を追った。
「フゥ──ッ」
しかし東はアッくんが迫りくる中、全くの無表情で呼吸を整える。
「顔面、ザックリだね」
アッくんもまた無表情で、冷徹に蟷螂手を放つ。
完全に間合い。
当たったと思った。
「──見切ったぜ、春田」
だがなんと、東はギリギリまでアッくんの蟷螂手を引き付けて、皮一枚のところでソレを外してみせると同時、ファイティングポーズを取ったまま僅かに身を屈め、次の瞬間には拳を打ち出していた。
速すぎて鮮明には見えなかったが、気づくともう東のジャブはアッくんの顎を横から打ち抜いていた。
「アッ……」
顎を打ち抜かれたアッくんから力が抜け、ガクンと崩れ落ちそうになる。
「──シュッ!!」
東の吐息が響く中、奴は即座に左手を引いて、右のストレートがアッくんに襲い掛かる。
「アッくん!!」
「春田君!!」
「春田先輩!!」
東の拳が直撃した瞬間、アッくんは勢いよく後方へ吹き飛んでいた。
アッくんはそのままの勢いで床に落ちて、仰向けの体勢で大の字になって倒れてしまった。
「アッくんの蟷螂拳が破られるとは、やっぱ東は強い……」
「ボクシングのジャブは近代格闘技、最速の技なんですよ」
安達は解説しながら胸元に拳を構え、とんでもない速さでそれを打ってすぐに引き戻す。
「空手にも刻み突きって技がありますけど、ボクシングのソレは拳のみに限定した打ち合いの中で、特にスピードに特化した技術体系なんです」
「それじゃあ、春田君の拳法だとボクシングには勝てないって事?」
淡々と解説する安達に対し、紗月が絶望に染まった表情で質問をする。
ここでアッくんが負ければ、自分たちが窮地に陥る事を理解しているのだろう。
「正直、ボクサーは空手家からしてもやりづらい相手ですね。中国拳法は空手の母体とも言えますが……」
「そんな……っ」
「いや、まだ大丈夫だ。アレぐらいでへばるほど、アッくんは弱くねぇよ」
俺の信じていた通り、アッくんは血が滴る顔面を右手で覆いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「やられたねぇ……美顔が血まみれじゃん、コノヤロー」
「前の敗北から、テメェに勝つために努力してきたんだよ」
「不良の癖に努力してんじゃねーぞ、コノヤロー。真面目にボクシングやれよ」
「テメェに勝てたらよぉ、新しくジム探してプロ目指してやるよ……」
東が闘志を燃やして、再びファイティングポーズを取る。
まさしく奴の不良人生は、アッくんへのリベンジを果たすため、アッくんに勝つためと言っても過言ではない。
だが東の台詞を聞いたアッくんが、ニタニタと薄ら笑いを浮かべる。
「いつまでもガキのままみたいだから、目覚めさせてやるよ」
そう言いながらアッくんは三度、蟷螂拳の構えを取る。
「もうままごと遊びはオシマイだよ。いい加減、お前も不良やめなよ」
「うるせえ。一般人気取りやがって……」
拳を握りしめ、ギリギリと歯を食いしばる東。
「ずっとこの道でやってきてんだ──今更曲げられるかよ!!」
目を見開き、腹の底から張り上げた、地響きがしそうなほどの咆哮。
俺との喧嘩。そしてアッくんとの戦いで、あれだけ動き続けてきた東も、流石にスタミナの底が見え始めたきた。
明らかに発汗の量が増え始めた奴は、勝負を焦りつつある。
「死ね、春田ァ!!」
構えた東はアッくんとの間合いを詰め、殴り合いへ持ち込もうとする。
「──シュッ!!」
東は左のジャブを打ち、同時にアッくんは蟷螂拳で東の体を刻む。
だがやはり、東のジャブが速い。東は体を刻まれながらも全く怯む事なく、おまけにスピードも落ちず、無情にも東のジャブが何度もアッくんに当たる。
威力は大したことはないが、それでも拳が高速で直撃しているため、アッくんの顔から血飛沫が舞うのが見える。
やがてアッくんは手を出せなくなり、東が一方的にアッくんを殴打する。
「終わりだ、春田」
数多のコンビネーションの中から、東の右ストレートが再びアッくんを襲おうと伸びる。
だが俺は、アッくんの口角が上がった瞬間を見逃さなかった。
「この瞬間、待ってたんだよ」
アッくんの両手が円を描いたと思った次の瞬間、左手は東の手首へ、右手は東の上腕に絡みついていた。
手を引っかけたアッくんは、自分の腰を落として重心を落とすと同時、東を引き寄せる事で東のバランスを崩す。
「なに!?」
東は引っ張られる形で前に崩れ落ち、バタバタとせわしなく足を動かしてバランスを取ろうともがく。
「上手いな、アッくん……」
「蟷螂拳は打撃だけじゃないですもんね。隙を突いて掴み、崩しましたね」
驚かされるは安達の格闘技知識の豊富さだが、確かに安達の言う通りで、蟷螂拳とは決して打撃技に限定された拳法ではない。
バランスを崩された事で生じた隙を、アッくんは逃さない。
「そうやってジタバタと、バランスを取るしかないよね」
東がバランスを取り戻し、アッくんと向き合おうとした瞬間だった。
「噴ッッッ!!」
「ごはっ!?」
東が反撃に転じる前に震脚していたアッくんは、これまでの蟷螂手とは打って変わって腰を落とし、握った拳をワンインチで激しく東の腹部に叩き込んだ。
中国拳法で言うところの発勁。
近寄ったと思いきや、それを至近距離から放つ寸勁という技術で、アッくんは東の腹を思いっきり打ったのだ。
それにより東は、口から吐血していた。
俺に腹を殴られたダメージが結構残っていたのか、今の寸勁は異常に効いた。
「幕の引き時だね」
「────ッ!!」
間髪入れず、アッくんは蟷螂手を形作り、目にもとまらぬ速さでソレを東の喉仏に突き刺した。
声にもならないような、吐息に近いような声を僅かに漏らした東。
やがて完全に意識を失ったのか、東は力なく前のめりに倒れた。
「みねうちだから、潰してないよ。殺したら面倒くさいしねぇ……」
鼻、口、そして東の拳が幾度とヒットしていたせいか、額からも血を流していたアッくんだったが、ともあれアッくんは東辰吉との喧嘩に勝った。
久しぶりに見たアッくんの喧嘩は、やはりえげつなかった。




