16,だったらイケるぜ
「慎君!! 嫌ぁぁーーーーーーーーーーッ!!」
俺がやられた事を目の当たりにしてか、紗月の悲鳴が廃工場内に木霊する。
やられた鳩尾と、右頬がズンズンと痛む。
咳込んで、一生懸命生きをして、倒れたまま呼吸を整えようとする。
「見たかよ藤井、流石は東さんだな!!」
「あの金髪、大したことないじゃねーかよ。見掛け倒しだったみてぇだな?」
加藤と藤井を退かせる事が出来た、俺の怖いというメッキも剥がれてしまった。
だが、今となってはそんな事、どうでもいい。
「はぁ、はぁ、はぁ……クソが!!」
体を捻り、手と膝をついて、どうにか力を込めて立ち上がる。
「根性はあるようだな……だがもう息が上がってるぜ?」
「うるせぇボケ。まだ、終わってねえよ!!」
幸いな事に、まだ動ける。
気合いを入れて、俺は東に向かって特攻する勢いで駆けだす。
「オラッ!!」
「素人が」
何度も、何度も、とにかく手を出して、俺は東に向かってパンチを何度も放つものの、どれ一つとして東には命中しない。
東はバックステップを踏んで、涼しい顔のまま俺のパンチを躱し続ける。
「パンチってのは、こう打つんだよ」
両手を正面に構えた東が、一瞬のうちに間合いに入ってきたと思った次の瞬間、少し軽めのジャブを二発浴びる。
右手に入れ替えた東が放った次の一撃が、深々と俺の顔面に突き刺さる。
「ごべ……ッ!?」
衝撃で大きく仰け反ったが、根性出して足を踏ん張り、どうにか踏みとどまって倒れずに済んだ。
だが軽く脳震盪を起こしているのか、眩暈がする上にフラついて立っている事がやっとの状態だ。
殴られた鼻っ柱は激しい痛みを帯び、ドバドバと鼻血も止まらない。
口の中も鉄っぽい味で充満していて、口内出血もひどいようだ。
鼻からの出血を手首で拭う。
幸いな事に、歯は飛ばなかったようだ。
「忘れてた……そういえばてめえ、ボクシングやってたんだっけな」
「喧嘩のしすぎでジムは破門になったけどな」
「来いよ……俺はまだピンピンしてるぞ、コラ」
ハッタリだ、正直もう倒れてしまいたいほど全身が痛い。
やはり力の差は明白だが、そうと認めれば人間案外冷静でいられる。
まず一発でも当てる事を考えて、不敵な笑みを作って東を手招きする。
「雑魚が、そろそろ終わらせる!!」
構えた東が、とんでもない速度で飛び出してきた。
パワー、スピード、テクニック、どれをとっても勝ち目は無いが、俺という明らかな格下を相手にしているからこそ、そこに付け入れる隙はあるかもしれない。
そこに期待しながら、俺は口内に溜めた自分の血液を、東が間合いに入ってきた瞬間、奴の顔面目掛けて勢いよく吹きつけてやった。
「チッ!?」
殆ど賭けだったが、意外にもそれは東の予想外を作った。
血を飛ばしてきたのが見えた東は、反射的になのか顔の前に右腕を入れる。
俺の血液がべちゃりと腕に付着したが、その瞬間に東の動きが一瞬止まる。
「オラァ!! 動き止まったぞ!!」
そのチャンスに俺は東の懐に飛び込み、全体重を乗せてタックルを仕掛ける。
「噴ッ!!」
「ごふっ!?」
東は数歩よろめいたが、冷静に俺の鳩尾にボディーブローを叩きつける。
予想外の攻撃に俺の突進は止まってしまい、ゲホゲホと咳き込んでいるうちに東は反撃の体勢を整え、とんでもない速さでボディ、顔面と、俺の急所を狙って殴打を連続で叩き込んでくる。
なんとか腕を上げてガードの体勢を取り、腹はどうしようもないので気合いで腹筋を固める事にした。
だが東のパンチは速く、鋭く抉るようで、重たい。
俺の体が悲鳴を上げていく。
全身に激痛が走り、体に力が入らなくなってきて、ガードが崩れていく。
「慎君!! やめて!! それ以上やったら慎君死んじゃう!!」
紗月の悲鳴が廃工場に木霊する。
「いいっすよ東さん!!」
「そのまま櫻井を畳んじまってください!!」
加藤と藤井が東を煽る。
「ぐっ!?」
東の重たい一撃を受けると、俺は遂に腕に力が全く入らなくなってしまう。
ガードが弾けて、胴から顔にかけてがら空きになってしまった。
「──シュッ!!」
「────ッッッ!?」
東の右ストレートが目に映ったが、そのスピードは俺の反射神経を軽く凌駕していたため、もう成す術がなかった。
東の右拳が俺の頬に直撃した瞬間、俺は意識が飛んだ。
──いいかい、慎。
朦朧とする意識の中、脳裏に過ったのは若き頃の母親の姿。
まだ茶髪で、上下ピンク色のスウェットを着ていて、学生時代やんちゃしていた頃の面影が残る若き母さんが、小さい頃に俺に語り掛ける。
──アンタ、その格好だ。堂々としてりゃ、殆どの奴はビビるよ。
まだ俺がイジメられていた頃。
まだ俺が泣き虫で、いつも泣いていた頃。
母さんは突然、俺を美容院に連れて行ってくれた。
そして今の金髪にしてくれた。
母さんはしゃがんで、俺と同じ目線で語り掛けてくれた。
──だけど見た目でビビらねえ奴はいる、そういう時はガツンと殴ってやんな。
そうは言われても、俺は弱かった。
殴ったって避けられるし、もっと避けられる。
そう母さんには反論した。
──馬鹿野郎、男ってのは怖気づいたらオシマイなんだよ。
だけど母さんは、こんな説教を俺にしてくれたっけ。
──どつかれても、どんだけやられても、絶対に最後まで諦めるな。
──心さえ折れなけりゃ、そこに活路ってモンが生まれるんだよ。
嗚呼、今なら理解る。
どれだけ絶望的な状況でも、男って生き物は逃げずに戦わなければいけない状況があって、そういう時に力で劣っていても、最後は精神が肉体を支える。
限界の先に、極限がある。
だったらイケるぜ。
…………。
……。
気づけば俺は、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
何秒経過したのかわからない。
五秒かもしれないし、十秒かもしれないし、六十秒かもしれない。
ひどく長い時間に感じたが、現実世界に戻ってきた俺は両足が震えながらも立ち上がって、歯を食いしばりながら東を睨みつけた。
「……テメェ!!」
初めてだ。
東の表情に焦りが見えたのは。
「まだ立つのかよ……!!」
「ウソだろ、東さんの右ストレートをモロに食らったヤツが……!?」
見物していた加藤と藤井もビビり始める。
「慎君……もういい、それ以上は……やめてっ」
紗月は涙が溢れて、もう顔中ぐしゃぐしゃだった。
そんな紗月の姿を見て、俺はさらに気持ちを奮い立たせる。
「来いよ……俺ぁ、まだ闘れるぜ」
「雑魚なんて言って悪かったな。根性あるじゃねえか……櫻井!!」
東が再び拳を構えながら駆け出し、一瞬のうちに俺との距離を詰めてくる。
もうわかっている。
ガードしようが、避けようとしようが、東の神速の殴打から逃れる能力は、俺には備わっていない。
当たり前だ。
マトモな喧嘩はこれが初めて、しかも相手はアッくんも匹敵する猛者。
万に一つも勝ち目は無いし、どう気合い入れたって状況を覆せない。
だったらよ、やれる事は一つ。
もうすぐアッくんが来るはず、それまで持たせるための方法は一つ。
「うおおおぉぉぉーーーーーーーーーーーーッ!!」
雄たけびを上げながら、拳を振り上げて東に突っ込む。
「勝てなくてもよぉ……一発くらい、ビビらせてやる!!」
次の瞬間、東の右ストレートが俺の顔面に突き刺さる。
無情にも俺のパンチは東の顔面に触れる事さえなく、東は体重を乗せて拳を降り抜いた。
またしても意識が飛びそうになる凄まじい衝撃を受けるが、俺はもう腹を括っているんだよ。
──絶対倒れねえと思って、全身に力を入れるんだよ!!
幼き日、母さんから言われた言葉を思い出して、東の本気の右ストレートを耐え抜いてみせる。
東が目を見開き、明らかに焦った表情になった。
その隙に俺は震脚。大地を蹴り抜いて、拳に魂を込める。
「テメェも一発、貰っとけや。ゴラァアーーーッ!!」
俺の全存在をかけた決死のボディーブロー。
ソレがズドンという音が響くほど、深々と東の鳩尾に突き刺さる。
「ぐ、おぉぉおおおぉぉぉッッッッッッ!?」
東が苦悶の絶叫を上げる。
突き刺さった拳に回転を乗せて、さらに深く東にめり込ませると、東は微量ながら吐血した。
しばらく、そのままの体勢で固まる俺と東。
「う、おぉ……」
ここで俺の限界で訪れてしまう。
急速に力が抜けて、気づけば俺はうつ伏せの状態で倒れてしまった。
「げほっ!! ごほっ!!」
目を向けると東も膝をついて、咳き込みながら腹部を右手で押さえていた。
「東さん!!」
「嘘だろ、東さんがダウンした!?」
加藤、藤井、そして取り巻きのヤンキー共がどよめく。
ダメだ、もう指先にすら力が入らない。
立ち上がれない。
「はぁ、はぁ、はぁ……タフさと根性は認めてやる」
呼吸を整えた東が、俺の横で胡坐をかくように座った。
「ぐ、くぅ……ッ!!」
力を入れて立ち上がろうとするが、俺の体は痙攣するばかりで全く言う事を聞いてくれない。
「もういい、寝てろ。それ以上やったら死ぬぞ?」
悔しいが、この喧嘩やっぱり俺の負けだ。
東は口から微妙ながら血を流しており、全力のパンチは東にダメージを与えこそしたが、東を戦闘不能に追い込むほどではなかった。
それどころか奴はまだ動ける素振りを見せており、勝敗は明白だった。
「くそっ、おい藤井!! 東さんに加勢するぞ!!」
「櫻井てめえブッ殺す!!」
まずい、今ので回りの馬鹿共に火をつけてしまった。
「やめろ、テメェら!! 手ぇ出すんじゃねえ!!」
東は加藤達にストップをかけるが、それでも止まろうとはせず、数人の不良達が一斉に飛び掛かってくる。
このままボコボコにされて、下手したら殺されるかもしれない。
ダメか、死を覚悟した。
「ちぇすとぉぉおおーーーッ!!」
「ぐえっ!?」
「ひでぶ!?」
だが次の瞬間、シャッター口の方から謎の甲高い掛け声と、恐らく不良達と思われる悲鳴が聞こえた。
全身に熱と痛みを怯えながらも、なんとか首を回してシャッターの方を見る。
「な、なんだテメェは!?」
加藤が狼狽して、シャッター口にいる小柄な女の子に向かって吠えた。
「センパイ達に何してくれてるんですか……完全にブチギレです」
「あ、安達……」
「安達さん!?」
やっとの思いで声を絞り出すと、それを上書きするように紗月が叫ぶ。
「あれ? なんで安達ちゃんまでいるの?」
そして続くように現れた、俺が待ち望んでいた男。
「アッくん……」
「春田君!!」
またしても俺の声を、紗月が上書きする声量でかき消す。
「あ、春田先輩?」
「あーらら、慎ちゃんボコボコじゃん? 東にやられたわけ?」
鉄パイプを片手に持つアッくんが、安達の横に並んだ。
安達が来るのは予想外だったが、状況から察するにアッくんの到着より僅かに早く安達が到着し、シャッター付近にいた高校生二人を空手で倒したようだ。
「春田ァ……待ってたぜ、テメェに借りを返せる、今日という日をよぉ!!」
アッくんを見た瞬間、東の瞳に狂気が宿る。
そして俺から受けたダメージなど些細なものだと言わんばかりに、当たり前のように立ち上がってしまった。
いや、吐血はしているからダメージはあるはずだ。
東はアッくんを見て、積年の恨みからアドレナリンが噴出したのだろう。
「……来るの、遅ぇよ」
口角が上がるのを感じながら、力なく声を漏らす。
俺は、時間稼ぎという役目を果たせた。




