14,不穏な気配
私──琴石紗月は、高校二年生になって人生初の彼氏ができた。
彼氏と言っても、正式に付き合っているわけではない。
そもそも彼は学校でも有名なヤンキーと評判で、私の弟の優斗が不良グループにイジメられていた事もあって、不良というものが大嫌いだった。
だから彼の事は嫌いだった。
彼と仲の良い二人も軽薄そうで、特に小森さんにスカートを捲られた件に関しては、正直忘れてしまいたいほど嫌な思い出だ。だから彼らの事が大嫌いで、クラス委員の仕事以外では関わりたくないと思っていた。
──弱い者イジメって嫌いなんだよ、それだけ。
──俺は……この子の姉ちゃんの彼氏だ。
アイツは、不良っぽい格好をしているくせに弱い物イジメが嫌いらしい。
喧嘩をした事がないのか、自分がそれっぽい格好をしているのに、中学生の不良相手に脚も震えていた。
女の子に慣れていないのか、反応も初心。
それなのに時々、自棄なのか度胸なのか、男らしい一面を見せる。
「今日は愛しの彼氏と一緒にご飯食べんでええん?」
昼休み、机を動かして、私の正面で焼きそばパンを頬張る高橋侑那が、私と慎君の関係をからかうような質問をしてきた。
「彼も私も、友達は大切にする方なのよ」
「嬉しい事言うてくれるやん、紗月はよぉ」
大阪訛りの言葉で喜ぶ侑那は、同じ中学出身で私の友達だ。
栗色のショートヘアで、陸上部だからか小麦色に日焼けした肌が特徴的で、快活で私なんかと違って友達も多い女の子だ。
「ていうか私、侑那には言ったわよね? 彼との関係はフリだって」
「わかってんで。けど話を合わせるためとは言うても、櫻井と付き合うなんてね」
「仕方ないじゃない、あと三週間の辛抱よ」
「ふ~ん、辛抱ねぇ……その割に櫻井といる時、結構楽しそうやん?」
「……っ!?」
侑那からの指摘に、どうしてか私はひどく動揺をしてしまう。
胸のあたりが締め付けられて、顔中が熱くなってしまう。
「考えてみたら漫画みたいでロマンチックやん。ピンチを助けてくれたんやろ?」
「……そうね、結果的にはそうなるわ」
「櫻井、別に不良やないんやろ? それやのに勇気出して助けてくれたって、漢気がえぐいなぁ。うちでも惚れてまうかもしれへんわ」
そういえば侑那、この雰囲気で少女漫画が大好きだったわね。
そういう王子様に憧れがあるのか、妄想に浸る彼女は乙女そのものの反応だ。
「しかも櫻井って目つき悪いけど、逆にそれも含めてワイルドって感じやん。雰囲気カッコいいし、一年の時から成績も悪ないみたいやし、案外優良物件ちゃう?」
「侑那、あなた慎君みたいなのがタイプなの?」
「普通に彼氏としてアリやと思うけど、親友の彼氏は横取りしぃひんって」
冗談っぽく笑う侑那だけど、その言葉に込められた真意は冗談とは思えない。
もちろん私の彼氏を横取りする気がないのも本音でしょうけど、慎君を彼氏としてアリだと思う気持ちも、強ち嘘じゃないのでしょう。
──まただ。
なんか、モヤモヤするわね。
意外と慎君はモテる。
本人たちは付き合っていないと言っているけど、少なくとも私の目から見た安達さんの彼に対する反応は、恋する乙女のソレにしか見えない。
もちろん私よりも先に、安達さんの方が彼とは仲良くなった。
私が恋人のフリなんて要求したから、話がおかしくなってしまった。
その事は理解できている。
じゃあ、私はどうしてこんなに気持ちが落ち着かないのだろう。
なぜ安達さんに対して、今の侑那の発言に、こんなにモヤモヤするのかしら。
「紗月、素直に認めたら?」
「……何を?」
「気になるんやろ、櫻井の事」
「──ッ!?」
気になる?
私が、慎君の事を?
「そ、そんな事ないわよ?」
「そんな事あるやろけどな。よう見てるし、今うちに対して嫉妬してそうやったし、そもそも嫌いな男とはフリでも付き合わなくない?」
「…………。」
侑那から受けた指摘の嵐に対して、私は何も言い返す事ができなかった。
本当は気づいている。
慎君の事が正直、気になっている事に。
彼と安達さんが仲良くしている事に、嫉妬している自分に。
今までの事もあったし、彼に無理強いをしているのは私だから、自分に嘘を吐こうと何度も気持ちを否定しようとした。
だけど日に日に大きくなっていく、慎君への気持ち。
単純かもしれないけど、私は彼が時々見せる勇気に、漢気に、そして日々彼と関わる中で時々感じる彼の優しさに、私はいつの間にか惹かれていた。
いや、もしかしたら本当はあの日、彼に助けられた瞬間から、この気持ちは心の底に芽生えていたのかもしれない。
「いっそホンマに付き合ってみたら?」
「それは……っ!! 無理よ…………っ」
侑那からの提案に動揺しつつも、それはハッキリと否定する。
「なんで? 櫻井、彼女おらへんやろ?」
「それは……だって卑怯じゃない」
「真面目やなぁ~紗月は。てか今の所何も無いんやろ? 今の関係が卑怯やと思うなら、一度清算してからアタックかけてみたら?」
「それは…………」
侑那が何の事を言っているのか、理解はできる。
確かに今の所、優斗から加藤と藤井から何かをされたという報告は無い。
期限は一か月だと定めはしたが、ここまで何もないならもう関係をリセットしてもいいかもと、私も少し思っていた。
「行動は早い方がええで、噂の後輩ちゃんに櫻井取られちゃうかもよ?」
「…………っ」
──やっぱり、なんか嫌なんですよね。元の他人に戻るのは。
──俺もぶっちゃけ、コイツと他人に戻るのは嫌だ。
あの二人は仲がいい。
そして多分、相性も良いように見える。
侑那の脅しは煽りなんかじゃなくて、本当にそうなる可能性が高いという警告なのも理解できる。
ダメだ、私。
さっきからずっと、頭の中に慎君の顔が浮かんでしまっている。
「可愛えのぉ、やっぱ恋する乙女って可愛えわ」
「侑那!! あなたからかってるでしょ!!」
「いひひひっ」
ああもう、侑那のせいで本当に心が落ち着かない。
今日はもう、慎君の顔を直視できる気がしないわ。
◇ ◇ ◇
侑那のせいで昼休み以降、慎君の顔を直視する事ができなかった私は、放課後になっても慎君に声をかける事ができなかった。
最も慎君の方も先生に呼び出されていたので、帰りが被る事は多分ない。
そういえば今、先生との面談期間だったので、今日は慎君の番なのだろう。
彼にはトークアプリで「先に帰るわね」とだけ伝えて、私は帰路に着く。
今日は週末、優斗に今日一日の事を聞いてから家で勉強をしよう。
靴を履き替え、バスで綾の森の駅まで移動する。そして駅から徒歩五分ほどの立地に私の家はあるため、ここからは徒歩になる。
駅周辺の賑わっているエリアを抜けて、閑静な住宅街を歩く。
「姉ちゃん」
「あら、優斗?」
突然後ろから聴き慣れた弟の声が聞こえて振り返ると、小走りで駆け寄ってきた優斗が僅かに息を乱していた。
「姉ちゃん、今帰り?」
「ええ、優斗も今が帰りなのね」
「うん、今日は何もなかったから」
優斗が横に並んだので、私も優斗に合わせて並んで歩く。
優斗は中学三年生だけど、成長が遅いせいか私よりも背が少しだけ低い。
男の子って女の子より多少成長が遅いものだけど、あと少ししたら優斗も背が伸びて、声も変わってしまうのでしょうか。
成長が遅い事は少し心配である反面、成長した姿を想像すると寂しくもある。
小柄で、可愛い顔つきの優斗が優斗らしくもあるから。
「そういえば月曜、面談あるから少し遅くなるかも」
「面談? 今の時期なら進路相談よね、優斗はどこの高校に行くの?」
「僕も綾の森に行こうかなぁ~と」
優斗が照れくさそうに、第一志望の高校をカミングアウトしてくれた。
「優斗も? まぁ確かに一番近いけども……」
「綾の森に入学したら、櫻井さんの後輩になれるでしょ?」
どうも優斗はあの件以来、慎君に憧れを抱いているらしく、そう語る優斗は期待に満ちた目をしていた。
「まさか優斗まで金髪にしたりしないわよね?」
「え、しないよ。怒られるもん……でも櫻井さんみたいな強い男になりたいな」
「そう。それならいいけれど……」
憧れの対象が慎君というのはともかくとして、強くなりたいと願う気持ち。
正直言ってナヨナヨしていて、打たれて泣いてばかりだった優斗が、男子として成長しようとしている。
姉としては本当に喜ばしい限り。
「強い男ねぇ、だったらなってみろよ!!」
それは突然、起きてしまった。
曲がり角から現れた黒い影が、視界に入ったと思った瞬間、何か棒状のものを振り下ろしてきた。
鈍く、そして大きな音が鳴り響く。
「う、ああ……ああああっ!!」
そして気づけば優斗が、苦悶に満ちた表情で絶叫しながら、右肩を抑えて地べたに両膝をついていた。
私は何が起こったのか、理解ができなくて数秒ほど固まってしまう。
「……優斗!!」
やがて優斗が何者かに襲撃されて、右肩を殴打されたという事実に気付き、私は優斗を心配して駆け寄ろうとする。
「──うっ!?」
だが次の瞬間、私の背中に何かが当てられた。
それと同時、全身を駆け巡るビリビリとした感覚によって、全身に痺れを覚えて脱力してしまい、気が付いた時にはもうアスファルトに倒れ伏していた。
「う、うう……」
薄れる意識の中、必死にもがいて立ち上がろうとする。
だが力が入らなくて立ち上がれず、どうにか顔だけは上げられた。
「おい加藤、さっさと手首と足首を縛るぞ」
「わかってるよ。おい優斗、てめぇ楯突いたら姉ちゃん殺すからな?」
ああ、本当に間が悪い。
慎君がいない時に、しかも自宅周辺で、加藤と藤井から襲撃を受けるだなんて。
左手にロープを持ちながら、右手にスタンガンを持った加藤は、優斗の事を牽制している様子だったが、そもそも優斗は藤井が持っていた木刀で殴打され、右肩を抑えたまま蹲っていた。
──優斗、肩大丈夫かしら。
自分がピンチの中、頭の中を巡ったのは優斗の事だった。
「よし、縛ったぞ」
「おい車に乗せろ!! テル、運転頼むわ!!」
ロクな抵抗ができないまま私は両手足を縄で縛られて、加藤と藤井以外にぞろぞろと湧いてきた不良少年たちに体を掴まれ、持ち上げられてしまう。
車の運転席にも学ランを着た少年が乗っていた事から、こいつ等は無免許運転で最初から私を拉致するつもりで来た事が伺える。
「ね……姉ちゃん……っ!!」
もうほぼ意識を失いかけている中、最後に見たのは這いつくばりながらも、必死の形相で私に向けて左手を伸ばしていた優斗の姿だった。
◇ ◇ ◇
「う、うう……っ」
次にぼんやりと意識を取り戻した時、私は薄暗くて埃臭い、荒れ果てた屋内で壁を背もたれに座らされている事に気付いた。
「バカかテメェら!! 人質なんか連れてきてよぉ、メンドクセー事になったらどうオトシマエつける気なんだコラ!!」
見た事がない男が、加藤と藤井に怒鳴っている。
くすんだ亜麻色の髪をオールバックに束ね、ツーブロックでいかにも柄の悪そうなヤンキー。学ランを着ているが、加藤や藤井より年上に見えて、恐らく私と同い年くらいだと思われる。
「すいません、東さん……」
「例の金髪、この女の彼氏らしいんで、つい……」
「チッ。まあやっちまったものはいい、それより金髪と春田はまだかよ」
東と呼ばれた高校生くらいのヤンキー男子は、加藤と藤井の先輩なのだろう。
あの二人は東には頭が上がらない様子だ。
それより金髪とは多分、慎君の事なのでしょうけど、春田ってあの春田君?
「んぁ? よぉ、目ぇ覚ましたんか、姉ちゃんよぉ?」
私の覚醒に気付いたのか、加藤がニヤつきながら私に近寄ってくる。
一緒に並んで藤井もニタニタと醜悪な笑みを浮かべ、近寄ってきた。
「何よあなた達、こんな事して許されると思うの? 犯罪よ!! 警察呼ぶわよ!!」
「はぁ?」
次の瞬間、私の右頬から突き抜けるように痛みが走って、強烈な耳鳴りが脳にまで響いた。
加藤からビンタされたと気づいたのは、ワンテンポ遅れてからだった。
「自分の立場理解してんのかよ、コラ?」
「おい加藤、金髪くるまでヒマだよな……輪姦しちまうか?」
ぞくっ、と。
背筋に悪寒が走った。
「いいねぇ、こいつ可愛いしな」
「汚されたコイツを見た時、金髪と優斗は悔しがるだろうなぁ」
「ひっ……!?」
恐怖で全身が縮こまってしまう。
醜悪な顔つきで手を伸ばす二人が何をしようとしているのか、理解できてたからこそ、怖い。
けれどもどうする事もできず、息を乱して怯える事しかできない。
──もうダメ。
加藤の手が私の胸元に届こうとした。
「やめろテメェら!!」
次の瞬間。
廃倉庫の中で、東の怒声が響き渡る。
その声によって加藤と藤井は動きを止め、そしてピンチである事には変わらないのに、私はどういうわけか安心感を覚えた。
「あ、東さん?」
「なんで止めるんですか?」
「趣味悪い事してんじゃねーって言ってんだよ。俺の目的はあくまで春田で、金髪はついでで、その女は本来関係ねぇんだよ」
東が睨みをきかせながら、加藤と藤井を叱りつける。
「でも、金髪への報復は……」
「なんだ加藤、てめえ俺の言う事が聞けねえのか?」
「い、いえ!! そんな!!」
加藤のビビりようから、東は相当な男だと察する事ができる。
「てめえらの不始末のオトシマエを、櫻井慎から取る。分かってるけどよ、櫻井の親友の春田……ヤツには借りがある。結果的にてめえらの願い通りになる。だから女とか余計なモノに手ぇ出すんじゃねえ……殺すぞ?」
「はい……」
「すいませんでした、東さん……」
すっかり委縮した加藤と藤井が、東という男に頭を下げながら謝罪を口にする。
加藤と藤井はハッキリ言ってクズだけれど、東という男は彼らの親玉のような存在でありながら、何故か私に手を出す事を良しとはしなかった。
不良のくせに分別がつくというか、意外と硬派なのかしら。
だからといって、東の評価が良くなるわけではないけれど。
「おいテル、お前そのスマホ寄越せよ」
「え? はい」
東がテルという赤髪の男に指示を出すと、テルは東に私のスマホを渡した。
私、気絶している間に奴らにスマホを奪われていたみたい。
「おい女……コレ返すぜ」
そう言いながら東は私に近寄り、私の手元付近にスマホを置いた。
「人のスマホなんか見て、一体なんのつもりなのよ?」
「悪いな、櫻井呼びつけるのに使わせてもらった」
「……最悪ね」
東という男を精一杯、睨んでみせる。
正直、怖い。
この男も目つきが悪いし、しかも慎君と違って悪だと分かっているから。
だけど絶対、こんな奴に屈してたまるかと思って、私はとにかく東を睨んだ。
「……心配するな、俺の狙いは春田と櫻井。アンタに危害を加えるつもりはねえし、用が済んだら解放するからよ」
東はポケットに手を突っ込み、私に背を向けてそう言い放った。
「……さて、お出ましのようだな」
そして東は機嫌が良さそうに、ポケットから手を出して出入口を見つめた。
それと同時、廃倉庫のシャッターが徐々に上がっていく事に気付く。
「てめえら……俺の彼女に何してくれてるんだよ」
日光が差し込むシャッター口に佇む、金髪で制服を着崩した男子。
見た目だけヤンキーな、見慣れた彼の姿を見て、私の中に希望が湧き起こる。
「……慎君!!」
櫻井慎が。
私の仮の彼氏が、助けに来てくれた──。




