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第1話 星(2)

そのまま扉を押し開けると、外の静寂とは対照的な、きらびやかな光が目に飛び込んでくる。琥珀色に輝くボトルが並ぶバックバー、その光を反射して煌めくグラス。微かに聞こえるジャズの旋律と、静かに賑わう人々の声が心地よく混ざり合う。氷がグラスの中でカラカラと音を立て、シェイカーがリズミカルに振られる音。そこは都会の喧騒を忘れ、特別な時間を過ごすための、洗練された隠れ家だった。

今まで自分が体験したことのない煌びやかさに圧倒されていると


「いらっしゃいませ。お客様は初めてのご来店ですね。どうぞお好きな席へ。」


そう優しく声を掛けてきたのは、バーカウンターに佇む物腰柔らかそうなバーテンダーだった。この人が話にあったオーナーさんか。

無造作にかきあげられた黒髪は、計算されたかのように顔にかかり、その表情に陰影を与える。鍛え上げられた身体にフィットした黒のベストが、そのシルエットを際立たせる。白いシャツの襟元からは、細身のネクタイが覗き、その端にはシンプルなタイピンが光る。その立ち振る舞いは、洗練されていながらもどこか温かく、優しく包み込まれるようだった。


その整った顔に何となく見覚えがあるような気がした。でも見当がつかないまま、とりあえずカウンター席へ座る。

店内を見回すと、外からは想像できないほど賑わっていた。カウンターには数人の客がオーナーとの会話を楽しんでおり、奥のボックス席もほぼ満席。さらに奥まった場所には、ひっそりと仕切られた個室がある。まるで応接室のようなその空間は、外からは見えにくくなっており、特別な雰囲気を醸し出していた。今は誰も使っていないようだ。

明らかに場違いな場所に足を踏み入れてしまった。周囲の喧騒と華やかな雰囲気に圧倒され、落ち着かない。まるで迷子の子どものように、ただキョロキョロと辺りを見回す私。それに気づいたオーナーが微笑みながら声をかける。


「何かお好みのテイストはございますか? もしお決まりでなければ、お客様の雰囲気に合わせた、とっておきのカクテルをお作りしましょう。」


「あっ...じゃあそれで、お願いします。」


「かしこまりました。」


オーナーはそう言うと、流れるような手つきでシェーカーを取り、様々なボトルを手に取って、カクテルを作り始めた。その手際の良さに私は思わず目を奪われた。気がつけば、目の前にはまるで冬の夜空をそのまま閉じ込めたかのような青いカクテルが置かれた。


「"Diamond Dust"です。冬の澄んだ夜空に輝く星々をイメージしたカクテルです。口当たりも優しく、ウォッカのクリアな味わいと、ブルーキュラソーの爽やかな香りが、夜空の静けさを感じさせてくれるでしょう。どうぞ、お楽しみください。」


オーナーの優しい声とともに差し出されたグラスは、光を受けてキラキラと輝き、思わず息をのんだ。

グラスを傾け、一口。

想像していたよりもずっと飲みやすい。口に広がるのは、グレープフルーツの爽やかな酸味と、ほんのりとした甘さ。その絶妙なバランスが、まるで夜空に瞬く星屑のように、舌の上でキラキラと輝いているかのようだった。今まで味わったことのない、不思議な感覚に包まれた。


「気に入っていただけましたか?」


オーナーが微笑みながら尋ねる。


「...はい、こんなに美味しいのは初めて飲みました。」


「それは良かったです。では、その1杯は私からのサービスとさせて下さい。」


「え!?いいんですか?」


「もちろんです。」


するとオーナーは妖艶な笑みを浮かべ、そっと呟いた。


「"生きると決めた記念"に。」


「...え?」


(なんでそれを?偶然?この妖艶な笑み...Diamond Dust...星...そうだ!)


この人どこかで見覚えがあると思ったら、昨日私が死のうとした時、あの時、声をかけてきたのは...この人だ!

驚きと戸惑いが入り混じる中、昨日の記憶が蘇る。絶望の淵にいた私に、ほんの少しだけ光をくれた人。


「あなたは...昨日の?!」


「ふふっ気づいてくましたか。あの後また、飛び込んでたらどうしようかと思ってましたよ。」


昨日出会った男と、今目の前にいる男、まるで別人のようだ。

昨日出会った男は、まるで喪服のような黒ずくめで、センター分けの黒髪が顔を覆い表情を隠していた。その顔には物憂げな影が漂っていた。

しかし、今目の前にオーナーとしている男は、まるで陽だまりのような温かさを持ち、前髪を上げて顔を露わにしていた。そしてその顔には影ひとつない明るい笑みを浮かべ、誰にでも分け隔てなく接するような親しみやすさをまとっていた。

同一人物とは、とても思えない変わりようだ。


「ここにお店があるってどうやって知りました?」


「...あ、えっと...会社でここの事を話している人がいて。」


「そうですか。口コミ?とは恐ろしいものですね。隠れ家的なバーとしてひっそりと営業したかったのですが、予想以上に多くのお客様にお越しいただいて。」


「いや、でも充分雰囲気ありますよ。」


「そうですか、なら良かった。現に、こうしてまたあなたに出会えてるのもそのおかげですからね。」


その言葉に、私は思わず目を泳がせた。オーナーは、私の動揺を面白がるように微笑む。その視線から逃れるように、私は手元のグラスに目を落とした。青いカクテルが、先ほどよりも少しだけ溶けて、グラスの底に水滴を作っている。


「あの……」


何か言わなければ、と焦りながら言葉を探す。


「昨日は、ありがとうございました。」


絞り出すようにそう言うと、オーナーは微笑みを深めた。


「いえいえ。生きていてくれて、嬉しいですよ。」


その言葉は、まるで優しい歌のように、私の心に染み渡る。


(生きていてくれて、嬉しい……?)


そう言われたのは、きっと、生まれて初めてだった。


「今日は、何か良いことがありましたか?」


オーナーはそう尋ねると、カウンター越しに身を乗り出し、私の顔を覗き込んだ。その距離の近さに、またしてもドキッとする。


「え……?別に、何も……」


「そうですか。何かあったら、いつでも話してくださいね。私は、いつでもあなたの味方ですから。」


そう言って、オーナーはゆっくりと身を引いた。そして、まるで何事もなかったかのように、カクテルを作るための道具を手に取り、再びバーテンダーとしての顔に戻る。その手際の良い動きを見ていると、さっきまでの親密な会話が、幻想だったかのように感じられた。


「2杯目はどうしましょうか?せっかくなので、何か違うテイストのものをお試しになりますか?」


オーナーの声に、我に返る。


「え……と、お任せしても良いですか?」


「もちろんです。では、少し時間をください。とっておきの一杯をお作りします。」


そう言うと、オーナーは手際よく、いくつかのボトルを手に取り、鮮やかな手つきで液体をシェーカーに注ぎ込む。カラン、と氷の涼しげな音色が響き、オーナーはシェーカーを振り始めた。その動きは、先ほどよりもゆったりとしていて、まるで時間をかけて熟成させているかのようだ。シェーカーからグラスへと液体が注がれる。それは、深紅のベールをまとったような、妖艶な色合いをしていた。


「お待たせしました。"Scarlet Veil" です。ラムをベースに、ザクロジュースとアマレットの甘みが広がり、アンゴスチュラビターズが複雑な奥行きを加えています。その名の通り、ベールに包まれたような、秘密めいた味わいをお楽しみください。」


私は差し出された深紅のグラスをそっと手に取った。一口含むと、先ほどのカクテルよりもアルコールは強いが、口に広がる甘美な味わいとほろ苦さが絶妙なバランスでとても美味しい。しかし同時に、底知れない深淵を覗き込んでいるような、危険な感覚が背筋を這い上がってくる。


(美味しい…けど、これ以上飲んじゃいけない...)


そう感じたのは、アルコールのせいだけではない。何か得体の知れないものが喉を締め付ける。私の中の何かが警告を発している。

ふと、オーナーの視線に気づいた。彼はグラスを持つ私の手元、そして私の表情をじっと見つめている。その視線には、何かを確かめるような、探るような色が感じられた。私は平静を装い、グラスを傾けた。


「いかかでしょうか?」


「これは…ただ甘いだけじゃないんですね。奥深くて、色々な顔を持ってる。」


そう言うと、オーナーはニヤリと笑った。その笑顔はどこか影を含んでいるように見え、昨日の姿と重なった。私はそっとグラスを置いた。深紅の液体が、妖しく光を反射する。



「あれ?木村さんじゃないですか?」


その声に、ハッとした。背筋を這い上がるような悪寒。声のした入口に目を向けると、そこに立っていたのは、会社のお局様と取り巻きたちだった。彼女たちは一様に怪訝な顔で、こちらを見ている。その視線が、まるで針のように肌を刺す。


作者コメント:バーの描写は作者がバーに行ったことがないためAIと己のイマジネーションをフル活用して描きました。実際にはない描写もあるかもしれませんがご容赦ください<(_ _)>

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