第8話 初陣の夜
夕焼けが沈み、世界が夜の帳に包まれる頃。
ベルグ村の広場に、焚き火の小さな炎が灯った。
木材は焼け焦げた家屋から集めたもの。破壊と死の跡から、かろうじて燃える命を拾い集めるような、静かな火だった。
その火を囲むようにして、アシュレイ、ガロン、シエルの三人が腰を下ろしていた。
それぞれに、無言のまま空を仰いでいる。
空には、雲一つなく。満天の星が瞬いていた。
「……勝ったって、言えるのか?」
ぽつりと、アシュレイが呟いた。
誰に問いかけたわけでもない。ただ、火のゆらめきの中で揺れる自分の心に、確かめるように。
フォグスとの戦いは、勝利ではなかった。
神鎧兵の配下にしてはあまりに強大なその存在に、わずかな傷を与えただけ。決して倒せたわけではない。だが、それでも“立ち向かった”という事実だけは、確かにそこにあった。
「勝ち負けじゃねえよ」
ガロンが、焼けた石を蹴飛ばしながら言った。
「生き残った。それだけで充分だ。戦いってのは、最初は“死なないこと”が一番難しいんだ」
「……そうかもな」
アシュレイは、短く息をついた。剣を握っていた手には、微かに震えが残っている。緊張ではなく、興奮でもなく、“生きている”という実感の震え。
「戦うのは、怖かった。今でも怖い。だけど……怖いからって目を逸らしてたら、いつまでも俺たちは“神の下”にいることになる」
「恐怖は、自然な感情だ。問題は、それを抱えたまま立てるかどうか」
シエルが焚き火越しに目を細める。その目は、相変わらず冷静で、けれどどこか温かみがあった。
「君は立った。足が震えながらも、剣を抜いた。そういう人間が、神に抗うに相応しい」
アシュレイは、笑った。
「らしくないな、シエル。褒めるなんて」
「事実を言っただけだよ」
「素直にありがとうって言っとけよ、アシュ」
ガロンがにやけながら言う。
三人の間に、柔らかな空気が流れる。
戦場では見せられなかった、心の緩み。
それは、たった今を生き延びた者だけが許される“安堵”だった。
そのとき、アシュレイはそっと立ち上がった。
焚き火の近くに置かれていた布を拾い上げる。
焔紋旗――アルザーン王家の象徴。
だが今は、王家の血ではなく、“意志”を示す旗だ。
彼は、村の中央にあった朽ちた石碑に、その旗をくくりつけた。
風が吹く。布が揺れる。火に照らされた赤と金が、夜の中に静かに浮かび上がった。
「これは、俺たちの“初陣”の証だ。勝ったわけじゃない。でも、生きた。踏み出した。だから、これを残す」
「いいな」
ガロンが立ち上がり、斧を肩に担ぐ。
「次の村でもやるか。戦って、生きて、旗を立てて、次に行く。それが俺たちの“進軍”ってやつだ」
「やがてそれが、誰かの目に留まる」
シエルも立ち上がり、本を閉じた。
「たとえば、神鎧兵に怯える者。希望を失った者。あるいは、心の中でまだ抗っている者たちに」
アシュレイは静かにうなずいた。
この旗が、いつか誰かの“光”になるなら。
それだけで、戦う意味はある。
「……明日からまた、歩こう。俺たちはまだ何も知らない。“神”のことも、この世界のことも。そして……自分たちの力の限界も」
「だが、知るために進むんだ」
ガロンが拳を握る。
「生きて、戦って、見極める。神を討つってのが、どういう意味なのかを」
「そして、それが本当に正しいのかも、見極める必要がある」
シエルの言葉に、二人はうなずいた。
焔紋旗が夜風にはためく。
かすかな火の粉が星空へ舞い、黒い空に溶けていった。
その夜、三人は初めて“戦いを生き延びた者たち”として、焔の前で誓いを交わした。
まだ名もなき叛逆者たち――
後に《焔紋三傑》と呼ばれる若者たちの、最初の夜だった。