第4話 騎士と軍師と亡国の王子
倉庫から出た三人は、村の高台にある見晴らしの良い丘へと足を運んだ。
そこからは、サリダの村が一望できた。まだ朝の霧がわずかに残り、茅葺き屋根の家々が眠たげに佇んでいる。奥には小さな川が流れ、遠くには青灰色の山脈が連なっていた。変わらぬ風景――だが、それを見下ろすアシュレイの目は、すでに「去る者の目」をしていた。
風が吹いた。アシュレイは背中に巻いた焔紋旗を軽く握りしめる。
「……静かだな、今朝は」
「こんな朝に、戦の話をするってのも変な気分だな」
斧を背負ったガロン・ベルクが、空を仰ぎながら呟く。
「だが、もう迷いはねぇ。お前がその旗を掲げた時点で、俺たちの道は決まった」
「……ありがとう、ガロン。お前が一緒にいてくれるだけで心強い」
「へっ、今さら照れるなよ。こっちはお前が“王子様”だって知った時から、覚悟決めてんだ」
アシュレイが微かに笑う。かつての仲間、今の仲間。
そして、彼らの関係はただの友人というには、あまりにも重く、深かった。
ガロンは、かつてアルザーン王国が滅んだ時、幼いアシュレイを抱えて逃げ延びた近衛兵の息子だった。
自分の父を、王都陥落の日に亡くしている。
だが、彼は一度もアシュレイを責めたことはなかった。
「……俺の父は、最後まで“王は生きている”と信じてた。あの日、あんたを抱きかかえて走った父の背中は、今でも覚えてる。だからな、あんたがまた立ち上がるなら、俺はその横に立つだけだ」
「……ありがとう、ガロン」
アシュレイは拳を握りしめ、深く頷いた。
ふと、後ろに立っていたシエル・ルーヴェが、書物を閉じて言った。
「私は……“王”に仕える覚悟はない。むしろ、君が王であるという事実は、私にとっては“面倒な誤算”だった」
「シエル……?」
「だが」
風に揺れる黒髪の下から、赤い瞳がアシュレイを捉える。
「君が人を導こうとする“意思”を持っている限り、私は“理”として君を選ぶ。私にとって忠誠とは、血や立場ではなく、理に対する忠実さだ」
アシュレイはしばし沈黙し、やがて言った。
「お前らしいな。けど……それで十分だ。俺は“王として”お前らを従わせたいわけじゃない。共に歩いてくれるだけでいい」
「……ならば、私はその歩みを記録するものとして動こう。歴史は、常に正しく語られるべきだ」
その言葉に、ガロンが軽く肩をすくめた。
「相変わらず理屈っぽいな、お前。だがまあ、俺もシエルも結局はお前が信じられるから、こうしてここにいるってだけだ」
アシュレイは彼らを見つめ、静かに言葉を紡ぐ。
「ありがとう……二人とも。俺たちは三人で始まった。だったら、三人で最初の一歩を踏み出そう」
風が、再び吹いた。今度は、焔紋旗が音を立ててたなびく。
その光景を見下ろす場所に、村の少女たちが立っていた。
誰かが、そっと呟いた。
「……見たか? あの旗……」
「まさか、王家の……」
「じゃあ、あの人は……」
誰かの記憶が呼び覚まされる。かつて栄華を誇った王国の、最後の焔の記憶。
そして、それを新たな“希望”として見上げる目が、確かにあった。
「アシュレイ・ゼイン。王の血を引く少年。神に抗う者」
「違う」
アシュレイは静かに首を振った。
「俺は……“人として”、この旗を掲げる。それが王であるかどうかは、どうでもいい。ただ、誰かが神に抗わなきゃ、この世界は変わらないから――」
その瞳には、かつて失ったものを取り戻す決意が宿っていた。
その姿は、誰よりも“王”だった。
そして、三人の影が、丘の上で重なる。
この日、世界に“反逆の芽”が生まれた。
後に《焔紋三傑》と呼ばれる三人の、最初の物語だった。