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第9話 『王子』の名

朝霧がまだ村を覆っていた。

 焚き火の残り火がくすぶり、冷たい空気の中にわずかな温もりを漂わせていた。


 アシュレイは焔紋旗の前に立っていた。

 昨夜、自ら掲げたその旗は、朝日に照らされてなお力強く風に舞っている。


 これが、自分の意思。

 もう“鍛冶屋の息子”としての仮面は捨てた。

 “王子”という名を、隠れ蓑にして生き延びてきた日々は、終わった。


「……本当に、いいのか?」


 背後から声がした。ガロンだった。

 火の残り香を纏った斧を背負い、昨夜の戦いの名残を腕に刻んでいる。


「“あの旗”を掲げた時点で、もう隠しておくことなんて無理だって分かってた。だったら、先に名乗る方がいい」


 アシュレイは静かに答えた。だが、その声はどこまでも覚悟に満ちていた。


 今までは、焔を秘めた少年でいられた。

 これからは、焔を背負う者として、全てを敵に晒して生きていく。


「なあ、アシュ」


 ガロンが火の燃え残った枝を拾いながら、ぽつりと口を開いた。


「“王子”って、名乗るのは簡単だけど、名乗った瞬間から、背負うものって増えるよな。国の期待とか、民の信頼とか、過去の罪とか」


「分かってるよ。それでも俺は、この名を捨てない」


 アシュレイは焔紋旗に手をかけた。


「だって……誰かが“この名前”を、希望だって信じてくれるかもしれないから」


 その時だった。


 遠くの空に、黒い影が舞った。


 ――鳥だ。


 否。鳥ではない。

 それは、高速で旋回しながら飛ぶ“偵察式魔導機”――ルグドリア帝国が用いる《飛行眼スカイアイ》。


 「ガロン!」


 アシュレイが叫んだと同時に、シエルが塔の上から降りてきた。手には魔導書があり、すでに呪文の詠唱を始めている。


「くっ……間に合わない! 逃げた!」


 スカイアイは、一瞬アシュレイを“視認”したあと、高速旋回して空へ消えた。


「……もう間に合わない。情報は送られた」


 シエルが冷静に言う。「これで、アシュレイ・ゼインが“生きている”という事実は、ルグドリア本国に知れ渡った」


 焔紋旗。王の顔。そして仲間。

 すべてが敵の視界に晒された――もう“隠れて進む旅”は終わったのだ。


 アシュレイは深く息を吸った。

 恐怖は、あった。自分の存在が追われることになる不安。仲間が巻き込まれるかもしれないという葛藤。


 だが、彼は一歩も引かなかった。


「いいさ。これでいい」


 言葉は静かだったが、その奥には確かな怒りと決意があった。


「俺は、“アシュレイ・ゼイン”として、この旗を掲げる。この名で、神に抗い、世界を変える。もしそれが罪だって言うなら――その罪ごと、神に突き返してやる」


 ガロンが肩をすくめ、笑った。


「らしくなったじゃねぇか、“王子様”。ようやく、王の顔になったな」


 「冗談はほどほどに」と言いたげに、シエルが目を細めた。


「だが、今の言葉に嘘はなかった。それなら、私はこの名を記録する。“アシュレイ・ゼイン”という名が、かつて神に抗った者として、永く語られるように」


 アシュレイはうなずいた。

 もう、引き返すことはできない。


 その時――村の外れで、鐘の音が鳴った。

 村の見張り塔から、警鐘が響く。


「……早いな」

 シエルが地図を広げながら言った。「追撃部隊だろう。報告を受けた本国が、即時対応を命じた。戦力は……恐らく“火炎犬兵フレイム・ハウンド”だ」


「神鎧兵の手前、村を焼き払う“掃討部隊”か」


 ガロンが斧を構える。


 アシュレイも背中に剣を背負い直した。


 そのとき、風が吹いた。

 焔紋旗が大きく舞い上がる。まるで――戦いの始まりを告げるように。


「行こう。もう、俺たちの名は隠せない」


 アシュレイは、仲間たちと共に歩き出した。

 “王子”の名を、焔と共に世界に放つために。



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