第9話 秘密の小部屋(埃まみれ)とスパルタ教官(無表情)
「いやぁぁぁぁぁ! 私の平穏な図書館ライフがぁぁぁぁ!」
私の悲痛な心の叫びも虚しく、私は黒ずくめの治安隊長――カイエン=ヴァレンティアに、まるで迷子の仔猫(ただし、不本意極まりない)のように腕を引かれ、慣れ親しんだ(はずの)王立図書館の廊下を、ずんずんと引きずられていった。
「ちょ、ちょっとお待ちになってくださいまし、隊長! せめて、せめて自分の足で歩きますから! こんな姿、他の職員に見られたら、わたくしの社会的な生命が……!」
「無駄口を叩くな。時間は無い」
「時間がないのはそちらのご都合でしょう!? わたくしには平穏な日常を送る権利が……ひゃっ!」
私の必死の抗議は、カイエン隊長には馬耳東風どころか、騒音扱いらしい。時折、廊下ですれ違う職員が「あら、ミレイユさん?」「ヴァレンティア隊長とどちらへ?」などと声をかけてくるが、私は引きつった笑顔で「あ、えっと、ちょっと資料の件で特別指導を……アハハ……」と誤魔化すのが精一杯。一方のカイエン隊長は、周囲の視線など空気としか認識していないようで、完全無視を決め込んでいる。この人、鋼のメンタルすぎる……!
数分ほど引きずられた(体感時間では数時間)後、私たちが辿り着いたのは、図書館の地下深く。普段はほとんど人が立ち入らない、書庫として使われていない区画だった。カイエン隊長は、古びた木製の扉の前で足を止めると、懐から取り出した鍵で手早く錠を開け、私を中に押し込んだ。
「ひゃんっ!?」
バランスを崩してよろめきながら、部屋の中を見渡す。そこは、想像していたよりも……いや、想像通りに、埃っぽい小部屋だった。窓はなく、天井から吊るされた古めかしい魔導ランプが、ぼんやりと室内を照らしている。壁際には、背の高い書架がいくつか並んでいるが、本はまばらで、代わりに地図のようなものや、何かの設計図のようなものが無造作に貼られていた。部屋の中央には、古びた木製の机と椅子が一脚。全体的に、物置以上、書斎未満といった、なんとも言えない空間だ。
(な、なんなのよ、この隠れ家みたいな部屋……。まさか、隊長の秘密基地……?)
私が呆然と立ち尽くしていると、カイエン隊長は無造作に扉を閉め、内側から鍵をかけた。
「……!? な、何をなさるんですの!?」
「ここでやってもらう」
「ここって……。か、監禁ですの!? わたくし、何も悪いことしてませんわ!」
「騒ぐな。ここは俺が個人的に借りている保管庫だ。許可なく誰も入らん。……邪魔されずに集中できるだろう」
カイエン隊長は、こともなげに言い放つと、私を唯一の椅子に(やや乱暴に)座らせた。有無を言わせぬその態度に、私はもはや抵抗する気力も失せつつある。
「さあ、始めろ」
「は、始めろって……何を……?」
「決まっているだろう。巻物の解読だ」
カイエン隊長は、懐から例の曰く付き巻物を取り出すと、机の上に広げた。それから、どこからともなく、レンズの曇った古めかしい虫眼鏡や、緑色の怪しげな液体が入った小瓶、鳥の羽根ペンなどを次々と取り出し始めたではないか!
「な、ななな、何ですのそれは!? まさか……その怪しげな薬をわたくしに飲ませて、無理やり能力を覚醒させようとか、そういう非人道的なおつもりじゃありませんでしょうね!?」
「…………」
私の突拍子もない(しかし本人にとっては大真面目な)疑念に、カイエン隊長は一瞬、本当に一瞬だけ、眉間に皺を寄せたように見えた。そして、深い溜息(のように聞こえた)をつくと、呆れたように言った。
「……馬鹿なことを言うな。これはただの、古代インクの成分分析薬だ。場合によっては、年代特定の手がかりになる」
「そ、そうですの……。それは失礼いたしました……」
ちょっとホッとしたような、でもやっぱり警戒心が解けないような、複雑な心境。この隊長、何を考えているのかさっぱり分からない……。
カイエン隊長は、私が落ち着いた(諦めた?)のを確認すると、机の上に広げた巻物を指さした。部屋の薄暗い魔導ランプの光の下で、あの忌まわしき古代文字が、やはり、気のせいではなく、微かに、しかし確実に緑色のオーラのようなものを帯びて、ゆらゆらと光っているように見える!
「ひっ……! や、やっぱり光ってますわ……!」
「……ふむ。やはりな。特定の条件下で、文字自体が魔力に反応して活性化するのか。あるいは、お前の魔力(血)に呼応しているのか……」
カイエン隊長は、冷静に分析しながら、虫眼鏡を手に取り、光る文字を覗き込む。そして、再び、私に向き直った。その黒曜石の瞳には、有無を言わせぬ強い力が宿っている。
「いいか、ミレイユ=フォン=ローデル。もう一度だ。余計な思考は捨てろ。さっき、封印を解いた時に感じた感覚を思い出せ。この文字が、お前の頭の中でどう響くか。どんな映像が見えるか。どんな意味として感じられるか。それを、ただ辿るんだ」
まるで催眠術師のような(ただし、非常に威圧的な)口調。有無を言わさぬ、というより、もはや選択肢を与えないという強い意志を感じる。
逃げ場のない埃っぽい小部屋。目の前には、不気味に光る古代文字の巻物。隣には、スパルタ教育もかくや、という無表情の鬼教官(?)。
……もう、ダメだ。完全に詰んだ。私のささやかな抵抗は、国家権力(?)の前には無力だったのだ。
「ああ、もうっ! こうなったらヤケクソですわ! 解読でも何でも、やってやりますわよ!」
私は内心で涙ながらに白旗を上げ、腹を括った(完全にヤケ)。椅子に座り直し、背筋を伸ばし(埃を吸わないように注意しつつ)、目の前の光る巻物に、全神経を集中させ始めた。
果たして、しがない元悪役令嬢に、本当に古代文字の解読なんて大それたことができるのか? そして、この巻物に隠された秘密が明らかになった時、私の人生(と平穏)は、一体どうなってしまうというのか!?
次回、「ミレイユ、覚醒(するかもしれないし、しないかもしれない)!」。……本当に、乞うご期待、できるのかしら、これ……。