第7話 解けちゃった(けど読めません)
「ああもう……神様仏様ご先祖様……! わたくし、前世で何か徳を積まなかったのでしょうか!? それとも、悪役令嬢に転生した時点で、こういう星の下に生まれついちゃったんですかぁぁぁぁ!?」
私の心の絶叫は、埃っぽい第二書庫の空気に虚しく溶けていく。目の前には、曰く付きの巻物。左右には、期待と圧力(あと若干の好奇心?)の視線を向けてくる騎士様と治安隊長。……完全に、詰んでいる。もはや抵抗は無意味。流れに身を任せるしかないのね……南無三!
「……はぁ……。で、どうすればよろしいのですか? わたくし、魔力なんて使えませんし、ローデル家の血って言われても、実感ゼロですのよ?」
半ばヤケクソ気味に、私は両手を軽く上げて降参のポーズを示す。すると、レオンハルト様が、妙に自信ありげな顔で言った。
「念じてみろ、ミレイユ司書! 強く、この封印を解きたいと!」
(念じる!? 何その精神論!? ファンタジーの世界だからって、何でも念じれば解決すると思ったら大間違いよ!)
内心で盛大にツッコミを入れるが、他に方法も思いつかない。隣のカイエン隊長は相変わらずの無表情で、ただじっと私(と巻物)を観察しているだけだ。実験動物を見るような目で見ないでいただきたい、切実に。
「……わかりましたわよ。やればいいんでしょ、やれば!」
もはやヤケクソ度120%。私は巻物を受け取り、ぎゅっと目を瞑る。そして、ありったけの(迷惑そうな)念を込めて、心の中で叫んだ!
(開け、ゴマ! じゃなくて、開け、封印! さっさと解けて、私を解放しなさーいっ!!)
……しーん。
やはり、何も起こらない。ほらね、言わんこっちゃない。
「ほら、やっぱり無理じゃ……」
諦めて目を開け、二人に向かって肩をすくめようとした、まさにその瞬間だった。
ピカァァァァッ!!
私の手の中で、巻物の表面に刻まれたあの複雑な紋様が、今度は前回とは比較にならないほど強く、鮮やかな緑色の光を放ったのだ!
「きゃっ!?」
眩しさに思わず目を細める! 同時に、私の頭の中に、まるで洪水のように、断片的な映像と、全く聞き覚えのない、しかしどこか懐かしいような響きの言語が流れ込んできた! 古代の儀式? 誰かの記憶? 何かの呪文?
(な、な、な、なにこれ!? 頭が、割れるぅぅぅぅ!)
あまりの情報の奔流に、立っていられなくなりそうになる。巻物を落としては大変、と必死でしがみつく私。
やがて、光がゆっくりと収まっていく。脳内のノイズも、潮が引くように消えていった。ぜえぜえと肩で息をする私の手元には……あれ?
「……あ」
さっきまで鉄線のように固かった革紐が、まるで普通の古い紐のように、はらり、と自然に解けているではないか!
「お、おおっ! 解けたぞ、ミレイユ司書! やはり君には特別な力が……!」
レオンハルト様が、子供のようにはしゃいで歓声を上げる。いや、私、何もしてませんけど!? 勝手に光って勝手に解けただけなんですけど!?
一方、カイエン隊長は、歓喜するレオンハルト様とは対照的に、光と私の反応の一部始終を、射るような鋭い目で見つめていた。そして、小さく、確信したように呟いた。
「……やはりな。ローデルの血は、この時代の魔術体系とは異なる理で動くらしい」
(やっぱり気づいてたのね、この人! しかも何その意味深なセリフ!? 私の血、そんなヤバい代物だったの!? 初耳なんですけど!)
混乱する私をよそに、事態は勝手に進んでいく。
「さあ、ミレイユ司書! 中身を確認するんだ!」
レオンハルト様に急かされ、私は恐る恐る、解けた巻物を少しだけ開いてみた。羊皮紙には、びっしりと、ミミズがのたくったような古代文字らしきものが書き連ねられている。もちろん、私に読めるはずもない。
(うーん、やっぱり読めないわね……って、あれ?)
文字自体は理解不能だが、なぜか、その文字の連なりを見ていると、さっき脳内に流れ込んできた、あの奇妙な言語の響きが、再び微かに蘇ってくるような気がするのだ。まるで、文字が音を持っているかのように……。
そして、巻物の冒頭部分。そこには、大きく、一つの紋章のようなものが描かれていた。獅子と……蛇? が絡み合ったような、複雑なデザイン。それは、アークブレイド王家のグリフォンの紋章とは明らかに違う。もっと古く、どこか禍々しいような……。
「これが……『異聞録』……?」
レオンハルト様が、ゴクリと喉を鳴らす。私も、その紋章から目が離せない。何か、とても重要なものを見てしまったような気がする。
「よし! よくやった、ミレイユ司書! これで王命を果たせる! すぐに王宮へ持ち帰り、解読班に……!」
興奮気味に巻物を奪い取ろうとするレオンハルト様。しかし、その手を、カイエン隊長が素早く、しかし有無を言わさぬ力強さで制止した。
「待て。それはこの図書館から持ち出すべきではない。禁書に指定されるべき性質のものかもしれん」
「なっ……何を言うか、ヴァレンティア隊長! これは王家の歴史に関わる重要文献だぞ!」
「だからだ。下手に外部に持ち出せば、どんな混乱を招くか分からん。それに……」
カイエン隊長は、そこで言葉を切ると、再び、私にその黒曜石の瞳を向けた。
「この古代文字を、王宮の解読班が読めるとは思えん。……だが、あるいは」
(……嫌な予感しかしないんですけど……。その視線、やめていただけます?)
私の必死の心の叫びも虚しく、カイエン隊長は、まるで決定事項を告げるかのように、静かに続けた。
「この巻物の解読……。封印を解いたお前が、やるしかないかもしれんな」
「か、解読ぅぅぅぅぅぅぅぅ!?」
本日何度目かの絶叫(もちろん心の声)が、第二書庫に木霊する。読めないって言ってるじゃないですか! 無理だって言ってるじゃないですか! なんで私ばっかりこんな目にぃぃぃぃ!
私の平穏な読書ライフは、もはや風前の灯火どころか、完全に消し炭となり、灰すら残っていない模様……。次から次へと降りかかる無理難題のフルコースに、私の精神は、もう限界寸前なのだった……!