第3話 曰く付き古文書と遭遇(そして絶叫)
「――少し、曰く付きの物らしくて、他の者には任せられないって」
アンナ先輩の口から放たれた「曰く付き」というパワーワードに、私の脳内でけたたましい警報が鳴り響いた。
(ウィーウー! ウィーウー! 緊急事態発生! 緊急事態発生! 前方、超弩級の面倒事接近中! 総員、ただちに退避せよ!)
脳内アラートに従い、光の速さで後退……しようとした私の腕を、アンナ先輩が天使のような笑顔でがっしりと掴む。にっこり。
「大丈夫よ、ミレイユさんなら! 館長も『彼女なら、きっとこの古文書たちと心を通わせられるはずだ』って、太鼓判を押していたわ!」
(心を通わせる!? 何と!? 古文書と!? 無理無理無理! 私が通わせたいのは心の平穏と読書欲だけですってば!)
「そ、そんな、わたくしのような新米に、館長の太鼓判など……もったいのうございます! きっと、もっと経験豊富な方が……」
「ううん、ミレイユさんだからこそ、お願いしたいそうなの。ほら、場所は第二書庫の突き当り。鍵はこれね。よろしくお願いするわ!」
そう言って、アンナ先輩は私の手にずっしりと重い、古めかしい真鍮の鍵を握らせると、嵐のように去って行った。残されたのは、絶望的な任務を押し付けられた哀れな元悪役令嬢と、これから開かれるであろうパンドラの箱(物理的な鍵付き)のみ。
「……行くしかない、のね……」
もはや選択肢はない。館長の命令は絶対だ。それに……心の奥底で、ほんのちょっぴり、「曰く付き古文書」という未知の存在への好奇心が疼いているのも事実だったりする。いやいやいや、ダメよ私! 好奇心は猫をも殺すって言うじゃない! ましてや相手は曰く付きよ!? 下手したら猫どころか悪役令嬢だって呪い殺されかねないわ!
ぶつぶつと自分を戒めながら、私は重い足取りで第二書庫へと向かった。第一書庫が「王国の知の殿堂」なら、第二書庫はさながら「知の魔窟」。第一書庫よりもさらに古く、専門的で、利用者もまばらな薄暗い空間だ。足を踏み入れた瞬間、ひやりとした空気が肌を撫で、埃っぽさが一段と増した気がする。
(……ゴクリ。心なしか、空気が重いような……? これは物理的な埃の重さ? それとも霊的な……いやいやいや!)
気を取り直し、防塵マスク(心の中で装着完了!)の紐をきつく締め、鍵を使って突き当りの重厚な扉を開ける。ギィィ……と、ホラー映画の効果音のような軋みを立てて開いた扉の先には――。
「……うっわぁ……」
思わず、淑女にあるまじき声が漏れた。
そこは、小部屋と呼ぶには広く、書庫と呼ぶには雑然とした空間だった。壁際には無造作に積み上げられた羊皮紙の巻物や、分厚い革綴じの本が山となり、部屋の中央には巨大な石板のようなものまで転がっている。そして、それら全てが、分厚い、年季の入った埃に覆われていた。
「こ、これが……曰く付き古文書……」
指定された棚に近づく。そこには、見るからにヤバそうなオーラを放つ物体が鎮座していた。真っ黒で何も書かれていないように見える石板、不気味な染みがついた羊皮紙の束、なぜかひとりでにカタカタと微かに震えている(ように見える)木箱……。
(ひぃぃぃ! 無理! 絶対無理! これ絶対呪われてるやつ! 触ったらミイラになるか、精神汚染されるかの二択よ!)
後ずさりしようとした、その時。私の視線が、棚の隅に置かれた一冊の古書に吸い寄せられた。それは、見たこともない奇妙な金属で装丁され、表紙には複雑怪奇な紋様が刻まれている。背表紙には、どの言語ともつかない、ミミズがのたくったような文字が記されていた。
(……な、何これ……? 見たことない装丁……この文字、もしかして古代魔法言語……? しかも、この金属、魔力を帯びてる……?)
いけない。いけないわ、私! 完全に本好きの血が騒いでしまっている! ダメよ、これは罠よ! ミイラ取りがミイラになる的な、悪役令嬢が古文書マニアになる的な!?
激しく頭を振って煩悩を追い出し、私は意を決してリスト作成作業に取り掛かった。まずは手始めに、一番手前の、比較的まともそうな(あくまで比較級)羊皮紙の束に手を伸ばす。指先が触れた、その瞬間だった。
ぶわっさーーーーーーっ!!
部屋中の埃が一斉に、まるで意志を持ったかのように舞い上がり、私に襲い掛かってきたのだ!
「へ、へ、へーっくしょい! っぷし! ぶえっくしょい! このぉ! ハ、ハックション!! ゲホッゲホッ! なんなのよこの古典的トラップはー!?」
涙と鼻水と埃にまみれながら、私は必死に呼吸を確保する。視界は真っ白。まるで吹雪の中にいるようだ。これが貴族の嗜む優雅なティータイムならぬ、司書の嗜む埃まみれタイム……ってやかましいわ!
ようやく埃の嵐が収まったかと思うと、今度は別の異変が。リストに書き加えようとした羊皮紙の束が……あれ? さっきより微妙に右にズレてない?
(……き、気のせいよね? 私の涙で視界が歪んでるだけよね? まさか、この羊皮紙、生きてるとか……歩いたとか……ないわよね!?)
半泣きになりながら羊皮紙を元の位置(と思われる場所)に戻し、震える手でリストに書き込む。集中、集中よ、ミレイユ! こんなことで怖気づいていては、平穏な読書ライフは守れない!
「早く終わらせて、書庫で『王国植物図鑑・春』の続きを……うふふ……」
現実逃避気味に今後の読書計画を呟きながら、次の古文書(不気味な木箱)に手を伸ばした、その時。
すっ……。
背後に、人の気配。
「ひぃぃぃぃぃっ! 出たわね! 本に呪い殺された司書の怨霊!?」
文字通り飛び上がって振り返り、腰を抜かしそうになるのを必死で堪える! そこに立っていたのは、怨霊ではなかったけれど、ある意味もっとタチの悪いかもしれない人物――例の、無愛想な黒服の男! いつの間に!? 足音も気配もなかったんですけど!?
男は、埃まみれで半狂乱状態の私を、温度のない黒曜石の瞳でじっと見下ろし、ややあってから、静かに、しかしはっきりと、こう言い放った。
「……うるさいぞ」
「~~~~~~~~~~っ!!」
声にならない絶叫が、私の喉の奥でこだまする。うるさいって……うるさいってですって!? こっちは命がけ(誇張抜きで)で仕事してるっていうのに! しかもアンタ、不法侵入じゃないの!?
「な、ななな、な……っ!」
あまりの理不尽さに言葉を失い、わなわなと震える私を尻目に、男はこともなげに私の隣をすり抜け、例の「曰く付き古文書」の棚を、まるで自分の家の本棚でも眺めるかのように物色し始めた。
(ああもう! なんなのよこの図書館! なんなのよ私の人生! 私の平穏はどこぉぉぉぉぉっ!?)
私の心の叫びは、埃っぽい第二書庫の奥に、虚しく吸い込まれていくのだった。