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第2話 騎士様のご訪問は丁重にお断りしたい

「少し、君に話がある」


 レオンハルト様の真っ直ぐな青い瞳が、私――ミレイユ=フォン=ローデルを射抜く。ひんやりとした書庫の空気の中で、私の背筋にはじわりと嫌な汗が滲んだ。


(話ですって? 何の? 私とあなたとの間に、建設的な話し合いが成立するとお思いで?)


 内心でこれ以上ないほど皮肉たっぷりに毒づきながらも、私の口元は完璧な淑女の微笑みを保っている。伊達に悪役令嬢(の記憶持ち)ではないのだ。こういう外面だけは得意中の得意。


「まあ、レオンハルト様。わたくしのようなしがない一司書に、近衛騎士様がわざわざお話とは、一体どのようなご用件でしょうか?」


 あくまで丁寧な言葉遣いを崩さず、しかし「あなたのような高貴な方がこんな場所(&私)に何の用?」というニュアンスを subtle に込めてみる。察しの良い方なら、これで「ああ、邪魔をして悪かった」と引き下がってくれるはず……。


 だがしかし、目の前の騎士様は、乙女ゲームの攻略対象だけあって、残念ながら(?)鈍感……いや、実直すぎるお方のようだ。私の込めた棘など微塵も感じていないのか、眉ひとつ動かさずに話を続ける。


「単刀直入に聞こう、ローデル……ミレイユ司書。君は、一体何を企んでいる?」


(はぁ!? 企む!? 失礼しちゃうわね!)


 思わず素で反論しそうになるのを、ぐっと堪える。落ち着け、私。ここでボロを出したら終わりだ。目指すは空気。目指すは背景。目指すは書庫の片隅で朽ち果てる(まで本を読む)人生!


「企む、とは……穏やかではありませんわね、レオンハルト様。わたくしはただ、ここで司書として、静かに日々を送りたいと願っているだけですのに」

「静かに、か……。以前の君からは、想像もつかない言葉だな」


 レオンハルト様は、探るような視線を私に注ぐ。……そうでしょうね。数ヶ月前のゲームのミレイユは、そりゃあもう派手にやらかしていたらしいから。ヒロインに嫌がらせ、王子に付きまとい、夜会では扇子を振り回し……って、思い出すだけで頭が痛い。私じゃない、私じゃないのよ、それは!


「人は変わるものですわ、レオンハルト様。わたくしも、あの卒業パーティーの一件で……多くのことを学びましたので」


 しおらしい表情を作り、少しだけ伏し目がちに懺悔のポーズ。これぞ、悪役令嬢が反省を見せる時のテンプレ! ……と、前世の記憶が囁く。効果があるかは知らないが、やらないよりはマシだろう。


「……確かに、君が変わったことは認める。以前のような刺々しさは消え、まるで別人のようだ。だが、それが逆に……不自然に思えるのだ」

「不自然、ですか?」

「ああ。ローデル公爵家のご令嬢が、全ての地位も婚約者も捨てて、一介の司書に収まるなど……。何か、別の目的があるのではないかと勘繰りたくもなる」


(うっ……鋭いところを突いてくるわね、この騎士様……!)


 私の目的は「読書三昧」だが、そんな正直なことを言えるわけがない。言ったところで信じてもらえるはずもないだろう。くっ、どう切り返す……?


 私が内心で冷や汗を流していると、レオンハルト様はふと視線を書架の方へ向けた。


「……まあ、いい。君の真意を探るのは、また別の機会にしよう。実は今日ここへ来たのは、別の用件もあるのだ」

「別の、ご用件……?」


(助かった! ……のか? いや、別の用件って何よ。それも面倒事の匂いしかしないんだけど!)


 警戒レベルを最大に引き上げながら、聞き返す。


「王宮内で、ある古い文献を探している。どうやら、このルミナ・アーカイブに所蔵されている可能性が高いらしくてな。心当たりはないだろうか?」

「古い文献、ですか……。どのような?」

「詳細は言えぬが……おそらく、禁書庫に近い場所に保管されている類のものだ」


 禁書庫。その言葉に、私の背筋がぞくりとした。王立図書館の中でも、特に厳重に管理され、特別な許可がなければ立ち入ることのできない領域。そこには、危険な魔導書や、歴史の闇に葬られた記録などが眠っているという。


(関わりたくない……絶対に関わりたくない案件だわ、これ……!)


「申し訳ありませんが、わたくしはまだ新米ですので、禁書庫の場所はおろか、そのような文献の存在についても……」


 全力で「知りません」「分かりません」「私に聞かないでください」オーラを放ちながら、しらを切ろうとした、その時だった。


 すぐ近くの書架の陰から、ふいに低い、温度のない声が響いた。


「……探しているのは、『アークブレイド王家の血脈に関する異聞録』か?」


 びくり、と私とレオンハルト様の肩が同時に跳ねる。声のした方を見ると、いつの間にそこにいたのか、黒っぽい地味な服装をした、無愛想な男が立っていた。歳の頃は二十代後半だろうか。鋭い黒曜石のような瞳が、感情を映さずにこちらを見ている。


(誰!? いつの間に!? しかも、今、サラッとヤバそうな書名を口にしなかった!?)


 男は、私たちが驚いていることなど気にも留めず、手に持っていた一冊の本(分厚くて埃っぽい)をぱらぱらとめくりながら、独り言のようにつぶやいた。


「その手の文献なら、第三書庫の奥……古代魔法関連の棚にあるかもしれん。もっとも、まともな状態で見つかるかは保証できんがな」


 レオンハルト様が、怪訝な顔で男に問いかける。

「君は……? なぜそれを知っている?」

「通りすがりの者だ。本を探しに来ただけだ」


 男はそれだけ言うと、私たちに背を向け、再び書架の奥へと消えていく。その影のような立ち居振る舞いに、私は言いようのない不気味さを感じた。


(なんなのよ、あの人……。ただの利用者じゃないわよね、絶対……)


 呆然と男が消えた方を見つめていると、レオンハルト様が「失礼」と短く告げて、慌てたようにその後を追っていった。「アークブレイド王家の血脈に関する異聞録」とやらが、よほど重要なものらしい。


 一人、書庫に取り残された私は、大きく、それはもう深ーーーーーい溜息をついた。


(はぁーーーーー……。騎士様に不審者……。私の平穏は、一体どこへ……?)


 壁に寄りかかり、ぐったりと項垂れる。まだ働き始めて日も浅いというのに、この面倒事の連続。先が思いやられるとは、まさにこのことだ。


「あら、ミレイユさん。こんなところでどうしたの? 顔色が優れないようだけど」


 今度は、先ほどのアンナ先輩が、心配そうに声をかけてきた。どうやら、私を探していたらしい。


「あ、アンナ先輩……いえ、なんでも……」

「そう? ならいいんだけど……。実はね、館長がミレイユさんにお願いしたいことがあるそうなの。第二書庫の奥にある、未整理の古文書のリストアップなんだけど……少し、曰く付きの物らしくて、他の者には任せられないって」


 曰く付き。未整理。古文書。

 その単語の組み合わせに、私のこめかみがピクリと引き攣る。


(……もう、嫌な予感しかしないんですけどぉぉぉぉっ!!)


 私の静かで平穏な読書ライフは、どうやら本格的に、開始早々にして崩壊の危機に瀕しているようだった。

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