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とても一途な婚約者様~そんなに姉がお好きなら、婚約は解消いたしましょう~

作者: 結生まひろ

「ラナは本当にすごいよね」

「そうですね」

「リーナ、君もあんなに美しい姉がいて幸せだろう」

「はい……」


 私の婚約者、ロータル様は今日も私の姉を褒める。


「僕の兄も優秀で自慢だから、君の気持ちがわかるよ」

「そうですか……。それよりこのティーカップ、デザインが繊細で素敵ですよね」


 いつも姉ばかり褒める婚約者にうんざりしていた私は話を変えようと、お気に入りのカップで彼に紅茶を淹れた。


 なんでも完璧にこなしてしまう姉、ラナのように上手ではないかもしれないけれど、何度も練習して少しは様になるようになったはずだ。

 彼に喜んでもらえたらいいな――そんな期待を込めて。

 けれど彼の口から出てきたのは、まったく別の感想だった。


「うん、悪くないな。けど、この前ラナが淹れてくれた紅茶、あれは格別だったよ。香りも味も完璧で、さすがラナだと思ったね」


 その言葉に、思わずカップを持つ手がピクリと震えた。


「そうですか……姉は紅茶を淹れるのが得意ですから」

「紅茶を淹れるの()得意なんだよ、ラナは」

「……そうですね」


 表情を崩さないように努めて答える。

 でも、その裏で胸がぎゅっと締めつけられる。私の努力なんて、彼の目にはなんの価値もないのだろうか?


 それでも気を取り直して、テーブルに並べた手作りの焼き菓子を勧めた。

 これも姉に負けたくない一心で夜遅くまで、成功するまで何度も作り直して焼き上げたものだ。


「どうぞ、これ、私が作ったんです」


 一口食べた彼が、少し目を丸くした。期待して、彼の言葉を待つけれど――。


「ああ、悪くない。けど、ラナの焼き菓子のほうがやっぱり上だな。君も、もっと姉を見習うといいよ」


 彼の口から出た感想に、思わず息が詰まった。

 胸の中に渦巻く感情が、喉の奥に苦い塊となって押し寄せてくる。


「……姉はなんでもできますから」

「そうなんだよ、ラナは学生の頃から本当に優秀だった!」

「そうですね……」


 絞り出すように答えながら、私は俯いた。


 いつもいつも姉のことばかり褒める婚約者に、頭の中がぐちゃぐちゃになり、どうにもしんどい。


「そうそう、この間の舞踏会でも、ラナのドレス姿は実に見事だったよな。まるで夜会の女神って感じでさ――」


 私の様子にまったく気づくことなく、また姉の話を口にする彼に、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。

 ドレスを着ていたのは私も同じだったのに。

 彼の視線の先にいたのはいつも姉だった。褒めるのは、気にかけているのは、全部、姉のこと。


「ところで、今日はラナは留守なのかな?」

「ええ……」

「そうか。残念だなぁ……」


 今日はロータル様を家に招待して、二人でお茶会をしている。

 彼が家に来たいと言ったから、私は張り切ってお茶とお茶菓子を自分で用意した。


「でもまぁ、またすぐ会えるしね。来週の夜会には、ラナも参加するよね?」

「その予定です」

「よかった。ラナはどんなドレスで来るのかなぁ?」

「…………」


 その夜会には、私もロータル様に誘われて参加する予定だ。


 でも彼の目的は、姉に会うため。

 彼が私の家にこうしてお茶をしにやってきたのも全部、姉に会うのが目的なんだ。


 この人が好きなのは、私ではなく姉のラナ。



 伯爵家次女である私が、侯爵家次男であるロータル様から婚約の申し込みをいただいたのは半年ほど前のこと。


 ロータル様は姉の同級生だった。

 

 どう見ても姉のことが好きだけど、私の姉は幼い頃から婚約者が決まっている。

 そのため、妹である私と結婚しようと思ったのだろうけど、彼は未だに姉のことが好きらしい。


 姉は美人で、聡明で、なんでもそつなくこなす完璧な人。

 私もそんな姉のことは大好きだけど、昔から出来のいい完璧な姉と比べられてきた。


 私が努力を重ねてようやくできるようになることも、姉は簡単にこなしてしまう。

 みんな、完璧な姉を好きになる。


 けれどこの人は、私の婚約者ではないのかしら?


 自分で結婚したいと言ってきたのだから、彼くらいには私のことをちゃんと見てほしかった――。




     *




 煌びやかなシャンデリアが夜会の会場をやわらかく照らし、華やかな貴族たちの笑い声が響いている。

 私も礼儀として微笑みを浮かべ、何人かの方々と会話を交わしていたけれど、心ここにあらずだった。


 なぜなら――私をエスコートしているはずの婚約者、ロータル様は、今日も姉のラナを見つめているからだ。


 姉は淡いブルーのドレスに身を包み、貴婦人たちに囲まれて笑顔を浮かべている。

 その姿は確かに美しく、周囲を魅了しているのもよくわかる。


 でも、私の婚約者であるロータル様が、その中に交ざって姉に熱い視線を送るのは、どう考えてもおかしい。

 それに、姉の隣には幼馴染で婚約者である伯爵令息のレナード様が立っているのに、ロータル様には見えていないのだろうか?


「リーナ、君もそう思うだろう?」


 唐突に呼びかけられ、私は我に返った。


「え?」

「だから、ラナのドレスだよ。あのデザイン、彼女によく似合っていると思わないか? さすが彼女のセンスだな。君では着こなせないだろう」


 ……?


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 私には着こなせない……って、どういう意味?


「彼女のあの美しい金色の髪にもよく合っている。君の姉は本当に美しいな」


 うっとりとした様子で姉を見つめている私の婚約者(ロータル様)

 確かに姉は顔だけではなく、髪も濁りのない綺麗な金色だ。

 対して私の髪は、金色に茶が混じった、冴えない色。


「……ロータル様、私のドレスはどうですか?」


 私はもやもやする気持ちを押し殺して、自分のドレスについて尋ねた。

 今日は何度も試着して決めた特別なドレス。姉にはない、私らしいデザインを意識して選んだ、落ち着きのあるパープルのドレス。

 仮にも婚約者なのだから、少しくらいは私のことも褒めてほしい。


 そう期待を込めたその問いかけに返ってきたのは――。


「ああ、リーナのドレスも悪くないよ。ただ、ラナが着たらもっと映えただろうけどね」

「…………」


 その言葉に、私の胸の奥に押し込めていた何かが音を立てて崩れ落ちた。


 ――もう無理。


「ロータル様」

「どうしたんだい?」


 意を決して、私は声を上げた。

 彼は不思議そうに私を見つめる。その余裕そうな顔に、更に腹が立つ。


「ロータル様は、私の婚約者ですよね?」

「もちろんそうだとも。何をいきなり――」

「では、どうしてそんなに姉ばかり褒めるのですか? 姉のドレスがどうとか、姉のセンスがどうとか、ずっと姉の話ばかり」

「だってラナは本当に素晴らしい女性だろう? 誰だってそう思うはずさ。それに君だって、そんな姉のことが大好きなんだろう?」

「……そうですね。姉のことは好きです。でも、ロータル様に私の前でそこまで姉のことばかり称賛されるのは、不愉快です」

「え? どうして?」


 私の気持ちを一瞬でも考えたことがないのか、彼はまったく理解していないという顔で私を見つめ返す。


「姉には婚約者がいるのですよ? ロータル様は、姉が婚約していなかったら、私ではなく姉に求婚していたのでしょうか」


 その問いに、彼は一瞬戸惑った顔を見せた。

 けれどすぐに苦笑いを浮かべる。


「まぁ、もしラナが婚約していなかったら、そうしていたかもしれない。ラナは完璧だからね」

「では私に求婚したのは、私がラナ(お姉様)の妹だからですか?」

「うん……いや、まぁ……そうかな」


 ――もう限界だ。


 悪びれる様子もなくへらっと笑って答えたロータル様に、ついに堪忍袋の緒が切れた。


「ロータル様」


 静かに、けれど毅然とした声で彼の名を呼び、背筋を伸ばしてまっすぐに見つめる。


「そんなに姉がお好きなら、婚約は解消いたしましょう」

「――え?」


 彼がようやく動揺したように私を見つめる。けれどその顔を見ても、私はもう容赦しなかった。


「あなたの婚約者は私です。それなのに、あなたはいつも姉ばかり。私がどれだけ努力しても無駄です。もう疲れました」

「待て、リーナ。落ち着いてくれ!」

「落ち着いているからこそ、言わせていただきます。婚約は解消いたしましょう」


 はっきりと言い放った言葉に、会場のざわめきが一瞬で静まり返る。

 周囲の視線が集まる中、ロータル様の目が驚きで見開かれていく。


「な、何を言い出すんだ!」

「だって、あなたはいつも姉のことばかりじゃありませんか」

「そんなことはない、僕は君のこともちゃんと褒めて――」


 私は感情を抑えることなく言葉を続けた。


「私がどんな服を着ようが、どんなお茶を淹れようが、『ラナのほうがもっとすごい』。そんなに姉に一途なら、私はこの婚約を続ける意味なんてないと思います」

「ま、待て! それは困る!」


 ロータル様は焦った様子で手を伸ばしてきたけれど、私はその手をきっぱりと無視した。


「ずっと困っていたのは私です。それに、私はもうあなたに興味がありません」


 冷静な声で、だけどしっかりと宣言する。


「どうぞ、これからも一途に姉を想い続けてください。叶わない恋、泣けますね。私は私らしく自由に生きますから」


 最後に淑女らしく礼をしてそう言い放つと、私はくるりと背を向けた。


 後ろでロータル様が何か言おうとしている気配がしたけれど、振り返る気にはなれなかった。

 私はもう、彼に縛られる理由も、義務もないのだから。


 会場の扉を抜けた瞬間、胸の奥から湧き上がる開放感が私を包み込んだ。

 肩にのしかかっていた重荷が消え、足取りは自然と軽くなる。


 我が家は事業に成功しており、侯爵家に並ぶほど財産も勢いもある。

 理由を話せば私の父はきっと許してくれる。


 ロータル様のお父様はどうかわからないけれど。



 ――とにかく、もう私のことを見てくれないあんな人(・・・・)のために頑張る必要なんてない。


 そう思い、私は晴れやかな笑顔を浮かべたのだった。




 会場内を飛び出すと、冷たい夜風が頬を撫でた。

 私の胸はまだ高鳴っている。


 ――あんなことを公然と言い放つなんて……。


 心の奥底でうずく達成感と開放感を覚えつつも、同時に緊張感が身体を硬直させていた。

 大勢の人の前で婚約解消宣言をしたのだ。

 ロータル様の名誉にも関わるというのに、少し言いすぎてしまったかもしれない。


 冷静になると、少し罪悪感を覚える。



「リーナ・エルステリア嬢」


 そのとき、背後から低く落ち着いた声が響いて、私はびくりと肩を震わせた。


 ――怒られる!?


 振り返ると、そこに立っていたのはロータル様の兄、侯爵家の嫡男、ルーカス様だった。

 銀色の髪が夜の光を受けて美しく輝き、整った顔立ちと冷静な紫色の瞳が印象的だ。


 彼は夜会の中でも一際目立つ存在で、会場にいる誰もが彼に一目置いていた。


 ――ルーカス・アーレント様。


 王太子の近衛騎士を務めるとても優秀な方で、弟とはまるで違う格調の高さと威厳を持っている。

 私もその名を聞かない日はないくらい有名な方だけど、真面目で寡黙なイメージがあり、とても仕事熱心な方。これまで私も話す機会はなかった。


「弟に婚約解消を提案なさったそうですね」


 彼の落ち着いた声に、私はますます身を縮めた。


 やっぱり怒っているのかも。


「はい、ご迷惑をおかけして申し訳ありませ――」


 私の声は自然と小さくなる。けれど次の瞬間、彼は穏やかに頭を下げた。


「いや、謝罪すべきなのはこちらだ。私の弟が失礼な振る舞いを繰り返したこと、深くお詫びする」

「えっ……?」


 思いもよらない言葉に、私は呆然とした。


「君の立場を考えれば、どれほど辛い思いをしてきたか、想像に難しくない」


 彼の瞳がまっすぐに私を捉える。

 その真摯さと優しさに、不思議と心が解けるような感覚があった。


「そ、そんな……お気になさらず……」


 私は思わず手振り身振りで答えたけれど、ルーカス様は眉をひそめ、首を横に振った。


「いや、それでは済まない」


 その言葉には、彼の誠実さが滲んでいる。


「改めて正式に謝罪させてほしい。後日、こちらから訪問させていただく」

「そこまでしていただかなくても……」


 私が慌てて断ろうとするも、彼は一歩も引かなかった。


「いや、これは侯爵家としての責任だ。それに君のような真摯な方に、これ以上不名誉を負わせるわけにはいかない」


 彼の強い眼差しに、私は言葉を失った。

 周囲に見られがちな「優秀な長男」という枠を超えて、彼が本当に人としても優れていることを実感した瞬間だった。


「実は俺も疑問に思っていた。ロータルがいつも婚約者ではなく、君の姉君の話ばかりすることを」


 彼の表情に微かに後悔の念が浮かぶ。


「君にとっては辛かっただろう。俺がもっと早く対処していれば……。本当にすまない」

「いえ、本当にお気になさらず……」

「だが、君が今日のような勇気を見せたことを、俺は尊敬するよ」


 尊敬――。


 その言葉に、胸が不思議なあたたかさで満たされる。

 ルーカス様は雲の上の存在だと思っていた。

 でも今、こうして真正面から真剣に向き合ってくれるその姿に、心が震えるようだった。


「それでは、俺は夜会に戻るが……君も無理せず、ゆっくり休むといい」

「はい」


 優しく声をかけてくれた彼は、礼儀正しく一礼すると、会場のほうへ戻っていった。

 その背中を見送りながら、私はぽつりと呟いた。


「……本当に、いい人なんだ」


 その後、私は馬車に乗り込み、家に帰る途中でふと窓の外を眺めた。

 月明かりが夜の街並みを静かに照らしている。


 ――ルーカス様が言ってくれた言葉を、何度も思い返す。


〝君が勇気を見せたことを、俺は尊敬する――〟


 誰かにあんなふうに気遣ってもらえたのは、久しぶりだった気がする。


 心のどこかで、これからの私の人生にもまだ何か希望があるのではないかと思えた。




     *




 それから数日後。

 ルーカス様が本当に謝罪にやってきた。


 応接室に通された彼は、相変わらず堂々とした佇まいだったけど、どこか申し訳なさそうな表情をしていた。


「この度は弟が君に対して数々の無礼を働き、本当に申し訳なかった」


 低く深い声で丁寧に頭を下げられると、こちらが恐縮してしまいそうだった。


「いえ、お気になさらないでください。無事婚約も解消されましたし、過ぎたことですから」


 そう答えると、彼は私の言葉を遮るように、持参した包みをいくつか差し出した。


「とはいえ、君が傷ついてきたことに変わりはない。ささやかではあるが、これを受け取ってほしい」

「いただけません……! こんなに高価なもの!」


 包みの中には高級そうなドレスや調度品、そして一組のティーセットが入っていた。

 そのティーセットは華奢なデザインながらも上品で、目を引く美しさを持っていた。


「気に入ってくれたかい?」

「あ……えっと、素敵なデザインですね」


 ついそのティーセットを見つめてしまった私に、ルーカス様が微笑む。


「君が紅茶を淹れるのが得意だと聞いたので、選ばせてもらった。よかったら使ってくれ」


 彼の気遣いに、胸があたたかくなる。

 それでも、姉ばかり褒められてきた記憶が不意に頭をよぎり、私は思わず小さく笑ってしまった。


「得意だなんて、そんな……練習中なんです。姉のように上手くありませんから」

「そうか……」


 彼は少し驚いたように目を見開き、それからもう一度やわらかく微笑んだ。


「なら、ぜひ今度君が淹れた紅茶を飲ませてほしい。練習の成果を味わえる日を楽しみにしているよ」

「え……?」


 そのまっすぐな視線と言葉に、不思議な違和感を覚える。


 ルーカス様は、また私に会ってくださるつもりなの?


 こんなふうに、私の努力を正面から見てくれようとした人がいただろうか――。

 胸が高鳴るのを抑えられない自分がいる。


 そして、話が一段落したと思ったそのときだった。

 ルーカス様の雰囲気が一変し、改まったように深呼吸をして、私を見つめた。


「リーナ・エルステリア嬢」

「……はい?」

「突然で驚かせるだろうが、聞いてほしい」


 彼の視線が真剣で、思わず息を呑む。


「どうか、俺と結婚してほしい」


 本当に突然で思いもよらないその言葉に、私の頭の中は一瞬真っ白になった。


「……結婚?」

「弟のことで君が傷ついたばかりなのに、こんな話をするのは申し訳ないと思っている――」


 ルーカス様の表情には迷いが見える。それでも、その瞳の奥には決意の光があった。


「しかし新しい婚約者が決まってしまう前に、どうしてもこの気持ちを君に伝えたかったんだ」


 彼の声は真摯で、心の奥底から出た言葉だと感じられた。


「なぜ、私なんですか……?」


 震える声で問い返すと、彼は静かに目を閉じ、少し考え込むような仕草をした後、私を見つめて答えた。


「初めて君を見たとき、思ったんだ。姉君の影に隠れがちな君が、必死に自分の力で前を向いている姿が眩しいと。そして、君が弟に向き合い、自分の気持ちをはっきり伝える姿を見たとき、確信した。この人は強い心を持っているのだと」


 その言葉に、胸がいっぱいになる。

 ルーカス・アーレント様が私を、私自身を見てくれていたなんて――想像もしていなかった。


「君がこれまでどれだけ苦しい思いをしてきたのか、すべてを理解できているわけではない。それでも、君の人生に寄り添いたいと思ったんだ」


 その言葉が、優しく私の心に響く。


「……私なんかで、本当にいいのでしょうか?」

「君がいいんだ」


 彼の真剣な声に、私は動揺してもう何も言えなくなる。

 心の奥底で塞ぎ込んでいた部分が、少しずつ解けていくようだった。



〝返事は急がない〟


 そう言って、ルーカス様は帰っていった。

 彼の背中が玄関の向こうに消えるのを見送りながら、胸の中に湧き上がる感情を持て余していた。


 一体、どうしたらいいのだろう。


 あのルーカス様から求婚されるなんて、まるで夢のようで――でも、それが現実だということが、余計に私を戸惑わせていた。


 広間に戻ると、家族が既にこの話を聞いていたのか、歓声が飛び交った。


「ルーカス様がリーナに求婚!? 本当に?」


 両親から話を聞いた姉が、目を輝かせながら駆け寄ってくる。

 彼女の普段の冷静さはどこへやら、その興奮ぶりに、私は思わず気おくれしてしまった。


「えっと……その、お返事はまだしていないのだけど……」


 曖昧に答える私に、姉は肩を掴んで真剣な表情になった。


「何を悩むの? あのルーカス様よ? 彼は学生の頃から私たちの世代でも大人気だったの! 本当にすごいわ、リーナ!」


 私の手を握りしめる姉の表情は、本当に心から喜んでいるようだった。


「あなたのよさをわかってくれる人が現れて、私もすごく嬉しい。正直、弟のロータル様のほうは……ちょっと心配だったけど」


〝ロータル〟の名前を出して苦笑いを浮かべた姉に、私も苦笑いで応えるしかなかった。


「でも本当によかった。ルーカス様なら私の可愛い妹、リーナを大切にしてくれるに違いないわ」


 姉がにこっと笑う。その笑顔には一切の悪意もなく、純粋に私を祝福してくれているのがわかった。

 それが嬉しい反面、胸が締めつけられるようだった。


 ――本当に、私でいいのかしら。


 私の脳裏に浮かぶのは、侯爵家の嫡男で、王太子殿下の近衛騎士を務める、誰もが憧れるルーカス様の姿。

 彼に相応しい相手は、もっと洗練されていて、優れた令嬢なのではないかしら?


 何より私は、一度婚約が解消された身だ。

 いくらその相手が弟だからって、本当にいいの?


 彼の言葉を思い出す。


〝君がいいんだ〟


 その声が真剣だったことは、よく覚えている。


 でも、どうしてルーカス様は弟の婚約者だった私を選んだのだろう――?




     ◇◇◇




 ロータルが執務室で父の叱責を受けている声が、廊下まで響いてきた。

 扉の外で立ち止まり、そのやりとりに耳を傾けながら、俺は呆れとともに溜め息をついた。


『ロータル、おまえはどれだけ我がアーレント家の名誉を傷つけたと思っているのだ!』

『……申し訳ありません』


 珍しく小さくなった弟の声が聞こえ、苦笑が漏れる。

 普段の彼は見栄と自信に満ち溢れているが、父の怒りの前では成す術がないらしい。


 まぁ、父が怒るのも当然だ。

 自分から望んでリーナとの婚約を求めたというのに、あの態度は許されるものではない。


 それから数分後、ロータルが執務室から出てきた。

 肩を落とし、すっかり元気を失った彼が、俺を見るなり足を止めた。


「兄上……」

「おや、ロータル。父上の説教はどうだった?」


 軽く声をかけると、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして、こちらに寄ってきた。


「兄上、どうか聞いてください。僕はもう、社交界での居場所がないんです……!」

「それは残念だな」


 表面上は同情するような言葉をかけながら、内心では「自業自得だ」と思う。

 リーナを軽んじて傷つけ、婚約者としての信頼を裏切ったのだ。

 その結果、彼の評判が地に落ちるのは避けられない。


「リーナに酷いことをした自覚はあるのか?」と問いたい気持ちはあったが、今日は別の手段を取ることにした。

 弟が彼女にしてきたことを、少しだけ「返して」やるのだ。


「ところで、リーナは元気にしているよ」

「ああ……そういえば兄上がわざわざエルステリア家に謝罪に行ったんでしたっけ」


「別に行かなくていいのに……」と呟く弟に、苛立ちを覚えながらも冷静に告げる。


「俺がリーナに求婚した」

「…………え?」

「おまえとの婚約がなくなったおかげだ。ありがとう」

「……な、何を言ってるんです、冗談ですよね?」


 ロータルは信じられないというように目を見開き、小さく首を横に振った。


「冗談ではない。俺は本気だ」

「まさか……兄上が? あの、ルーカス・アーレントが……? そんな!」


 弟が動揺しているのを横目に、俺はさらりと続ける。


「彼女の魅力に気づかないなんて、おまえは本当に惜しいことをしたな」

「え?」

「たとえば、あの明るくて可憐な笑顔。実際に間近で見たときの破壊力といったら……。それに、話してみると、彼女の心の優しさや聡明さがひしひしと伝わってくる」


 ロータルは明らかにたじろいでいるが、俺は構わず続けた。


「先日、彼女が紅茶を淹れてくれたんだが、それがまた絶品でね。俺の好みに合わせて、一生懸命練習したそうだ。気遣いの細やかさも、おまえは全然気づいていなかったんじゃないのか?」

「……」


 弟の顔色が変わっていくのを見て、少しだけ溜飲が下がる。それでも俺は続けた。単純に、リーナにはいいところが本当にたくさんあるのだ。

 確かに彼女の姉は美人で優秀なのだろう。しかし、そんな姉と比べられてきたリーナは努力を惜しまなかった。

 結果、姉にはない素晴らしいものを、リーナは得たのだ。俺にはそんな彼女のほうが何倍も魅力的に見える。


「その日の服装も、とても彼女らしくて可憐だったな。まさに俺の理想そのものだった。本当に、あんなに素敵な女性との婚約をよくぞ解消してくれた――」

「もう、もういい! そんな話は聞きたくない!」


 ロータルは両手で耳を塞いだ。

 彼がかつてリーナにしてきた態度が、今ようやく逆転して自分に降りかかってきたことを理解しているのだろう。


「ちなみに、姉のラナ嬢のことだが」

「ラナ……?」


 その名前を聞いてどこか期待するような顔をするロータルに、俺はさらりと言った。


「ラナ嬢は婚約者との結婚の日取りが決まったそうだ。本当にお似合いの二人で、幸せそうだったよ」

「……!」


 ロータルの顔が蒼白になるのを見て、俺はほんの少しだけ同情する気持ちが芽生えた。

 だが、それ以上に湧き上がるのは、リーナに対する想いだ。


「おまえが気づかなかったのは、リーナの持つ本当の美しさだ。外見だけではなく、彼女の心根の清らかさや、その笑顔に秘められた強さと努力だよ。もちろん、見た目も美しいが」


 俺は心の中で、彼女を想う気持ちがより一層膨らむのを感じていた。


 あの夜会の日以来、俺は彼女について詳しく調べるようになった。

 リーナがロータルの婚約者だった頃、お茶会に同席していた侍女にも話を聞いてみたが、出てきたのは想像以上に酷い話だった。


『ロータル様の態度は、正直目を覆いたくなるほどでした! 私がリーナ様だったら、ビンタの一つでもかましてしまいます!

 それに比べて、リーナ様は優秀な姉と比較される苦労を抱えながら、本当に健気でいつも一生懸命な方で……私がほろりとしてしまいました!』


 ――とまぁ、こんな具合で、うちの侍女もすっかりリーナに心を奪われている様子だった。


 弟の無神経な振る舞いが、彼女をどれだけ深く傷つけたのか改めて思い知り、胸が痛む。

 その過ちが許せないのはもちろんだが、それ以上に彼女をもっと笑顔にしたい、支えたいという想いが募っていくばかりだった。


 そして実際に自分自身で彼女と話をしてわかった。

 彼女はこれまで俺が会ったことがないような、とても魅力的な女性だと。


「ロータル、おまえには気づけなかったかもしれないが、俺はリーナを手放す気はない」

「兄上が、そこまで……」


 弟が気づかなかった彼女の魅力。俺はそれを、誰よりも大切にしたいと思っている。


 ロータル、おまえが失ったものの大きさは、俺が一番よくわかっているぞ。


 心の中でそう思いながら、俺はそっと弟に背中を向けた。


 俺の言葉に、彼はようやく失った存在の大きさに気づいたようだが、今更後悔しても遅い。


 彼女とともに歩む未来を、俺は誰にも邪魔させるつもりはない。


 ようやく見つけた理想的な女性。なんとしても、必ず手に入れてみせる――。




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