18 [B]
―――― * * * ――――
『それでは、クラフト隊長。取材へのご協力、本当にありがとうございました』
レコーダーとメモ帳をカバンに仕舞い込み、ネージュがそう言って丁寧に頭を下げると、クラフトは苦笑いを浮かべた。
『君がそういう態度だと……正直困るな』
『「そう言う態度」…って。どういう意味?』
意地悪そうに笑いながら、ネージュは問い返す。つい先程まで見せていた仕事上の顔ではなく、一人の友人としての親しみやすい顔を見せていた。
そんな彼女の表情に、クラフトは『そうそう』と微笑む。
『君はそう言う調子の方が似合っている』
『……私もそう思うわ。ありがとう、クラフト』
しばらく仕事上で顔を合わせることがなかったということもあり、こういう時の微妙な緊張感が、二人にとってはどこかぎこちなく感じられたのだ。
『それじゃあ』とネージュが席を立とうとする。しかし、クラフトはそれを片手で引き止める。
『こうして面と向かって話すのも久しぶりなんだ。もう少しゆっくりしていけば良い』
『でも、忙しいんじゃない?』
クラフトの予定を気にするネージュ。だが、クラフトはまたも苦笑する。
『こういう時間もできれば取りたいと思っていたんだ』
ネージュとの時間なのか、それとも友人との他愛のない雑談の時間なのか。クラフトの言う『こういう時間』というのが、具体的にどういったものを指すのかは分からない。
しかし、なんとなくその意味が分からないでもなかったので、ネージュは黙って再び席についた。
『あれから五年……か』
懐かしい物を眺めるように目を細め、クラフトは窓の外を見つめる。『そうね』とネージュもまた、懐かしむように答えた。
『あれから五年』――――第一部隊長に就任してから。ネージュとの出会いから。ネオ・アルカディアの新たな救世主として注目されてから。5年もの月日が経った。
ネージュはあの時から、随分と大人の女性らしくなったものだと、クラフトには感じられた。しかし、彼女の根幹――――レプリロイドさえも慈しむ熱く優しい心は今も変わっていないようだった。
クラフトはあの時からほとんど変わっていないのだと、ネージュは感じた。レプリロイド故に、外面的な成長があるわけではないので、当然なのだが。しかし、五年前に比べれば背負った使命と、責任、それらに対する覚悟のようなものは随分と強く感じられた。
『ふと…虚しくなる時があるんだ』
不意にクラフトが零した言葉に、ネージュは問い返すように視線を向ける。
『今朝も…な。テロリストを捕えた時……銃口を奴の頬に押し付けた時……考えてしまった。いや…迷ってしまったんだ』
“同じレプリロイドとして生まれてきたハズなのに、何故こうも殺し合わなければならないのか。”その問いが彼の頭を掠めたのは、今回の唯一度だけではない。
イレギュラーを処分する時。捕える時。引き金を引く時。戦っている時。
第一部隊長として責任を負うようになってから、特に。……いや、新たな救世主として期待と羨望の目を向けられるようになってからの五年間……と言った方が正しいだろう。
目の前で対峙している、裁かれるべきレプリロイド達との差を、顕著に感じてしまうのだ。そして、そこに強い迷いと苦悩が生じる。
『“正義”というのは…どうも容易い道ではないな』
“正しいこと”をしたい。ただ、それだけだ。だが、その“正しさ”が、時に信じ切れない時がある。
己の道を、信じ切れない時がある。
『分かる…かな。なんとなく』
ネージュが口を開く。
彼女も似たようなものだった。
彼女が正しいと信じる道も、それを遮ろうとする者達が何度となく立ち塞がっている。“それは過ちだ”と声高らかに否定されることは、数えきれず、その度に迷い、悩む。
『けど…ね、クラフト。私は信じているわ』
芯の通った声に、クラフトは思わずネージュを見つめる。彼女の目は、その言葉通り、確信のようなものに満ちていた。
『あなたの道は間違っていない、誇っていいものだって』
優しく微笑んで見せる。
『きっとそんな戦いの果てに、“人間とレプリロイドが真に理解し合い、支え合う未来が来る”って』
彼女だけではない、もっと大勢の者達がレプリロイドの活躍を認め、理解し、本当のパートナーとして暮らす世界。
イレギュラー戦争が起きるよりも前の時代はそうだったと聞いたことがある。だからこそ、それは不可能ではないと思えたし、信じることができるのだ。
『だから私は記事を書き続けるわ。そんな未来を信じているから。……ううん、そんな未来に“したい”から』
今は、全ての人に理解されないかもしれない。けれど、書き続けていればきっと誰かが共感し、理解され、その想いと理想は広がるはずだ。
何より、それが本当に“正義”であるならば。必ずいつの日かそうなる筈だ。
力強い言葉に、その堂々とした宣言に、クラフトは半ば呆気にとられる。それから、困ったような笑みを浮かべて、言葉を零す。
『……君は、強いな』
ネージュは『そんな風に信じてなきゃ…やってられないわ』とはにかみながら答えた。
その表情を見つめながら、クラフトは一人考える。
“人間とレプリロイドが真に理解し合い、支え合う未来”――――本当にそんなものが来るのならば。きっとその時に、この苦悩は全て報われるのだろう。
だが正直なところ、彼にはそれを信じるだけの手掛かりも、引き寄せるための力も、どうしても考えつかなかった。
だからこそ、今、目の前でそんな言葉を強く発することができる彼女の笑顔が、晴天に輝く太陽のように、眩しく見えたのだろう。
同時に、自分の手が届かぬ、遠い空の上にいるように見えたのかもしれない。
―――― 2 ――――
「旦那ぁ…」とチャンの情けない音声通信が届いた瞬間、クラフトは自分の予測が的中したことを確信し、先日犯してしまった失態を強く後悔した。
ガラノフとの対面から三日が経過した。クラフトの元へチャンが知らせたのは、塵炎軍団第二十三独立遊撃隊による件の集落に対する襲撃の事実だった。
だが、その日の襲撃はいつもと違い、“紅いイレギュラー”の出現にも関わらず、塵炎軍団たちは退却をすることがなかった。――――それどころか、彼らは驚くべき暴挙に踏み切ったのである。
可及的速やかに支度を終え、ライドチェイサーを走らせる。到着すると直ぐ様降り立ち、襲撃の爪痕が残る集落の奥へと、急ぎ足で踏み込んでゆく。その表情には鬼気迫るものがあった。
クラフトを見つけたチャンが、慌てたように駆け寄ってくる。それに気づくと、クラフトは彼の肩を勢い良く掴み、怒鳴るように問い詰める。
「レイラはどうした!?」
その声に身を竦ませながら、チャンは恐る恐る「すいません」と謝罪の言葉を口にした。
三日前――――第二十三独立遊撃隊が住処としている廃工場から立ち去る際。ガラノフに勘付かせてしまった恐れがあると、クラフトは不安に思った。
“紅いイレギュラー”が現れたという情報に関しガラノフが問いかけてきた瞬間、咄嗟に『聞いていない』と答えてしまったが、よくよく考えれば不自然な話だ。
命令系統に乱れが生じている塵炎軍団、その一部隊が得られる程度の情報だと言うのに、その標的を血眼になって探している筈の自分が『聞いていない』というのは、普通ではない。それも、かの第十七精鋭部隊長であるならば尚更だ。
しかし、仮に逆の返事をしたところで、「何故、奴を放っておきながら、こんな場所へ出向いてきたのか」と訝しがられていただろう。
ガラノフは暴虐な男ではあるが、愚かではない。加えて、養成課程の頃から争っていた相手のことは互いによく理解していた。
故に、ガラノフがクラフトの不自然な応答に疑問を感じただろうということは容易に想像できたし、そこから真実に近づくかもしれないと予測できた。
クラフトはチャンに、万が一のことが起きた場合、必ず連絡をとるように念を押した。自らも、第二十三独立遊撃隊の動向に気を配った。
だが、そんなクラフトの目を警戒していたのか、ガラノフは少数の部隊を秘密裏に動かし、今回の襲撃を決行した。
そして、あろうことか、“紅いイレギュラー”――――レイラだけをターゲットに絞り、強引に連れ去っていったのだ。
目的はおそらく、これまでの妨害に対する復讐だろう。どんな仕打ちを受けるかは想像に難くない。
クラフトはチャンの肩から手を離す。そして、悔しさに顔を歪めた。それを見ていたチャンはまたしても恐る恐る謝罪する。
「すいません……旦那」
だが、クラフトは何を思ったのか、そんな彼を鋭く睨みつけ、低い声で問い返した。
「何に対してお前は謝っている…?」
その威圧感に、チャンは思わず後ずさる。明らかにクラフトの目には怒りの色が見えたのだが、その理由が、真意がわからない。
チャンが口篭ってしまうと、クラフトは周りを見渡し始めた。
集落の者達は、クラフト達の尋常ならざる現在の状況を、不安そうに見つめていた。――――いや、見つめていた“だけ”だった。
そんな彼らの様子に痺れを切らしたのか、クラフトはそこにいた全ての者に聞こえるよう、声を張り上げて怒鳴りつけた。
「あの子が連れて行かれる時も…お前たちはそんな風に、ただ見ているだけだったのか!?」
大地が震えるように、その声は集落中に響き渡った。
クラフトは赦せなかった。
己の犯してしまった失態も、事態を防げなかった無力さも。そしてまた同時に、これまでレイラに守られてきたというのに、いざ彼女が危機に瀕した時、その身を呈して護ろうともせず、我が身大事に傍観を決め込んでいた彼らのことも、赦すことが出来なかった。
あんな幼いレプリロイドがたった一人で、大勢の命を守るためにその身を危険に晒していたというのに。向こう見ずで無礼なところはあるが、あんなにも優しい少女に対して、今まで与えてくれた恩を平気で無下にしてしまえる、その神経がクラフトには信じられなかった。
一通り睨みきると、クラフトは肩を怒らせたまま身を翻す。これからすべきことはただ一つだ。
急ぎ足で歩き出す――――その瞬間、「お待ちください」と呼び止める声が聞こえた。
振り向くとそこには、集落のリーダーが進み出ていた。
「お待ちください…クラフト様……」
そう言って、怯えながら近寄る。そして半ば躊躇いがちではあったが、その場に座り込むとクラフトに向け、地面に擦りつけるようにして頭を下げた。
その光景に、クラフトだけではなく、チャンも、その場にいた誰もが言葉を失った。
リーダーは土下座の体勢のまま、腹の底から声を張り上げた。
「どうか!どうかクラフト様のお力で、あの子を助けてやってください!お願いします!」
驚きのあまり、呆気にとられるクラフト。リーダーは、そのまま頭を上げ、クラフトを見つめる。そして、尚も言葉を続ける。
「仰るとおりです。我々はあの子にこれまで守られながら、あの子が連れ去られていく所をただ見ていることしか出来ませんでした。しかし……」
不意に言葉が途切れた。
そして、まるで悔しさを堪えるように顔をしかめる。
「しかし……非常に情けない話ですが………私は恐ろしかったのです。あの軍人たちが……。我々より遥かに強い、あの者達が…恐ろしかった」
その言葉に、他の者達も同様に顔をしかめた。中には悔しさに奥歯を噛み締める者、血が滲むほど拳を強く握り締める者もいた。
その実力差を考えれば、当然の事だった。
立ち向かえば、己の命がまるでゴミ屑も同然に扱われると分かっていながら、どうしてそれができようか。
命を落すだけならばまだしも、場合によっては体中をいいように弄ばれ、利用されるかもしれないというのに。死すら生ぬるい苦境がそこにあるかもしれないというのに。
そんな相手に立ち向かおうというのは、尋常な神経ではない。
立ち竦むことしか出来なかった。怯えることしか出来なかった。逃げ隠れることしか出来なかった。
自分達を護ろうと立ち向かう少女の背中を頼りにすることしか出来なかった。
その無力さが、悔しくて仕方がなかった。
気づけば、彼だけではない、次々と集落のレプリロイド達がクラフトの前に出て、頭を下げ始めた。地を舐めるように、懇願し始めた。
「助けてくれ」「お願いします」「どうかあの子を」――――次々に願いの声が、その場を包み始めた。
しかしその声はどれも、ただ縋るわけではなく、自らの無力さを呪い、悔しさを堪えるような、悲痛な響きを含んでいた。
皆、思っていたのだ。レイラという少女がどれだけの覚悟で自分達を護り続けてくれていたのか。それに頼り続けた自分達の愚かさと、情けなさを。
だが、それでも自分たちの力ではどうにもできないことが分かっていた。故に、ただ頭を下げ、願うことしか出来なかった。
「どうかクラフト様!あの子を……レイラを助けてください!」
集落中の思いが、一つにまとまり、クラフトの胸に突き刺さった。
「とにかく……落ち着け」
次々に声を上げる者達に、クラフトはそう言って宥める。何度か言い続ける内に、声は少しずつ鎮まりはじめた。
ようやく全てが収まると、懇願の眼差しを向ける者達に向け、クラフトは呟くように答えた。
「……言われなくとも、そのつもりだ」
皆、その言葉を聞き、安堵の色を見せた。
誰の言葉を聞くより先に、クラフトは答えを既に持っていた。誰に願われることがなくとも、ガラノフの下へレイラを救いに行くつもりだった。
だが、それは決して容易いものではない。
相手は同じネオ・アルカディアの、軍の一部隊だ。下手なやり方をすれば、問題は自分の周囲にも影響を及ぼす。とは言え、策を凝らしてあまりに時間が経ってしまえば、取り返しのつかないことに成りかねない。
ならば、どうするか。
賢将や元老院へ、塵炎軍団の風紀の乱れを報告したとしてもそれほどの効果はないし、レイラがそれで救えるとは思えない。そもそも、外のレプリロイドを救うという時点で協力者を得ようとは考えない方がいい。
そうして考えたところで、彼に浮かぶのはただ一つ――――正面から出向いての交渉、それだけしかできない。
「お前たちはここで待っていろ。チャン。もしものことがあれば、直ぐに知らせるんだ」
心の中で「やるしかない」と気を引き締め、振り返る。そして、急ぎ足で集落を出ると、ライドチェイサーに跨った。
チャン達が見送る中、クラフトはアクセルを回し、最高速でその場を後にする。
――――レイラ……
先日出会った少女のことを思い浮かべると、手遅れにならないことだけを、只管に願い続けた。