1st STAGE [A]
―――― * * * ――――
「…おーい、そこの小娘ー。聞ーいーてーるーかー?」
「ほえ??」
突然の出来事に呆然としていたシエルに、金髪の男が呼びかける。
「…」
「生きてるか?お前さん」
シエルは「きゃぁっ」と声を上げ、勢いよく飛び退く。無理もない。男の非常に端正な顔が、わずか数センチという距離まで近づいていたのだから。
心臓が、周りに聞こえるのではないかというほどドキドキと大きく鳴るのを隠しながら、顔を真っ赤にしてシエルは叫ぶ。
「お…驚かさないでよ!」
「っんな!?…失礼な奴だな…。人が呼びかけてんのを無視してボケーッとしやがるくせして」
「あ…。ご…ごめん…なさい」
「やれやれ」と肩をすくめる男の前で申し訳なさげに恐縮しながら、シエルは尚も胸を抑えている。
男は辺りの状況を見回してから、頭を軽くぽりぽりと掻き、話を切り出した。
「で…何がどうなってるんだ?」
「えっ?」
「『えっ?』…じゃねえよ。何がどうなってるんだ?こんな寂れた場所で、ガキが一人にレプリロイド…が数体。是非とも説明して頂けるとお兄さんは嬉しいのデスガ?」
おどけたような口調だが、男の質問は実に的確である。
「そ…そうね…。ごめんなさい…ゼロ。ちょっと待って…。…いろいろあって慌てちゃって…。本当に…ちょっとだけ待って」
そう言ってシエルは自分の頬を軽くぺちんと叩く。何度か深呼吸して、胸を撫でるようにして落ち着かせる。
その間、男も、レプリロイドに必要なのかどうか分からない柔軟運動をしていた。
端から見たら非常に滑稽な光景だったのだが、幸か不幸か、それを目にする第三者はこの部屋には今のところ存在しなかった。
最後にもう一度「ふう」と大きく息を吐き、シエルは男の方を向いた。
とりあえずは立て直すことができたようだ。
「えと、お待たせ。…それじゃ、まずは…」
「名前」
シエルの言葉を遮るように、男が言う。
「まずは名前…と身分かな」
「そうね」と頷き、シエルは自己紹介を始めた。
「私はシエル。ネオ・アルカディアの元科学者で、今はレジスタンス組織[白の団]のメンバーよ」
「ネオ…アルカディア…?」
聞き慣れない名前に首を傾げる男に、シエルはフォローを入れる。
「分からないのも無理無いわ。あなたは百年以上、この研究施設で眠っていたんだから」
「…百年…」
少女が口にした数字に、男はかすかに驚きの色を見せた。
自分はそんなにも長く眠っていたのか。
「安心して。今の世界については、私がちゃんと説明するから。…それより次はあなたの番、でしょ?」
「あ…ああ、そうだな。相手に名乗らせておいて自分のは…ってぇのは良くないな」
「さて」ともったいぶって咳払いをしてから話し始める。
「俺は――――」
しかし
「…俺は…」
「?」
男の様子がおかしい。急に目を右往左往させながら、口ごもる。そしてそこから先に言葉が続かない。
「…俺…は…」
「…ゼロ……?」
シエルは彼の名前である筈の単語を口にする。
しかし、男の表情は決して理解しているように見えない。
それどころか、その単語に眉をひそめている。
「そういや、さっきから言ってる…ゼロ…って…のは…」
「…?」
「…数…字…?」
「……………………」
えっ?
きょとんとする少女をよそに、男は頭を抱え悩み続ける。
「…俺は……」
次の瞬間、彼の口から飛び出た言葉に少女は言葉を失う。
「…俺は………“誰”だ?」
沈黙が二人を包んだ。
1st STAGE
剣
―――― 1 ――――
――――自分の名前を…知らない!?
シエルは愕然とした。
「…嘘…でしょ…?」
「……」
彼もまた、予期せぬ事態に困惑していた。
「…俺の…名前…」
「…分からない…の?」
シエルの問いに男は黙って頷く。
「…分かることは?分かることから整理していきましょう?少しずつ」
「あ…ああ…」
できるだけ優しく言葉をかけるシエルに、男はかすかに困惑の色を浮かべながら返事をする。しかし、二人の胸の内には、既にとある共通の不安が生まれていた。
「俺は…眠っていた。ここで」
「うん」
「そして…目覚めた」
「うん」
「んで…」
「『んで』?」
「…分からない」
不安はおそらく的中していた。
「分からない。なにも…。自分が誰なのか…。ここが何なのか…。何がどうして、こんな所に眠っていたのかすら…」
「…まさか…」
記憶喪失…!?
「…バカ言うな…。俺はレプリロイドだぞ…」
男は頭をかきむしる。美しい金色の髪がぐしゃぐしゃに乱れてゆく。
そして男は一人で考えを巡らせる。
――――データが破損している?
「…違う」
取り出せないだけだ。そこにあるのは分かる。
しかしいくら検索をかけても、まるで靄がかかっように情報が引き出せない。
――――なぜだ?
己の身に降りかかったトラブルの原因を様々なパターンから考えてはみるものの、答えが見つからない。
「なぜだ?」
何がいったいどうなってるんだ?
何がどうしていったい…?
何がどうしてどうなった!?
何が起こっている??????
考えれば考えるほど、深みにはまってゆく。
彼の頭をぐるぐると、同じような問いが駆け巡り、埋め尽くしていく――――……
「ストップ!」
不意に突き刺すようなシエルの声が、暴走気味な男の思考を止めた。
しかし、無理やり割って入ってきた少女の声を、彼はとても不快に感じていた。
「なんだよ、小娘…」
思考の邪魔をするなと睨む。
だが、シエルにはそれを気にする様子が少しも無い。それどころか、真っ直ぐ、優しい大きな瞳で見つめていた。
「記憶…喪失なのね?」
心配と不安の入り混じった声で彼女は確かめる。
「記憶喪失」という単語に若干の引っかかりを覚え、彼は他に適切な言葉を探したのだが、ついには見つからず、観念してその言葉を受け入れた。
「……認めたくないが」
「そう…」
さて、どうしたものか…。
そう再び考え始めた矢先、シエルは突然、首を強く横に振り始めた。
「ううん。…迷っている暇はないわ」
まるで自分に言い聞かせるような言葉。しかし、確かに迷っている暇などない。
今にもこの場所にネオ・アルカディアの増援が現れてもおかしくはないのだ。
シエルは強く男に訴えかける。
「お願い、話を聞いて。大事な話なの」
少女の真剣な表情と焦りの混じった声に気圧される。
だがそれでも、己が何者なのか思い出せないというのに大事な話も何もあったものではない。
「おいおい…。他人にかまってられる状況じゃ…」
「あなたのことは私が教えてあげる」
「…は?」
突然の提案に、一瞬、思考が止まった。しかし、ついていけない男を無視して、それでも少女は話を続けようとする。
「あなたは百年前の英雄…」
「ちょっ…待てって!『私が教えてあげる』って…。意味が…」
「いいから聞いて!!」
少女の小さな体からは考えられないほどの大声が、部屋中に響く。
「…ごめんなさい。急いでるの…」
謝りながらも、焦りと苛立ちをなんとか取り繕おうとする。
だがその様子から、事態が思うよりも深刻らしいということを男は感じ取った。
男は再び頭をくしゃくしゃと掻き、「仕方ない」と一言つぶやく。
「どうどう考え続けても何か変わるわけじゃなし…。その“大事な話”ってヤツを聞いてやろうじゃないの」
男の了解を聞き、シエルは素直に感謝する。
「ありがとう…ゼロ」
「…また『ゼロ』…か…。…なんのおまじないだ?」
「まじないなんかじゃないわ。もちろん、数字でもない。――――これは名前…」
「名前?」
「ええ、そうよ」と返事をする少女の顔は真剣そのものだった。
「『ゼロ』――――それがあなたの名前よ」
―――― * * * ――――
時に21XX年――――。
人間とレプリロイドは共に支えあい、平和に暮らしていた。
発展した都市は快適な生活を提供し、情報は光の速さで世界中を飛び交い、張り巡らされた交通網はいかなる場所への移動も可能にし、高度に洗練された医療は生涯の健康を約束し…。
最新の技術は人々の持つあらゆる要望を実現していた。
何もかもが満たされ、平和な生活が人々を包んでいた。
しかしそんな平和も、崩れてしまう時は呆気ないモノである。
レプリロイドによる軍隊「レプリフォース」の反乱を皮切りに、レプリロイドによる人間への反抗が始まってしまう。
人類は国連軍と、レプリロイドによる警察組織――――「イレギュラーハンター」を用いてそれに対応。世界は戦乱の渦に巻き込まれてしまう。
両陣営の争いは宇宙空間に浮かぶスペースコロニー落下事件まで引き起こし、世界中は大混乱に陥り、それまで築き上げてきた豊かな文明は脆くも崩れ去っていってしまった。
戦争終結後、残った人類は最終国家「ネオ・アルカディア」に集まり、新たな生活をスタートさせた。
「レプリフォース戦役」から始まるこの一連の戦争は「イレギュラー戦争」と呼ばれるようになり、その戦争において人類を救うべく戦ったレプリロイドこそ、ネオ・アルカディアを創立した「蒼の救世主」――――エックスである。
そして、その戦友として共にイレギュラー戦争を戦い抜いたもう一人の英雄。
「紅の破壊神」こそ、最強のレプリロイド「ゼロ」――――…
―――― * * * ――――
「――――それがあなた」
「ほう」
…
「…分かった?」
「まあ、一応」
男の曖昧な返事に、シエルは渋い顔をする。
「『一応』…って…。分かってないなら『ない』って言ってくれていいのよ」
「いや、だいたいは理解した。つまり俺は戦争を終わらせた救世主のお友達で、人間様方が崇め奉る伝説の英雄の一人、『ゼロ』――――ってことだろ?」
「…ええ、そういうことに…なるわね」
ひどくまとめ過ぎてはいるが、間違ってはいない。…たぶん。
「…それで?」
次の瞬間、シエルは「はっ」と息をのんだ。
先程まで半分ふざけていたような目の前の男は、探るような目で、彼女を見つめている。
「…その“英雄のゼロ”様に、お前は何をしてほしいワケ?」
少し口端を嘲笑うように歪めながら、けれど突き刺すような鋭い眼差しで見つめている。
そして、彼はまた問う――――
「…俺を目覚めさせて、どうしようっていうんだ…?」
その英雄の力を利用して、お前は何を企む?
「…」
シエルはゴクリと唾を飲み、その圧倒的な威圧感に負けまいと、心を引き締める。
そして、彼の抉るような問いに答える。
「…私たちに…協力してほしいの」
「…協力?」
「さっき言ったでしょう…。私はネオ・アルカディアに反抗するレジスタンス組織[白の団]の一員だ――――って…」
「…俺様にテロリストの一味に加われと?」
明らかな嫌味を含んだその問いに、シエルはきっぱりと答える。
「ええ、そうよ」
確かに自分たちのやっていることは明らかなテロ活動である。それが分からないほど子供ではない。
無駄な犠牲を出したくないと願っても、きっとそう簡単にはいかないだろうし、そんな自分たちの戦いを絶対的に正しいと肯定できるワケでもない。
けれどネオ・アルカディアのやり方を許すことは、なによりできない相談である。
「…ネオ・アルカディアは今、レプリロイドにとって地獄なの」
「人類保護法」「レプリロイド審査法」の制定により、レプリロイドは奴隷同然の扱いを受けている。
また、救世主エックスとそれに従う一部のレプリロイドたちにより、一般のレプリロイドたちは「イレギュラー化の危険有り」という名目で迫害されている。
「私はそれが許せなかった…」
だからこそ「白の団」を立ち上げ、ネオ・アルカディアと袂を分かつ決意をしたのだ。
「…ネオ・アルカディアの現体制を変えたいの」
決してレプリロイドを奴隷のように扱うことのない世界に。レプリロイドが人間のパートナーとして再び認められるように。
人間とレプリロイドが共に支え合い、暮らしていた、かつての楽園を取り戻したい。
どれだけの血が流れようと。
「――――そのためには…」
戦わなければならない。
巨大な力と
世界の常識と
人類の救世主と
そのための力が…
「……『ゼロ』の力が――――救世主エックスと戦えるだけの力を持つ、あなたの力が必要なの」
そう言い放つシエルの体は、ほんの少しだけ苦しそうに強張ったのだが、そのことに目の前の男が気付いたかどうかは分からない。