16 [B]
―――― * * * ――――
寒空の下、ヘリポートに着陸した一台の輸送ヘリに向け、レヴィアタンは足を踏み出す。
ボレアス山脈研究所自体には空間転移装置が設置されておらず、本国へと戻るには麓にある基地施設に一度移動する必要があった。その連絡手段として今回のように輸送ヘリが用いられているのだ。
ふと、もう一台ヘリが着地していることに気づき、眉をひそめる。
――――あれは……?
ヘリから数人が降り立ち、こちらへと歩き始める。彼らが何者であるかに気付いた瞬間、レヴィアタンは驚かずにはいられなかった。
そこにはよく見知った顔ぶれが確かに揃っていた。
元第九部隊副隊長マティアスに元第十四部隊副隊長マイア、その他に五名ほどの部下を後ろに引き連れている先頭の男――――元第一部隊長にして現第十七部隊長のクラフト。紛う事無き第十七精鋭部隊のメンバーである。
――――まさか……こんなにも早くお出ましとは…ね
流した情報を大きく覆され、レヴィアタンは苦笑する。
数だけ見れば、対紅いイレギュラー戦を想定しているにしては、些か少なく感じられる。だが戦力的には決して見劣りしなかった。
特に、救世主の後継者として中心に立つクラフトの実力はもちろんの事、光速の剣技を自慢とする“黒髪のマイア”も参戦するとなれば、如何な紅いイレギュラーといえど、苦戦は必至だろう。
軍団を集結させるよりも、クラフトを中心とした精鋭のみに絞ることで、時間を短縮したのだろう。
成程、紅いイレギュラーを取り逃さないためには賢明な判断と言えた。彼の目的が不明瞭な以上、何時その姿をくらますか分かったものではない。この機を逃す訳にはいかないと思ったのだろう。
紅いイレギュラーに対する危機感と警戒心、そして彼を討伐するという使命に対する意気込みの微妙なズレが、レヴィアタンの想定を狂わせたのだ。
「お久しぶりね、クラフト隊長」
あくまでも落ち着いた声色で呼びかけるレヴィアタン。その声に気付いたクラフトは、その場で足を止め、敬礼をする。後ろの部下達もそれに釣られ、素早く敬礼の構えをとった。
「これは妖将殿。確か“第弐部隊の乱”以来…でしたか」
「ずいぶんお早い到着ね。イレギュラーハンターさん達はそんなにお暇なのかしら?」
どこか挑発的なレヴィアタンの言い草に、マティアスが僅かに反応した。だが、クラフトの視線がそれを制す。
「紅いイレギュラーの討伐は我々の存在意義と言っても過言ではありませんので」
「他の雑事には一切目もくれず、ここへ参じたというわけね。正直、頭が下がるわ」
そうは言うものの、その表情は相変わらず挑発的な笑みを浮かべたままだった。
だが、クラフトはそんなことに微塵も動じることない様子だった。その落ち着いた物腰に、堂々たる振る舞いに、レヴィアタンは内心で素直に称賛を送ると共に、紅いイレギュラーの苦戦を痛烈に確信した。
とは言え、こればかりはもうどうにも仕方がない。どれだけ悔やもうと賽は投げられたのだ。紅いイレギュラーの健闘を祈るしか無いだろう。
「私もなるべく早く合流させてもらうわ。それまで命を大切になさい」
ヘリに乗り込む際に、そう最後の声をかけた。無論、本心の言葉ではない。
だが、その言葉に応答せんと振り返るクラフトの目は、どこまでも真っ直ぐな輝きを放っていた。
「慌てず、ゆるりと準備を整えていただいて結構ですよ。四天王の手を煩わせるまでもないということを、我々の力で証明してくれましょう」
嫌味ともとれる発言だが、クラフトは紛れも無く本心からその言葉を返していた。その純朴さに、レヴィアタンはいよいよ毒気を抜かれてしまうのだった。
飛び立つヘリの窓から、屋内へと入ってゆく十七部隊の面々を見つめる。
自分が居ぬ間に決着はつくだろう。
カムベアスの安否も、紅いイレギュラーの生死も、自身の行動がどういう結末を呼び寄せるのかも見届けることはできない。
この美しい山脈が、その雄大さと優しさを損なわない終りをどうか迎えて欲しいと、今はただ祈るだけだ。
レヴィアタンは複雑な想いを抱えたまま、ボレアス山脈を後にした。
―――― 2 ――――
「各員、武装チェック」
クラフトの声に従い、十七部隊の面々は武装の点検を始める。細部に至るまで異常がない事を確認し、順にクラフトへ合図を送る。クラフトは全員が完了したことを確認すると、一際大きく声を張り上げ指示を出す。
「これより紅いイレギュラー討伐任務に入る。シメオン率いる第六班到着次第、山内捜索を開始。それまでは基地内にて待機」
「第六班の到着は如何ほどで?」
「おそらく三十分程度だ。但し、気は緩めるな。奴がいったい何の目的でこの地に足を踏み入れたのかは分かっていない。この基地が襲撃される可能性も十分に有り得る。各員、常に警戒態勢を取れ」
集められた七名の部下は「はっ」と威勢の良い返事と共に敬礼で応えた。
冥海軍団の兵舎の片隅に陣を構え、腰を下ろす。相変わらず四軍団の兵士たちからの視線は気分の良いものではなかったが、しばらく本陣に留まっている間に慣れてしまったらしい。今では、かつて感じていた息苦しさは微塵も感じられない。
マティアスとマイアは窓の外を眺める。
「すげえ雪だな…本当によ」
「これほどの雪は本国ではありえないからな。情報として知っていたとは言え、正直私も驚いた」
天候を管理局によりコントロールしているネオ・アルカディア本国では、季節感の演出程度のみで、ここまでの大雪はまず積もることはなかった。国外へ任務に出るのは今回が初めてとなるため、マイアもマティアスも、そしてクラフトでさえも雪山での戦闘経験は皆無だった。データベース上にある戦闘データバンクから経験情報をフィードバックしているとは言え、不安が無いとは言えない。
「こんだけの雪じゃ足が取られて思うように動けねえだろ?ご自慢の光速剣技も、発揮できんのか?」
第十四部隊副隊長「黒髪のマイア」と言えば本国でも有名なイレギュラーハンターである。高出力ビームソードを駆使した彼女の剣技は知覚すら難しいことから“光速剣技”などという異名を取っており、多くのイレギュラーがそれによって処分されてきた。女性らしい華奢な体でありながら、他のハンターたちが彼女に一目置くのは、その剣技と実力が本物である証だ。
「ま、鬱陶しくなったら綺麗さっぱり俺が吹き飛ばしてやるぜ」
「マティアス、“雪崩”というものを知っているか?爆破は程々にした方が良い」
あくまでも冷静にマイアは言葉を返す。大小様々な爆発物を巧みに操るマティアスであるが、この雪山では己の命の心配もする必要があるようだ。
「ところでマティアス、お前はどう思う?」
「『どう思う』?」マティアスは質問の意味が分からず首を傾げる。
「紅いイレギュラーの目的だ。こんな辺境にいったい何があるというのか……」
「ああ、なるほどな。まあ……あると言ったらこの研究所くらい…か」
そもそも紅いイレギュラーの行動には不可解な点が多い。
多くの四軍団基地を壊滅させておきながら、二度の接触に成功したシューター達特殊班に対しては、トドメを刺すまでに至っていない。かと思えば闘将ファーブニルに対しても、彼を討ち取りはしなかった(おかげでファーブニルはヘルヘイムに収容されることになってしまったわけだが)。
また、狙われている身でありながら、各地に散らばるレプリロイド達の集落に足を運んではその様子を逐一確認したり、保護したり、果ては死者の弔いまでしているという情報が流れている。
空間転移装置を多用しているらしく、行動拠点の特定も難しく、ここしばらくはその足跡を掴むことすらできていなかった。
このボレアス山脈に現れたという情報が掴めた事自体、幸運と言える。だからこそ、例え最小限の戦力でも、できる限り迅速に準備を整え、馳せ参じたのだ。
「願わくば、ここでケリを着けたいものだ」
それにはマティアスも同意見であった。
ふと、クラフトが紙束を手にしているのが見える。それはどうやら新聞――――クラフトが愛読しているオリンポスプレス紙だった。
『常に警戒態勢を』と言いながら、「自身は暇つぶしか」とマティアスは半ば呆れる。クラフトはじっくり読み込むのではなく、ただ眺めているだけだったが、その表情は固い。
ヒョッコリと紙面を覗き込む。
「こいつはまた…何とも…」
そこに掲載されていたのは元老院議長、マクシムスの暗殺事件に関しての記事であった。
先日、元老院議長、マクシムスは自室にて愛玩用女性型レプリロイドの、突然のイレギュラー化により殺害された。これは、国内にまで影響を及ぼしているレジスタンス組織、黒狼軍の暗殺作戦であるとの見方が現在、強まっている。
元老院議会はこの事件に屈すること無く、イレギュラーの掃討と、ネオ・アルカディアの平和の為により一層努めてゆくとの声明を、最高議長であるヴィルヘルムが発信していた。
しかし、現在クラフトが眺めている記事はその渦中に投じられた一石と言って良い。
「『マクシムス卿の殺害は、元老院議会による粛清の線が濃厚』……って」
「よくぞ調べ上げたものだと、感心してしまうだろ」
クラフトは苦笑いを浮かべる。
記事によれば、黒狼軍による暗殺とされているマクシムス殺害事件は、裏でレジスタンスと繋がっていた彼に対する元老院からの粛清であるとの線が強いというのだ。
それだけではなく、黒狼軍を事件に関連させる物的証拠が無いに等しいという事実や、マクシムスがレプリロイド解放議会軍総司令官マゴテスと通じていたのだという証言など、地道な取材から得た様々な証拠を裏付けに、真相を炙り出そうとしているのが分かる。
「これ…結構まずいんじゃないすか?」
「“結構”どころじゃないな。相当危険だ」
マゴテスがマクシムスと通じていた事実は、元老院に対する不信感増長の可能性アリとして、大衆に対しては秘匿事項とされていた。元老院議長にまで登りつめた男がテロリストと手を結んでいたというのが事実で知れれば、国策が揺るぎかねない事態になることは想像に難くない。
イレギュラーハンター達は勿論のこと、事件に関わった全ての者達が口を封じられていたのだが、どこから漏れてしまったのか、国内でもトップの新聞社に堂々と記事が載ってしまうとは誰も予想できなかっただろう。今頃元老院による事態の抑制と、紙面の総回収が行われている頃だろう。そして間違いなく、この記事を書いた記者は無事に済まない筈だ。
「例の彼女…っすよね?」
クラフトは頷く。そう、こんな記事を書き上げられるのは国内でも彼女しかあり得ない。クラフトをネオ・アルカディアの新たな救世主として称え、レプリロイド達の権利を訴える彼女――――オリンポスプレス社の敏腕記者として名高いネージュ以外には。
この記事も、要点をまとめてゆけば、最終的にはレプリロイドの権利主張となっていた。人類のトップである元老院議長の暗躍は、敵がレプリロイドのレジスタンスだけではないことを示し、人類が神聖な存在では決して無いことの証明であり、同時に、レプリロイドとのよりよい関係づくりと共通理解こそが、今後のネオ・アルカディアには重要であると、力強い言葉で記されていた。
「嬉しい限りではあるが……ここまでいってしまうと……」
ネージュの身が心配になる。
政府批判と取れるだけでなく、機密事項を流布してしまったのだ。最低でも職を失うことは間違い無いだろう。そして、今後もまともな職になど就ける筈がない。まともな資金繰りができなくなればニューオリンピアでの居住も難しくなり、いずれはミズガルズのスラム街へと追いやられてしまうだろう。命まで失うことはないにせよ、社会的な抹殺というのは大いにあり得た。
「しかし……気にしたところでどうにもできん。俺達にできることはただ、彼女の無事を祈ることだけだ」
クラフトは誌面を四角く畳み、マントの下に仕舞い込んだ。
「そう言えば…新たな元老院議長の選出が行われていますね」
クラフトに気を遣ったのか、マイアは話題を変える。
「議会内投票だがな。ヴィルヘルム卿が推すアーブラハム卿が最有力だと言われているが……どうも状況が思わしくないらしい」
「と、言いますと?」
「名誉議長殿が久しぶりに動きを見せているそうだ。なんでも、若手のレオニード卿を擁立するつもりだとか」
バイル元老院議会名誉議長は就任して以来、噂程度が飛び交うことはあったが、目立った動きを見せることはなかった。その為、最高議長であるヴィルヘルム卿の権威拡大を抑える者はなく、議会はほぼヴィルヘルム最高議長の思うがままに動かされていた。
だが、そのバイル卿がついに動き出す。それも若手最有力株として名高いレオニード卿を議長団に捩じ込もうというのだ。
「いくら民衆の支持が厚いレオニード卿といえど……相手が悪いのでは?」
既にヴィルヘルム卿が議会の大勢を握ってしまっている今、対立関係にあるバイル卿の候補となれば、当選は難しいと考えるのが妥当である。
しかし、クラフトは首を振る。
「最高議長のやり方に反感を抱いている者も少なくないと聞く。それに、“あの”名誉議長殿のことだ。その擁立が真実であるならば、勝つ為の根回しを徹底的に行なっていることだろう」
ヴィルヘルム卿の思うままに議会が動かされているとは言え、バイル卿の存在がこれまで無視されることがなかったというのもまた事実である。そもそも八十年前の大反乱の首謀者であると目されていながら、名誉議長に就任し、ネオ・アルカディアの中枢にとどまり続けてきたのには、それなりの理由があるのだ。
「レオニード卿と言えば、かの歌姫のお兄様っすよね?」
軽い調子でマティアスが口を挟む。
「“虹の歌姫”か。その通りだが…そのニヤケ様は………まさか」
「自分、ファンっす」
はにかみながらマティアスが白状する。
“虹の歌姫”――――現在、ネオ・アルカディアにおいて民衆から最大の称賛と人望を集める歌手。旧世紀で言うところのアイドルだ。
歓喜、悲哀、哀愁、愛憎……様々な感情を、時に優しく、時に切なく、時に力強く歌いあげる彼女は、その歌声を“虹”に例えられ、ラジオや雑誌を通して“虹の歌姫”として人類だけでなく、レプリロイドからも支持されていた。
政府関係者にもファンは少なくなく、メモリーに記録して前線で聴くというレプリロイドもいる程で、彼女の人気は留まることを知らない。
レオニード卿が民衆から支持されている理由には、メガロポリス大学の元人気講師であるという以外にも、彼女の存在が一つとして挙げられる。
ニヤニヤと顔を緩ませるマティアスに呆れたのか、クラフトは溜息を吐く。
「いつまで卑猥なニヤケ顔を隊長に見せているつもりだ」とマイアがマティアスの頭を軽く叩いた。
瞬間、爆音が鳴り響く。
突然の事態に、マティアスは慌ててマイアと顔を見合わす。
「なん……!?…えっ…………お前!?」
「なわけ無いだろう!隊長!」
「どうやら奴さんの方から来てくれたようだな」
そう言って、クラフトが重い腰をあげる。
その緊張感に、隊員たちの顔つきが変わる。先ほどまでニヤケ顔を晒していたマティアスですら、硬い表情をしている。
それから鳴り響く警報は研究所と兵舎中に、敵の襲来を五月蝿い程に知らせていた。
こんなところに現れる敵など、通常は考えられない。今、このボレアス山脈内に潜伏していた紅いイレギュラー以外には。
クラフトの脳内に基地内のデータリンクシステムが情報を送る。紅いイレギュラーはどうやら格納庫内から侵入を仕掛けたらしい。
「第十七部隊、出撃する。目標は格納庫内にて警備メカニロイドと戦闘中。目的が未だ掴めん。用心して掛かれ」
「了解」と威勢よく返事をし、マイア達は各々の武器を手に、クラフトの後について兵舎を出ると、廊下を駆け抜けた。
基地中のメカニロイドとパンテオンがそこに集結しつつあった。