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―――― 3 ――――
カプセル内から伸びる複数のコードは束になり、両腕とうなじの部分に繋がって「彼」の体を支えていた。
シエルは「彼」に見とれた。
閉じられた瞼。整った顔立ち。
何より注目すべきは、男性タイプとは思えない長さの美しく透き通った金髪。
まるで旧世紀に生きた稀代の彫刻家が仕上げた作品のように、「彼」の姿はまさに芸術だった。
――――…彼が…。
そう、「彼」こそが
彼女が探し求めた救世主。
「――――ゼロ」
…。
……。
………。
「…どう…して…?」
おかしい。
何も起きない。
瞼が開くでもなく。
手足がピクリと動き出すワケでもなく。
ただ、何も起こらない。
何も起こらないまま、数分の静寂が過ぎる。
だが、どんなに待っても何も起こらない。
「どうして…?」
「……シエル」
パッシィが重々しい調子で、口を開く。
「このレプリロイド…。精神プログラムがロックされてる…」
とてつもない絶望感がシエルを打ちのめした。
「精神プログラム」
それは、レプリロイドの精神中枢。その人格や感情、精神活動を司る核。いわば、人間にとっての「魂」と呼ばれるものに等しい。
精神プログラムがロックされているということは、今の彼は生きているけれど死体同然の状態、つまりは植物状態であるということを意味していた。
「……どうして……どうしてなの………」
間抜けのように同じ言葉を繰り返す。それしかできない。
無論、ロックを解除する方法はある。彼の脳内に直接アクセスすればよいのだ。
だが、当然、レプリロイドの精神プログラムには強固な防壁が何重にも張り巡らされており、それなりの準備と設備がなければ、そうそういじれるものではない。
しかし、ここにあるコンピューターは、彼のボディスペックやコンディションを保つために作られた調整カプセルを管制する作業しかできない。
シエルはほぼお手上げ状態となってしまったのだ。
「…いったい…何のために……」
何のためにこの作戦を強行したのか。
何のためにあれだけの犠牲を払ったのか。
何のために。
何のために。
責めるような言葉が沸々と湧き続ける。
「…シエル」
パッシィは呆然とするシエルに言葉をかける。
「……」
しかし何も言葉は返ってこない。
絶望と後悔に打ちひしがれるまま、まるで世界の終わりを目にしたような顔をして呆然としている。
それを見たパッシィは――――
「…私が行く」
「…えっ?」
思わず、シエルはパッシィを見た。
いつになく真剣な表情。
「…私が行く。私が彼の中にダイブして、目覚めさせてみせる」
確かにそれは可能だ。
しかし…。
「…ダメよ…」
ダメ。絶対にダメ。
シエルはパッシィに強く言い聞かせた。
レプリロイドの精神プログラムなんかに侵入すれば、その強固な防壁により確実に消えてしまう。
「でも、そうしないとシエルが!」
「それでもダメ!!」
――――例え、うまく彼を目覚めさせられたとしても、パッシィがいなきゃ…
パッシィを失うのはイヤ!絶対にイヤ!!
たくさんたくさん死んでしまった。
だけど、それでも、一番の親友の命を賭けることなんて…。
「絶対にできない。絶対に許さないんだから!」
珍しく怒鳴った。
それでも、パッシィは説得し続けた。
「私はシエルを守りたいの!みんなのためにも!自分のためにも!守り抜きたいの!!」
シエルは気圧された。その小さな存在からは、大きな決意と覚悟が溢れ出ていた。
それでも…。
それでも…。
「ダメ!!絶対に!絶対にダメなんだから!…そんなの!…そんなの…」
その声をさえぎるように、激しい銃声が轟く。
それを聞き、息が止まった。
外にいるミランがパンテオン達によって一方的に攻撃を受けている。
それほど持ちこたえられるワケがない。
しかし頭では理解していても、シエルは頑として首を縦に振ろうとはしない。
「…そんなこと…絶対…」
道は他にない。
――――分かってる。
決意は揺るがない。
――――それも…分かる。
分かるけれど…
涙が流れた
次第に声も掠れ
ぼろぼろと
頬を伝い
雫が落ちた
「…………ダメ…」
消え入るような声で拒否し続ける。
「シエル!!」
パッシィが叫んだ瞬間、ガラガラと扉が崩れ落ちる。
ミランの善戦空しく、煙の中に揺らめく青い影は陣形を組み、彼ら特有のゆっくりとした足取りで研究室内に侵入してきた。
その群れを眼にしたシエルの体は、一瞬硬直する。
――――それでも…
「…ダメ…。ダメだよぉ……」
嗚咽混じりに訴え続ける。
「…そん…なの……イヤ…だよぉ」
14歳の少女は座り込んで手で顔を覆い、泣き続けた。
避けられぬ運命、友の覚悟を悟りきった彼女はただ涙をこぼすしかなかった。
その姿は歳よりも幼く見えた。
「…シエル」
パッシィは、そんな親友に優しく語りかける。
「私たち…たくさんお話したよね」
シエルは弱々しく頷く。
「一緒にいろんな物を見て、一緒にいろんな場所に行ったよね」
小さい頭は頷く。
「つらいときも、悲しいときも。苦しいときも、悩んだときも。一緒だったよね」
何度も何度も、頷く。
「楽しいことも、嬉しいことも。いっぱい。いっぱい。一緒にしたよね」
泣きじゃくりながらも、頷き続ける。
「一緒に泣いて。一緒に笑って」
一緒に。
一緒に…。
「ずっと…一緒だった…よ…」
溢れ続ける涙をぬぐいながら、少女はなんとか答える。
二人は生命の枠を越えた「親友」であり、パートナーだった。
だから。
だから。
――――だからこそ
シエルはうるんだ瞳でパッシィを見つめた。
パッシィもまた、シエルを見つめた。
「シエル、お願い…泣かないで」
無情に近づく足音。
既に、赤く大きな単眼を持つ魔物の群れが彼女たちを包囲していた。
小さな光は背を向け――――
「シエル…」
優しく笑いかけた。
「――――大好きだよ」
――――サヨナラ
大切な人を救うため
小さな妖精は光の海に飛び込んだ。