10 [E]
―――― 5 ――――
「ブリザック・スタグロフ」――――冥海軍団所属のミュートスレプリロイド。自称、妖将レヴィアタンの右腕。
軍用エネルゲン水晶鉱山の守備任務に付いている。しかし、鉱山といえどその内部は前線基地として改造が施されており、一つの要塞とも呼べる。
非常に横暴で残虐な性格を持ち合わせており、他者を苦しめることに快楽を感じる。レプリロイド狩りを好んで行い、捕らえた者は拠点に連れ帰り、死ぬまでその体や命を弄ぶ嗜好を持つと言う。
「最低の糞野郎だな」
ルージュの淡々とした説明を聞いた後、ゼロが最初に漏らした感想はその一言だった。
「恐らく、生き残った方たちは皆、スタグロフの悪趣味に付き合わされているのでしょう」
現実を率直に突き付けられ、アークの顔はいつしか青ざめていた。シエルもまた胸に手を当て、祈るように瞼を閉じていた。
「ちょっといいですか?」
ルージュの後ろからジョーヌが顔を出す。ゼロと通信が繋がっていると聞きつけ、飛んできたのだ。「仕事はどうしたの」とルージュが声をかけるのを無視して、ジョーヌは意見を述べる。
「スタグロフの基地を叩きに行くという話なら、その子には申し訳ないですけど私は反対です」
彼女の歯に衣着せぬ言葉に、ルージュが「ジョーヌ!」と珍しく声を荒げる。だが、ジョーヌは少しも引き下がらない。
「皆さん知っての通り、先日、解放議会軍が壊滅的打撃を受けました。解放議会軍は事態の挽回を図るべく、我々に協力要請を出しています。司令は勿論、協力関係にある解放議会軍を放っておくつもりはありません。作戦が整い次第、決行するつもりです。そんな大事な作戦を控えている中、こんなところでゼロさんに負担をかけては――――……‥」
「いい加減にしなさい、ジョーヌ!」
再びルージュが声を荒げる。
「……正しいことを言うばかりがいいワケじゃない。分かるでしょうに」
「だって、誰かがちゃんと言わなきゃでしょ。ルージュだって、分かってるくせに。それとも嘘つくワケ?」
「それは」とルージュは口ごもる。ジョーヌが言っていることは正しい。
「戦いに行くのは私たちじゃない、ゼロさんでしょ。ミュートスレプリロイドと戦うのも、作戦に出るのも。そのコンディションを考慮して作戦を進めていかないと、大事なところで躓く可能性だってあるわ」
「……だとしても。――――少しくらい気の利いた言い方をしなさい。彼の顔があなたには見えてないの?」
ルージュに言われ「はっ」とアークの顔を見る。自分の非力を呪い、悔しそうに唇を噛み締めていた。しかし、ジョーヌはどうにも引き下がれない。感情をむき出しにルージュへ食って掛かる。
「な……なによ偉そうに!いっつもいっつも上から言うみたいに…。じゃあどんな言い方すれば良いワケ?」
「それくらい自分で――――」
「とりあえず…いいかしら?」
白熱する二人の間にシエルが口を挟む。すると、皆黙ってシエルの言葉を待った。
少し考えた後、シエルが出した結論は至極簡単だった。
「私は助けたい」
アークが顔を上げ、モニターに映るシエルの顔をよく見つめる。その瞳は一縷の希望にすがるように、切なく輝いていた。
「ごめんなさい、ゼロ。あなたへの負担は大きいと思う。けど、それでも私は仲間を見捨てたくない……。救うことができるなら、救いたいの」
「待ってください!……本当に生きているかどうかも分からないんですよ!?」
ジョーヌは尚も異を唱える。しかし、その見解は間違っていない。既に事が起きてからしばらく経っている、生存者がそのまま生き続けている保証は何処にもない。となればゼロが苦労して潜入しスタグロフを倒したとしても、無駄足とまでは行かないが、仲間の救出という本来の目的は果たせない。それでは命をかける意味が無いだろう。
「そうかもしれない」と、ジョーヌの意見をシエルは認める。それが分からないほど愚かではない。
「けど、生きてる可能性だってある。――――私は信じたいの」
その気持ちは裏切られてしまうかもしれない。けれど、信じる事をやめることはできない。こんな小さな戦いにおいても、一度でも信じる事を諦めてしまうなら、この先の戦いに希望を見出すことすら難しいはずだ。そう言う戦争をしているのだと、シエルは分かっていた。
まだ不服そうなジョーヌだったが、「もういい」とゼロがようやく沈黙を破り、口を開く。
「ありがとよ、ジョーヌ。俺のことを気遣ってくれるのは本当に嬉しく思う」
その微笑みは感謝の気持ちが上辺だけではないことを表わしていた。
「けどな、俺の実力を信じてくれたらもっと嬉しいぜ?」
「ゼロさん……」
ジョーヌが、別にゼロの実力を疑っていたわけではないことくらいゼロ本人にも分かっていた。けれど、そういう返し方こそが今話を前に進めるために必要なのだと想い、わざとおどけたように言ってみせた。
「話は決まりだ、アーク。これからスタグロフの基地に潜入してお前の仲間を救出に向かう」
その瞬間、「本当!?」とアークは目を輝かせる。
「勿論だ。絶対に救い出してやる。――――ルージュ、直ぐに基地までのマップデータと、スタグロフが率いている部隊のデータを纏めて送ってくれ」
「了解」とルージュは早速作業に入る。
「ペロケ、五分後に出発する。ゲートはルージュからのデータを元に開いてくれ。それと通信回線の防衛プログラム、安定性の確認。それとレルピィを呼び出してくれ」
ペロケもまた「任せてください」とゼロの指示を受け、作業に入る。
「ゼロ……ありがとう」
シエルの言葉に、ゼロは「おいおい」と笑って答える。
「『ありがとう』じゃないだろ?――――見送りの言葉くらい、ちゃんと言ってくれよ」
拳をモニターに向けて突き出す。それに気付いたシエルは、微笑と共に、同じように拳を突き出した。
「行ってらっしゃい、ゼロ」
「行ってくるぜ、小娘」
そう答えると、紅いコートを翻し、ゼロはそのまま歩き出した。
「ちょっと待って!」
ライドチェイサーを出し、空間転移装置に乗ろうという時、アークがゼロを呼び止める。
「俺も行くよ!……会いたい奴がいるんだ…」
誰よりも大切な少女の顔を思い浮かべ、アークはそう頼み込む。しかし、ゼロは少しも間をおかず「駄目だ」と切り捨てた。
「敵の基地に侵入しての救出作戦はそれ程簡単なことじゃない。お前を護る余裕があるかも分からん。悪いが、ここで待っていろ」
「でも!」
アークは引き下がる気配を見せない。ゼロは「やれやれ」と肩をすくめる。
「足手纏いには絶対ならない!俺のことは放っといてくれてもいいよ!自分のことくらい、自分で守ってみせる!」
「スタグロフに追い詰められても、そのちっぽけなエネルギー銃でどうにかできるって言うのか?」
スタグロフの名を出され、「うっ」とアークは僅かに後退る。
アークの肩を優しく叩き、「大丈夫だ」と声をかける。
「さっきも言ったように、仲間は必ず助けてやる。――――生きていれば、だけどな」
その言葉の後、直ぐにルージュから「時間です」と通信が入る。
「作戦、スタート」
その声を合図に、ゼロは空間転移装置に乗り込み、作戦へと向かって行った。
あとに残されたアークはただその場に立ち尽くし、先程までゼロがいた場所をじっと見つめていた。
―――― * * * ――――
ゼロは追い討ちをかけるように、セイバーを振るう。スタグロフはそれをギリギリのところで素早く躱し、頭部に生成された氷の槍を弾丸のように発射する。その狙いは後方のセラとロルフだった。
「…っなろ!」
それを斬り落とすゼロの隙をつき、二人のもとへとスタグロフが駆け出す。しかし、ゼロは脚部に備えられた緊急加速装置を作動させ「逃がすかよ!」と叫び一気に間合いを詰め、セイバーを振るう――――神速の刃“疾風牙”。
スタグロフは「むふー」という鼻息と共に、片腕に生成させた氷の槍でなんとかそれを防ぐ。が、防戦を強いられているかと思いきや、ここぞとばかりにもう片方の腕からゼロに向け冷気を放出する。それに危険を感じ、ゼロは素早く間合いを取り直す。
「むふー……なかなかいい動きするなぁ……」
スタグロフは見事な身のこなしを見せつけるゼロに思わず称賛の声を上げる。
ゼロはそれを聞き流し、セラとロルフに「今のうちだ」と逃げるよう指示する。少し逡巡する二人だったが、何処からとも無く聞こえてくる黄色い声が二人を急かす。
「ダーリンが時間稼ぎしてる間に!早く逃げんのよ!」
それは、足元に投げ捨てられたコアユニットにインプットされたサイバーエルフ――――レルピィの声だった。「あたしも拾っていきなさいよ!」と叫んでいる。尚も躊躇う二人にゼロが再び声を張り上げると、ようやく決心して、レルピィのコアユニットを拾い上げてそのまま駆け出した。
スタグロフは「チクショウ!」と悪態をつくと、直ぐ様基地中のパンテオンに二人を追撃するよう指令を送る。
「むふー!男は殺しても構わん!女のガキはなんとしても捕らえろ!むふー!!」
興奮して鼻息が更に荒くなる。――――と、視界を緑の閃光が覆う。またもギリギリのところで身を屈め、セイバーの一撃を躱す。すかさず氷の槍を突き出すが、ゼロもまたヒラリとその一撃を躱す。
初撃に戸惑い、序盤こそ攻められはしたものの、スタグロフは冷静に立て直し、勝負を五分のところまで引き戻している。だが、互いに未だ手の内を全て見せてはいない。今後の展開を慎重に読み合い、互いに牽制する。
「むふー…知っているぞぉ。昔は貴様も、エックス様と同じイレギュラーハンターだったんだろう?」
スタグロフは挑発するように下卑た笑いを浮かべる。
「それが今は一介のイレギュラーだぁ……むふー……落ちぶれたもんだよなぁ、英雄ぅ?……むふー…」
過去の栄光もその意味をなさず、今はただ国家への反逆者としてその命を狙われる立場にある。その状況だけ見れば、確かに、落ちぶれたとも言えよう。
だが、ゼロは少しも気にすることなく、あっさりとそれを認める。
「そう。俺はただの“イレギュラー”だ」
気づくと、その顔は清々しい笑みすら浮かべている。
「“英雄”だとか言う呼び名は少々むず痒くてな。正直、そんなガラじゃないと思ってたんだよ」
自分の生まれた意味を振り返れば、そんな大それた称号を名乗り続けられるような身分ではないことを既に理解していた。「英雄」等と呼ばれる程、自身は輝かしい存在ではないのだと感じていた。
だからこそ「紅いイレギュラー」という呼び名は、非常にありがたいものだった。その名こそ、自身を形容するに最も相応しいものであると確信した。
「“イレギュラー”?……結構じゃないか」
そしてまた、想う。この歪な世界のことを。
懸命に生きる罪のない者達が、その命を脅かされ、それでも尚生きようともがき続けている。しかしそれをこの“世界”は認めない。歯向かう者あれば反逆者と謗り、その生命は呆気無く砕かれる。
「――――こんな腐った世界の“異常”だってんなら……俺は光栄に思うぜ!」
理不尽と悲劇が繰り返されるこの世界に、歯向かおうとする自分は正にこの世界における“イレギュラー”に相応しいだろう。
そう吐き捨て、再び剣を手にスタグロフへ飛びかかる。「むふー」と鼻息を鳴らし、スタグロフは応戦する。
激しく飛び散る火花が、周囲を囲むエネルゲン水晶と砕ける氷の破片にひたすら反射し続け、凄まじい輝きが二人を彩り続けた。
―――― * * * ――――
「な……なにをしているんですか!?」
ペロケは血相を変えて叫ぶ。
「馬鹿な事はやめなさい」とモニター越しに呼びかけるが、アークは聞く耳を持たない。
「早く、空間転移装置を動かせ!じゃないと……じゃないと、本気で撃つぞ!」
ゴリッと少女レプリロイドの頭部に銃口を押し付け脅しの声をかける。人質となった少女の顔は恐怖に包まれている。それを見ている他の子ども達もひたすらに身を震わせてる。
「落ち着いてくださいっ!そ……そんなことしても、ゼロさんの許可無くアナタを外へ出すことは……」
「早くしろぉ!」
更に大声で怒鳴りつける。少女は耐え切れず叫び声を上げる。
ペロケは「分かりました」と慌てて空間転移装置を起動し、アークを外に出す準備をする。エレベーターが上がり始める寸前まで、アークが少女に銃を突き付け続けるのを確認し、ペロケはとうとう諦めて空間転移装置を作動させた。
エレベーターが上がり始めたのを確認すると、アークは少女をようやく解放した。悲しげな顔で「ごめん」と、申し訳なさそうに呟いたのを少女は確かに聞いていた。
上がり続けるエレベーターの隅に座り込み、自分の愚かしい行動を振り返っては、アークは強い罪悪感に苛まれていた。
――――あの子……セラよりも幼かったな……
耳元で聞こえた叫び声を思い返し、より一層、胸が痛くなる。
けれど、これ以上耐えることができなかった。ただ一人、指を咥えて待っていることなど出来なかった。
親しい彼女の顔を思い出す度にその想いは膨らみ、ついには衝動的に行動を起こしていた。
――――セラは……絶対に俺を待ってる……
膝を抱える腕に、より一層強い力が入る。
頭の中を巡るのはネオ・アルカディアにいた頃の思い出。――――ミズガルズのスラム街。共に暮らした時間。何度も助け合い、励ましあった。どんなに苦しくとも生き抜くことを誓い合った。
「セラは……俺が助けるんだ……」
ザラリと嫌な感覚を残す罪悪感を振り払うように、そう自分に言い聞かせる。
エレベーターが着くと、ゆっくりと立ち上がり、外へ出る。
その脳裏に一番強く焼き付いていたのは、初めて会った頃の二人――――無邪気に交わした、とても稚拙で、とても愚かな、たった一つの約束だった。
NEXT STAGE
救い