10 [B]
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どうしてこんな事になってしまったのかと、思い返せばキリがない。とにかく、彼が偵察と称して基地の外へと抜け出し、辺りを散策しているうちに、“それ”は起きてしまったのだ。
二時間程経って彼が“家族”の下へと戻った時、事態は全て収束しており、後に残ったのは瓦礫の山と、そこに埋まる無惨な“家族”たちの亡骸だけであった。ただ一つ救いがあるとすれば、彼にとって一番大切な彼女の亡骸だけは、他数名の仲間の亡骸も含め、どこを探しても見つからなかったということくらいだ。
しかし、あの悪名高い“ブリザック・スタグロフ”のことだ。恐らく僅かに生き残った者たちでさえ一人残らず捕まってしまっただろうし、今頃どのような扱いをしているか分かったものではない。
珍しく一人で外出したことについて「彼女だけでも連れ出していれば」とか「どうして自分はこの場にいなかったのだろう」とか、後悔の念は尽きない。
だが、そうしたところで意味はあっただろうか。例え彼女と二人きりになったとしても、やはり大切な家族は失っていただろうし、自分がその場にいたとしても、いったい何ができたというのか。――――恐らく、ここに転がる亡骸が一つ増えただけだろう。
如何ともし難い程に突き付けられた己の非力さを憎み、悔み、今彼はそのちっぽけな手に、小さなエネルギーガンを握り締め、目の前の男にその銃口を向けていた。ただ虚しく広がる荒野の真ん中で。
「……返せよ……」
ライドチェイサーに跨ったまま腕を組んでいる、目の前の男の威圧感に圧し潰されそうになりながら、言葉を搾り出す。
「返せよ……俺の家族……」
バイザーで隠れ、その瞳の様子を窺い知ることはできない。しかし、彼にとってそんなことはどうでもよい。こんな荒野で悠然と構えている事実こそ、目の前の男が彼にとっての敵――――ネオ・アルカディアに所属するレプリロイドであることを如実に表わしていたのだ。
殊更強い憎悪と怒りを込め、叫ぶ。
「俺の大切なもん、返せよぉ!!」
その声は、晴れ晴れと広がる青空にはとても不似合いな、嘆きの響きを奏でていた。
「それで…そいつを俺に向けて、お前はどうするつもりだ?」
しばらくの沈黙の後、男が彼に向かって問いかける。突然の声に、彼は僅かに怯んだが、毅然とした態度で答える。
「……お前らの…基地に案内しろ」
グリップを強く握り、トリガーに指をかける。
「……お前らの基地に案内しろ!……そして、俺の仲間を…解放しろ!!」
半ばヤケクソ気味に語気を強めて要求をする。だが、向けられた銃口すら意に介さず、男は尚も悠然と構えていた。
「その先はどうする?」
再び問いかけられ、彼はすぐさま言い返そうとした。だが、答えが見当たらない。何故なら彼は“その先”など考えてもいなかった。
「俺を脅してネオ・アルカディアの基地へ侵入できたとして、その小さな銃一丁で本当に仲間を救えると思っているのか?」
「う…うるせぇ…!!」
動揺を隠すことができない。反論の余地が些かもないほどに、男の言葉通りだった。
運良く内部へ侵入できたとしても、敵の真っ只中から生還する術も、その為の道具も何処にもなかった。
「……なあ、ボウズ」
男は呆れたように、その特徴的な金髪を掻き上げる。
「勇ましいのは結構だけどよ……“命は一つしか無いんだ”ってことくらい、頭に入れとけよ」
その忠告の言葉をキッカケに、彼の怒りはさらに強く、溢れ出した。
「お前らが…俺たちを虫けらみたいに殺すお前らが!偉そうに命の話なんかするんじゃねえよぉ!」
自分の稚拙さ、失った物、理不尽な現実――――…あらゆる物への怒りが一気に爆発し、その勢いのまま、彼はトリガーを引いた……‥
「はい、ストーップ!!」
突如として聞こえた制止の声に、彼は既の所でトリガーを引き切らずに指を止めた。
しかし、聞こえた声は明らかに可愛らしい女声であったが、その主が何処にも見当たらない。すると、男の横に小さな光体がヒラヒラと華麗に舞っているのが見えた。
「ちょっとダーリン!?あなたが名乗らないせいで話がどんどんややこしい方向に進んでるんだけどぉ!?どーゆーつもりぃ!?」
「だぁー!五月蝿い!」と男が慌てて耳を塞ぐ。どうやら声の主はサイバーエルフのようだった。
「レルピィ、耳元で騒ぐな!お前の黄色い声は耳に痛いんだよ」
喚く男の言葉に、レルピィと呼ばれたサイバーエルフは頬を膨らませて猛抗議をする。
「はぁぁ?失礼しちゃう!!こんな可愛い“彼女”の声を『痛い』だなんて!もうサイテー!大っキライ!絶交よ!」
そう言って顔を背ける。男はサイバーエルフの言葉が聞き捨てならなかったらしく、「待て待て!」と慌てて言葉を返す。
「いつお前は俺の彼女になった!?勝手に馬鹿な事を言うんじゃない!そもそも『絶交』だってんならコアユニットを荒野のど真ん中に放り投げてくぞ!?いいんだな!?」
『放り投げる』という言葉に、レルピィはすかさず態度を変え、「ダーリン、ごめ~ん」と軽薄な謝罪をしながら男に擦り寄る。男はあきれ果ててそれ以上物が言えない様だった。
そのやり取りを彼は呆然と眺める。先程までの張り詰めた空気から一変、何とも気の抜けた様子に、言葉が見当たらなかった。
しばらくそうした後、男が「おい」と彼に向かって声をかけてきた。
「ボウズ、お前の名前は?」
「え……あ……アーク」
そう言った直後、アークは勢い良く口を手で覆う。問われるまま、無防備に名乗ってしまったことを激しく反省した。
だが、男は僅かな敵意も含まぬ声で「そうか、アーク」と彼の名を呼んだ。
「悪かったな、お前さんがあまりにも真剣過ぎて、俺も名乗るタイミングを見失ってたんだ」
「ハハッ」と軽く笑って、言葉を続ける。
「先に訂正しておくと、俺はネオ・アルカディアのレプリロイドじゃあ無い」
きっぱりとそう言われ、アークは驚きを隠せなかった。このような場所で一人、まともに整備されたライドチェイサーに跨っていたのだ。どう考えてもネオ・アルカディア側のレプリロイドとしか思えなかった。
少し警戒をしながらも、「それじゃあ…あんたは…?」と正体を問う。
「ああ……俺の名前は――――」
男が答えかけたその時、一面に響く間の抜けた高笑いがその声を遮った。
「ハーハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ――――……‥」
アークとレルピィ、そして名乗りかけた紅いコートの男はすぐ近くにそびえる崖を見上げた。
陽の光を背に受けて、五人ほどのレプリロイドがその姿を現す。
「ついに見つけたぞ!紅いイレギュラー!!」
「…あ…」
その声の主を認識すると、思わず男は口から声を漏らす。どうやら相手を知っているようだ。
アークは「紅いイレギュラー」と言う名に反応し、そう呼ばれた男を見る。
――――まさか…
先程までネオ・アルカディアの者だと信じきっていたこの男こそが、かの有名な「紅いイレギュラー」だというのか。
崖の上にいる男は続けて叫ぶ。
「ここで会ったが百年目ぇ!思えば貴様と初めて出会ってから二週間!屈辱的失態により、あの生意気なクラフト隊長様々から厳しく云々かんぬん言われてからも二週間!こうして貴様と再び相見えることになろうとは!俺様にもツキが回ってキタァー!!」
紅いイレギュラーは面倒くさそうに頭を掻く。レルピィは「べー」と声の主に向かって舌を突き出していた。
「今日こそ覚悟しろ!紅いイレギュラー!!このイレギュラーハンター第十七精鋭部隊第四班班長にして、“赤鬼”グラーツ隊長率いる地獄の第四部隊元副隊長、華麗なる狩人(自称)シューター様が貴様に引導を渡してくれるわぁ!!」
崖の上から「ビシッ」と力強く指を差す。すると、周りのレプリロイドたちも何やら騒いでいる。
「カッコイいっす!副隊長!」
「そうだろうそうだろう!アーチ隊員!そうとも俺はカッコイい!――――おい、ボウ隊員!他のヤツらはどうした!?」
「はっ!残念ながら、我らの他に二十名程いた部下は皆、副隊長の天才的嗅覚に理解を示さず、全くついてきておりません!しかし、安心を!我ら真の精鋭、元第四部隊メンバーはしかと、ここにおります!!」
「ハッハッハッハッ!天才とは一部の才ある者以外には理解されん悲しい生き物なのだ!仕方があるまい!ハッハッハッハッ…」
少年は現れたレプリロイドたちを見上げ、再び呆然と立ち尽くす。恐ろしいほどの急展開に全く頭がまわっていない。
一方、紅いイレギュラーはレルピィとなにやら話し合っている。どうやら先程の喧嘩について上手くまとめているらしい。何を話しているのかは全くアークの耳に入らないが、紅いイレギュラーは「フッ」と柔らかい笑みを零し、レルピィもまた頬を染めて嬉しそうに笑っている。
自分の話など全く聞かれていないのだという事実に気づかないまま、「シューター」と名乗る男はブツブツと話を続ける。
「――――思えば二週間前…。卑怯な不意打ちに屈し、みすみす貴様を取り逃がしてしまったあの日。『新たな救世主』だかなんだか知らないが、俺様より二年も遅く配属されたクセに周りからチヤホヤされて羨ましい――――じゃなかった…憎たらしい小僧に上から目線で叱られるし、周りの隊員からは指を差され、白い目で見られるし…。散々で可哀想な俺様」
「副隊ちょー。能力の差と配属時期は関係ないっすよぉ」
「黙れ!ドロー隊員!貴様は前もそうやって、俺様の回想時間を邪魔してくれたな!後で喝を入れてやる!――――とにかく!今のところなんだかんだ言って、紅いイレギュラーと接触できているのは第十七部隊の中では我々のみ!これを天の導きと呼ばずして何と呼ぶ!今日こそ紅いイレギュラーを捕まえて、クラフトの小僧をギャフンと言わせてやるのだぁ!!!!」
「カッコイいっす!副隊長!」
「そうだろうそうだろう!カッコイいだろう!――――おい!ドロー隊員!そう言えば、まだクラフトの小僧には報告してないだろうな!?」
「……えっ……………」
「…………『えっ』?………」
先程までの喋りの勢いが滞り、一瞬にして流れる沈黙。そして、シューターは「バカもーん!!」と声を張り上げた。
「何してくれやがったぁ!それじゃあ、もし!万が一!パーハップス!メイビー!プロバブリー!失敗してしまったら、またどやされてしまうじゃないかぁ!!」
「そんな!?副隊ちょー!また失敗するつもりなんすか!?」
部下からの鋭い切り返しに、シューターは僅かに動揺する。
「な!……そ……そんなワケないじゃあないかぁ…。――――念には念を入れなければと言う話だ!」
「大丈夫ですよ!副隊長!俺たちみんなで力を合わせれば、できないことなんて何にもないです!小さな物から大きな物まで動かせるハズです!」
「ボウ隊員!お前の言うとおりだ!もしも人間だったならば俺様、涙ちょちょぎれる想いだ!――――その通り!我らが力を合わせれば怖いものなど――――」
シューターが再び調子よく喋りだしたのを遮るように、部下の一人が口を挟む。
「あのー…副隊長…」
「なんだコード隊員!俺様の口上をまたもや遮りやがって!お前も後で喝を入れてやる!」
「…いや…あのですねぇ…」
モゴモゴとなかなか話し始めないコードに、シューターは苛立ちを顕に怒鳴りつける。
「なんだ!?ハッキリハキハキ話せ!お前はいつもいつもモゴモゴ話すもんだから、何を言ってるんだかぜーんぜん分からん!二週間前だってそうだ!お前がもっとちゃんと奴の動きを俺様に知らせておけばあんなことには……………」
そして、またもや沈黙が彼らを包む。
『ちゃんと奴の動きを俺様に知らせておけばあんなことには』――――先程、自身が放った言葉が脳内で木霊するのを感じる。
おそるおそる、ようやくコードが口を開く。
「…高エネルギー反応…が…」
気づけば紅いイレギュラーの左腕に激しい光が溢れる。
「ちょっ…」
そして紅いイレギュラーはその腕を勢い良く頭上に振り上げると――――
「ちょぉ!ちょぉ!ちょぉ!ちょぉおぉっ待っ…!」
――――容赦すること無く、直下へと振り下ろした。
「待ぁってぇえぇええぇぇえぇぇえぇええぇぇえぇぇえぇええぇぇえぇ――――……‥っ!!」
大きな爆音と共に、地を這うエネルギー波に揉まれ、崖は即座に崩れ落ちた。
―――― * * * ――――
「…いいのかよ…あれ…」
紅いイレギュラーの背中に掴まり、後ろを見る。先程まで、シューター達が立っていた崖は跡形もなく崩れ去り、そこからはもくもくと空高く砂煙が立ち登っていた。
二人が乗るライドチェイサーはみるみるうちに、その場所から離れて行く。
「『いいのか』ってのは……?」
「トドメは刺さないのかってこと」
アースクラッシュで崖は崩れた。だが、おそらく、あのイレギュラーハンター達は生きているだろう。
「何でもかんでも殺しゃいいってもんじゃない。それが例え、憎むべき敵だとしてもな」
アークには男の言っていることがいまいち理解しきれなかった。ネオ・アルカディアに属する、それも彼を追っているイレギュラーハンターでさえも、その生命を赦そうという判断が、どうにも認められないものに感じられた。
しかし、この場で言い争ったとしてもきっと勝ち目など無いだろうということは理解できていたので「ふーん」と曖昧な声を出した。
「で、これで信じられるだろ?」
今度は紅いイレギュラーが問いかける。
「俺がネオ・アルカディア側じゃあないって」
「あ…うん…」
シューターが現れるまでの流れを思い出す。
彼は確かに、『ネオ・アルカディア側ではない』と宣言し、事実、シューター達のようなイレギュラーハンターに追われていた。それだけでなく、彼の正体が今世界を騒がせているSランクイレギュラーの一人、「紅いイレギュラー」であることまで分かった。その実力の程も、先程の攻撃で確認できたし、疑う余地はどこにも無かった。
「ごめん……勝手に敵だと決めつけて…」
アークはバツが悪くなって謝罪を述べる。すると、紅いイレギュラーは優しく微笑む。
「レルピィの言うとおり、俺が名乗らなかったのが悪い。気にするなよ」
横でレルピィが「ですよねー」と満足気な笑みを浮かべ、頷く。
「えっと……それで……あんたたちはいったい何を……」
「詳しい話はお家でしてやるから、ちょっと待ってな」
「…『お家』…?」
首を傾げるアークを他所に、紅いイレギュラーはレルピィに話しかける。
「一番近いゲートは?」
「ここからなら7番ね。ペロケに開けてもらうわ。で、あとは私がライドチェイサーを操作するからダーリンは休んで」
「サンキュ。任せるぜ」
レルピィがライドチェイサーの先頭部に溶け込むように消える。すると、ライドチェイサーは独りでに加速した。
――――“家”……か…
アークは一人、紅いイレギュラーが何かを形容して使った言葉を思い返す。そこがまた、温かい場所であることを願うが、つい数時間程前まで共に過ごしていた“家族”の事を思い、胸が苦しくなった。
「…なん…て…ことだ…」
崩れた岩に埋まりながら、なんとかシューター達五人は生きていた。
「…おのれ…紅いイレギュラーめぇ…。またしても、このような卑劣な手を…」
「二度あることは三度あるとか…」
「黙れ!ドロー隊員!」
シューターが拳を握り、地面を叩く。根性で岩を押し除け、足に力を込め立ち上がり、腕を天に突き上げる。
「…この雪辱!近い内に必ずや果たしてくれるわぁ!」
「…カッコイいっす!副隊長!」
「…流石です!」
アーチやボウが口々に褒め称えると、シューターは「そうだろうそうだろう」と得意げに笑う。
「そうとも、俺はカッコイいのだ!――――そうだ!おい、ドロー隊員。……『先ほどの報告は私の間違いでした』と訂正しておけ。くれぐれも、クラフトめにこの失態を悟られるなよ」
「……えっ………………」
「…」
「…」
再び訪れる沈黙。
ドローは申し訳なさそうに、恐る恐る答えた。
「すいません…ついさっき………」
「…………」
そのまま言葉を無くし、シューターはパタリとその場に倒れ込んだ。