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N.A.暦124年
世界の壊滅を招いた「イレギュラー戦争」が終結し、僅かに残った人類が「ネオ・アルカディア」で暮らし始めてから一世紀以上が経過していた。
救世主と呼ばれるレプリロイド――――エックスにより建てられたその国で、人とレプリロイドは共に助け合い、平和に過ごしていた。
しかし、救世主エックスと一部の優秀なレプリロイド、また、人間による統治機関「元老院」は、下等なレプリロイドのイレギュラー化を懸念し、「人類保護法」、「レプリロイド審査法」を発布。
次第に人間は、自分たちに不都合なレプリロイドを不当にイレギュラー認定し、処分するようになった。
その風潮はネオ・アルカディア全体を包み、いつしかほとんどの人間がレプリロイドをただの奴隷として見るようになった。
しかし、人間同様の感情と、より高度かつより合理的な知能を併せ持つレプリロイドは、その状況を黙って見過ごそうとはしなかった。
今や人間以上に数を増したレプリロイドたちは、それぞれの思想の下、集い、徒党を組み、ネオ・アルカディアに対するレジスタンス活動を行うようになる。
人間を守るべく戦う救世主エックスとその軍団。
人間に抗うべく戦うレジスタンス。
ここにイレギュラー戦争以来の、レプリロイド同士が血で血を洗う殺し合いの火蓋が再び切って落とされたのだ。
しかし
それは一方的な殺戮劇の始まりでもあった。
単純な戦力のみならず、情報力、技術力、組織力、そのどれもが勝っていたネオ・アルカディアは、エックスの配下「四天王」とその四軍団により、勝利を重ね、各地のレジスタンスチームを次々と壊滅させていった。
廃墟と砂漠まみれの大地の上、さらに多くの屍が山のように積み上げられていった…
唇を噛み締めながら、シエルはカプセル制御用コンピューターのキーボードを叩いていた。
幾重にも掛けられたロックを、その天才的頭脳は、異常なほどの速さで解除してゆく。
これだけ厳重なプログラムではサイバーエルフの力を借りるワケにはいかない。プログラムを解除できたとしても、場合によってはサイバーエルフのプログラムが犠牲になることもあり得る。情報生命体が故のデリケートさ。
共に過ごした日々を思えば、これくらいの苦労は苦労の内に入らない。
――――それに…。
償いでもあった。
今回の作戦を立案したのは彼女自身だった。
シエルたちのレジスタンスチーム「白の団」団長であるレプリロイド、エルピスは、この作戦に反対していた。
『シエルさん。この作戦は無謀過ぎます。確かに、我々[白の団]含め、各地のレジスタンスチームは苦境に立たされています。そして、この現状を根底から覆してくれる救世主を誰もが望んでいる。これも事実です。――――しかし、いくら[伝説の英雄]と言えど、彼は百年以上昔のレプリロイドですよ?ネオ・アルカディアの[ミュートスレプリロイド]に適うはずもありません。せいぜいパンテオン共十数機が関の山。犠牲を払ってまで封印を解きに行くなど、愚か過ぎます。いいですか、シエルさん。悪いことは言いません。作戦を撤回してください』
エルピスの言ったことはもっともだった。
「ハイリスク、ローリターン」という彼の言葉は的を射ていた。
「救世主エックスとともに、イレギュラー戦争を終結に導いた百年前の英雄」
とは言うが…。
百年という歳月がどれだけの進歩を生むのか。百年よりも遥かに短い人生しか過ごしていない彼女にも、それはハッキリ分かっていた。
しかし、このままの状態で戦い続けたとして、決して事態が好転するワケではないのもまた事実。ネオ・アルカディアに虫けらのように消されていく。
ただそれだけだ。
――――それなら…。
動き出すしかなかった。
何もしないで滅びてゆくだけなら、精一杯立ち向かって、砕けたい。
圧倒的スコアで、己の無力を見せつけられたなら、諦めもつく。
しかし、まだ無力だと決まったワケではない。
今はただ、非力なだけ。
――――非力は無力とは違う…。
昔、どこかで聞いたその言葉を胸に、彼女はこの作戦を強行した。
…その結果、二十人ほどいたメンバーは自分とミラン以外は、おそらく全滅。
さらに、扉の前にいるミランも、シエルを抱えるために銃を捨て丸腰になってしまったし、自分に至ってはもとより武器を持つことすらできない。
十四歳の少女の華奢な体に軍用エネルギー銃は重すぎたのだ。
――――だけど…。
ついにここまでたどり着いた。
払った多くの犠牲を無駄にしないために、彼女はキーを叩き続けた。
理由は他にもあるのだが――――
タンッ、と最後のキーを叩く。
解除完了を伝える文字がモニターに映る。
すると、カプセルの周りからなにやら低い駆動音が聞こえ始めた。それに続いて、豪快な音を立てカプセルから白いガスが吹き出る。ヒンヤリと冷たいそれは、中に眠る「彼」の人工皮膚や疑似体液の鮮度を保っていたのだろう。
そして、間を置かず。
「バクンッ」という音と共に、ゆっくりとカプセルは開かれた。
―――― * * * ――――
『友達は人間だから、傷つけちゃダメなんだって』
そう言って少年は、銃口を俺に向けた。
『でも、お前、レプリロイドだから、撃ってみてもいいよね。ね。試しにやらせてよ。いいでしょ。だってさ――――』
――――どうせ壊れたって
――――修理すればいいんだから
ずっと昔のような
忘れかけていた最近の記憶――――
「痛覚」を切ることは許されなかった。
それどころか、感度を通常の数十倍に、強制的に設定させられた。
僅かな傷で激痛が走る。
太股の一部が焼けただけで、脳の回路まで焼き切れる感覚がした。
一日で終わるハズもなく、少年は学校で嫌なことがあれば、必ず俺でストレスを発散した。
友人を招き入れ、どちらが一番面白い反応を俺にさせることができるか、競ったこともあった。
逆に、他のレプリロイドと並べて、リアクション大会などと称して競わされたこともあった。
あまりにヒドい反応をすれば、さらに惨い仕打ちが待っていた。
人間だったなら、何度死んだことか…。
いっそ本当に死ねたらと思わない日はなかった。
俺を買った人間は、その地区の有力者だった。
両親と子供二人の四人家族。飼っていたレプリロイドは動物、人型併せて14体。
豪邸とまではいかないが、それなりに大きな住宅に住んでいた。
子供が幼いうちは、まだマシな方だったと思う。
「お馬さんごっこ」の馬役とか、「ヒーローごっこ」の悪役とか。言う通りに動けなければ直ぐ泣いて、その声を聞きつけた父親が俺を叱りつけながらステッキで思いっきり頭部を叩いた。エネルギー触媒もおあずけにされたりした。
それでも、まだマシだった。
思い通りの動きをすれば、子供たちは笑った。
子供の笑顔というのは反則だ。つらくとも、自分がそれに貢献できていると思えた分、苦ではなかった。
しかし、子供が学校に通い出してから二年ほどで、暴力まじりの遊びが始まった。
何体かのレプリロイドは、事故的に「精神プログラム」が閉鎖して植物状態に陥った。
そうなれば捨てられ、代わりに新しい仲間が買われてくるだけだった。
それでも、「ミズガルズ」に住む下層民に買われたレプリロイドよりはマシだっただろう。
下層階級の不満は、裕福な者のそれと比べものにならないハズだから。
そんなことを考えながら、死すら生ぬるい日々を送った。
そんなある日――――
俺は彼女に会った。
休日だった。市場へ買い物に遣わされた。(何を買いに行かされたかは忘れた。)
とにかく俺は、時間通りに戻るため、少し駆け足になっていた。買ったものをせっせと袋に詰め、市場を抜け、路地を曲がり――――
そして、彼女にぶつかった。
彼女が手にしていたカバンが地に落ちる。
彼女は人間。
俺はレプリロイド…。
――――似たような事例で、「イレギュラー処分」を受けたヤツがいた。
即座に膝をつき、頭を地面にこすりつけ謝罪をする。
ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。許してください。お願いです。イレギュラー処分だけはどうか…。
どうか……。
必死で謝罪した。額の皮膚は擦り切れた。
惨めでもなんでもいい。
――――「イレギュラー処分」だけは嫌だ!
そんな俺に、彼女は落ち着いた声でなだめるように、言った。
『…顔をあげて、大丈夫だから』
予想外の言葉に、硬直した。
自分の耳を疑った。
『気にしないで、本当に。大したことないから。ね?』
優しい声で、少しだけ笑いながら彼女は、言った。
『お互い様でしょう?』
――――彼女にとっては何気ない一言だったのだろう。
けれど、俺にとっては大きな一言だった。
――――「お互い様」
同等の存在として自分を認めてくれた初めての言葉。
顔をあげてからしばらく、俺は彼女の顔から目を離せなかった。
―――― * * * ――――
ミランは自嘲気味に笑った。
――――あれはカッコ悪かったよなあ…。
武器はすでにない。
あるのはこの身一つ。
――――…シエルはうまくいっているだろうか。
ふと、扉の中が気になる。
…まあ…いいさ。
――――…基地のみんなはどうしてるかな…。
アルエットはシエルが心配で暗い顔してるだろうな。
セルヴォはきっと無理やり冷静を装っているだろう。
コルボーなんかは飛び出そうとして、みんなに止められてるかも。アイツは感情的になりやすいからな。
基地での思い出が蘇る。
戦いは苦しかったけれど、あそこは温かい場所だった。
ふとまた、笑みがこぼれる
――――シエルを。希望を守りたい。
この身が砕けようと
この身が滅びようと
「死」のその先も
許される限り
俺は彼女を守りたい
すでにパンテオンたちが彼を囲み、右腕に装備されたバスターの銃口を向けていた。
ミランは覚悟を決め、
足を踏みしめ、
誓いを立てた。
敵を強い眼差しで睨みつけ、
そして…
笑ってやった。
激しい銃声が、遺跡内に轟いた。