9th STAGE [A]
たとえばこの世界に
絶対的な正義とか
恒久的な平和とか
そういうものが存在するとして
それはいったい
どんな形をしているのだろう…
輸送列車襲撃から
一月余りが過ぎた――――
9th STAGE
理想郷の詩
―――― 1 ――――
握りしめたハンドガンは冷たく、軽い。指を掛けたトリガーの、なんと小さく安っぽいモノか。
たった一度これを引くだけで、得物の先端に空いた丸い穴から、必殺のエネルギー弾が放たれる。そうすれば、力尽くで抑えつけたこの頭部は、どす黒い疑似体液まみれの屑鉄に姿を変える。
“それ”も自分の仕事なのだと分かっていながら、安易にその道をとることができない。躊躇っているワケではない。まして、悩んでいるワケでもない。
――――…ただ…虚しい…。
同じレプリロイドとして生まれてきたハズなのに、何故こうも殺し合わなければならないのか…。
――――…答えは簡単だ…
「同じ」ではないからだ。この男と、自分とに限らず、このネオ・アルカディアに生きるレプリロイド達は一人として「同じ」ではない。
特に、自分のような「イレギュラーハンター」と、この男のような「イレギュラー」達とでは、その立場から何まで大いに異なる。
――――ならばどうする?
そう自分に問いかける。もう何度その問いかけをしてきただろうか。しかし“見つけたかった答え”は何処にもありはしないのだと、今度もまた割り切ってしまう。
「考えるまでもないな…」
その呟きはおそらく、彼の下で喚きちらしている男には微塵も聞こえていなかっただろう。
「放せ!放しやがれ!」
「――――残念ながら、オールオーバーだ…」
首を左手でさらに強く抑えつけ、ハンドガンの銃口を、頬が歪むほど強く、無理やり押し当てる。
「吐け。キサマらのお仲間は、他にどこにいる?」
「政府の糞犬がぁ!!知りゃしねえよ!」
「吐けば、楽にしてやる。――――[イレギュラー処分]は免れるぞ?」
あくまでも冷静に言い放つ。これが彼にできる最大限の譲歩。しかし、男は嘲笑を浮かべ、吐き捨てる。
「…地獄に堕ちろ!この××××」
彼は「ふぅ」と諦めたようにため息を付く。
「……連れていけ」
彼の部下が、彼に代わって男を抑えつける。そのまま手錠の電磁ロックをかけ、項にあるインターフェースに何やら手の平サイズの機械を接続し、スイッチを押した。すると一瞬白眼をむいたあと、喚いていた男は気絶した。
その体を、後方で待機していた車両に、数人が担ぎ込み、扉を閉める。護送車は無情な音を立てて走り出した。
彼はその後ろ姿を見送り、再び溜息をつく。
ネオ・アルカディア「ミズガルズ」の外れにある廃工場。そこに立ち並ぶ倉庫の一つに先ほどの男は十名ほどの同士とともに潜伏していた。
ネオ・アルカディアに反抗するレジスタンスチームの一つ――――「黒狼軍」。彼らはネオ・アルカディア内にもはびこり続け、人間の生活を脅かすような、悪質なテロ活動を行っている。
今捕らえた者達は、その下部グループの一つに過ぎない。どのグループも結束が固く、口を割ろうともしないし、「死」よりも「イレギュラー処分」を受け入れ、決して折れることはない。
どれだけ捜そうとも、どれだけ捕まえようとも、その根を絶つのは並大抵の努力では不可能だろう。
彼は今日もまた、多くの虚しさを噛み締め、一人佇んでしまう。
「イレギュラー処分」――――その名はレプリロイドならば誰もが忌み嫌う言葉である。
その場での「処理」でもなく、見せしめの「処刑」でもない。簡単にいえば、道具のリサイクルである。
この世におよそ想像できる、ありとあらゆる苦痛や悲しみ、絶望を、脳ユニットに直接流し込むことで元の精神プログラムを崩壊させ、新たに、簡易的に作り出された精神プログラムを上書きする。
その後、各地の兵器開発工場へ運び、外装を整え、パンテオンとしての生を与え、ネオ・アルカディアの兵隊として前線基地に配備してゆくという流れになっている。つまりは、この国の軍隊は犯罪者の成れの果てにより構成されていると言ってもよい。
彼は頭を掻く。
無論、全てのパンテオンがそうであるワケではない。しかし、前線に配備されたパンテオン達の半数近くが「イレギュラー処分」を受けたレプリロイドであるということも事実だ。
そもそも、人間の数に対し、レプリロイドの数は明らかに飽和している。レプリロイドの国家こそ、未だ存在していないが、その代わりに、大小様々な規模のレジスタンスチームが多数存在しているのは、間違いなくそこに理由がある。
しかし、それでも尚、新たにたくさんのレプリロイドが製造されている。
非効率的かつ大変危険に思えるこの流れに、どのような意味があるのか、無闇に詮索すべきではないのは分かっている。しかし分かってはいるのだが、どうしてもその部分に対する不信感は否めない。
――――この国は…
いったい何を抱えているのだろう?
時々不安になるが、考え出せばキリがない。
しばらくそうした後、彼の足はゆっくりとその場から動いた。そして大きめの体躯である彼のために誂えられた専用のライドチェイサーに跨り、ハンターベースへ向かって走り出した。
ネオ・アルカディア「アースガルズ」を五つに分けた内の一つ、“第二エリア”。その中心都市「ニューオリンピア」に、レプリロイドにより構成された警察機構――――「イレギュラーハンター」の本部がある。
第一部隊はその性質上、アースガルズ内のみならず、城壁を挟んだ外側のミズガルズまで任務に出ることがあり、周辺の交通網が整ったハンター本部を拠点としている。
「隊長!――――クラフト隊長!」
基地に着き、書類整理を済ますため隊長室へと向かう途中、親しみのある声に名を呼ばれ、「クラフト」は振り返る。そこには信頼を置いている副隊長――――「ディック」の姿があった。
「どうしたディック。そんなに慌てて…」
「聞きましたか!?今朝の元老院議会の決定!」
「聞いてるワケないだろう」
先ほどまで任務に出ていたということもあるが、そもそも今朝下されたばかりである元老院議会の決定が、そこまで広まっているワケがない。不信感を覚え、クラフトは眉をひそめる。
「まさか…お前…また…」
「ち…違いますよ!“火遊び”からはもう足を洗いました。――――たぶん、一種のプロパガンダですよ。元老院の誰かが情報を外に流したんでしょう。こんな大ニュース……隠しておくには勿体無いですからね」
「…どんなニュースだ?」
「聞いて驚きますよ」
得意げに、ニヤリと笑う。本当にスゴいニュースが舞い込んだらしい。しかし、ディックはそこから先をどう話そうかと考え始める。痺れを切らしたクラフトは「勿体振るな」と発破をかけた。
「ハハハッ。すいません。――――実はですね…」
ディックは隠し事を言うように、クラフトの耳元で、ひそひそと囁く。
「――――[第十七部隊]の召集が、決まったんですよ」
それを聞いた瞬間、驚きに目を見開くクラフトの顔を見て、ディックは「してやったり」という小憎たらしい顔をして見せる。
「…本当…か…?」
「嘘ならもっと大げさに話しますよ」
いつも冷静沈着であるクラフトの驚く顔が殊更面白いらしく、ディックはニヤニヤと笑いながら、話を続ける。
「俗世に疎い隊長でも、[紅いイレギュラー]は知ってるでしょう?」
「…ああ、勿論だ」
「紅いイレギュラー」――――まだ民衆には知らされていないが、政府機関に属する者なら、その名を知らない者はいない。
『真紅のコートに流れる金髪』――――その正体は、封印されていた過去の英雄だと言われているが、定かではない。
しかし、その実力は、噂通りであるならば本物に間違いない。烈空軍団でもトップクラスの実力を持ったパンター・フラクロスを倒しただけでなく、これまで、その男によりネオ・アルカディア側が出した損害は、既にゴーレム数十体とパンテオン数百体に上ると言われている。更には、フラクロス以外にも、既に三体のミュートスレプリロイドが倒されたらしい。
「その紅いイレギュラーと、黒狼軍司令官[エボニー・ベルサルク]、レプリロイド解放議会軍司令官にして元第二部隊長[マゴテス]。その三人を、元老院議会は[特別指定排撃目標]――――“Sランクイレギュラー”と、認定。その排撃任務を実行するための特務部隊として[第十七精鋭部隊]の召集を決定したんです」
「第十七精鋭部隊」――――ネオ・アルカディアに一から二十一まであるイレギュラーハンターの部隊の中で、半永久的に欠番となっている伝説の部隊。
旧世紀、ネオ・アルカディアの救世主エックスがイレギュラーハンター時代に所属していたというその部隊は、国家に危機が訪れた時にのみ召集される決まりになっていた。
今回の召集が本当ならば、実に八十年ぶりの大事である。
「さらに…ですね…」
「まだあるのか…?」
イレギュラーハンターである自分たちにとってこれ以上のニュースが、一体何処にあるというのか。しかし、先程からディックが見せている笑みは、間違いなく何かあるという証だ。気になって仕方がないクラフトは、尚も勿体振る彼に「早く教えろ」と急かす。
すると、ディックは「いいんですか?」と尋ね返してきた。
「『いいんですか』……って…何がだ?」
「そりゃ“隊長にとって栄誉ある話を、俺なんかの口から聞いてしまっていいのか”…って事ですよ」
ディックは、得意げに人差し指を立てる。
しばらく言葉の意味が分からず、クラフトはただ黙って首を傾げた。そして、その真意を理解した瞬間、驚くことも忘れて、ただディックの顔を見た。
その様子により、ディックは、クラフトが自分の言いたい事を理解したのだと悟り、黙って頷く。それから、先程まで緩んでいた表情を引き締め、背筋を伸ばし、力強く敬礼をする。
「クラフト第一部隊隊長!“第十七精鋭部隊隊長”への就任、誠におめでとうございます!」
その瞬間、クラフトは硬直した。それが事実であると、容易く受け容れることができなかった。
ディックはまるで自分のことのように、嬉しそうに笑いながら、「やりましたね」と肩を叩いてくる。しかし、クラフトはどう答えればいいのか分からず、「…ああ」とだけ呟くように返す。
「あれ?嬉しくないんですか?」
自分が思ったよりも、いまいち反応が薄い事が気になり、ディックはそう尋ねる。だがクラフトは慌てて否定した。
「そんなワケないだろう。………少し…事態が…な」
そう簡単に呑み込めるワケがなかった。
“第十七部隊”ならば、隊員として召集されるだけでも、レプリロイドとしてはこの上ない程の栄誉である。だというのに、クラフトは召集されるばかりか、そのトップとしての地位を与えられた。それは即ち、元老院のみならず、全人類から、最上級の信頼をおくに値するイレギュラーハンターであると認められた証である。
これを易々と引き受けられるのは相当な自信がなければ不可能である。――――それも、自分がネオ・アルカディアの“救世主”と肩を並べられるほどの存在であると自惚れられる程の。
「そんな謙遜しなくとも…。[十七部隊]隊長なんて華々しい職が似合うのは、現イレギュラーハンター内ではあなたぐらいしかいませんよ」
「謙遜とかではない。……だが、俺にそれだけの器があるのかは…な」
確かに、『救世主の再来』などと謳われたこともあったが、実際に「十七精鋭部隊」の隊長となる程の活躍をしてきたつもりはない。ただ目前にある任務をこなして来ただけだ。――――己の信ずる平和と正義の為に、身を捧げてきただけなのだ。
不安そうに口を歪めるクラフト。だが、ディックはその不安を軽く笑い飛ばす。
「決まっちまったもんは仕方が無いでしょう。大丈夫ですよ、隊長なら」
呆れながら「無責任なことを」と口にしようとしたクラフトだったが、軽く笑っていながらもディックの眼が本気であることに気づき、口を噤んだ。
それは自身が尊敬する上司であり、信頼する無二の友へと向けた絶対的な確信の眼差しだった。その目に何度、背中を押されてきたことか。これまで第一部隊を率いてこれたのは、やはり彼の存在があってこそだと心の底から思えた。
そんなことを考えているうちに、ディックがなにか思い出したように声を上げる。
「そうそう。そういえば“副隊長”も召集されるらしいですよ!」
「…お前が『副隊長』と言うと――――…‥[ヒート・ゲンブレム]か!?」
四年前。マゴテスが第二部隊を率いて、離叛した後。就任して間もないクラフトを副官として補佐していたミュートスレプリロイドが、その空席に据えられた。――――それが「ヒート・ゲンブレム」である。
多くのミュートスレプリロイドが、四天王の四軍団や他の前線部隊に召集されたのに対し、彼は国内の治安維持に傾倒し、召集を拒んだ唯一の男。短い間ではあったが、共に第一部隊を率いていた彼もまた、クラフトにとっては掛け替えの無い友の一人である。普段は堅実なクラフトが、冗談を飛ばしあえる相手は、目の前にいるディック以外ならば彼くらいのものだった。
実力的にも、人格的にも信頼できる彼のような者が共に来てくれるのであれば、なんと心強いことだろうか。
「他にもそうそうたる顔ぶれが選抜されていますよ。まさに無敵の部隊です」
「お前はどうなるんだ?」
ふと気になって尋ねると、ディックは得意げに笑いながら答える。
「第一部隊隊長代理の椅子が待っているんでね。そんな危ない場所には出向きませんよ」
彼らしい答えに、クラフトは呆れたような苦笑いを見せるが、同時に少しだけ残念に思った。個人的には彼のような者には側についていて欲しいと思っていたし、殺伐とした前線に留まる任務ならば尚更だ。
そんなクラフトの胸中に気づいたのか、ディックは「そんな湿気た面を見せないでくださいよ」と励ますように言う。
「何度も言うように、隊長ならやれますって。それよりも俺は自分とこの方が心配ですよ」
「お前がそれを言うか」
冗談めかして言うディックに、またも呆れながらクラフトは言葉を返した。
そんなやり取りの中で、無意識に笑みがこぼれた。体から余分な力と緊張感が抜ける。
「マゴテスの糞野郎は勿論、相手がベルサルクだろうと紅いイレギュラーだろうと、隊長なら絶対に任務を果たせるって俺は信じてます」
揺るぎのない眼差しでディックが言う。クラフトは「やってやるさ」とそれに答える。
「ディック副隊長こそ、我が栄光の第一部隊を任せたぞ」
「喜んで。クラフト隊長」
そう言葉を交わし、固い握手をする。そこには上司と部下としての信頼と共に、友としての絆が確かに表れていた。
「やはり良い友を持った」と、クラフトは心の底から思った。
――――…第十七精鋭部隊…か……
クラフトは伝説の名を心の中で反芻する。イレギュラーハンターとして、これ程までに名誉なことはない。その名を背負うことの意味に精神的な重圧を感じないとは言えないが、友がこうして信じてくれるように、自分も自分の力を信じてみようと思った。
ふと今朝の事件を思い出す。
これから十七部隊として活動するにあたって、今まで以上の強敵と出会うことになるのは間違いない。
そしてまた、この奇妙な戦争の渦の中心へと、更に近づいていくことになるのも確かだ。そうなれば、今朝覚えたような引っ掛かりには何度となく出会すことになるだろう。
――――だが、しかし……
クラフトは「それをいちいち悩んでいる場合ではない」と、割り切ることにした。
今この国が抱えているものを全て知っているわけではない。しかし、そこに果たすべき任務があること。平和を脅かす、倒すべき敵がいること。守るべきものがあること。――――それらは、紛れもない事実なのだ。
そう自分で納得し、クラフトはまた、ディックに微笑んだ。