5 [B]
―――― * * * ――――
気象観測データによれば、ゼロが向かった「黄金の鷲」本拠地周辺は今晩から明日にかけて大雨に見舞われるということだった。
小さなため息をつき、シエルは背もたれに体を預ける。
「ゼロ……」
出撃前の様子が脳裏に焼き付いて離れない。おかげで不安が尽きることはない。
どんなに信じようと努めても、赦されないと分かっていても、心配せずにはいられなかった。
「おねえちゃん……だいじょうぶ?」
アルエットが気遣う。シエルは半ば慌てて取り繕う。
「大丈夫よ、アルエット。何とも無いから」
「おいで」と両手を伸ばす。アルエットはそれに従い、シエルに抱きかかえられるようにして、膝の上に座る。心安らかにさせる優しい温もりと重さ。
「ゼロは…だいじょうぶかな…?」
シエルの気持ちを知ってか知らずか、アルエットがポツリと呟いた。できるだけ優しい声で答える。
「大丈夫だよ。きっとすぐに帰ってくるから」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせているみたいだと、シエルは我ながら思った。
―――― 2 ――――
どれだけ経っただろうか。一時間以上は歩き続けている気がする。しかし実際に時間を確認すれば、基地を離れてから三十分ほどしか経過していない。こんなにも時間感覚が狂うのも、仕方ないことだとゼロは思った。あの光景からようやく立ち直れたとは言え、未だ、いつ同じような軍団に出会すかも分からない状況にあり、精神的疲労感は次第に高まっている。振り続く土砂降りの雨がそのプレッシャーに拍車をかけているのも明らかだ。だが、足を止めて休息をとろうにも、具合の良い岩場も、廃墟ですらも全く見当たらない。となれば、とにかく歩を進めるしか無いのだ。
足場はぐちゃぐちゃになり、まともな状態ではない。加えて、相当な雨量に小さな川までもができてしまっている。
「ダスティン、ちゃんと付いて来れてるか?」
「ええ、自分は大丈夫です。ティナさんの方を心配してあげてください」
チャーリーの体を支えながら歩いているというのに、ダスティンは弱音も吐かず、それどころかティナを気遣う言葉をかけるなど、非常に頼もしく感じられた。
しかしティナの方はというと、ダスティンの心配する通り、疲労はピークに達しているらしかった。
そうこうしていると、不意にティナがよろける。ゼロはすかさずその体を支えた。
「大丈夫か?」
「ええ…すいません…。ちょっと足元が…」
こんな状態ではこの先が思いやられる。「仕方ない」とゼロは腰をおろし、背中を向けた。
「なんですか……?」
「背負ってく。早く負ぶされ」
促すゼロにこれ以上「迷惑を掛けたくない」とティナは頑なに拒んだが、「そんな状態で歩かれたほうが迷惑だ」と言われ、渋々ゼロの背中に負ぶさった。
「すいません…本当に」
「別に気にするなよ。こんな美人を背負って歩けるんだから俺としても儲けもんさ」
「ハハ」と笑って返す。その場違いな冗談に、ティナも思わずくすりと、少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「ゼロさんって、お優しいんですね」
「ん?……まあレディに対してはな。“野郎”の場合は別さ」
またも「クスクス」と笑いがこぼれる。
「でも、本当にお優しい……というか、凄いです」
「『凄い』?」
「はい。――――百年間眠り続けていたというのは本当なのでしょう?」
イレギュラー戦争より百年間、一度も目覚めること無く、そして誰にも目覚めさせられることもなく、秘密研究所で眠り続けていた。
「それなのに、今はレジスタンスチームの一員として、ネオ・アルカディアと戦っている……。そして今、こうして窮地に立たされていたあたし達を救ってくれている。――――凄いことだと思います」
「なんだか……ストレートにそう言われると、くすぐったいな」
今度はゼロが、恥ずかしそうに笑う。すると、ティナが不意に問う。
「どうして…ですか?」
「『どうして』…?」と、ゼロは思わず問い返した。質問の意図が全く読み取れない。ティナの方も漠然と引っかかりを覚え、反射的にそれを言葉にしてしまっただけだったらしく、自分の問いについて自ら考え直していた。
やがて、その引っかかりの正体を掴めたらしく、改めて問いを投げかけた。
「どうして、戦うことを決意したんですか?」
「え…?」
それは不意打ちに等しかった。
ティナは「すいません」と詫びてから、質問の補足をする。
「ゼロさんの“英雄”という立場なら、きっとネオ・アルカディアにも悪い扱いを受けなかったと思うんです。私たちのように迫害されることなく、それこそ“救世主”と同格に扱われてもおかしくはない。けど、ゼロさんは私たち――――レジスタンスの側についてくださった。その理由が、少しだけ気になったんです」
「またしても、同じ問いが立ちはだかるのか」と、ゼロは心の中で苦笑した。――――全く同じなのだ。先日から何度も彼の前に浮かび上がっては、頭を悩ませていた問いと。
「戦う理由…か…そうだな…」
そう言って考え込む。即答されると予想していただけにティナは「不味いことを聞いてしまったか」と戸惑っている。その様子を余所に、ゼロはただ黙って考え続ける。
ガネシャリフとの戦いの時も、セルヴォに問われた時も、遂に答えを出せなかった。――――だが、今回こそは無理にでも答えを出してみようと、努めることにした。たとえそれが真の正解でないとしても、手がかり位にはなるかも知れない。
ゼロは時を遡り、眠りから目覚めたあの日のことを思い出す。
――――目覚めてすぐ……
ネオ・アルカディアとの戦いに協力するよう頼まれた。しかし、すぐに快諾したわけではない。自分の記憶データの混乱に困惑し、それどころではなかった。
――――ゴーレムと遺跡警備隊の指揮官が現れて……
シエルが捕まった。それを助けようとは思った。けれど、その時は有無を言わさず戦いに巻き込まれたと言って良かった。
それからゴーレムの攻撃を食らい、瓦礫に埋められ…――――
――――“あの声”が聞こえて……
ゼットセイバーを引きぬき、戦いに勝利した。そう言えば“あの声”の正体についても保留してしまっていた。だが、あれからしばらく聞いていないし、害どころか窮地を救われたとあって、特に追及する必要もないように思えた。
――――小娘を救い出し…
指揮官レプリロイド達を斬り伏せ、シエルを救い出した。そしてそのシエルは、瀕死の仲間と最期の別れを交わし…
「…泣いていた…」
突然の呟きに、ティナは首を傾げる。
ゼロの中で、何かが繋がった。依然、漠然としているが。
「泣いていたんだ…小娘が」
「『小娘』…ですか?」
「ああ、そうさ。――――ただの“小娘”が…泣いていたんだよ」
自分の為に体を張って、挙句、命を落とした仲間のために涙をボロボロと零していた。直接それが“理由”に繋がるわけではない。けれどその時、確かに何かを感じた。その感じた何かのために、戦うことを決意した。
「その“小娘”が泣いていたから……ですか?」
小娘がシエルを指しているのかどうか、もちろんティナは分かっていなかったが、あえて聞き出そうとはしなかった。
「まあ、そういう事かな。――――すまない。実は自分でも上手く言えなくてな…」
そう言って苦笑する。けれど、ティナはそんな曖昧な答えにも、優しく微笑んで答えてくれた。
「…いえ、いいと思います。『女の子の涙のために戦う』――――いかにも“英雄”って感じがして、素敵です」
なんの嫌味も含まずにティナがそう言ってくれたおかげで、ゼロもそれが今出せる答えとして十分に思えた。
次の瞬間、突如としてゼロはその足を止めた。
――――……まさか…
背筋に悪寒が走る。込み上げてくるのは、黄金の鷲基地内部で味わったものとは比べようのない、また別の気持ち悪さだった。降り続ける雨の中にゼロが見たモノ――――それは、間違いなく“彼女”の背中だった。
――――こんな……時にまで…
現れるというのか、この幻覚は。…いや、果たして本当にただの幻覚なのだろうか。それすらも自信がない。だが、構っている余裕などは無い。先に進まねばならない。しかし――――…
――――足が…
動かない。石のように固まって、ピクリとも動いてはくれない。今度は近づくことすら敵わないのか。
戸惑うゼロ。そしてそれはさらに激しい動揺へと形を変える。
驚くべきことに“彼女”の方から、こちらへと近づいてきたのだ。毎夜、頭を悩ます夢と同様に。
「……な…」
一歩ずつ、しっかりと地面を踏みしめ、ゼロのもとへと向かってくる。
「…来るな…」
やがて、目と鼻の先に“彼女”は立ちはだかる。依然として、顔は真っ白に抜け落ちたままだ。
そして“彼女”は手を伸ばす。ゼロの頬に触れようとする。
「来るな!」
叫び、拒絶する。
「来るな!来るな!近寄るな!!」
頼むから。俺に近寄るな。これ以上近づけば、剣を抜く。
「嫌だ…!嫌なんだ!!」
もう二度と
もう決して
「…失いたく…ない…」
掠れる声を絞り出し、懇願する。
「失いたくないのに…」
それなのに、どうして
どうしてお前は
「俺の…前に…」
――――ねえ……
不意に“彼女”の声が聞こえる。頭の中に、響く。
俺にどうしろと言うんだ。
――――……私…待ってるから……
俺には斬ることしかできない。
壊すことしかできない。
殺すことしかできない。
そんな俺にお前はどうしろというんだ。
そんな姿になってまで、何を願うと言うんだ。
――――…ずっと…ずっと…待ってるから…
「……………ぁぁ…」
そういうことなのか
斬ればいいのか
目の前から消すためには
斬り捨てて、壊し尽くせばいいのか
立ちはだかる、いくつもの仇敵たちと同じように
斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って――――…
殺せばいいのか。
「……斬って…壊して…殺して…」
大切な君を
「斬って…壊して…殺して…」
誰よりも守りたかった君を
「斬って壊して殺して斬って壊して殺して…」
誰よりも
何よりも
想っていた君を
もう一度――――…
斬って壊して殺して斬って壊して殺して斬って壊して殺して斬って壊して殺して――――…
斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し――――…
斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺――――…
斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬好壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬辱壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊恋殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬慕壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊護殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊愛殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊抱殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬撫壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬触壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺――――……
「ゼロさん!」
耳元で大声がして、正気に戻る。ゼロはこのような状況ですら幻覚に惑わされてしまった己を恥じた。小さく舌打ちをする。
だが、一瞬にして思考が切り替わる。我が身に起こったトラブルを二の次にし、今現在起こっているこの“異常な状況”に対して考察する。
「これは…」
なんとあたり一面が霧に覆われてしまっていた。ゼロが幻覚に囚われている間に。
いったいどれくらいの時間が経ってしまったのかは分からないが、そんなことを今悩んでも意味が無い。問題は既に起こってしまっているのだ。
幸いにして、“ヤツら”の影は見えない。このまま全速力で突っ切れば逃げおおせられるかもしれない。
心を決め、後方にいるはずのダスティンに呼びかける。
「ダスティン!いるな!?」
「すぐ後ろにいます!」
「この霧を抜ける!真っ直ぐはし……ッ!」
「走るぞ」と言いかけて、もうひとつの違和感に気づく。
走れない。左足になにかある。何かが触れている。いや、それどころか、何かが掴んでいる。間違いなく、この感触は――――…
「手……?」
自分の足元を見る。左足に注視する。――――確かに何かの手が見える。地中から突き出すようにして、ゼロの足を掴んでいる。
「しまった!!」
地中からレプリロイドが勢い良く飛び出て、襲いかかってくる。ところどころ生々しい傷が残る見慣れた青いボディ。それは正しく、“死んでいるはずの”パンテオンだった。
体にしがみつこうとして来た所を、足を蹴り上げて弾き返す。
「ゼロさん!大丈夫ですか!?」
ダスティンがゼロの方に駆け寄って来る。
「ああ、大丈夫だ…。それより、とっとと“これ”を抜けるぞ!“ヤツら”に囲まれる前に!」
そう言った矢先、またしてもパンテオンが飛び掛ってくる。今度は一体ではない。それどころか既に、周囲には別の影が見える。
ゼロはティナを優しく下ろし、ゼットセイバーを引きぬく。そして襲い来るパンテオンたちを跳ね除けた。
「ティナ、すまない。そのまま自分で歩いてくれ」
そう詫びるゼロにティナは黙って頷く。「道を開けるぞ」とゼロはゼットセイバーを振りながら前進する。次々に飛び掛ってくるパンテオンたちを鮮やかに斬り伏せ、足元で動く残骸を蹴散らしてゆく。その背中にティナは懸命に付いて行く。
順調に進んでいる。これならすぐに霧を抜けられる――――かと思いきや、後方から耳をつんざくような叫び声が聞こえた。
「ダスティン!?」
声の主はダスティンだ。霧が濃くて姿が見えない。それ程までに離れてしまった。無理もない、疲労が溜まっている上に、チャーリーを支えながら歩いていたのだから。ゼロは自分の失態を呪う。
「ダスティン!もういい!チャーリーを捨てろ!早く!!」
チャーリーのためにダスティンまでもが命を落としてしまっては本末転倒だ。しかし、時既に遅い。
「助けて!助けてぇ!助け…ぇっ!!」
鈍い音と共に声が途切れる。間違いない。ダスティンは惨たらしく殺された。
「いやぁぁぁっぁっぁあぁ……!!」
ティナが叫ぶ。最後に残った僅かな仲間の死に、心は今にも折れそうだった。だが、それをゼロは叱咤する。
「喚いている暇があるなら、とっとと走れ!!」
またしても襲いかかってくる数体のパンテオンを、一撃で破壊する。そしてティナの体を左腕で抱き上げ、駆け抜けた。
止めどなく現れるパンテオンたちの軍団をやり過ごしながら、やがて、霧を抜ける。とにかくその場から離れようと、速度を落とさずにしばらく走り続けた。
ようやく霧から距離を取り、小高い土地で息を落ち着けた。そして、霧の方を眺める。
――――なんてこった……
その霧の範囲に、驚きを隠せなかった。間違いなく一キロ以上先まで続いている。その霧の中を、先程の軍団が蠢いていると思うと吐き気すら催す。
ゼロは覚悟を決め、腕に付いていたコアユニットを取り外し、ティナに手渡す。
「走れるな?」
ティナは震えながら、弱々しく頷く。
「近くに空間転移装置がある。デルクルのデータを頼って、そこに向かえ。デルクルに従っていれば白の団本拠地周辺まで飛べる。そして白の団に匿ってもらうんだ」
「……ゼロ…さんは…?」
「俺は“ヤツら”を操ってる野郎をぶちのめして来る」
そう言って小さく笑うゼロ。しかし、ティナは「無茶です!」とゼロの案を頑なに拒否する。
「“ヤツら”とやり合うってことでしょう!ゼロさん一人で!あれだけの数と!!――――それに…あたしだって……ひとりで逃げ切れるかどうか……」
次第に俯いてしまうティナの肩を強く掴み、「しっかりしろ」と励ます。
「“ヤツら”を野放しにしておけば、白の団―――いや、他の幾つものレジスタンスチームまでもが黄金の鷲のようにされてしまう…。それだけは防がなきゃならないんだよ」
冷静に言い聞かす。それから「心配するな」と微笑みかけ、頭を優しく撫でる。
「俺は英雄だぜ?…あの程度の連中に遅れを取るほどヤワじゃない。必ずあとから追いかけるさ」
ティナの手を引き、立ち上がらせる。手を離し、「さあ、行け」と促す。決して振り返らずに。とにかく走れ。生き残るために。
「……ご武運を…」
無理やり言葉を振り絞り、ティナは背を向けて駆け出した。その背中が小さくなるまで、雨粒に霞んで見えなくなるまで、ゼロは見つめていた。
「…さてと」
ティナがこの場から去ったのを確認し、再度、霧の方へと向き直る。
デルクルが本拠地へと戻れば、万が一、自分の身に何か起きても、あの軍団の情報は白の団へと届けられる。そうすればエルピス、または優秀なオペレーター陣が打開策を見出してくれるだろう。
「…なんて、弱気になってる場合じゃないよな」
しかし、それはあくまで“万が一”の場合だ。――――“そうなるべきではない”場合なのだ。
「必ず生きて帰る…なにがあろうともな…」
ゼットセイバーを再び握り締め、大地を蹴る。ずぶ濡れになった紅いコートは重みを増していたが、戦場へと向かう足は驚くほど軽い。
それでも、振り続く雨は更に激しさを増していった。