4 [D]
―――― 4 ――――
最後のパンテオンを斬り伏せ、周りを見渡す。もう他に倒すべき敵はいない。
「オーケー、ミッション終了だ。これより帰還する」
そうオペレーターに告げると、ゼロはライドチェイサーを走らせ、その場を後にした。
怪我から復帰した後、ゼロは立て続けに三つ程作戦をこなした。作戦と言っても、基地周辺を哨戒しているパンテオンの部隊を殲滅するという単純なものだった。
――――まあ、腕慣らしにはちょうど良かった…かな
エルピスも「リハビリのつもりで」と言っていたくらいで、それ程歯ごたえのある戦いでは無かった。しかし、他の白の団団員からすればパンテオンの部隊を三つも、それもなんの奇策も無しに壊滅させてしまうゼロの力は、非常に偉大なものに感じられた。
基地に戻り、司令室へ戦果の報告に向かうと、エルピスが爽やかに出迎える。
「相変わらずお見事です、ゼロさん。流石は英雄と言ったところでしょうか」
「おーおー、お褒めの言葉、傷み入りますよ、司令様。…実際、この程度の戦闘で音を上げてちゃどうしようもないだろ」
ゼロは嫌みっぽく返すが、エルピスは気にもしていない。
「その調子でこれからもよろしくお願いします。――――近々、[レプリロイド解放議会軍]を交えた大きな作戦も待っていますからね。ゼロさんにはそこで大いに働いて頂く予定ですので…」
「レプリロイド解放議会軍」――――ネオ・アルカディアに対抗するレジスタンス組織の中でもトップ3に入る一大勢力である。元々はネオ・アルカディアにおけるレプリロイドの警察組織「イレギュラーハンター」の第弐部隊であったが、五年前、リーダーである「マゴテス」が部隊全てを率いて「レプリロイドによる議会の開催と、元老院へのレプリロイドの参加」を要求、反乱を起こし、そのままネオ・アルカディアを抜け、レジスタンス組織として活動している。
人数的には、白の団より遥かに少ないが、元々イレギュラーハンターであったため、戦闘用レプリロイドで構成されており、戦力的には十二分の実力を誇っている。また、パンテオンの脳をハッキングし、自軍の手駒として使うという荒業もやってのけている。
「[レプリロイド解放議会軍]ね……。本当に信用できるのか…?」
「五年もの間、ネオ・アルカディアと渡り合う強豪です。疑うべくもありませんよ」
疑ってかかるゼロを一蹴する。
そもそも、今話したいのはそんなことでは無い。
「こちらの画面を見て頂けますか?」
エルピスが机のモニターを示す。覗いてみると、モニターがいくつかに分割されて、様々な情報を示している。しかしよく読むと、それらは全て、あるレジスタンス組織についての情報だった。
「[黄金の鷲]というレジスタンス組織がありました。我々と共同戦線を張っていた、友好関係にあった組織のひとつです」
引っかかる言い方をされ、すかさず追及する。
「『ありました』…ってことは…」
「ええ、壊滅しました。つい先日のことです」
その報せが届いたのは、つい昨日のことだった。「黄金の鷲はネオ・アルカディアの攻勢を受け、壊滅した」と、他のレジスタンス組織が情報を回してくれたのだ。
「……しかし、我々が敵のメカニロイドをハッキングして、基地周辺の映像を捉えた結果、奇妙なものが映ったのです」
あるモニターをタッチし、拡大する。そこには群れで動く、数体のレプリロイドらしき影が映っていた。
「パンテオン……じゃあ無いな」
「ええ、電波障害のため画像が鮮明ではありませんが、おそらくパンテオンでは無いでしょう」
パンテオン特有の機械的且つ無機質なボディには見えない。しかし、壊滅したレジスタンス組織の基地周辺を、パンテオンの上官クラスとして据えられるはずの通常のレプリロイドがうろつくだろうか。
「考えられることは二つ。[黄金の鷲]本拠地に何かネオ・アルカディアが気になるものがあるか。もしくは――――…」
「生存者がいたか…だな」
「その通り」とエルピスが指を鳴らす。
「それらについて、ゼロさんには現地に向かい調べて来て頂きたいのです」
ただの調査だけならば、一般団員に向かわせても構わない。だが、そこにいったい何があるか不明確な以上、ネオ・アルカディアの戦闘員と鉢合わせする恐れもあるため、ゼロに頼らざるを得ないのだ。
「お願いしてよろしいでしょうか、ゼロさん?」
そう尋ねられ、ゼロは鼻で笑って返す。
「俺が断るのは、どうせ前提に無いんだろ?――――行ってやるさ。それが仕事だからな」
司令室を出て廊下を歩く。調査は明日、向かうことになったので、今日はこのまま自室でひと休みさせてもらうことにした。
とは言うものの、本当に休めるかどうか、分かったものではない。ゼロは側頭部を右手で抑える。
あれから数日経つというのに、相変わらず悪夢を見続けている。それも毎晩、全く同じ悪夢を。そして必ずうなされて起き上がる。静かに眠れたためしなど無い。そしてまた、夢に出てくる「彼女」のことも思い出せないままである。
――――本当に馬鹿馬鹿しい……
夢を見るという事態も、それに振り回されている自分も、どう仕様も無いほどに馬鹿馬鹿しい。
そして次の瞬間、足が止まった。ゼロは息を飲んだ。――――目の前に、あの女性の背中が見えるではないか。どこかぼんやりと霞んでいるが、確かに「彼女」の背中だ。茶色く長い髪が揺れている。
「……馬鹿な……」
思わず呟く。いったい何がどうなっているのか分からない。どうにも信じられない。しかし確かに、「彼女」がそこにいた。ゼロの目の前に、「彼女」は姿を現したのだ。驚きのあまり、阿呆のように口をパクパクと動かす。
「……なんなんだよ…………」
震える足で、恐る恐る「彼女」に近づく。――――確かめたいと思った。本当にそこにいるのか。その触感を確かめたかった。「彼女」が何者なのか。そして、その素顔を。ゼロはただ確かめたいと思ったのだ。
そうして手を「彼女」の肩にゆっくり伸ばす。
「こっちを…向け!」
「彼女」の肩を強引に掴み、振り返らせた。――――ハズだった。
「……っ!?」
しかし、いない。「彼女」の姿は何処にもいない。見えない。まるではじめからそこに誰もいなかったかのように、その空間は空虚だった。
――――……確かにそこにいた…。気配があった……
その筈だ。触れられるような感じがするほど、「彼女」の存在には現実味があった。いや、実際に触れたと思った。けれど「彼女」は消えた。
「…ゼロ」
突然、後ろから女性の声に名を呼ばれ、ゼロは勢い良く振り返った。
「小娘…か…。…どうした……?」
しかし、そこにいたのはシエルだった。それまでの動揺を、笑顔で隠し、取り繕いながらゼロは尋ねた。シエルは何処か怯えたような様子で立っている。
「…ううん、何でもないの。…ただ、ゼロの様子がおかしかったから…」
「しまった」とゼロは焦った。どこから見られていたのだろう。だが、それについて問いただすのも、余計に不安を煽ってしまう気がした。
「いや……ちょっとな…体の調子が少しアレだったから………少し戦いすぎ…たんだろ、たぶん…」
しどろもどろに説明する。ちゃんと口は回っているだろうか。無理やり笑顔を作っては見たが、おかしくはないだろうか。正直、自分でも何を言っているのか分からなかったし、顔がひきつっているのも、笑い声が乾ききっていたのも分かった。
これ以上はいたたまれなくなり、ゼロは「じゃあな」とその場を離れようとする。
「なにかあったのなら、セルヴォに相談しなきゃだめだよ…」
ゼロのコートを咄嗟に掴み、まるで懇願するような目でシエルが忠告する。不安で、心配で堪らないという瞳だった。
それを見て少し考えた後、「ふぅ」と深く息を吐き、ゼロは自分を落ち着かせる。
――――不安にさせてどうする……
そして弱めに拳を握り、シエルの頭を軽く小突く。「痛っ」と声を上げ、シエルが頭を押さえる。コートから手が離れた。
「子どもがいちいち心配するなよな。俺の立場がなくなるだろ?」
人差し指を立て、冗談めかして言う。大丈夫、今度はいつも通りに口が回っている。
「冗談で言ってるわけじゃないのよ…。本当に…心配してるんだから…」
シエルは不満そうに口を尖らせる。こういう時、シエルは十四歳という年齢以上にとても幼く見えた。しかし、だからこそ――――…
「分かってるよ、それくらい」
今度は優しく頭を撫でる。そして静かな声で、諭すように言う。
「俺にはそれが耐えられないんだよ」
それ以上、シエルは何も言えなかった。ゼロの目が何処か悲しそうに見えてならなかったのだ。
それから無言のまま、ゼロは自分の部屋に向かい、シエルもそれについて行った。特に何か用事があったわけではない。けれど、側を離れたくないと思ったのだ。そんなシエルの気持ちを知ってか知らずか、ゼロは彼女に付いて来る理由を問おうとはしなかった。
「明日、エルピスに頼まれてな…。また…出なきゃいけないんだ」
ようやくゼロが口を開いたのは、彼の部屋の前まで来た時だった。
「聞いてるわ。黄金の鷲の基地まで調査に行くんでしょ…?」
「ああ。…まあ、だから何だってことはないんだが……」
それを伝えてどうしたかったのか、自分でも分からない。ただ、無言のまま別れてしまうのはなんだか良くない気がして、咄嗟に言葉を探しただけだった。けれど、シエルは何か納得したように頷く。
「大丈夫。――――何も心配しないで、待ってるわ」
笑顔を作り、そう言った。するとゼロもまた微笑んだ。
「…ああ、そうしてくれよ。小娘」
お互いに、それが“カラ元気”であることに気づいていたかも知れない。
―――― * * * ――――
「時間です。作戦、スタート」
いつも通り、ルージュの冷静な声でゼロは作戦の開始を告げられる。そしてアクセルを絞り、ライドチェイサーを走らせた。そしていつも通り、シエル達がそれを見送る。――――だが、シエルの胸中は決して“いつも通り”ではなかった。
「…ねえ、セルヴォ」
「?……どうかしたかい、シエル?」
内心、不安でたまらないシエルは、どうしても誰かから答えを得ずにはいられなかった。
「ゼロは…なんともないよね…?」
「え…?」
「何処か悪いとこ…ないよね?」
問いの意味がすぐに理解できなかったのか、そのまま少し黙ってから、セルヴォは答えた。
「大丈夫。私が見る限り、何も悪いところはないよ。――――急にどうしたんだい?何か…気になることでも…?」
シエルは慌てて首を横に振る。
「ううん、そういうワケじゃないの。ごめん、変なこと聞いて…」
そうだ、何も悪いところはない。そう信じるのだ。――――シエルはそう決めた。
昨日見た、あの光景は自分の胸に締まっておこうと、きっと自分が心配性なだけなのだと、そう言い聞かせた。
昨日、廊下で見たとき、ゼロはただそこに立っていた。――――そう、ただ“立っていた”のだ。何もせず、何も言わず、名前を読んでも返事もせず、反応すらせず、ゼロはそこに“立っていた”。呆然と、まるで魂が抜けた抜け殻のように、立ち尽くしていた。
おかしく思ったシエルは何度も呼びかけた。そして、何度目かの呼びかけに、ゼロはようやく振り向いた。けれど、その時のゼロの顔は非常に険しく、それでいて何処か苦しそうで、いつものゼロではなかった。
――――まるで何かに取り憑かれているみたいな…
そんな印象を受けた。
けれど、シエルはその考えに蓋をした。
それ以上、思い悩んでどうする。ゼロ本人も、セルヴォも、何も問題ないというのだからそれを信じるしか無い。ただ今は作戦の成功と、無事に帰還することだけを祈るのだ。
――――それに
分かっている。自分には赦されない。――――これ以上不安になることも、心配をすることも。彼の身の安全を祈ることだって、本当は赦されるはずがないのだ。そんなことをするくらいなら、最初から――――…
そこまで来て、それ以上は考えないことにした。途方も無い、懺悔のしようもない後悔しか生まれないのだと分かっていたから。
ただ、離れてゆくゼロの背中を、シエルは見えなくなるまで見つめていた。