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「ロシニョル、後は私がやるよ。ご苦労様」
セルヴォが労いの言葉をかけると、ロシニョルと呼ばれた女性レプリロイドはさっさと部屋から出ていった。
メンテナンスカプセルの制御用コンピューターを操作し、メディカルチェックと各部のケアを始める。
「この中身を覗かれてる感覚……気に入らないな」
カプセルの中に横たわったまま、ゼロは少し不快そうに顔を歪ませた。
「ほんの少しの辛抱だよ。……君には健康でいてもらわなきゃ困るからね」
苦笑混じりに返すセルヴォを見て、「…こいつもか……」とゼロは心の中で呟く。
先程話したドワもこのセルヴォという男も、決して心を許すべきでは無い相手の前で、何故こんなにも柔和で温かな空気を纏っていられるのだろう。
「さっきのジジイ同様、アンタもおかしなヤツだな」
「ん?……というと?」
「先日のこと。忘れたワケじゃないだろう?」
セルヴォの態度を――――また、もちろんドワの態度も――――理解し切れずにいたゼロは、先程と同様の問いをセルヴォに向けて発した。
「あれだけ言ってやったってのに、他に思うことは無いのか?」
その言葉に反応し、作業をしていたセルヴォの手が止まる。そして、ゼロの方を見つめる。――――ほんの数秒。
それから、途中まで仕上がっていた作業を一気に終わらせると、カプセルの側の椅子に腰かけた。カプセルの方はと言うと、セルヴォの打ち込んだデータを元に、ゼロの体を解析し、ナノマシンを利用した修復作業を始めていた。
「『他に思うことは無いか』と聞かれれば、もちろん無いわけじゃない。私たちは[レプリロイド]。“考えるロボット”だからね」
他の団員やドワもそうであるように、セルヴォもまた、ゼロの発言を全て許すつもりは無い。仲間への侮辱には怒りを感じたし、その舐めきった態度には嫌気が差した。
「“それでも”だ。……あの子――――シエルが君を信じると言ったからには、私たちが信じないワケにはいかないんだよ」
「また同じようなことを言う……」
態度だけでなく質問への解答まで、まるで口裏を合わせたように、重なっていた。
「お前たちにとって、あの小娘は何だって言うんだ?」
確かに「レプリロイドのために」とたった十四歳の少女が、人間の中でただ一人立ち上がったことは、とても勇敢な決断だったと認めよう。
だが、やはりシエルは“少女”なのだ。
どんなに崇高な理想を持っていようと、どんなに優秀な頭脳を持っていようと、シエル自身が認めるように、非力であることは変わらない。
それなのに、このセルヴォや先程のドワのような者たちにとっては、怒りや憤りの感情を抑え込み、寛容な心を持たせるだけの大きな存在として、その精神の中に根付いているらしい。
「あの小娘の何がお前たちをそうさせる?」
そう問われ、セルヴォは少し考え込む。だが、そう長くかからない内に、セルヴォは何か思いついたように言葉を返す。しかし、それは質問への解答ではなく、新たな質問であった。
「『システマ・シエル』の話は聞いたかい?」
「システマ・シエル」――――シエルがネオ・アルカディアとの交渉に利用しようと設計した「準無限エネルギー循環システム」のことだ。
ゼロは「ああ」と頷く。遺跡に向かう前、彼女の決意と共に知らされていた。
「それを交渉の道具として最大限に活用するために、お前たちは命を懸けて戦っている。そうだろ?」
「その通り。――――それじゃあ何故、あの子がそんな物を作ろうと考えたか…分かるかい?」
「それは、レプリロイドの権利を………」
答えかけて、口を噤んだ。
違う。レプリロイドの権利を獲得するための道具――――などと言う易い物ではない。この惑星の存亡を左右しかねない代物を作る理由が、ただそれだけであるハズが無いのだ。
危うく短絡的な解答をしてしまいかけた己を恥じる。
“レプリロイドの権利の獲得”を目的とするならば、例え「システマ・シエル」がどんなに有効な手段と成り得ようと、わざわざそんな大それた物を作る必要は無い。更に言えば、「システマ・シエル」には交渉が済んだ後も役目があり、それはレプリロイドのためだけのものとは決して言えない。――――ゼロは先日の会話を思い返す。
『本当は、誰にも傷ついて欲しくなんかない。白の団の仲間にも。ネオ・アルカディアの人達にも…』
そう言った少女の目指すもの。レプリロイドも人間も平等に慈しむ少女が掲げる理想。それは――――
「シエルはね、未来を作ろうとしているんだよ」
「未来……?」
「そう」
レプリロイドと人間が共に支え合い生きてゆく未来。
「システマ・シエル」は、そんな優しい未来を作るための道具なのだ。
「ここにいる連中が、いったいどれだけの仕打ちを受けてきたか……君には想像つかないだろう?」
一般的な虐待から、“死ぬことすら許されない”地獄を味わった者まで、程度で言えば様々な者たちがいる。だが、皆共通して言えることがある。
「誰も“未来”に希望なんか持っていなかったし、“未来”というもの自体、その存在すら描いていなかった。…シエルに出会うまでは、ね」
シエルという人間に出会ったことで、“未来”を知り、いつしか“未来”への希望を抱くようになった。
もちろん、全員がシエル本人に救われてきたワケではない。だから、シエルという人間の存在に疑問を抱く者もいる。だが、その優しさはまるで波紋のように周囲へと渡り、いつしか輪となり、多くの者達を繋げ、包んできた。
そして、白の団という組織ができたのだ。
「だから、少なくとも私やドワやアルエットのように、直接あの子と関わってきた者達は、あの子が作ろうとしている未来を信じ、命を懸けている。そしてだからこそ、その未来のためにあの子が信じる戦士のことも、疑うつもりは毛頭無いんだよ」
それがどんなに勘に障る相手だったとしても。
セルヴォは満足そうに語り終えた。シエルという存在が、自分たちにとってどれだけ大きな存在であるのか、伝え切れたと確信した。
「…バカを言うなよ」
しかし、返ってきた言葉は予想を超えるものだった。
「!?」
一瞬、身を強ばらせた。ゼロが今までに無い険しい表情で睨み付けてきた。
「あいつは、ただの“小娘”だぞ…」
ゼロはそのまま、上体を起こしてきた。止めようにも真っ直ぐ睨み付けられ、それどころではなかった。
そして、僅かながら怒りの色が滲み出す。
「“未来”だって…?お前らはそんな大層なもんを、あんな小さなガキに背負わせようって言うのか」
「…な…そんな…!」
とっさに反論する。
「さっきも説明したように、あの子は自分で未来を作ろうと決意した。そしてその理想に私たちは救われ、共感して……」
「『…共感して』、自分たちの“未来”を託し、理想を重ねて、あの“小さな肩”に命を懸けているワケか。それが重荷になるとも考えずに!」
「それは…」
セルヴォは息を飲む。そのような在り方に、今まで自分たちは気づきもしなかった。
「本当にお前らはおめでたいヤツらだよ。そうやって他人を勝手に神聖化し、自分たちが一方的に理想を押し付けていることにすら気づかない。……よく分かったぜ。お前らにとってあの小娘が何なのか。どういう存在なのか…」
若干十四歳の少女にレプリロイド達は夢を見た。“未来”という名の夢を。そして命を懸ける。その理想が遂げられるようにと。端からは、少女の理想のために戦う美談にも映るだろう。
しかし、実際は若干違う。少女の理想に、レプリロイド達はそれぞれの理想を重ねていた。そして“それ”が遂げられることを願い、命を懸けているのだ。「彼女がきっと叶えてくれる」と信じ、自分たちの死すら理想の糧にすると信じ…――――まるで、解かれることの無い呪いのように信じ続けている。
そしてその呪いに、誰よりも他者を慈しむ幼い少女は囚われ続けるだろう。その理想を遂げなければという使命感に苛まれ続けるだろう。「仲間たちに託された理想のため」に、彼女は自由も幸福も省みず、進み続けるだろう。
それがいったい、どういう意味か…――――
「要するに、あいつはお前らの“理想の犠牲”だろう!」
ゼロの言葉に激しく打ちのめされ、セルヴォはぐうの音も出せない。
ようやく顔を上げても、真っ直ぐゼロの方を見ることができなかった。
「……返す言葉も無いよ」
なんとか搾り出した言葉。認めざるを得なかった。
「確かにその通りだ。全員とは言わないが…確かに私たちはたった十四歳の人間の少女に、自分たちの理想を背負わせている。――――けどね…」
「けど……なんだ?」
「…………君にも、直に分かるだろう」
弱々しく見つめてくる瞳。だが、その中にはある種の確信のようなものが見えた。
「シエルという少女に、私たちが理想を託してしまうワケを。――――言い訳がましいかもしれないが、あの子にはそれだけの器が確かにあるんだよ……残酷なことに」
「バカな…」
怒りを通り越して、呆れすら感じた。たった十四歳の少女に、そこまでの幻想を抱いているというのか。
だが、それ以上は言えなかった。何故ならゼロは、確かに彼らよりもあの少女について知らなさすぎたのだ。
納得できてはいなかったが、とりあえずは気を落ち着かせ、カプセルに再び横たわる。作業中のエラーに戸惑っていたコンピューターも、対象を見つけ、なんとか作業に入り直すことができた。
「……それじゃあ、私からも聞かせてもらうよ」
気を取り直し、今度はセルヴォがゼロに尋ねる。
「君は何故戦う?」
「何故…?」
思いもよらない問いだった。
「君の戦う理由が、私たちにはどうしても分からないんだ」
自ら罵倒し、侮辱した連中の中に身を置いてまで、また、かつての親友を敵に回してまで戦う理由。
「ネオ・アルカディアの連中が気に食わない…ってだけじゃダメなのか?」
あの少女に涙を流させる、ネオ・アルカディアという存在が気に食わない。ガネシャリフ戦で見つけた一応の答えでもあった。
「あの小娘の力になりたいってだけじゃ、いけないのか?」
「『シエルの力になりたい』というなら、君は――――」
少し言葉を選ぶように迷う。そして、問いを続ける。
「――――君は、シエルの何に惹かれたんだ?」
「彼女の力になりたい」と思えるほどの何かを感じたのではないか。白の団のメンバー同様、ゼロもまた、彼女の何かに惹かれたのではないか。セルヴォの中にはそんな問いが生まれていた。
「『何に惹かれた』……か…」
ゼロは確かめるように問われた言葉を呟く。
それは偶然にも、先日、自分の中で保留していた問いとも一致していた。
ネオ・アルカディアという国が気に入らない。だが、この白の団というチームも好きにはなれない。だが、シエルの力にはなりたいと思う。
――――何故だ?
戦う理由は確かにそこにある。だが、その理由の根源は見つけられないままだった。
しかしこの時も、遂に答えを出すことは出来なかった。セルヴォもまた、無理に答えさせようと急かしはしなかった。
「ゼロ!」
勢い良く扉が開き、シエルとアルエットが駆け込んでくる。
「どうした小娘?」
血相を変えて飛び込んできた少女にゼロは驚く。何か悪いことでも起きたのだろうか。
だが、そんな心配は必要なかった。ゼロの顔を見て、シエルはほっと胸をなでおろしていた。
「すぐにメンテナンスルームへ連れて行かれたって聞いたから……」
「心配してくれたわけか…はは」
少し馬鹿にしたような笑いをこぼす。
「問題ないぜ。俺はこの通り、ピンピンしてる。ここのおっさんがちょこっと心配性だっただけさ」
そう言ってセルヴォの方に視線を送る。
「おっさん」という冗談めかしたゼロの発言に、セルヴォは不満気に言葉を返す。
「百年前のレプリロイドに言われたくはないよ」
「確かに」と、ゼロもシエルも思わず納得してしまった。
「エルピスから、次の作戦のことは聞いた?」
セルヴォが座っていた椅子に腰掛けるやいなや、シエルは不安気な声色で尋ねた。膝の上にはアルエットを乗せている。
「いいや。……まあ、一応セルヴォから軽くは聞いたが…。何でも“大層な歓迎パーティ”があるそうで」
いつもの調子で答えるゼロ。だが、シエルの目は相変わらず不安と心配が入り交じっていた。そしてまた――――
「…なにをそんなに申し訳なさそうな面してるんだよ」
ゼロを見るシエルの表情には、明らかに謝罪の色が浮かんでいた。
「ごめんなさい、ゼロ」
「なにが?」
「……私も、詳しく知らされてたわけじゃないんだけど……スゴく大変な任務なんでしょ?」
「『でしょ?』って言われてもな…。俺も詳しく知らされた訳じゃないし」
ゼロの言葉に「そうよね」と笑ってはみるものの、やはりシエルの表情は硬い。
エルピスが計画した作戦は明らかに過酷なものだった。メカニロイドやパンテオン、ゴーレム併せて数十機以上とやり合うことが予測された。また、シエルには「僅か」としか知らされていなかったが、オペレーターが出した推定生還率はたったの15パーセント。その確率が導きだす答えは単純明快、「帰れない可能性の方が圧倒的に高い」ということだった。
「初めての任務なのに……目覚めたばかりなのに……」
白の団としての初任務がこのような無理難題となるとは。たとえ「伝説の英雄」と言えど、決して無事に済むとは思えない。
そもそも、何故このような事態に巻き込まれることになったか。理由はよく分かっていた。だが…――――
「それ以上は言うな、小娘」
先を予知したように、ゼロが制止する。
言いたいことは分かる。けれど、それを言わせる訳にはいかなかった。何故ならそれは、彼女の行動の否定であり、そしてまたゼロにとっても心地の良いものではなかったから。
気持ちのやりどころをなくし、戸惑うシエルを見て、「やれやれ」と溜息をつく。
「『初めて』も糞もないだろ。俺が眠りに就く前、どれだけの戦いをこなしてきたか。……もちろん、覚えてるわけじゃないけどな」
しかし、経験として蓄積されている。「イレギュラー戦争」――――いや、それ以前から戦いの中に身を投じて生きてきた彼にとっては、この過酷な作戦も数百、数千の戦いの内の一つでしか無い。記憶がなくなろうと、それは変わりないことだった。
「それでも……」
「心配する必要なんか無い。お前はあの時みたいに、迷わず俺に頼み込めばいいのさ。『ネオ・アルカディアと戦ってくれ』ってな」
「ゼロ……」
無用な心配だと微笑むゼロに、シエルはようやく表情を緩めた。
「見ろよ、あのコート」
ゼロが目配せする。シエルはその視線の先を見る。
そこには壁にかけられた真紅のコートが、存在感を強く放っていた。
「……あれが…『カプセル以外にあった』物…?」
「そ。――――俺が“何者”であるかの確かな証拠さ」
しばらくしてメンテナンスが済み、カプセルから起き上がる。かけてあったコートを、セルヴォが手渡す。そして、ゼロはそれを羽織る。その姿は、白の団の戦闘服を纏っていた時よりも、遥かに“らしい”格好だった。
「分かるだろ?心配なんかいらないんだよ」
この真紅のコートが証明してくれている。
「なんたって俺は…」
「『でんせつのえいゆう』だもんね」
咄嗟にアルエットが決め台詞を掠め取る。
おかげでバツが悪くなったゼロは、仕方なく「その通り」と苦笑いを浮かべながら頭を撫でる。
その光景にシエルもセルヴォも、心が静かに和らぐのだった。