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「あな…たが…」
目の前に颯爽と現れた伝説の英雄に、コルボーはまともに対応できずにいた。
そんなコルボーに手を差し出し、ゼロは立つように促す。
「ほら、坊主。早く立ち上がれよ。――――もたもたしてる暇はないぜ。いつ敵の援軍が来るとも分からないからな」
「…だ…大丈夫です!自分で立てます」
ようやく我に返ったコルボーは、差し出された手を払いのけ、慌てて立ち上がる。そして、目の前の男をジッと見つめる。
――――この人が……
二人は並んで、他のメンバーが隠れている岩場へと戻る。未だ呆気に取られている者たちを無視して、ゼロは簡単にあいさつを済ませる。
「司令官殿の命令を受け、救援に来たゼロだ。まあ、よろしく」
だが、誰からの返事も無い。皆、ゼロへの対応に戸惑っている様子だった。
――――無理も無いよな
先日の演説を見たというだけでなく、これだけ切迫した状況に送られてきた援軍が一人だけとあっては、冷静でいられるハズも無い。となれば、挨拶など呑気に交わしている心の余裕も無いのだろう。まあ、仕方あるまい。
――――とりあえずは俺が指示を出すべきか……
そう考えていると、一人の男が前に進み出てきた。
「このチームのリーダー、マークです。救援に来て頂き、心より感謝します」
そう言うと、「よろしく」と握手を求め、手を差し出してくる。
ゼロは正直、驚いた。この状況において、こんなにも落ち着いた物腰でいられる者がこの組織の中にいたとは。
――――…いや、違う…か
実際には、必死で自らを落ち着かせようと努めているのだと、ゼロはその瞳から読み取った。
なるほど、チームのリーダーを任されるだけあって、その責任感は大したものだ。チーム内の動揺をこれ以上大きく広げないために、気を張っているのだろう。――――こういった男をチームのリーダーに選び出すあたり、あのエルピスという男もそうそう無能ではないのだなと、少しだけ関心した。
マークの心意気に敬意を評し、ゼロは握手に答える。
「伝説の英雄様に、救援に来ていただけるとは光栄です」
「まあ、それほど大したもんじゃないけどな」
皮肉とも取れそうな言い回しではあったが、そういった類のものを感じさせないマークに、ゼロは少なからず好感を持てた。
「とりあえず、ここから離れるぞ。俺が先導する。ある程度動けるヤツらは後方に回って、負傷者達を挟むような形で動こう。何か異変があればすぐに報告――――そうすれば、高速で駆けつけてやる」
「了解しました。――――よし、それじゃあ皆。速やかに…」
「待ってくれよ、リーダー」
順調に運びつつある話を遮るように、メンバーの一人が声を上げる。その顔は明らかに不満の色を帯びていた。
「そいつの言いなりになっていいのかよ。そいつは…俺達を…」
そこで言葉を濁らせたが、はっきり口にせずとも、言いたいことは容易に想像が付く。「まあ、あってしかるべき反応だな」とゼロは心の中で呟く。
だが、内輪で揉めていられるほどの余裕がないことも確かであった。
「その話は後だ、ヘルマン。……今は一刻も早くこの場を離れよう。――――さあ、皆。俺達のホームへ帰るぞ。急いで動け」
マークの掛け声と共に、メンバーが一斉に動き出す。ある者は銃器を手に。ある者は傷ついた者に肩を貸し。不満も、戸惑いも決して無くなったわけではないが、リーダーであるマークの指示に従い、手早く支度を済ませる。ヘルマンも舌打ちをし、小声で文句を垂れてはいたが、マークの指示に従って動いている。――――マークのリーダーシップの高さを、ゼロは理解した。
旧世紀の遺産とも呼べる、砂に埋もれた廃墟群がたまに目の端に映るくらいで、他にこれといった物は見えてこない。一面、見渡すかぎりの荒地で、追手の気配すら感じられない。
まるで葬式の参列者のように、重々しい空気を漂わせ、ゼロ達の一行は重たい足を基地に向け動かしていた。
目の前を行く紅いコートの背中を睨みつけながら、それでも離されないよう、皆できるだけ急ぎ足で歩く。
「……コルボーよう、お前はどう思う?」
突然尋ねられ、コルボーは「何が?」と問い返す。
「あの英雄様だよ。……噂をしてたら本当に来やがったけど……」
そこで言葉を切るが、言いたいことはすぐに伝わった。
「…そりゃ、いい気分はしないよ」
多くの仲間達の犠牲の下、白の団は百年前の英雄を復活させた。しかし、その英雄は白の団のメンバー全員を役立たずと罵ったのだ。
そんな彼をここにいる誰ひとりとして、心から歓迎できはしなかった。
――――それは、マークさんだって同じはずだ……。けど…
確かにリーダーであるマークも、その不満を感じていないわけではない。だが彼は自分の「リーダー」としての立場をわきまえ、救援として死地へと送られてきた英雄を温かく迎え入れた。そして、その対応を見て、もちろん多少の小言を漏らす者もいたが、ほとんどの者は「自分も不満を抑えよう」と務めることにしたのだ。そうした気遣いの重なりから、チームはまともに機能し、行動することができた。
「マークさんが黙ってるうちは…俺達も我慢するしかないだろ……」
コルボーの横でトムスがそう呟くと、尋ねてきた者は顔をしかめ、口を噤んだ。
そうしたやりとりがチーム全体であったのか、ついに愚痴をこぼす者は一人もいなくなった。
日が暮れる頃、一行は手頃な廃墟に身を隠し、休むことにした。まだすべて終わったわけではないが、ここまで敵に遭遇すること無く、無事に来れたことに安堵する。皆それぞれ腰をおろし、休息をとる。
「B-37Tにある旧塵炎軍団基地の空間転移装置を経由して本拠地周辺まで一気に飛ぶ」
ゼロがマークに今後の予定を語る。ここから数キロと離れていない旧塵炎軍団基地にある空間転移装置を使い、白の団本拠地周辺にある、別の旧ネオ・アルカディア軍基地へと飛ぶわけだ。無論、足がつかないように、サイバーエルフ達が空間転移装置のネットワークを管理し、情報を消去する手筈にもなっている。
「問題は、そこまで向かう途中で塵炎軍団とかち合うかどうか……ですね」
負傷者ばかりを抱えるこの状況では、通常よりも時間がかかってしまう。追手にはおそらく追いつかれるだろうし、また、行動を予測されれば先回りされることも有り得る。そうなればゼロが一人で時間を稼ぐことになるわけだが、決して無事に済むとは到底思えない。敵の数によっては、全滅の可能性も否定はできないのだ。
「……まあ、諦めるか腹括るかは各人に任せるさ。俺は、俺の仕事を済ませるだけだからな」
避けられない事態ならば仕方ない。それに備え、今は体を休ませるだけだ。だが、きっぱりと言い放つゼロの言葉に、またしても横で聞いていたヘルマンが突っかかる。
「何が『俺の仕事』だよ…」
苦笑とも、嘲笑とも取れる笑いを浮かべ、吐き捨てる。
「あんたにとっちゃ、本当は俺達の命なんざどうだっていいんだろ?」
「やめろ、ヘルマン」
「言わせてくれよ、リーダー!」
マークの制止も意に介さず、ヘルマンは不満をひたすら吐露する。険悪な状況に、誰もが狼狽える。
「いや、あんただけじゃねえ。エルピスさんにとっても、俺達個人の生死なんざどうでも良かったんだ。――――分かってんだろ?あんただって結局は切り捨てられたんだよ。『白の団にお前みたいのはいらねえ』って、エルピスさんが判断したんだ。へっ、『伝説の英雄』とか言われて天狗になってたんだろうが、それもお終いさ。残念だったな、英雄さんよぉ」
「いい加減にしないか!」
業を煮やしたマークがついに大声で怒鳴りつける。普段とは全く違う様子に、その場にいたメンバーは皆驚いた。しかし、ヘルマンは臆せず食い下がる。
「リーダー、あんたはこれでいいのかよ!こんな終わり方で、納得出来るのかよ!?」
そう問われ、言葉を返すことができない。――――実際マークにも、ヘルマンの言うことはよく理解出来ていたのだ。
この切羽詰った状況に救援が来ないことは、頭では理解していた。だが、どこかで可能性を棄てきれないでいた。希望を抱いていた。だが、送り込まれてきたのは実力の程も知れない件の英雄、ただ一人。この事実こそ、マークのチームが切り捨てられたというなによりの証であり、現実を否が応にも受け入れざるを得ない十分な材料となった。
納得出来るか?――――できるわけがない。
「レプリロイドの自由のために」という志のもと、白の団に尽くしてきた。危険も顧みず、任務をこなしてきたつもりだ。その終わりがこんなにも呆気ないものであっていいのか。そんなに簡単に切り捨てられるほど、自分たちの存在は組織にとって不必要なものだったのか。
マークチームのメンバー全員が、同じことを考えていた。
「こんなんでいいわけがないだろう!」
ヘルマンの悲痛な叫びに誰もが同じ思いを抱いた。抑えるべき立場であるリーダーのマークですら。――――しかし……
「じゃあ、どうすればいいって言うんだ?」
逆にマークが問いかける。
「納得しないで……できないで……それでどうすればいいんだ?俺は…俺達は…?」
その問いにすら、誰も答えることが出来ない。
「確かに、お前らが生きようが死のうが、俺には関係ないな」
静寂を裂くように、ゼロが呟く。
「そいつが言うように、あのお坊ちゃんは俺をとっとと捨てたいんだろうさ。“ガン”は早めに取り除いたほうがいいもんな」
ゼロという存在が白の団という組織を脅かす可能性も確かに否定出来ない。
「結局、奴は自分が天辺に居られる猿山を大事にしておきたいだけで、お前らみたいな“役立たず”が何人死のうが、正直どうでもいいんだろうよ」
「…あんた、いい加減にしろよ!」
「やめろ」というトムスを振りきり、コルボーが声を荒げる。
「演説の時からずっと役立たずだとか、勝手に決めつけやがって!馬鹿にして!」
今まで抑えてきた感情が一気に溢れ出す。
「あんたなんかずっと眠っていただけじゃないか!シエルさんが……ミランたちが命がけで目覚めさせたから、あんたは此処にいるんだろ!『役立たず』なんて言える立場かよ!!」
ゼロを目覚めさせるためにどれだけの命が消えていったのか。それを思うと、彼の言葉を決して認めるわけにはいかなかった。だが、怒鳴りつけるコルボーを、ゼロは「フン」と鼻で嘲笑う。
「勝手に利用しようとして、『命がけで目覚めさせたから』?片腹痛いぜ。お前らの都合でやったことを恩着せがましく言ってくれるなよ。分かるだろ?――――言いたか無いがな、そういうのは『自業自得』ってんだよ」
言葉を返せない。認めたくないが、それは正論だった。
コルボーが自身で言ったように、ゼロはずっと眠っていた。この時代の戦争とは決して関係ない領域に見を置いていた。
それをこちら側に引きずり込んだのは、紛れもなく白の団のエゴであり、皆が胸に抱いていた“ゼロ”という英雄への幻想だ。
彼の発言を非難するのなら、彼を無関係の争いごとに巻き込んだ自分たちの行為もまた悔い改めるべきなのだ。
ヘルマンも、コルボーも、マークも、黙りこんでしまった。重い沈黙が、一同を包む。
その静寂を破ったのは、またしてもゼロだった。
「…さっきも言ったように、俺にはお前らの命がどうなろうとどうだっていい。諦めるなら諦めろ。死にたい奴は死ねばいい。他人を気にするだけの広い心を、俺は持ち合わせちゃいない。――――けどな」
「けど?」と、皆、顔を上げゼロの方を見る。ゼロはただ言葉を続ける。
「俺はあいつに、お前らの命を託された。『必ず無事に帰ること』を約束した。――――約束した以上、それを違えるつもりはない。俺は生きて帰る。そして、今ここにいる連中も、全員、生きたまま連れて帰る。――――それだけだ」
誰も、何も言えなかった。
非難も、不満も、それ以上口にされることはなかった。
そしてその静寂は、とうとう夜明け頃まで続いた。






