20 [E]
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呆然と座り込むレヴィアタンの前に、満身創痍の身体を引きずるようにしながらも、ゼロはなんとか戻ってきた。降り注ぐゲルの破片に、陽光がキラキラと美しく反射する。その輝きの中、ゼロはレヴィアタンの前に立つ。
あまりに無謀な戦法に、絶句していたレヴィアタン。震える声で気遣う言葉を搾り出そうとする。
「あなた……なんて無茶を……」
「………ふざけるな…よ」
レヴィアタンに対し掠れた声で、ゼロは言う。
突然力なく崩れ落ちるゼロの身体。レヴィアタンは咄嗟にそれを支える。
だが、ゼロは彼女の肩を掴み、睨みつけ、叱咤した。
「……ちゃんと生きてもいない内に……諦めるんじゃない」
ラドゥーンの脅威を前に、レヴィアタンは敗北を悟り、死を覚悟した。いや、生きることを諦めた――――ゼロにはそう見えた。
事実、レヴィアタンは亡きオルジフのことを思い浮かべ、生きることを諦めた。彼の元に召されるのだと、信じた。
だが、ゼロは再び言い聞かせる。
「……お前が逝ったところで……ソイツは……待っちゃいない……」
既に限界を超えていた。ゼロは震える声で、言葉を搾り出していた。
その姿があまりにも痛々しく、レヴィアタンは「喋らないで」と止める。
「そんな話をしてる場合じゃないでしょ!体の方は……」
「…お前…は……気づいて……いたんだろ……」
そのゼロの言葉に、思わず「ハッ」とする。
心の中を抉るようなその響きに、レヴィアタンは思わず体を震わせる。
その様子に気づいているのか、ゼロは厳しい口調で言葉を続ける。
「ソイツが…“分かっていた”ことに……気づいていたんだろ……」
「………めて…」
消え入るような声で、レヴィアタンは言う。
それから今度は、はっきりと聞こえるように。拒絶の言葉を吐く。
「……やめて…」
じっと見つめるゼロに、レヴィアタンは怯えるように叫ぶ。
「やめて……… そ ん な こ と 言 わ な い で !」
それ以上は聞きたくない。――――ゼロの言葉が真実であると分かっていた。だからこそ、拒絶する。その真実が自身の心を抉ることを知っているから。
だがゼロは残る力を振り絞り、彼女の肩を強く掴み、「ダメだ」と強く言う。
「それと……向き合わない限り………お前はこれからずっと……縛られたままだ……」
「構わないわよ!それでも!」
拒絶の言葉はまるで、悲鳴のようだった。
「彼のことに縛られて!“私”が何者なのか分からなくとも!それでも構わない!私は、彼に……――――」
「それは……ソイツへの冒涜だ」
ゼロが言葉を吐く度に、それが心に突き刺さる。レヴィアタンは拒絶するように目を強くつぶり、吐き出すように叫ぶ。
「知ったようなことを――――」
「俺は愛する人をこの手で殺した」
彼女の言葉を遮るように、ゼロは殊更はっきりとした声で言う。
突然告げられた驚愕の告白に、レヴィアタンは言葉を失う。「愛する人を殺した」――――確かにそう言った。
「……俺は…それを覚えてる………。覚えてるのに……思い出せないんだ……」
苦しそうに、悔しそうに、ゼロは言葉を続ける。
「…愛したその人の…顔も…………名前も……思い出せないんだよ……」
夢の中で何度も出会った“彼女”。
記憶をなくしても尚、覚えている破壊者としての自分。その手にかけた“彼女”のこと。
失った過去が、心を蝕む。怨念のように。呪いのように。思い出せないからこそ、苦しい。
“彼女”だけじゃない。本当に多くのものを失くしてしまった。信じた友。部下。仲間。好敵手。思い出。約束。誓い。――――なにもかも、失くしてしまった。
「けれど……俺は…その過去から逃げたくはない。いつか……必ず思い出したい……向き合いたい……真正面から……受け止めたい……」
その日が来ることを、待ち望んでいる。願っている。
理由はただ一つ。
「俺は…“未来”が欲しい」
そう言ってから苦笑する。
「いや……そんな大層なもんじゃなくてもいい」と首を横に振り、言葉を続ける。
「せめて…“明日”が欲しい。俺は……“今日”の向こうにある“明日”が欲しい」
随分前に辿り着いた答え。それをずっと抱き続けて戦ってきた。
掴めないからこそ、欲しい。希望に満ちた“明日”が欲しい。「だけど」と、唇を噛む。
「“明日”は“今日”の連続だ。……“今”があるから……“未来”がある。そして………――――」
「……“今”もまた……“過去”から繋がっている……」
レヴィアタンの言葉に、ゼロは「そうだ」と頷く。
「だから俺は…“過去”を取り戻したい……“今”を生きるために……“未来”に繋がる“今”を生きるために…………俺は“過去”を背負って生きていきたいんだ……。そんな“過去”を……思い出したいんだ」
失った友との記憶も。部下や仲間のことも。
美しい思い出ばかりじゃない。分かっている。それでも欲しい。
苦しんだ戦いも。つらい真実も。遂に果たせなかった約束も。
愛してしまった“彼女”の名前も。殺してしまった“彼女”の顔も。最期に向けてくれた“彼女”の言葉も。
向き合いたい。そこに絶望があろうとも。
そこから目を背けて前に進もうというのなら、愛してくれた“彼女”への冒涜でしか無い。
そんな自分が“今”を生きられる筈がない。“明日”を、“未来”を掴める筈がない。
「……それなのに……お前はどうだ…」
肩を握る手に、さらに力を込める。
「向き合えるのに………覚えているのに…背を向けて………」
感じたのは確かな怒りだった。
自分がどれだけ望もうとも手に入れられないものを持ちながら、それから目を背けようとしている。
そんな彼女への怒りだった。
「過去に縛られた“つもり”になって……悲劇のヒロインを気取るのはいい加減にしろぉ!!」
そう吠えた後、ゼロは力を失ったのか、肩を掴んでいた腕は地に落ち、頭から倒れ込む。それを、呆然としていたレヴィアタンの身体が支える形になった。
レヴィアタンはそれを気にすることなく、代わりに深く考え込んだ。
「……あなたの……言う通りよ」
やがて、沈黙の後にレヴィアタンは震える声を搾り出した。
「……私は……気づいていた……彼が“彼女”を愛していたことに………」
放心したように遠くを見つめながら、レヴィアタンは言う。
そう……“私”は分かっていた。彼が死ぬ瞬間に――――或いはもっと前から気づいていた。
彼は“彼女”を愛していた。
死んでからも尚、愛し続けた。
目の前の“模造人形”には目もくれず。
そこにいない“彼女”を愛していた。
「代わりでも良かった……」
“私”の中にいる“彼女”を愛してくれているなら。
『それは“私”だ』って
『“彼女”としてでも“私”を見てくれていたんだ』って
そう思えた。
けれど、真実は違った。
彼は既に見ていなかった。
“私”の中に“彼女”を。
――――いや、違う。
もういなかったのだ。
“私”の中に……彼が愛した“彼女”はいなかったのだ。
あの日、彼が最期に紡いだ言葉を、何故思い出せないのか。
それは、その言葉こそ彼の想いの真実を現していたから。
だから“私”は記憶の底に閉じ込めて蓋をした。
『“彼女”としてでも、彼は“私”を愛してくれた』――――そんな過去が欲しかった。
そんな過去を壊したくなかった。
そう……。
あの日、彼が最期に紡いだ言葉は。
共に見せてくれた笑顔は。
それらを向けた相手は…――――……
「“レベッカ”で良かったのよ……最期まで…」
愛してくれているのなら。
だけど、彼が最期にかけた言葉と笑顔は、“彼女”に向けたものではなかった。
しかし、だからこそ認めたくなかった。
「……教えて…紅いイレギュラー………」
肩にもたれかかるゼロへと問いかける。
「……“私”は…どうすればいいの…?」
どうすれば受け入れられるの?
どうすれば認められるの?
どうすれば向き合えるの?
――――そんな彼女の問いに対し、暫くの静寂の後、搾り出すような掠れた声が答える。
「…俺達は……レプリロイドだ……」
生物を模して作られた擬似生命体。プログラムにただ従い、忠実に動く機械人形ではない。
自分で思考し、選択し、生き方を選ぶことができる。――――感情を持った“レプリロイド”だ。
「誰かを…想うことも…愛することも………憎むことも…恨むことも………そして…」
「ぐっ」と息を飲む。それから優しい声で囁くように言葉を続けた。
「――――そして……赦すことも…出来る筈だ……」
『赦す』――――その言葉が耳に染み込んだ瞬間。
心を覆う雲が引き潮のように流れてゆくのを感じる。光が漏れ出すのを感じる。
そして、心の底から蘇る――――
あの日、最期に彼が紡いでくれた言葉
“私”に向けてくれた、あの笑顔と共に
“私”にかけてくれた、最期の言葉
それは――――………‥‥‥
「………………………」
既にゲルの雨は止んでいた。
照らす太陽は地上に落ちたゲルに反射して、眩しく輝く。
まるで宝石を散りばめたように。
もたれかかるゼロの身体もそのままに、レヴィアタンはずっと遠くの方まで、ぼんやりと空を眺めていた。
どこまでも青く広がる優しい空を。
いつまでも一人で見つめていた。