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―――― 2 ――――
最初、何が起きたのか全く分からなかった。
男が何か叫んだ次の瞬間、ガラガラと大きな音とともに壁が崩れ、彼女はいつの間にか宙に浮いていたのだ。
――――分厚い装甲で包まれた、冷たくも重々しい巨人の指。それに体を絞められ、今にも砕けそうな少女の華奢な体。
部屋中に響き渡る、違う男の声。
「そこまでだ、イレギュラー」
「!?」
金髪の男にエネルギー銃を向ける三人のレプリロイド。――――その横にはゴーレムがシエルを握り、構えている。
「…派手にやってくれたものだ…」
真ん中に立つ一人が部屋を見渡す。
男が破壊したと思われるパンテオンの残骸が無残にも転がり、夥しい量の疑似血液が飛び散っている。
「なんだテメェら…」
明らかな敵意をむき出しにし、男は睨みつける。
それに答えるように、真ん中の一人――――遺跡警備隊隊長、リーグは睨み返す。
「『なんだ』とはなんだ?…それはこちらのセリフだ、イレギュラー。名乗れ!貴様はいったい何者だ!?われわれ冥海軍団の持ち場で何をしてくれている!?」
「冥海軍団…?」
ゴーレムがシエルを下ろし、横にいたリーグの部下――――ナイロに引き渡す。
「…ゼロ…」
「お静かに、Dr.シエル。あなたの運命は今、我々の手にある」
「小娘をどうするつもりだ…!?」
「動くな」と男を一喝して、リーグはエネルギー銃の引き金に指をかける。
「安心しろ。彼女は我々の大事な“手柄”だ。悪いようには扱わんよ」
「ふん」と鼻で笑う。
「――――まあ、…ここで死ぬ貴様には関係ないがな!」
その言葉とともに、ゴーレムの腕が勢いよく放たれる。
「ゼロ!避けて!」
シエルの声を聞くまでもなく、男は倒れこむようにして拳を避ける。
間一髪。その言葉通り。流れる金髪をギリギリかすめ、拳は破壊力を物語るようなひどい轟音とともに地面に突き刺さる。
「…なん…つぅ…」
当たっていたら…などと考えたくもない。
「いきなりやってくれるじゃないの…。…俺の話には聞く耳持たねえってか?」
「ほう…、どんな話がある?」
「彼は記憶喪失なの!!」
「な…おい!!」
突然割り込んできたシエルの声を、男は遮る。
敵にこちらの情報をわざわざ知らせる必要はない。それにより形勢がどのように傾くか分からないのだ。
だが焦る男を無視し、リーグはシエルの言葉に、興味深げに耳を傾ける。
「記憶喪失…?」
「そ…そうよ!彼は自分が誰かも分からないの!だから…彼は…彼はイレギュラーじゃない!」
「しかし…我々のパンテオンは…」
「私を助けようとしてくれたの!それだけよ!意味も分からず戦ったの!あなたたちに反抗しようとしたワケでは無いわ!」
「…ふむ」
そう。記憶喪失の男は、ただ幼気な少女を助けるために戦ったのだ。なにも非難されるようなことはしていない。
シエルは男の無実を伝えようと、必死になって弁明した。
しかし当然ながら、リーグにはその弁明をただ素直に聞き入れるということができなかった。
この目の前にいる男が関係ないと言うのならば――――
「――――それならば、Dr.シエル。…あなた方はいったい何のためにこのような場所まで、命を賭して足を踏み入れたのでしょう?」
「!?…それは…」
核心をつくリーグの問いに、返す言葉が見当たらない。リーグは険しい表情でシエルを追い詰める。
「…隠そうとも無駄だ、Dr.シエル。この男の戦闘能力を、既に我々はこの目で見ている」
そして、理解した。
自分たちが守らされてきたモノ。
ネオ・アルカディアが隠し続けてきた“パンドラの箱”、その中身。
それがネオ・アルカディアの脅威となりうるものだと、彼は確信していた。
「――――それをみすみす逃してなるものか!!」
「ゴーレム!」とリーグが呼ぶと同時に、巨人が誇るもう片方の剛腕が、男めがけて撃ち出される。
「…っそぉ!」
男はまたしても寸前でかわし切る。僅かにかすめた足のアーマーから火花が散る。
その隙にリーグはシエルを連れ、その場を離れようとしていた。
「いや!…離して!!」
シエルが必死に抵抗しようとも、腕を引いているのはレプリロイド。力では勝てるハズもない。
その光景を目の端に捉え、男は彼女を救おうと駆け出そうとした。
その瞬間。
「…っ!!」
ゴーレムの頭部から発せられた光が道を遮る。床から壁までを焼き切るように、激しい閃光が一気に走り抜ける。
「まず…っ!!」
レーザーが切り崩した壁の瓦礫がガラガラと大きな音を立て崩れ落ちてゆく。
少女の悲痛な叫びとともに、そこにいたはずの男の姿はかき消されてしまった。
「…いや…ゼロ…」
呆気ない幕切れに、シエルは言葉を見つけられずにいた。その姿を鼻で笑いながらリーグは冷淡に言い放つ。
「当然の結果でしょう、Dr.シエル。たかがレプリロイド一人。我らがゴーレムに敵うはずもない」
そう、当然の結果だ。
どこの誰が見ようと変わりようのない状況だったというのに、この少女は何を期待していたと言うのか。
たった一人のレプリロイドに、どんな希望を見出していたと言うのか。
まあ、今となってはそんなことはどうでもいい。
「さあ、Dr.シエル。これであなたも諦めが付くでしょう。早くネオ・アルカディアへ参りましょう」
そう言ってリーグが差し伸べた手を、シエルは「イヤ」と声を上げ、払い退けた。
「…そんなハズない…!ゼロが…“伝説の英雄”がそんな簡単に負けるハズないでしょ!!」
「何をバカな……。事実、ヤツはあの様だ!」
リーグが瓦礫の山を示す。
もちろん、シエルにも分かっていた。あれだけの攻撃を受けて無事でいられるものなどそうそういない。
たとえ伝説のレプリロイドといえど、丸腰のレプリロイド一人がどうしてあのゴーレムに敵うというのか。
しかし、それでも――――
「……諦められるワケない!諦めるワケにはいかないの!!」
ここで諦めてしまえば仲間たちの、親友の死を全て無駄にしてしまうことになる。
それこそが彼女にとってもっとも受け入れ切れない事実だった。
「ならばあの瓦礫を掘り起こし、ヤツの屍をご覧に入れれば納得してくださるか!?」
「!?」
「血まみれの頭部を差し出せば納得してくださると言うのか!?Dr.シエル!」
希望を棄てきれずにいるシエルに対し、リーグは怒りを顕に、冷酷な現実を突きつける。
リーグの痛烈な問いにシエルは言葉を返せずにいた。いや、言葉を発する気力すら完全に削がれてしまった。
英雄は死んだのだと、はっきりと言われたのだ。
シエルの体から抵抗する力が失せてゆく。
リーグが黙って彼女の手を引く。今度は払い退けられる事も無く易々と。
全て終わってしまったのだと、シエルは思った。
ここまで守りぬいてくれた仲間たちの命を無駄にし、命がけで英雄を目覚めさせてくれた親友の期待を裏切り、希望は呆気無く失われた。
絶望と後悔だけが、彼女の頭の中を埋め尽くしてゆく……
そこに突然、何かがリーグの足にしがみついてきた。
「…いか…s…な…い…」
「何だ貴様!!」
入り口の瓦礫の合間から、一人のレプリロイドの腕が飛び出てきたのだ。
その姿を捉え、驚きとともにシエルが彼の名を呼ぶ。
「…ミラン!」
「…シエ…r…あ…k…らめ…ちゃ…d…メ…だ…」
パンテオン達に撃ち抜かれたボディからは疑似血液がどくどくと流れ出し、ところどころちぎれた人工皮膚からは人工筋肉や内部機関を司る機械部分が醜くむき出していた。
すでに機能が停止していてもおかしくない状態のハズだ。
「…かえ……るn…だ……き…み…は……k…なら…ず…」
――――みんなの元へ、帰らなくちゃいけないんだ。
すでに形を成していない唇から、ミランは想いを伝えようと言葉になりきらない音をつなげてゆく。
「この死にぞこないが!!」
「やめて!!」
シエルは咄嗟にリーグの手を振りほどき、エネルギー銃を瀕死のミランに向けるナイロを止めようとしがみつく。
「これ以上、彼を傷つけないで!!」
「離してください、Dr.シエル!!…ええい邪魔だ!」
シエルを無理やり突き飛ばす。幼い少女の身体は容易に引き剥がされた。
「シエ…ル………っ!?」
銃声が響く――――三発。
「…っ…」
鈍い音と共に、シエルの息が詰まる。
ミランの体から疑似血液が噴出し、宙を紅く染める。
「無駄な手間をとらせてくれる…」
「…ミラン…」
呼吸を取り戻すとともに、状況を認識したシエルはひたすら彼の名を叫び、駆け寄ろうとするが、イーガがそれを許さない。
「放して!放してよ!!…ミラン!ミラン!!」
「落ち着いてください!Dr.シエル!」
「くそ!これだから子供は!!」
「いい!そのまま引きずって行け!!」
リーグの言葉通り、イーガはシエルを無理やり引きずって行く。
このような乱暴な扱いをしたことが上に知れてしまえば、それなりの処罰は受けることになるだろう。
だが、そんなことをいちいち気にしている余裕は無かった。
「…ミラン!」
「な!?」
それでも尚、ミランは動いていたのだ。ドロドロの体を引きずり、立ち上がってきた。
「なんなんだコイツは!!」
「…い…k……せ…n…い………し…え…r…」
死体同然の彼の姿に、「もういいよ」とシエルは言ってしまいたかった。
これ以上傷つかないで欲しかった。
苦しまないで欲しかった。
全ての希望が絶たれた今、彼の努力が報われる事など無いというのに。
それでも、それを口にすることができなかった。
いや、口にしなかった。
涙をポロポロとこぼし、唇を噛み締め、彼の姿を目に焼き付ける。
――――神様、どうか神様…。
どうか救って欲しい。死力を尽くして守ろうとしてくれる彼のためにも。
もはや頼るものがなくなってしまった彼女は、ただひたすら祈ることしかできなかった。
しかし、それすらも叶わない。
「ガラクタはガラクタらしく眠っていろ!!」
リーグがミランに銃口を向け、引き金に指をかける。
結末を見ていたくなくて
現実を受け入れたくなくて
シエルは瞼を閉じた。