三十八話「血色ピンク」
夜が更け、少しずつ人が少なくなってきて、やっと本格的にお祭りを楽しめそうな時。
冷えたベビーカステラをワキノブと半分こしながら歩いていたら、向かい側に見覚えのある人影を見つけた。
「……なあ、ワキノブ」
「うん?」
「…あそこにいるの、晶じゃないか?」
そう言いながら指を差すと、ワキノブは目を凝らし、私が指差した方を見つめ、頷いた。
「えっと……わ、晶さんだ…」
遠くにいる晶は、手にビニール袋を持ちながら、スマホで誰かに電話していた。
その後、向かい側にいる誰かに向けて、笑顔で手を振りながら近付いて…あ、ハグした。
「誰かに抱きついた?誰?」
「見えなくなった…相手は誰だ……?」
二人で目を凝らし晶の相手を確認しようとしていると、後ろから声をかけられた。
「なにしてるの?」
「わっ!!!誰だ!!!」
「曲者だ!!!!!!」
「俺だよ、環!何のごっこ遊び?」
「曲者だった!!!!!!」
「酷いね…そう言うなら…そうだ!俺こそが曲者だ!!!」
「環、そこはせめてお前だけでも冷静に…ギャー!!!首をつねるな!!!」
「曲者だからね、ワキノブくんも覚悟しろ!!」
「変態!!!!」
「その叫び方はやめようか、めっちゃこっち見られたから」
そうやってワイワイ遊んでから、さっき晶を見かけたことを環に言ってみると、環は何も言わず頷き、晶が居たと私が差す方を見ながらこう言った。
「…晶にとっても今年の夏は特別なんだと思うよ、だから…何か晶に考えがあるとしても、今日だけは何も言わずにお互いの時間を過ごそうよ」
……環の言う通りかもな。
晶と環の家が極道で、環は後を継ぐつもり。
環と同い年の晶もそう思ってるのなら、晶にとっても今年が最後の年になるかもしれない。
…カタギとして生きる、最後の年に…なるのか。
……最後。
「…環」
「…うん?」
「……」
環にとっての、最後って、どういう意味?
そう言いかけて、やめた。
言い訳も浮かばなくて。
目の前の環は、私の顔を見て、不安そうに私の肩撫でて。
目の前の環が滲んで見えて。
「…何か嫌なことでもあった?」
環はワキノブの方を見たけど、ワキノブは何も言わずに、首を横に振って。
「……トイレ、行ってくる…」
そう言って、背を向けて、近くにあった女子トイレに逃げた。
トイレの鏡に映る自分の姿を見た。
真っ赤に腫れた目元。
ぺたんこでギシギシの茶髪に、かさついた唇。頬にはできかけのニキビ。
指でなぞって数を数えた。一、二、三。
私が今週悩んだ数だけあるような感じがして、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
ポケットから、コンビニで買った安いリップを取り出した。
スキンケア製品を売ってる会社が出した色付きのリップ。
恐る恐る、塗ってみた。
「…」
神様が好きだと言っていたドラマを観てみたら、大人っぽい恋愛ドラマで驚いた。
私も10年後くらいには、ああやって、あの女性達みたいに恋愛出来るのかなって思った。
だけど、こんな私が、誰かに胸を動かされ、その人のために着飾ったり、男はこうだ、女はこうだと揶揄し、女友達と語り合う姿はどうしても想像出来なかった。
なら20年後は、なら30年後は。
いつかこの私を、王子様が迎えに来てくれるのかと。
私は誰かのお姫様になれるのかと。
「…お姫、様」
菜那さんみたいな綺麗な髪と肌になりたい。
あの人みたいにお化粧をしてみたい。
晶みたいにスタイルが良くなりたい。
宮部さんみたいに姿勢が良くて、優しくて、察しの良い人になりたい。
朱里さんみたいにかっこ良くて頼もしい美人になりたい。
私みたいな性格だったら、私みたいな生き方だったら今更遅いような気がして。
私の近くには最高の目標が沢山いるのに、誰にもなれなくて。
なりたいのになれなくて。
もう一度リップを塗った。
そしたら後ろから菜那さんがやって来た。
「華菜ちゃん、遅いから迎えに来たんだけど…何かあった?」
菜那さん。
「…あ、リップ塗ったの?かわいいね!」
かわいい。
「わ…とっても似合ってるよ!華菜ちゃんお姫様みたいだね!」
お姫様。
「でもね、こうしたらもっとかわいいかも…?」
私の髪を右耳にかけてから、菜那さんは私の頬を撫でてくれた。
それが心地良くて目を閉じると、菜那さんはくすくすと笑ってから、私の前髪を撫でて、私のおでこにキスしてくれた。
「…次のお休みの日にお化粧教えてあげるね、楽しみにしてて」
「……うん、楽しみにしてる…」
頷くと、菜那さんは穏やかな、でもどこか泣きそうな顔で微笑んでから、私を優しく抱き締めてくれた。
「…またこうやってみんなで遊ぼうね」
「……」
「…」
「うん…遊ぶ…」
甘い制汗剤の香り。シャンプーの香り。
お酒なんて飲んだことないのに、酔ったような気分になった。
今ならなんだって出来そうな全能感。
そんなのが私なんかに湧いたって、出来ることなんて精々菜那さんの背中に腕を回すことだけ。
『みんなじゃなくて二人が良い』
そんなことを言えるほどの勇気は出なかった。
「……」
「……」
菜那さんも、私を良い匂いだと思ってくれてたら良いな。
私と好みが一緒だったらいいな。
「華菜ちゃん!!額塚!!」
「……帷子…?」
「出てみようか…出ても平気?」
「うん……帷子!何があった…?」
「環くんが行方不明なの!また旅館の時みたいに迷子になってるのかもしれない!」
「は!?あいつ……!」
華菜ちゃんが泣いていた。
晶を見かけたと言ってから、泣いていた。
ワキノブ君に聞いたら何も言わずに、仲裁するような視線で、止めるように俺を見て。
堪えられなくなった。
親に可愛がられて育った。
澁澤の方の親父には利口であれと。
澁澤の母親には温厚に育てられた筈なのに。
思い切って走った。華菜ちゃんが差した方に。
晶は俺を見た瞬間、目を見開いて俺の名を呼んだ。
「環…!?」
「俺がここに居ないと思ったか」
「……」
「お前の事だ。ずっと見てたんだろ」
晶の両肩を掴んだ。
「見ていてどう思った。俺をどう思って、お前は何を…」
「環、落ち着いて」
晶は俺の腕を振り払わず、俺の腕を掴んで、真剣に、俺の目を見つめてそう言った。
頬に手を伸ばされ、晶の細い指が俺の頬を撫でた。
「…何で、泣いてんの…環」
「……」
「…環…?」
「…」
晶は、泣き崩れる俺を見下ろした。
「環」
俺の隣に腰を下ろし、晶は俺の背を撫でた。
汚い地面でその綺麗な足が汚れることなんて気にもせず、跪いて、背中を撫でてくれた。
「…華菜ちゃんに言えへんのか、まだ」
「……うん」
「…言いたい?」
「……分からない」
「……」
「どうしたらいいのか、分からない…」
晶は背中を撫でて、優しくとんとん叩いてくれて。
「晶、頼まれた物……あれ…そこにいるのって環くん?」
その時、両手にかき氷を持った……宮部さんが。
「…うん、なんか、悩んでるみたい」
宮部さんは少し考え、晶にいちご味のかき氷を手渡してから、もう片方のブルーハワイのかき氷を俺に手渡してくれた。
「…これ、食べる?」
「……でも、食べたら、宮部さんの分が…」
「いいよ、環くんが食べて…」
……。
「ベンチ座ろうか……どう?…おいしい?」
「…うん…」
「そっか、よかった」
少し考えて、話してみることにした。
「……華菜ちゃん達と、旅行で、色々…経験して…秘密を、打ち明けあったりした」
「……」
「…その時、俺は、今年が最期の夏だと打ち明けた…」
「うん…」
「…その後、華菜ちゃん達とは別行動をして、合流したら、華菜、ちゃんが…俺の顔を見て、泣いていて…逃げるように、立ち去って…」
「…環くんが…死のうとしてることを、華菜ちゃんが察しちゃったかも、って思った?」
「……」
そこまで言って、頷いた。
晶と宮部さんは目を合わせてから、頷いた。
「…なら、さっさと、華菜ちゃんとあんたの関係を打ち明けた方がええと思う」
晶の冷静な言葉。
俺は顔を上げ、晶を見つめた。
「……うん」
「…もしも、あんたが何も言わずに華菜ちゃんに付き添って、友達としてしつこく付きまとって、嫌われてしまうのなら、まだ良い方や」
……。
「でも、もし、華菜ちゃんがあんたに惚れたらどうする?」
「……え?」
「あんたが華菜ちゃんの目に、頼り甲斐のあるお兄ちゃんじゃなく、かっこよく助けてくれる、頼もしい王子様に映ったらどうする」
「……」
……そこまで、考えて、無かった。
そうか、俺は、家族であること前提で接しているけど、華菜ちゃんは、そうじゃない。
だとしたら……もし、華菜ちゃんが、俺に…惚れてしまったら。
傷付けるとか、そんな話じゃなく。
俺が家族であることを知っていたのに、黙っていたことを…裏切りだと、感じてしまうかも。
「どうする言うてんねん!!!!」
「うるさいな!!!!今必死で考えてんだよこっちだって!!!!」
「大声出すなや喧しい!!!!」
「お前だって今大声で叫んでんだろ!!!!あれもこれも全部お前が始めた物語だろうが!!!!!」
「なんやシャレオツな言い方しよって!!!惚れられる心当たりでもあるんかゴラ!!!!」
惚れられる心当たり。
海。
俺が華菜ちゃんとワキノブくんをナンパから助けるために言ったあの言葉。
『何か用ですか?俺の…』
という、アホ丸出しのあの言葉。
あれを、華菜ちゃんが『俺の彼女に』と、言おうとしたと、勘違いしていたら。
なら、あの涙の意味…。
「……あー…」
「おい!心当たりあるんかよゴラ!!!この!女の敵!!!!」
「うっせえな!今俺が真剣に考えてんだろうが!
!タイマン張れや次期トップ同士サシで勝負だ!!!!」
「かかってこいやゴラ!!!!!!!」
「こら晶!環君も!!落ち着いて!!!落ち着いて!!!!!落ち着けって言ってんだろうがこら!!!!!!かき氷置いて!!!!晶!!!!!環くんに噛みつかない!!!!!環くんも噛み返さない!!!!!メッ!!!!!!!!!!!」
晶は俺の肩に噛みつき、俺は晶の腕に噛みついた。
それだったら筋力も互角で戦いやすいかなって思って。
宮部さんはそれを叫びながら止めて、俺と晶の頭を両方三回ずつ強めに叩いて引き剥がしてくれた。
「落ち着いて!ね!両方とも華菜ちゃんの事を大事に思ってる!それで良いね!?」
宮部さんはそう言いながら俺の首根っこを掴み、晶としっかり向き合わせた。
「晶よりも俺の方が大事に思ってる!!だから側にいて少しでも見守っていようとして…!!」
「なんで?なんで大事に思ってる!?なんで見守ろうとしてた!!??」
「あの子が俺の大切な妹だからだ!!!」
「だってさ、華菜ちゃん」
「……は?」
後ろを向くと、華菜ちゃんが。いて。
肩で息して、俺を探してくれてた様子の、華菜ちゃんが。
「…行くよ晶。こうでもしないとこの子意地でも言わないでしょ」
「神足…でも」
「いいから」
華菜ちゃんは、俺に近付いて、血で汚れた俺の口元を指で拭ってくれて。
「この血、誰の血?」
「……晶…」
「噛みつきあって喧嘩?野生児みたいだな」
華菜ちゃんは、くすくす笑って。
「環、血液型なに」
「……A型」
「…私O型なんだよ、智明はB型…父親も母親も、両方O型で」
「……」
「O型同士からはO型しか産まれないらしくてさ、なら、智明は何なのってなって。今さら、それ知って」
「……」
「環」
「……華菜…ちゃん…」
「実はさ、環のあだ名考えたんだよ。それ、旅行の時に言おうと思って、こっ恥ずかしくて辞めたんだけど…」
「……」
「辞めてよかった、って、思って」
「…今、聞いても、良い?」
「…お兄ちゃん」
「…!」
「馬鹿だよな、環は兄貴じゃないのに…」
「……」
「……そうなの?」




