二十一話「トラップ」
学校帰り。
駅前のカフェに寄り、みんなで晶の事や学校の事を好き勝手に話してから帰るというのが、もう一つの私達のルーティンになった。
「ねえねえ華菜ちゃん華菜ちゃん、今スパイとかの事考えてて思ったんだけどさ?うちの学校ってかっこいい名前の人多くない?松田龍馬とか、あと沢田智明とか!百々くんもかっこいいよね!」
いつも通り、ブラックコーヒーを飲みながら、右隣に座っている私に明るく話しかけてくれるのは菜那さんだった。
「あー、確かに…意識してなかったけど名前だけで見たらかっこいいかもしれませんね…」
私の言葉を聞いた、私の向かいの席に座っているてつも同意してくれた。
「ほんとに!澁澤環もかっけえし!ね!」
てつのそんな言葉を聞いた澁澤は気まずそうに顔を逸らし、レンの事を見つめる。
「ね!って言われてもな…それを言うならレン君の方がかっこいいよ、扇廉!二文字ってのが雅で良いね」
「ありがと!ぼくも気に入ってるんだ!自分のなまえ!」
渋澤の言葉を聞き、レンはミルクティーを飲みながら嬉しそうに微笑んだ。
「ねえねえ、しのぶくんもかっこいいおなまえだよね!お姉さんはなんていうの?お姉さんのおなまえなんだっけ?」
そう言われたワキノブは照れ臭そうに、でもどこか自慢げに、ほうじ茶を飲みながら答えた。
「花脇楓です、いい名前でしょ、楓、なんか良い匂いしそうで」
花脇楓…良い名前だな。
「ワキノブ…ワキ…カエ…」
「なんだ、私の姉様のあだ名も考えるのか、なんかちょっと期待しちゃうぞ」
「楓さんだな」
「考えろや」
「めーぷるちゃん!」
「扇さん、それもしかして姉様が楓だからか?良いですねそれ、パクります」
「ぼくにも文句いってよ~」
嬉しそうに口元を緩ますワキノブ。それに気付いたのか「たまらない」といった表情で微笑む菜那さん。
そんな二人を見ながらレモンティーを飲んでいると、ワキノブが私の顔を見つめ、そして、何かを覚悟したかのように、皆の方を向き、少し震えた声でこう言った。
「そうだ、あの一つ考えてて、したい事があるんですけど…あの、スパイを炙り出すため、というか、スパイの居場所を失くすためにすべき事かなと思ったことが…」
「すべき事…?」
不思議そうに首を傾ける百々。
艮は「何の話か知ってる?」と言いたげに私の顔を見つめた。
「…ワキノブ?すべき事って?」
艮に向けて「知らないよ」と伝えるため、首を横に振ってからワキノブの名を呼ぶと、ワキノブは大きく息を吐き、何を思ったか眼鏡を外し、机に置いた。
「皆さん、私の顔、見てください」
皆がワキノブの顔に注目する。
大きな目。真っ黒で大きく綺麗な瞳。
緊張のせいか、滲んだ涙でキラキラと照明を反射していて、ずっと見ていると吸い込まれそうだった。
血色感の無い真っ白な肌と真っ赤な唇が綺麗なコントラストで、昔どこかで見た絵画を思い出した。
見るのが二回目でも、二回目だとしても綺麗すぎて驚くような、何回見ても初めて見たような感覚になる、非の打ち所の無い、美しすぎる顔だった。
「…その、ワキノブ君の顔が、ここにいるスパイが揺らぐ何かになるって言いたいんだね?」
環がそう問いかけると、ワキノブは一度大きく頷いてから、前髪をかき上げ、皆にしっかり顔が見えるようにした。
「あまり、なんでみなさんに顔を見せたのかを言いすぎると、スパイの思うがままになっちゃうから、詳しくは言わないけど…簡単にお教えしますね」
大きく息を吐くワキノブ。
「もし…こうして、顔を隠してる私が、顔を見せるに至った動機を、晶さんの友達である、私の姉様が知ったら?」
そう言い終わると、ワキノブは私をじっと見つめた。
ワキノブが顔を隠している理由、それは綺麗すぎるから。
綺麗すぎるものは隠すべきだ…とお姉さんから教えられて、隠して生きていたワキノブが、何故私達に顔を見せたのか…。
「あ…なら、早く眼鏡……早く、かけた方がいいんじゃないかな…」
何かに気付いた様子の帷子は、ワキノブのメガネのレンズ部分に触れないよう持ち上げ、急いだ様子でワキノブへ眼鏡をかけろと促した。
「……ごめん、あの、本当にごめんね…なんか、さっきからずっと話が見えてこないんだけど…」
恐る恐る艮がそう発言すると、ワキノブは眼鏡をかけながら返事をした。
「姉様と晶さんが知り合いで、もし私が晶さんのスパイを突き止めるために動いたと、晶さんを経由して姉様に伝わったら?」
艮はそれを聞き、しばらく考えてから菜那さんの方を見た。
「そうなったら…弟の身を案じたお姉さんが、晶さんから離れて、結果的に晶さんは、スパイとお姉さんを切り捨てるしかなくなる?」
頷くワキノブ。目を見開く菜那さん。
「晶さんが人を切り捨てる事とか、人を利用する事に罪悪感を抱かない人だとしても、利用されている人が、そうじゃないとしたら」
震えるワキノブの声。
「もし、晶さんが、池崎明人さんの、噂の、ある事情に関わっているのなら、その、綺麗な私に食い付くんじゃないかなって…」
「……」
「そうしたら、姉様も黙っていられなくて、そうなったら…晶さんは、スパイに、責任を追及するかもしれない…」
静寂。
その静寂を破ったのは百々だった。
「その、池崎?明人?さん?の事情と、忍君のお顔に共通点があるとしたら、晶さんは次、どんな手で来ると思う?」
百々の問いかけに、ワキノブはしばらく悩んでから、恐る恐る口を開いた。
「…明人さんと私を接触させるとか?それとも…なんか、また違う…」
「ワキノブ君が、そういう目に遭ったって、デマを流すかもしれない」
どこか、怒りのこもった菜那さんの声。
ワキノブはそれに、冷静な口ぶりで答えた。
「…多分、私の行動を封じるために、噂として流されるのは、デマじゃなくて…真実なんだと思います」
沈黙。
「…じゃあ、これからの俺らがすべき行動としては、何を聞いても俺らの中だけで留まらせる事。でも何よりも、ワキノブ君を保護する事を第一に考える。いいね」
環がそう言うと、みんな頷き、ワキノブへどこか悲しげというか、同情するような目を向けた。
「私をそんな眼で見るな」
「ごめん……」
謝る百々の眼に、焦りが見えた。
「……百々、大丈夫?」
私がそう尋ねると、百々は頷き、ワキノブの背を撫でてから、大きくため息をついた。
「…うん、これから、もっと、大丈夫にするよ」




