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精霊綺譚  作者: 深水千世
ナディア
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奇跡の踊り子

 『奇跡の踊り子』が噂になり始めたのは、一年前のことだ。

 彼女が最初に現れたのは、とある火山の麓の街だった。ふらりとやって来た彼女は、地鳴りを鎮める儀式をいともたやすく成功させたのだ。

 祈りの踊りが終わらぬうちに、火山の神を鎮めてしまった奇跡に、人々は恐れと感嘆を抱いた。

 踊り子は名乗ることもなく、すぐに火山の街から姿を消したが、今度は東方の砂漠の街に姿を現した。

 その街では巫女の代わりに雨乞いの儀式で目映いほどの踊りを見せ、見事に無情の空から雨が降り出したのだという話がまことしやかに囁かれていた。


「一度でいいから、その奇跡の踊りを見たいものだ」


 誰もがそう願った。

 人々は都市から都市へ、こう言い伝えた。


「金の髪をなびかせ踊る様はさながら風のよう。可憐な矢車菊の瞳に見つめられれば、神すら心を奪われる」


 そんな噂は、都会だけでなく、山間の田舎町にまで届いていた。

 その町の食料品店に一人の旅人が入ってきた。四弦の楽器を入れた革の大袋を背負い、布で頭を隠している。その布の隙間から紫がかった蒼い瞳がのぞいていた。


「いらっしゃいませ。何をご入り用で?」


 猫撫で声の店の主人に、旅人は品物を指差し、布の奥からくぐもった声で「これを一袋」と短く指示した。

 愛想のない客だと呆れながらも、店の主人は頼まれたままに、乾燥させた果物や肉の燻製を袋に入れてやる。

 その合間に、旅人を好奇心あふれる目で盗み見た。頭に巻かれた古びた布から金色の美しい髪が漏れているのに気づき、思わず問いかける。


「なぁ、あんたも旅人だろ?」


 旅人は「あぁ」と短く答える。顔は見えないが、その声色が「見ればわかるだろう」とでも言いたげに素っ気ない。


「だったら『奇跡の踊り子』を知っているか? あんたと同じ金髪らしいんだが」


「……噂なら、よく聞く」


 ためらいがちに、小さな声が聞こえた。


「あんたは見たことがあるか?」


「残念ながら、ない」


「あんた、顔を隠してはいるが、その声は女だね。もしや、あんたが『奇跡の踊り子』じゃあるまいね?」


 期待で胸を膨らませながら問いかける店の主人に、旅人が鼻で笑った。


「残念ながら私は踊り子ではなく吟遊詩人だし、この肩に白い鳥はいない」


「確かにそうだ」


 店の主人ががっくりと肩を落とした。店に入ってきたときから、背中の楽器には気づいていたし、『奇跡の踊り子』が常に従えているという噂の白い鳥もいなかった。


「そうか、残念だな。一度でいいから顔を拝みたいもんだよ。神話に出て来る精霊のように美しい顔をしているそうだからね」


 旅人は「邪魔したな」とだけ言い残して店を出る。


「毎度ありがとうございました」


 店の主人が幌馬車に乗り込む旅人を見送っていたときだ。

 辺りにたき火のはぜるような鳥の鳴き声が響き渡った。思わず空を仰ぐと、長い尾の白い鳥がまっすぐ向かって来る。


「あ、あれは……白い鳥?」


 店の主人が目をぱちくりさせていると、白い鳥が旅人の肩にひらりと乗った。


「あぁ! やっぱり、あんたが!」


 店の主人が興奮して叫んでいる隙に、旅人は馬に鞭を打った。

 走り出した馬車の上で旅人が布を外す。豊かな金髪が華奢な背中にこぼれ落ち、矢車菊の色をした瞳が左肩にとまった鳥を愛おしそうに見た。


「セシリア、お前が三日ぶりに戻ってきてくれて嬉しいけれど、今回ばかりはちょっと早過ぎたわね。あの主人が騒いでいるわ」


 後ろを振り返ると、食料品店の前に人だかりができている。その中央で店の主人が身振り手振りしながら何かを叫んでいた。


「靴も新調したかったけど、この町にこれ以上いるのは無理そうね」


 ナディアがため息を漏らし、街の出口へ馬を走らせる。


「なにが『奇跡の踊り子』だ。まったく、やりにくいったらありゃしない」


 顔を歪ませても、なお美しい。背中まで伸びた金髪は艶やかで、体つきは女らしい肉づきを見せ始めている。矢車菊の色をした瞳には憂いが帯び、それがまた美しさを際立たせていた。

 ナディアは十六歳になっていた。

 

「吟遊詩人でよかったわ。踊り子で生計を立てていたら、好奇心の格好の餌食だもの」


 セシリアが応えるように小さく鳴く。

 なるべく人と接したくないナディアにとって、奇跡の踊り子の噂は厄介だった。踊りを見せれば収入は増えるとしても、それだけで済まなくなるのが人の欲だと、彼女はよく知っていたのだ。

 目立たないようにやり過ごしていたナディアだったが、それでもなお、一つの流れに巻き込まれることを、そのときはまだ知らなかった。

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