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心を知る2

 



(眠い)

(腹減った)

(今日は晴れていたから、洗濯物が良く乾いて良かったわ。そういえば、庭園の花が咲き始めていて綺麗だったわ)


 主人の帰りを迎えるために、扉の前に集まった使用人たちは奥方であるイェシカにきっちりとした態度を向けながらも、心の声はそんなことを言っていた。

 1日の終わり、家の仕事をこなしてきた使用人たちがそう思うのは最もで、態度に出さなければ咎めようもない。イェシカは聞かなかったふりをしながら、明日は庭園に行ってみようかしらと思っていた。


(……お帰りになられたわ)

(失敗できない。集中しないと)

(緊張する……)


 そんなことを思っていると、家の門が開き、馬車が扉の方へと近づいてくる音が聞こえてきた。先程までの気の抜けたような声が一気に気の引き締まったものに変わる。

 馬車が止まる音がした後、使用人達が扉を開きこの屋敷の主人であるウルリクを迎え入れた。

 お帰りなさいませ、と使用人が一斉に頭を下げる中、イェシカもウルリクに声をかけた。


「お帰りなさいませ。王宮でのお仕事、お疲れさまでございます。今日は何かございましたか?」

「……ただいま帰った」

(今日か……今日は会議がいくつも入っていて疲れたな。ずっと座って話を聞いているのは苦手だし)


「あら、お疲れでいらっしゃるのですね。それでは今日は、寝る前に蜂蜜をたっぷり入れたミルクを用意してもらいましょう。これで今夜はぐっすり眠れますよ」

「………」

(……蜂蜜たっぷりのミルク!最近はあまり飲むことがなかったけど、あれ美味しくて好き。寝る前が楽しみだ。でも、それよりも今はお腹がすいたな)


「それでは、先に食堂へ行って待っております。お支度が済みましたら、いらして下さいね」


 お腹がすいているならこんなところで引き留めていたら、申し訳ない。

 そう思い、イェシカは先に食堂に向かった。

 だが、周りから見れば、ウルリクに無視され続けたイェシカが諦めてその場を去ったように思うだろう。

 真実はこんなにも違っているのに。


 このことは、イェシカしか気が付いていない。

 本当はウルリクはこんなにも感情豊かで素直な人だということに。

 長年、ウルリクに仕えている使用人たちは何となくは察しているかも知れないが、それもウルリクが噂ほど冷酷ではないという程度だろう。

 ウルリクは表情と言葉に表さないだけで、決して氷の心の持ち主などではなかった。

 人並みか、それ以上に温かく素直な心の持ち主だとイェシカは感じていた。


(今日の夕食はなんだろう?最近忙しくて家で食べられなかったから、楽しみだな。イェシカとも久しぶりに一緒に食事が出来て嬉しいな)


 無表情の冷酷魔術師が心の中ではこんなことを考えているなんて、イェシカ以外の誰も知らないだろう。

 今日はウルリク様のお好きなエビとキノコのクリームスープがありますよ。

 ウルリクの心の声を聞いたイェシカは心の中で、そんな風に返答していた。




 ***




「ウルリク様、お時間がありましたら後ほど、一緒に庭園を見に行きませんか?」


 ある休日の朝食時、いつもよりさらに人を凍え殺しそうな目つきでパンを口に運んでいたウルリクに、イェシカはにこやかに話しかけた。

 イェシカに移した視線はまるで殺意のこもったような恐ろしいもので、イェシカの後ろに控えていた使用人からひぃっと小さな悲鳴が上がった。


「庭園の花々が丁度咲いていて見頃のようです。どうでしょうか?」


(……恐ろしい。何故奥様はそんな旦那様に面倒だと思われそうなことをするのかしら。怒られたり、不機嫌になられるようなことを自ら。あのような目で見られることは分かっているのに……私だったら背筋が凍ってしまいそうだわ)


 イェシカは後ろに控える使用人のそんな怯えた心の声が聞こえきて、ごめんなさい、と心の中で謝る。

 何も知らない者がウルリクの視線を受ければ、不快感と嫌悪感を最大限に示されていると思うような目つきであったから。

 しかし、実際のところは……


(眠い……目が閉じてしまいそうだ。でも、朝食は美味しいなあ。焼きたてのパンはふかふかでクッションみたいで、温かくて良い匂いがする。……えーと、何だっけ?庭園?花が咲いているのか。きっと、きれいだろうなあ。見に行きたい。イェシカと一緒に見られたら楽しそうだなあ)


 ウルリクはそんなことを考えていた。

 睨むような目つきはただ眠いだけ。

 ウルリクは朝に弱いようで、通常の3割増しに氷の様な目つきになる。そして、外見、行動の洗練された動作は変わらないが、頭はまだぼうっとしているのか通常よりも回転が遅くなる。

 それに、目の前のもの一つ一つに感心していて、イェシカの問いに反応するのもゆっくり。

 ただそれだけだ。

 怒ったり、不機嫌だったり、目障りに思っているわけでは決してなく、イェシカのことを無視しているわけでもない。

 イェシカはウルリクがそう考えていることを聞くと、もう一度問いかけた。


「私とご一緒していただけませんか?」

「……ああ」


 ウルリクは地を這うように低く不機嫌な声で応えたが、その内心ではとても嬉しく思っていたことを、イェシカだけが知っていた。





 オークランス家の敷地は王都の一角にあるというのに、十分過ぎるほどに広い。それはその実力、権力の現れなのだが、その成果の1つとして立派な庭園が広がっていた。

 ウルリクを恐れる庭師が一片の不備もないように造り上げたためにこのような光景が広がっているのだが、何はともあれ美しかった。

 そんな庭園を、ウルリクとイェシカは2人、並んで歩いていた。


「色々な花が咲いていますね。こちらの赤くて小さい花はまるでお菓子のようで可愛らしいですね。あちらの澄んだ水色の花は海の雫のよう。どれも美しいですね」


 イェシカが1人しゃべり、無口で無表情にその隣を歩くウルリク。

 周りから見れば、イェシカが1人ではしゃいでいるように見えるがそうではなかった。


(うん。赤い花は砂糖菓子みたいで美味しそうだなあ。舐めたらあまいのかな。水色の花、本当に海の色みたいだ。今度、イェシカと一緒に行けたらいいなあ。……あ、あんなところに鳥の巣かな?)


 口には出していないが、ウルリクはイェシカと同じように花の観賞に興じていた。

 そして、いろいろな所に目を向け、興味抱くのは、ウルリクの方が先だった。


「あちらの方も見に行ってみましょうか」


 ウルリクが鳥の巣だと気にした方を指差すと、ウルリクはやはり何も応えなかった。

 だがその代わりに、ふわっとした嬉しいという気持ちが伝わってきて、イェシカはそれに応えるように微笑んだ。

 イェシカは心の声が聞こえるという力の他に、時々、人が感じた“感情”を“感覚”として自分自身に共鳴させる力を使えることができた。

 ただ、これはよほど波長か何かがあった人が相手でないと使えない力で、イェシカも今までに数人ほどにしか使えたことはなかった。

 ウルリクはそんな人物の一人だった。


(わあ、雛の声が聞こえる。一生懸命に声を出して、あんなに小さいのに生きようと頑張っているんだ。えらいなあ)

(あ、今日は快晴だ。雲1つ無い気持ちの良い空。イェシカが連れてきてくれなかったら気づけなかった。有り難いなあ)


 そんな風にウルリクはどんな些細なことにも反応し、感動していた。

 そしてそのたびに、嬉しい、楽しい、面白い、心地良いといった温かい感情が伝わってきた。

 相変わらず、表情はぴくりともしていないが。


 世間はウルリクのことを“心のない人”というが、イェシカはとんでもないと思っていた。

 ウルリクほど感情が豊かで、子供のように素直に目の前のものを受け入れて感動し、心を動かされている人を見たことがない。

 ウルリクは、感情表現は確かに得意ではないようだ。顔の表情も身体の動作でさえも感情は何ら反映されず、声に至っても平坦、もしくは機嫌の悪そうな声しか出せない。

 だが、外に表現出来ないからといって、喜びや楽しさ、感動が内に湧いていないわけではない。

 イェシカがウルリクに出会って、そう思うようになった。

 そして、自分がこの力を持っていて良かったと思った。

 ウルリクの心を知ることができて、良かったと思った。


「ウルリク様、今日はお付き合い下さってありがとうございました。とても楽しかったです。ウルリク様も楽しんでいただけたようで良かったです」


 そして一通り庭園を見終わった時、イェシカは微笑みを浮かべてウルリクに感謝の言葉を述べた。

 最後に、彼が楽しんでいたことが伝わっていたということを告げて。


 その時、今日一番に“嬉しい”といった言葉では表現しきれないような、ウルリクの春のような気持ちが共鳴される。ウルリクはいつも、自分が楽しんでいたとイェシカに分かってもらえることを一番に喜ぶのだった。

 イェシカはそんな彼に、イェシカは一層深い笑みを向けた。




 午後は仕事があるというウルリクと別れ自室に戻ったイェシカは、先程庭園から摘み、花瓶に挿した花を窓辺で眺めていた。

 淡いピンクの暖かみのある色のその花は、まるでウルリクの心のようであった。

 ウルリクのように感情を表現できない人は誤解されやすい。自分が傷ついたり、誤解によって他人を傷つけてしまうこともあるだろう。

 それでも、心にもないことを取って付けたように口に出したり、偽りの感情を表現する者よりはずっと良い。


 イェシカは窓ガラスに映った自分の顔を眺めた。

 仮面のように貼り付けた微笑み顔がこちらを向いている。

 何も嬉しいと思ったり、楽しいと感じたりしているわけではないのに。


「“心のない人”は私の方だわ」


 一人きりの部屋で無機質な声で呟いたイェシカは、そっとカーテンを閉めた。




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