信じるを知る3
ウルリクとヨルゲンの2人がコンドラ鳥を捕りに行っている間、イェシカとエレオノーラは客間に顔を付き合わせていた。
紅茶とお茶請けが運ばれてくる間も、エレオノーラはずっとにこにことしていた。
「あなたとは2人でゆっくりとお話してみたかったのよ。ウルリクがいると出来ないお話をね」
エレオノーラはそう話を切り出した。
イェシカはエレオノーラがずっとイェシカと二人きりになる機会を作ろうとしていたことを知っていた。ウルリク達を狩猟へと出て行かせたのはコンドラ鳥のためということもあるが、イェシカと二人きりになる口実といったところも大きかった。
そして、長椅子のイェシカの隣に座ったエレオノーラはいつの間にか持ってきていた分厚い冊子を机の上に乗せた。
「あなたと2人でこれを見たかったのよ!ウルリクがいると邪魔されるかもしれないから」
エレオノーラはそう言って、たくさんの写真が貼られたアルバムを開いた。
そこには幼い頃のウルリクがいた。
面影はしっかりと残る恐ろしく整った顔立ちの子供で、それでいて大人になった彼とは違って目はぱっちりと大きく、ぷっくりとしたほっぺた、小さな口も耳も全部がかわいかった。
今のような他人を怯えさせるような威圧感などは微塵も感じさせず、とても愛らしかった。
ただ、どの写真の小さなウルリクも、ぽーとしたような表情の乏しさではあったが。
「とても可愛らしいですね。小さい頃のウルリク様の写真は初めて見ました」
「そうでしょう。この頃のウルリクは本当に可愛かったわ。親バカだけど、うちの子が一番ってずっと思ってたわ」
写真を見せてくれたエレオノーラにイェシカが微笑むと、エレオノーラは嬉しそうにこっちの写真もあっちの写真も良く撮れているのよ、とページを捲っていった。
そして、その頃のウルリクの話をしてくれた。
「ウルリクは小さい頃はちょっとぼーっとした子だったけど、子供らしい子供だったわ。虫を見つけて追いかけたり、空の形を色々なものに例えて面白がったり。それをね、私に一生懸命教えてくれるの。大層なおしゃべりさんだったわ」
「おしゃべりさんだったんですか?私も聞いてみたかったです」
「そうなのよ。今は見る影もないくらいに無口になっちゃったけどね。でも、表情が顔に出ないのは昔からだったわ。ほら、ここの写真、全部同じでしょう」
「ええ……そうですね」
「私、ずっと心配していたの。ウルリクはこんなに楽しんでいるのにそれが全然表情に出ないことを。それでも、表情の代わりに言葉でいっぱい伝えてくれる子だったから、大丈夫だろうとは思っていたんだけど……」
エレオノーラは表情を陰らせた。
イェシカはエレオノーラから聞いて初めてウルリクの子供の頃のことを知った。
心の声が聞こえるといっても、その人のことを全て知ることが出来るというわけではない。
その人がその時に考えていることしか分からない。
だから今まで、ウルリクの過去を知る機会がなかった。
「でも、あんなにお喋りな子だったんだけど、魔術学院に行くようになってから変わってしまったの。きっと、ああみえて繊細な子だから、傷ついて言葉にすることをやめちゃったのね。無口で無表情なウルリクのできあがり。もっと誤解されることも増えてしまうと思ったわ」
エレオノーラはアルバムの中の魔術学院の制服を着たウルリクを愛おしむように優しくなでた。
イェシカはその指先を見つめながら、エレオノーラに何と言えばいいか分からなかった。
「あの子のことを感情がないと言う人がいるわ。知ってる?“冷酷魔術師”なんて呼ばれているそうよ。私もあの子が何を考えているのか分からなくなったことがあったの。無口で無表情なあの子と一緒にいることに戸惑いを感じることもあったわ。あなたは大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ウルリク様といることは、とても楽しいですから」
エレオノーラの話に何と言えば良いか分からず、曖昧に相づちを打っていたイェシカだったが、最後のその問いには即答した。
エレオノーラがイェシカと2人になりたかった本当の理由。
それはこの質問をすることだった。
イェシカがウルリクと結婚したことを一番に喜んでいたのはエレオノーラだった。
と同時に、一番心配していたのもエレオノーラだった。
イェシカがウルリクと一緒になって、無理をしていないか、苦しい思いをしていないか。
そして、ウルリクが誤解され、辛い思いをしていないか。
イェシカを見定めるような行為でもあったが、エレオノーラは純粋にイェシカとウルリクの2人を心から心配していた。
そして、この結婚が2人にとって良くないものであったのなら、2人のためにイェシカとウルリクを離れさせようとも本気で考えていた。
そんなエレオノーラの心が分かっていたイェシカはずっと緊張していた。
いつの間にか真剣な顔になり、表情の消えていたエレオノーラに再び温かい笑みが咲く。
笑顔のないエレオノーラの顔は本当にウルリクによく似ている。
ウルリクが笑ったら、きっとこんな素敵な笑顔なんだろうな、と密かに思った。
「そう。あなたはあの子のことを分かってくれる人なのね。あなたがあの子と結婚してくれて本当に良かったわ。ありがとう」
「いえ、そんな。私の方こそ、ウルリク様と結婚させていただいてありがたいです」
礼を述べて頭を下げるエレオノーラにイェシカは恐縮する。
本当にエレオノーラに礼を言われるようなことではない。
むしろ、イェシカの方がウルリクに色々なものを与えてもらっていると思っているから。
そんなイェシカの様子に、エレオノーラはふふっと笑った。
「あの子は昔のように、自分が感じたことを言葉で教えてくれないから、今、あの子が何を考えているのか本当のところは分からないわ。でも、今でも時々、小さい頃と同じようにぼーっと空を見上げていることがあるの。それを見て、ああ、この子は小さい時と何も変わってないんだろうなって思うの」
アルバムを最後のページまで捲りながら、エレオノーラはそんなことを言った。
それを聞いたイェシカは胸がわっと熱くなった。
エレオノーラは人の心が聞こえるわけではない。
それなのに、まるでウルリクの心の声が聞こえるみたいに、ウルリクのことを分かっている。
お母さんというものはすごいなあ、と感動した。
「あなたはずっと、あの子のことを分かってあげてね」
アルバムをパタンと閉じたエレオノーラはイェシカの手を取って笑いかけた。
きっと何度もウルリクのことを撫でたであろう、優しい手が温かかった。
「はい、必ず。お義母様、私にウルリク様のご縁談の話を申し入れてくださってありがとうございました。私とウルリク様が出会えたのはお義母様のおかげです。それに、エレオノーラ様が私のお義母様になっていただけて良かったです」
イェシカはエレオノーラの手を握り返した。
少し驚いたような顔をしたエレオノーラは、私もイェシカさんが娘になってくれて嬉しいわ、と今日一番の笑顔で言った。