095 荒野の男
カタカタという音をたてながら荷馬車が進んでいく。
「もうすぐつきますヨ」
手綱を握る男が荷台に座っている俺たちに言った。
――嘘つけよ、なんて思いながらも「そうっすか」と俺は答える。
この国の人間のいう「ちょっと」とか「少し」とかは本当に信用できない。この前なんてここらかちょっと行けば村があるよなんて言われたから鵜呑みにして歩いて、2日もかかった。
他にも「少しからいよ」なんて言われて食べたら口から火がでるほどに激辛だったり。
だからとにかく信じなられないのだ。
この「もうすぐつきますヨ」だってこれで2回目。1回目は1時間以上も前だったろうか。
「ちょっとシンク、ホロしめてよ」
「うん? ああ、ごめん」
俺は荷馬車のホロを下ろした。
別に外を見ていても寂しい荒野が見えているだけだから、楽しくもなんともないのだ。でもこうして乗せてもらっている以上はホロを開けて会話くらいするべきかと思っていたのだが。
ま、シャネルの場合はそんなの関係ないよな。
こういうのなんて言うんだったかな? 唯我独尊? そんな感じだから。
「それにしてもこの国はやあね、砂ばっかり飛んで」
「黄砂っていうんだよ」
あっちの世界でも中国の方から時期によっては風に運ばれて黄色い砂が運ばれてきた。
ここはその本場――いや、中国じゃないけどね。
でも見てる感じここ、中国っぽいんだよなぁ。
もちろん現代の中国じゃないよ。なんかあそこの国、いますごいらしいから。キャッシュレス社会とかいってQRコードでだいたい払えるらしいね。まちなかにも監視カメラたくさんあって……そう
いうのディストピアっていうんだよな。
ま、異世界の場合はのどかなんだけどね。
科学技術なんてまったくなくて、見てくださいよこれ。舗装もされてない道を馬車がポクポクと進んでいます。
「良い場所だなぁ……」
「そうかしら。私はもっと洗練された都会が好きなのだけど」
「パリっ子のシャネルさんからすればこんな田舎は嫌か?」
「まあね。でも――」シャネルが俺の腕に自分の腕を絡める。「シンクと一緒ならどこでも楽しいわよ」
「そ……そうかよ」
シャネルさん、胸があたっております。
ま、もう慣れたけどね!
……嘘。
やべえよ、なんだこれ。むにゅむにゅしすぎだろ。やめろ、こするな。おっきくなっちゃうだろ。やめろ、なんでこんないい匂いするんだよ。あー、もう押し倒したい!
できないけど、童貞だから。
「それにしてもお嬢さん」
この馬車の持ち主である男がいう。
どうやらこの男――たぶん50歳くらい――は行商らしい。荷台には果物がたくさん乗っていて腹が減っていたら食べても良いと言われている。
「なんですの?」
シャネルはホロも開かず答えるので、俺がすかさずホロを少しだけ開いた。
まったく、この女は他人に不快感を与えるという可能性を考えないのか。
「その服はどうかと思いますヨ」
「あら、どうして?」
シャネルは一瞬で不機嫌になった。
あわわ、と俺は慌てる。
だってシャネルのやつったら、おもむろに杖を取り出したのだ。
「お、おい」
「私のお洋服のどこがおかしいのかしら?」
おかしいかおかしくないかでいえば間違いなくおかしい。だって考えてみてほしい。ゴスロリだぜ? 中国の荒野にゴスロリ姿の美少女なんてもうそれ妖怪とかの部類だろ。
でも男が言いたいのはそういうことではないようだ。
「その色は、ダメだよぉ」
「色?」と、俺は首をかしげた。
シャネルがいま着ているゴスロリ服は当然、黒を基調としたものだ。ここで普通はフリルを白とするところだが、そこはオシャレさんのシャネルちゃん。白ではなく青色のフリルがふんだんにあしらわれた一目をひくものとなっている。
黒と青のダークな雰囲気がシャネルにはマッチしている。極め付きは口紅まで青いのだ。
うーん、これはちょっとキスしたくないね。
「黒はいけませんの?」
シャネルが杖を男に向ける。
男は馬車の運転に集中しているのだろう、杖を向けられていることは気づいていない。
シャネルとしては返答次第で焼き殺すつもりなのだろう。
「そうじゃないヨ。黒じゃなくて藍。その色ダメ。藍は神聖な色だからこの国じゃ皇帝陛下のもの。だから誰も着ないよ」
「あら、そうですの」
シャネルは自分のファッションセンスがバカにされたのではないと知って杖を下ろした。
「青い服を着てたらどうなるんです?」と俺は聞く。
「みんなから白い目で見られるネ」
「禁色ってやつね。嫌な皇室だわまったく、オシャレも自由に楽しめないだなんて」
といいつつもシャネルはその黒と藍のゴスロリ服を脱ぐつもりはないようだ。
ま、こんなところでいきなりストリップされても俺が困るんだけど。
シャネルは可愛いのになあと青いフリルの部分をつまんでいる。
「国が違えば文化も違うんだなあ……」
「そうね。ルオなんて東洋の田舎じゃそんなもんよね」
なんかいまナチュラルに東洋ディスらなかった? これだからヨーロッパの白人様は。え、いやドレンスがヨーロッパなのかは知らないけどさ、同じようなもんだろ。
「アイヤー」
いきなり男が叫んで、馬車が停まった。
急停止だ。
いや、それよりアイヤーって言ったぞ、本当に言うんだそれ。
「なによ、いきなり」とシャネル。
「どうしたんですか?」
「人が死んでるヨ!」
はい?
俺はホロから顔をだす。
たしかに人がいる。突き出た岩に背中を預けて座り込んでいる。まったく動いていない。よく見れば地面には赤黒く血が染み込んでいた。
死んでいる……と言われればそうかもしれない。
いやなもん見ちゃったなあ……。
「金目のもの取るあるよ」
男はいそいそと馬車を降りる。
いかにも普通に言うものだから反応できなかったけど、それって泥棒じゃね?
やべえだろ、この国の人。
さすがにシャネルでも死体から物取りなんてしないぞ。しないよね?
「シンクは降りないの?」
「いやー」
死体とかできれば見たくないし。
「あら、こういの好きかと思ったんだけど。野次馬みたいなの、嫌いじゃないんでしょ?」
「まあね」
でも死体は嫌だよ。
火事とかなら嬉々として見に行くんだけどね、俺。
「アイヤー!」
あ、また言った。
というかどうした?
やれやれ、と俺は馬車を降りる。なんだかただ事じゃなさそうな雰囲気の叫び声だったからね。
いちおう俺とシャネルは行商の護衛をするという名目でこの馬車に乗せてもらっていたのだ。
「どうしました?」
と、俺はたずねる。
「アイヤー、生きてたよこの人!」
「え?」
俺は荒野に一人、岩場に背中を預けている男に近づく。
確かに生きているのか、行商の男が伸ばした手をがっちりと掴んでいる。しかし顔はあげていない、瀕死であることは間違いないようだ。
「痛い痛い! 離すね!」
「おい、あんた」
俺は男の手をとる。
がっちりとした岩のような手だ。どれだけ力を入れても離れようとはしない。
「……死んで、ねえぞ」
男がつぶやくように言った。
「分かった、わかったから手を離してやってくれ」
男が手を離す。というよりも力が尽きたのだろうか。
「てめえら……盗人か。ふざけんじゃねえ、俺は死んでねえぞ。さっさとどっかに行け」
どっかに行けと言われても……このまま放置すればこの男は死ぬだろう。腹に穴があいていて、そこからとめどなく血が流れているのだ。
「アイヤー、さっさと行くネ」
「ちょっと待ってくれ。おい、シャネル!」
俺は思わずシャネルを呼ぶ。
「なあに?」
シャネルが面倒そうに顔をだした。
「来てくれ、生きてるんだこの人!」
「やあねえ……」
と言いながらもシャネルは馬車の荷台から出てきた。
「この人の治療をしてやれないか?」
「お優しいことで」
シャネルは呆れたように言って杖スカートの中から杖を取り出す。たぶん内側にポケットのようなものがあるんだろう。
「てめえら……なんだ?」
男が顔を上げた。
獣のような凶相だ。いまにも死にそうだというのに、切れ長の目には恐ろしい三白眼がこうこうと輝いている。唇は薄く、肌はこの荒れ果てた大地ではありえないほどに白く、顔だちは端正に整っていた。
一目でイケメンだと分かる。だが右の耳たぶがちぎれたようにいびつなのが玉に瑕だろう。いや、
たぶん本当にちぎれているのだ、なにかしらの事故があって。
「いちおう魔法はかけてみるけど完治するとは思わないでね。あんまり得意じゃないから、水魔法
は」
「魔法……だと?」
男の目がさらに険しくなった。
たぶんこのルオでは魔法があまり実用的に使われていないのだろう。この国に入ってから会った人たちが魔法を使っているのは見たことがない。
「『蜃気楼のごときむなしさで、この者の傷を治したまえ』――ヒール」
シャネルの杖先が青く光った。
そしてその光は男の傷へと吸い込まれていく。しかし傷はふさがらない。
シャネルはやっぱりねという顔をした。
「ダメか?」
「もう一回やってみるけど。でも本当は男の人に水魔法なんて使いたくないわ」
シャネルはまた水魔法を唱えた。
今度はある程度効力があったようで、男の傷からでていた血はとまった。
「アイヤー! すごいネ、これが魔法ネ!」
「あまり動くとまたすぐ傷が開くわ」
男はシャネルを見て、そして俺を見た。
「すまねえ」
と、なぜか俺に言う。
たぶんこの人は頭が良い。物事の本質がよく見えている。俺とシャネルの関係性を一瞬で見抜いたのだ。
「あんた、こんなところで何してるんだ?」
と俺は聞く。
「まさか昼寝してたように見えるか」
「誰かにやられたのかよ?」
そんなところさ、と男は立ち上がるとぎょろぎょろとあたりを見回し、舌打ちを一つした。
「来やがったか」
男の見る方向に砂埃が立ち上がっている。
かすかに馬のひづめの音が聞こえてきた。
だれかがこちらに向かって来ているのだ。
「馬?」
「アイヤー、馬賊よあれ! 大変ヨ!」
行商人の男があたふたと慌てている。そして自分の馬車に隠れるようにして乗り越んだ。
まさか本当に馬賊なんて現れると思っていなかったから、俺はなにごとかと驚いてしまう。でも体
はかってに動き、剣に手をかける。臨戦態勢だ。
この国に来て初めての戦闘だ、俺は気合を入れるのだった。




