092 人はいつかかならず死ぬ
「命はつきましたか?」
男はお決まりの言葉をはなつ。
昨日と一昨日はこれを聞き、しかしヨツヤ老人が生きていることを確認したのかそのまま帰っていっていた。
だが今日は――
「命がつきたようですね」
違う。
「そうだ。ヨツヤは死んだ」
抜かれた剣がキラリと光る。
これまで何度試してもこの幻創種の男には傷一つつけられなかった。
「では契約どおりその魂をもらいうけます」
「ひとつ教えろ」
俺がこの男に質問をするのはこれが初めてだ。
そもそも俺たちはいままでこの男とは会話をしないようにしてきた。そのほうが良いとシャネルが言ったからだ。
だからそもそものところ、俺たちの声がこの男に届いているのかも不明だった。
「なんでしょう」
しかしそれはいらない心配だったようだ。
この男とは会話ができる。
「お前がもっていった魂はいったいどこへいく」
そもそも魂とはなんなのか。たぶん体の中にある臓器じゃないだろう。心臓とか脳みそとかそういうものじゃないはずだ、魂って。
「どこにも。ただわたしの栄養となります。輪廻の渦からもはずれ、生まれ変わることもなく、またディアタナ様の祝福をうけることもない」
「そうかい」
それを聞いてなおさらヨツヤ老人の魂をこいつに渡すわけにはいかなくなった。
あの人にはせめて普通に死んでもらおう。だってあの人は俺にたいして真摯に謝ってくれたのだから。だから俺が恨む理由なんてないんだ。
「なぜ……あなたはわたしの行く手を阻もうとするのです?」
心底不思議そうに男は俺にたずねた。
聞いているだけで鳥肌がたちそうなほどの恐ろしい声だった。これが悪魔の声だと言われればなるほど、人間が聞くことは許されない声なのだ。
しかし俺は勇気を振り絞る。
「簡単だよ。ヨツヤとは知らない仲じゃないんだ。他人が不幸になりそうなときに見捨てられる人間じゃないんだよ、俺は。どうも優しい人間らしいからね」
そんなこと言われたことなかったけれど、異世界にきてからは時々言われるのだ。
貴方は優しい人だ、と。
悪い気分じゃない。
そういう意味ではあちらの世界にいた人たちはみんな優しくなかった。だって俺がイジメられても助けてくれなかったんだ。
でもそれは仕方のないことだ。人はみんな弱いものだ。自分の身を犠牲にして誰かを助けることなんてできない。もしかしたら文句を言えば今度は自分がイジメられる側になるかもしれないんだから。
「貝のように口をとざすしかなかったんだ、みんな」
弱い人間ばかりなのだ。
だからこそ思う、優しさっていうのは強さと一緒だと。
勇気を振り絞る強さがあれば、きっと他人を助けられる。
そして俺は、強いのだ。
いいや違う、強い人間になってやる。そのためにも俺をイジメていたやつら全員に復讐するんだ。
そうすれば俺はこの異世界で笑って暮らせるんだ。
「いくぞ!」
俺は剣に魔力をためる。
男はそれを感じ取ったのか、
「な、なにをするつもりだ……」
少しだけ怯えているように見えた。
「あんたに恨みはないけれど、ヨツヤの魂をもらわれるわけにはいかないんだ!」
そんなことになったらメイドさんだって悲しむし、ついでに俺だって悲しい。
「わたしはやつと取引をしたのだ、正式な。だからこそやつはあの人形をつくれた。わたしのやった力のおかげなのだ」
「だからどうした! 知るかっ! 関係ない!」
自分でも乱暴だと思う。
だけど俺はこの男と会話をしにきたんじゃないんだ。
この男を退治しにきたのだ。
「やめろ!」
「隠者一閃――グローリィ・スラッシュ!」
「やめろぉおぉおおっ!」
俺の放った真っ黒いビームは男を飲み込む。
――くそ、思ったよりも威力が強い!
そもそも街中で使うような技じゃないのだ、これは。
そのまま向かいにある家までも潰してしまいそうになる。だから俺は居合から返す刀で剣を下に振り下ろす。こうすればビームは下方にいき――地面に大穴が開いた。
立ち上る砂埃。
それが晴れたとき、幻創種の男の姿はもう木っ端微塵。どこにもなかった。
「……はあ、はあ、はあ」
自分の息があがっているのが分かる。
「かなり危なかったな。街を壊すところだった」
ま、地面は壊れてんだけどね。
その場にへたりこんだ。たぶん魔力を使いすぎたのだ。
「疲れた……」
でも達成感もある。意外とやれるじゃないの、俺。自分で自分を褒めてあげる。
ぼーっとしていると、シャネルが走ってきた。
「ちょっとシンク、大丈夫! いますごい音したわよ!」
こいつはヨツヤ老人が死んでもなにも思わないくせに、俺が危ないかもしれないと焦るんだな……ま、そういうところも可愛いといえば可愛いけど。
「やったぞ」
「やった? もしかして倒したの、幻創種を?」
「うん」
一度座ったせいでもう立ち上がれない。それくらい俺は疲れていた。
「すごいのね、さすが私のシンク!」
「お前のじゃねえけどな」
「でも私は貴方のものよ」
あっそ。
シャネルはその手に白い花をもっていた。菊に似ているが、なんだろうか?
「なに、その花」
「ああこれね。これはね、死んだ人に手向ける花よ。いちおう買ってきたの。死は誰のものだろうと敬意を払われるべきよ」
なんだ、意外と人の死を尊重していたのだな。
ちょっとだけシャネルに安心した。
「優しいんだな」
「シンクほどじゃないわ」
シャネルが手を差し出すから、俺はそれを頼りに立ち上がる。
花と一緒にメイドさんに報告をしよう。そうすれば少しかは彼女の悲しみがマシになるかもしれない。
女の子が泣いているのは苦手だ。
もし泣き止んでくれたなら、それだけで頑張ったかいがあるというものだ。
俺って優しい前にまず単純な男だからね。
家に入りヨツヤ老人の遺体がある部屋にいくと、メイドさんはまだ泣いていた。
「終わったよ」
と俺は声を掛ける。
「終わった……?」
「ああ。幻創種は倒した。ヨツヤの魂は大丈夫さ。いまごろ天に登って成仏しているよ」
ま、死んだあとどうなるかなんて知ったこっちゃないけれど。でもそうだと信じたい。
「本当ですか! ありがとうございます、もうダメかと思っていました」
メイドさんにはたしかに感情があるように見えた。
悲しみの中にも安心や喜びのようなものが見え隠れしている。
「これ、お花。お葬式は明後日の午前中にあげてくれるそうよ、教会で話してきたわ」
「すいません……本当は私がやるべきでしたのに」
「良いのよ。私たちも参加させてもらうわ。ね、シンク」
「ああ」
「ありがとうございます、ご主人様も喜びます」
メイドさんはペコリと頭を下げる。
その仕草はどこからどうみても人間そのものだった。それに、どこかいままでよりも人間味を感じる。たぶん感情が表情をつくりだし、声に抑揚もつくりだし、彼女をより完全な人形にしたのだろう。完全な人形とは人間に近づくことなのだろうか、分からないが少なくともヨツヤ老人はそれを目指した。
「じゃあそろそろ私たちは帰るから」
「あ、ちょっと待っていてください」
メイドさんが部屋を出ていく。どうやら隣の部屋に入ったらしい。
「なにかしら?」
「なんだろうな」
メイドさんはすぐに帰ってきた。
「あの、これ。もし良かったらもらってください」
そういったメイドさんの手に乗っていたのは小さなビスクドールだった。どちらかといえば顔や目が大きくてデフォルメされたアニメ調のビスクドールだ。
「まあ、可愛い」
そ、そうか?
市松人形みたいで不気味だけど……。
「これ、ご主人様がお作りになったんです」
シャネルはその人形を受け取った。
よく見ればその人形はゴシック・アンド・ロリィタのお洋服を着ている。髪も銀髪でどことなくシャネルに似ていた。いや、シャネルが人形のように愛らしいだけだろうか?
どっちでもいいや。
「ありがとう、大切にするわ」
「そうしてもらえればご主人様も喜びますし、あの、私も嬉しいです」
「そう」
シャネルは微笑んだ。その笑顔は優しげな、まるで相手の成長を喜ぶようなものだった。
「じゃあ帰るわ、またお葬式で」
「はい」
俺は部屋をでるとき、ふと思いついてヨツヤ老人に声をかけた。
「じゃあな、ヨツヤ。またな」
その言葉自体に意味はない。
でもどうしてか、またなと言いたかった。それはたぶん死んだ人に対する礼儀だと思ったのだ。
人はいつかかならず死ぬ。それは俺だって同じなのだから……。




