087 金か愛か
風が冷たくなってきた。
日が静かに落ちていく。パリィの街に夜がきたのだ。
「それにしても幻創種なんて倒せるのかしら?」
「さあ、どうだろうな」
俺たちは家の庭に座っていた。シャネルはご丁寧に若草の上にシートを敷いている。さきほどからこうして待っているのだが、『それ』と呼ばれた幻創種はいっこうに現れる気配はない。それどこころか近所の人から妙な目を向けられた。
どう見てもピクニックをしている2人ではないからな。
「ま、もしダメだったらごめんなさいできませんでした、だ」
それはそれであのメイドさんが悲しむだろうから、やりたくないが。
「ちなみにシンク、私の魔法はあてにしてないでしょうね」
「まさか」
シャネルが魔法を本気で唱えると、それこそここら一体が更地になる。そうでなくてもシャネルの魔法は火属性。他の家に燃え移りもしたら大惨事だ。
つまり今回は実質、俺が1人でやらなければいけない。シャネルはあくまでサポートだ。
「それなら良いけど。でももしシンクが危険になったら、後先考えずに魔法を撃つわよ」
「それはそれで嬉しような怖いような」
シャネルのことだ、マジでやるんだろうな。
そんな話しをしていると、家の扉が開いた。メイドさんが顔をだす。
「あの、来ましたか?」
「まだよ」
「そうですか……いつもならそろそろなんですが。あの、これ。ランプです。置いておきます」
「あら、気が利くのね」
「……いちおう、命がけで依頼を受けてもらっていますから。あの、もしお腹が空いていたりしたら言ってください。なにかサンドイッチでも持ってきますし」
「どうする、シンク」
「いや、いらね」
さすがにこの状況下でサンドイッチを食べられるほど図太い性格をしていない。たしかに夜ご飯の時間なのだろうが腹なんてまったく減っていなかった。
「そうですか……でしたらなにかあったら呼んでください。私、中にいますから」
それだけ言うとメイドさんはまた引っ込んでいった。
「………………あれは住み込みね」
シャネルがさも楽しそうに言う。
「まあ、この時間でも帰る感じないもんな」
「いったいどんな関係かしら、気になるわ……」
たしかに俺も気になってきた。
メイドさんなんてただの雇われかと思ったら住み込みだぞ? 俺たちは依頼主である老人の顔を見てない。いったいどんな男なのだろうか?
あんなに可愛い――シャネルには言えない――メイドさんと一緒に住む老人。ミステリーである。それともそうとう金を持っていて、遺産目当てとかだろうか。
「知りたいな」
「でしょ? 私の予想だと、やっぱり2人は愛し合っているのよ」
「そういうの好きね、シャネル。でも俺の予想は違うな。たぶんありゃあ金目当てだ」
「いいえ、愛よ」
「金だな」
「愛」
「金」
不毛な言い争い。
ふと、先程メイドさんが持ってきてくれたランプの火が消えた。
「おいでなすったわよ」
シャネルが杖を抜き、その先に光をともした。
「またせてくれるじゃないか」
剣を抜く。臨戦態勢だ。
街角から男が歩いてくる。なんだかこの異世界には不釣り合いなくらい現代的な黒いスーツを着た男だ。頭には洒落た中折れ帽がのっかっている。
ゆっくりと男はこちらに歩いてくる。
その男がこちらに近づいてくるたびに俺の背中には冷や汗が流れ出した。
体中、いっせいに鳥肌がたつ。
吐き出しそうな嫌悪感を男からは受ける。
――なんだ、こいつは?
まさに化物だった。
男の姿は一見してただの人間だ。しかしその体につまった禍々しさは隠せるものではない。むしろ格好が人間な分だけ気味が悪いというものだ。
例えるなら、精巧すぎる人形が不気味の谷を越えて薄気味悪くなるように。
男は人間を模した怪物だった。
「命は尽きましたか?」
男が俺たちに向かってそう言った。
その声はまるで夜中に感じる生暖かく不気味な風の音のようだった。
「返事はしちゃダメよ」
シャネルが俺の手をひく。
「あ、ああ」
危ない。あやうく返事をしてしまうところだった。
「幻創種なんかとは話しをしないのが一番。さあ、ちゃっちゃとやっちゃって」
「そうだな」
俺は剣を振りかぶり、一思いに切り捨てようとする。
だが――。
「あれっ?」
俺の振り下ろした剣は男を素通りした。
「命は尽きましたか?」
男はなにごともなかったかのように俺にもう一度聞く。
「おいおい、どうなってんだこれ!」
もちろん手に感触もなにもあったものじゃない。
「まずいわね。こんなの聞いてないわよ」
男は俺たちを素通りして家のドアまで行く。
ノックをする。
「命は尽きましたか?」
また、聞く。
だがメイドさんはなにも返事をしない。
「命は尽きましたか?」
再度、男が言う。
俺は背後からダメ元で剣を突き刺してみる。だが男には当たらない。素通りするのだ。
この男には実態がないのだ。
「明日、また来ます」
男はそれだけ言うと、また来た道を戻っていった。
少し遠くなると、男はまるで闇の中に溶けたように見えなくなった。
「これ、無理じゃないか?」
と、俺はシャネルに言う。
「無理ってのはあんまり好きな言葉じゃないけど、まあたしかに同意するわ。たぶんあれ、魔法でもどうにもできないわよ。次元が違うっていうのかしら……さすがにそんな幻創種、見たことも聞いたこともないけど」
「こりゃあごめんなさいか?」
メイドさんが家から出てくる。
「……どうですか?」
シャネルが首を横に振る。
「ダメそう」
「……そうですか」
メイドさんは顔を伏せていまにも泣き出しそうだ。
こりゃあダメとは言えねえな……。男っていうのは女の子の涙にはめっぽう弱い生き物なのだ。
「とりあえず、明日もまたやってみますから」
「どうかお願いします。ご主人様が死ぬまでには、どうあってもあの男を退治しなくてはいけないのです」
「任せてください」
俺は思わずメイドさんの手を握ってしまう。
「まあ」
メイドさんの頬が、少しだけ赤くなった気がした。
「知らないわよ、シンク。そんな無責任な約束して」
シャネルは苛立たしげに杖で俺の頭をトントンと叩いた。
「ま、やれるだけやってみるよ」
可愛い女の子のために――っていうのは不純な動機だけど。それだけに真剣でもあるのだ。
ま、女の子には分からないよね。




