079 下水道での戦い
ゆっくりと夕雲が流れている。パリィの空は茜色。街はオレンジに染まっていて、シャネルの白い髪がまるで稲穂のように色づいて見えた。
「さあ、行きましょう」
俺たちはその言葉で頷く。
町外れの古びた教会、その地下に広がる通路。
そして、奴隷市場。
そこにミラノちゃんはいるのだ。
いつもは賑やかなローマだが、いまは口を閉じている。こうして喋らないでいればちょっとだけ大人っぽく見えないこともないけれど、やっぱり小さな女の子だ。こんな子がいままで友達のために人殺しをしてきただなんて。ひどい話だった。
少しずつ街から離れていく。
この前もきた教会が見えた。アイラルンをまつった教会。いまは誰も見向きもしない場所。
「こんな場所から奴隷市場に行けるのか?」
「なんだローマは知らなかったのか」
「うん……だって奴隷なんて見たくないし」
「あ、そうか。すまん」
俺は祭壇をどかす。この前移動させたときは戻さなかったはずだ。きっと誰かが元の位置にしておいたのだろう。
地下へと続く階段。
「誰かいるかしら?」と、シャネル。
「どうしてそう思う?」
「待ち伏せとかされてないかと思って、不安なのよ」
「僕もその可能性はあると思うぞ」
そうか、と俺は頷く。
「じゃあ俺が先頭に行く。二人はあとをついてきてくれ。シャネル、明かりを頼む」
「ええ」
「ただし、あんまり魔力は使うなよ」
シャネルには後で大切な仕事があるのだ。奴隷市場にいって、とにかくド派手に魔法をぶっ放して人の目をひく。そしてその隙に動きの早いローマがミラノちゃんを助ける。それが俺たちの単純な作戦だ。
え、俺はなにするんだって?
そりゃあもちろん戦うのさ。
地下へと降りる。下水道が広がっている。
「ど、どうだ。誰かいるか?」
ローマが降りてきた。その後ろには杖先に明かりをともしたシャネルがいる。
「いや、いない」
俺たちのことはウォーターゲート商会、ひいては水口にバレているのだろうか?
少なくともサーカスの団長は俺とシャネルのことを知っているし、ローマのことも当然知っている。俺たちに繋がりがあるということも分かっているのだろう。
だからと言って、俺たちがどこから入ってくるかは分からないはずだ。奴隷市場までの道はいくつかあって、この古びた教会からのルートもそのうちに1つでしかない。
「たぶん待ち受けているとしたら奴隷市場に行ってからじゃないかしら?」
「俺もシャネルの意見に賛成だ」
まさか相手も戦力を分散などしないだろう。
そもそも相手は俺たちがローマの奪還に来るとは思っていないのかもしれない。だからある程度の警備はしているが警戒はしていない――。
なんて、そんな簡単な話あるわけがないよな。
そんな勘がするんだ。
中央を川のように下水が流れている。そこからは悪臭がする。それを我慢して脇の方を歩く。
「どれくらい遠いんだ?」
「すぐだ。そしたらハシゴがあって――」
そういえばこの前の道順なんて全然覚えていない。
分かれ道に差し掛かった。
「シャ、シャネル」
「えーっと、こっちよ」
全部言わなくてもシャネルは俺の言いたいことを理解してくれた。こういうのをツーカーというのだ。
というかよく覚えてたね。
そして開けた場所にでた。そこは水を貯水するためのスペースなのだろうか。下水道の中だというのに、薄く水がはっているだけのスペースだ。
半円状のドームだろうか、天井はかなり、高い。
というかここ通ったことあるか?
「なあシャネル……」
「間違えたわ」
シャネルはまったく悪びれずに言う。
「おいおい」
こうも簡単に言われると怒る気にもなれない。
「でも良かったわ、ヒールを履いてきて」
これで汚れないでしょ、とシャネルは立っている。
「それ動きにくくないか?」
でもハイヒールっておしゃれのためというよりも実用性重視で開発されたって聞いたことがあるぞ。……たしか中世ヨーロッパではう○こが道に落ちてたからそれを踏まないために、って。
そういう意味ではシャネルがヒールを履いてきたという選択肢は正しいのか?
普通の靴を履いている俺は足が濡れてるし……。
「最悪な気分だぜ。靴下までびしょびしょだ」
「あとで洗ってあげるわよ」
「うん」
「おい、ちょっと待て」ローマのケモミミがちょこちょこと動く。「なにか、来るぞ。音がする」
俺は剣を抜く。
意識を集中するが、俺にはまったく音など聞こえない。
シャネルの方も同じなのか首を傾げている。
しかしローマにはなにかが聞こえているようだ。
「おい、ローマ。敵か?」
「静かに! 来るぞ、来てる来てる……。シンク、右に飛べっ!」
俺はとっさに右にとぶ。というよりも倒れ込む。
水びたしになるが構わない。
そして、俺がもといた場所を超速の影が通り過ぎた。まるで弾丸のようだ。
その影はしばらく進むと、まるでコウモリのように上昇し、そしてゆっくりと水面に降り立ち着地した。
「ほう……さけましたか」
俺は立ち上がり、つばをはく。
「くそ、下水がちょっと口に入っちゃったぞ」
「大丈夫、シンク?」
シャネルが俺の口元をどこからともなく出したハンカチで拭いてくれる。
「んっ、ありがとう」
「うん、きれいになったわ」
「……ずいぶんと余裕のようですね」
ふん、と俺は鼻で笑う。
「悪いな、あんたにかまってる暇はないんだ」
しょうじきなところやせ我慢である。
なにせさっきから足がブルブルと震えているのだから。いや、本当に死ぬかと思った。間一髪でよけられたから良かったけど、なにあれ? 突進? どうやって浮いてたんだよ。
俺たちの前に立っているのはサーカスの団長だ。この前と同じ黒いスーツにシルクハットをかぶっている。その手にステッキの一つでも持っていれば柔和な老人にでも見えるだろうが、実際に持っているのはローマのものとよく似たナイフだった。
「どどど、どうして僕たちがここにいると分かった!」
ローマが恐怖を押し殺すように叫ぶ。
彼女の耳は震えているし、その目は怯えているように見える。
「ローマ」
怖いなら下がっていろ、と俺はローマの手首を握った。
「大丈夫、大丈夫だ」
ローマはそういうやいなや、ナイフを抜いた。
そしてそのまま、団長に向かって走り出す。速い、しかも直線的な動きではなく左右へのフェイントも交えている。
だが、ローマのナイフが団長を切り裂くことはなかった。
ローマが団長に踊りかかった瞬間、団長の姿が一瞬にして消えた。ローマのナイフはとうぜん空振る。そして、その次の瞬間には団長がローマの背後に回り込み、その背中に蹴りをくらわせていた。
またも一瞬。
俺の視力をもってしても見えない。いや、そもそもが素早く動いているのではない。団長は、消えて、そしてまた現れているのだ。
「ぐうっ!」
ローマは弾かれるように飛ばされ、地面に激突した。
「なぜ、ここがと聞いたかね? 教えただろう、陰属性の魔法『暗探』だよ。もっともローマよ。キミはまったくできるようにならなかったがね」
だがその質問をしたローマは動かない。
いきなり戦力の1人がやられた。
「さて、わたしの依頼はあのエルフの娘を狙う者すべてを殺すことですが――」
団長の姿がまた消えた。
「どこだ!」
俺の声はドーム状の空間に響く。
「――金さえもらえばなんでもするというのが我々サーカス。その点、1フランの得にもならない行為をしたローマは、我々サーカスの面汚しです」
団長の声はどこからともなく聞こえる。
「シンク、あかりを消す?」
そのせいでシャネルは攻撃魔法を使えないのだ。
「いや、魔力はとっておけ。俺がやる」
だがどうしたら良い? 敵は見えすらしない。
ならば――と『女神の寵愛~視覚~』のスキルをオンにしてみたが、そもそも視界に映らないものはどうしようもないのだ。
「ローマはもう殺処分としますか」
その団長の言葉に俺は猛烈に嫌な予感を覚えた。
――なにかが上から落ちてくる!
全力で走りだし、倒れ込むローマをかばうようにして立つ。落ちてくるなにか――黒いギロチンのような塊に剣を振るう。
しかし、黒い影は俺の剣を素通りした。
――バチンッ。
しかし、素通りしたはずのギロチンは魔法のエフェクトと同時に消え去った。
発動したのだ、『5銭の力』が。
しかしこれで俺の持っていたコインはなくなったことになる。『5銭の力』は融通のきかないスキルだ。致死量の攻撃に対してはその強大さに応じてコインがたくさんいるのに、ギリギリ死ぬ程度の攻撃でもコイン一枚がまるまる消えるのだ。
つまりお釣りはでない。
もっともスキルがなければ死ぬことになっていたのだ、どれだけコインを使ったとしても損というわけではないが。
「ほう、またその不思議な技ですか」
目を凝らす。
天井に団長がぶら下がっている。団長のスキルが見えた。、
『陰属性魔法B』
『暗殺術A』
だからといってなんだというのだ、この状況を打破できる策がまったくない。
それどころか、もう一度だって死ねないのだ。
「シャネル、コインはあるか! 1フランでも良いんだ!」
「ごめんなさい、ないわ」
「財布くらい持っておけよ!」
自分のことは棚上げしてシャネルに言う。
「財布はあるけれど、さっきシンクがいない間にローマちゃんと遊びに行っていたのよ」
それで使った、と。バカか! 決戦の前に遊びになんて出るなよ!
万事休すである。
――どうしよう!




