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078 ミナヅキの治療院


「え、正面突破って本当に正面突破するのか!」


 ローマが手入れのために油を塗っていたナイフを落とした。


「だから最初からそう言ってるだろ。正面からミラノちゃんを助けるんだって」


 俺は部屋の椅子に座ってたった一枚だけ残った金貨を転がしている。シャネルは今晩はどの服を着ていこうかとお洋服選びをしている。


「いや、それは言葉のあやってやつかと思っていて」


「でもそれしか方法なんてないでしょ? 私たちが今できる最善の手よ」


「けっこう猪突猛進なんだな、二人とも。でもまあ、そうだよね。うん、それしかない」


「なんでもいいけどよぉ、ミラノちゃんを逃したあとはどうする? ここに戻るか?」


「この前襲われたでしょ? この場所は知られてるかもしれないわ。追撃があるかもしれないわね」


 追撃……。


 いや、それはないのではないだろうか。敵の戦力はどうだろう、分かる部分では団長と呼ばれるサーカスのリーダーだけ。この前の時は兵隊のような男たちがいたが、俺の敵ではないはずだ。


 そこらへんはローマのほうがよく知っているかもしれない。


「ローマ、ウォーターゲート商会ってあら事は得意なのか?」


「そういう部隊がいるにはいるけど、そう強いやつはいない。だから僕たちみたいなサーカスを雇うんだ」


「たしかにそうだな。ちなみに他のサーカスが雇われている可能性は?」


「低いと思うけど……」


 金がないないと言っていたわけだからな。


 たぶん団長をやとうだけで精一杯だろう。


「ねえ、ちょっと聞くけどサーカスってどれくらいの人数がいるの?」


「ごめん、それは僕も分からないんだ。サーカスはおたがいほとんど面識がないからね。団長と他に2人くらいは知ってるけど……。それで全部かもしれないしまだまだいるかもしれない」


「なんにせよ出たとこ勝負か」


「ここに戻るべきかそうじゃないか悩ましいところだけど。明日の馬車の時間まで隠れれる場所があれば良いけれど……」


「隠れる場所ねえ……」


「地下の下水道なんてどうだ? あそこならバカみたいに広いからたぶん見つからないぞ」


 シャネルが嫌そうな顔をする。あそこは臭いからな、俺も長居はしたくない。


「他にどこかいい場所はないかしら?」


 ある、といえばある。


 俺が一度警察から隠れた場所、治療院の地下室だ。あそこなら隠れるにはもってこいだろう。俺の勘だが、たぶん敵には知られていない。


「あそこはどうだろうか。ローマ、覚えてるだろ。あの治療院だ」


「あそこか……いや、良いと思うけど。でもいきなり行ったら迷惑じゃないかな」


「そうだな、まだオークションまで時間もあるし。俺が先に行って話しをつけてくるよ」


「あら?」


 シャネルが驚いた顔をした。そして自分の頬をペタペタと触り、その白い肌をつねった。ぷにょん、とお餅のように頬が柔らかく伸びた。


「なんだよ」


「珍しいこともあるものだと思って、これって夢じゃないかしら」


「なにがさ」と、俺は自分でもちょっと分かっていながら聞く。


「だってシンクが他の人と話をしてくるだなんて。大丈夫? 私もついていこうか」


「いや、一人でいいよ」


 まあ俺っていつもこういうのはシャネル任せだったしな。


「成長したのね」


「ま、そういうことにしておこうか」


 実際はあの男――治療師の男と二人きりで話しをしたかっただけなのだが。


 でもシャネルに褒められると悪い気分はしないぞ。


「シンク、夕方までには帰ってくるのよ」


「了解」


 俺はジャケットを着て剣を担ぐ。


 部屋を出ると久しぶりに一人っきりだ。いつだって俺の隣にはシャネルがいる。


 ときどき一人にならないと息がつまる。けれど一人ぼっちだと喉がつまる。自分でも何言ってるかよく分からないけどさ。


「らっ、ら、ら」


 鼻歌交じりにアパートを出る。あちらの世界ではやっていた流行歌。


 妙な笑い声が聞こえて振り返ると、アパートの出口――というか入り口でもある――付近にタイタイ婆さんが立っていた。


「今晩だね」


 と、俺に言う。


「なにがですか?」


 と、俺は聞いた。


「死相さね。色濃く出てるよ」


「あんまり脅かさないでくださいよ」


 それまだあったのかよ。そりゃあそうか、最近は戦うこともあまりなかったしな。


 ……今晩ということは、敵は十中八九サーカスの団長だろう。


「せいぜい気をつけることだね」


「気をつければなんとかなるんですか?」


「ならないと思うのかい?」


「できると思わないとできないんですよ、何事も」


 俺はドヤ顔で答える。もちろんシャネルの受け売りだ。


「その通り! たかが八卦はっけじゃて、人の意思で覆せぬ運命などない」


 俺は格好つけて敬礼して歩きだす。


 タイタイ婆さんの妙な笑い声に見送られた。


 すると、次に妙な声が脳内に聞こえてきた。


(朋輩、朋輩)


 なんだよ、アイラルンか。俺は心の中で思う。


 今日はたくさんの人に会うな。


(そうです、貴方の女神アイラルンですわ)


 女神様かわい~、おっぱい揉ませて~。


(朋輩、そういうシモネタはまったく楽しくありませんわ。それにそんなに揉みたいのならばあのシャネルさんのを揉めばよろしいでしょう。頼めば二つ返事ですわよ)


 それができたら童貞じゃないのね。


「それで、なんだよ」


 小さな声で聞く。どうせ通行人は俺のことなんて気にしていない。


(いえただね、あの老婆にどこか見覚えがありまして……誰でしたか?)


 タイタイ婆さんのことだろうか。


「見覚えもなにも、よく会うだろ?」


(そういう意味ではなくて……うーん、思い出せませんわ)


「歳だからだろ」


 というかアイラルンって何歳だ?


(まあ、レディに年齢を聞くなんて!)


「別に聞いてない」


 思考盗聴って怖いよね!(統失)


(ちなみにお答えすると137億歳くらいですわ)


「それどんなインフレだよ!」


 戦闘力だってそんなインフレしねえだろ。


(ま、忘れるのだとしたらその程度のことですわ。朋輩もはやくご学友のお名前を思い出してあげてくださいまし)


「はいはい」


 ふとアイラルンの声は消えた。


 来るときも突然なら帰るときも突然だ。


 それにしても名前ねえ。もう一回顔を合わせたら思い出すかななんて淡い期待をしていたのだが。でもやっぱり名前も覚えていないのに行くのは失礼だよな。


「名前……名前。名前?」


 喉元まで出かかってるんだよな。


 えーっと、たしか……あの……?


 そんなことを思いながら歩いていると治療院の場所まで到着してしまった。


 どうしよう。


 表札とかはもちろんかかっていない。


 なんて思っていると、中から誰かが出てくる気配がした。俺は慌てて場所を移動して物陰に隠れる。


 まず出てきたのは小さな女の子。そしてその母親とおぼしき女性。どこにでもいそうなごく平凡的な母と娘だった。


「ありがとうございます、ミナヅキ先生」


 どうやら治療院で治療をしてもらっていたらしい。


 そして今、母親の方はミナヅキと言った!


 それを聞いた瞬間、俺は「あー、そんな人もいたわ。そうだったそうだった!」と、思い出した。こういうのってすげえしっくりくるよな。


「ありがとう、先生!」


 女の子は元気に答える。


「はっはっは、さっきまで泣いてたのにな。治ったら元気になったな」


 ミナヅキが女の子の頭に手をのせる。この前はあんまりやる気のない様子だったがどうやら子供には優しいらしい。


 光のあたる場所で見れば、この前は初老に見えたミナヅキも少しだけ若々しく見えた。40代前半。いや、苦労のせいで老けているだけで30代の中盤かもしれない。20代ってことはないだろうな。


 親子が帰るのを見計らう。


 ミナヅキが清々しい顔をして伸びをしている。


 俺はその身を出した。


「よう、先生」


 と声をかける。


 ミナヅキはちょっと嫌そうな顔をした。


「なんだ、榎本。また厄介事か?」


 いきなりバレている。


「あはは」


 とりあえず笑って誤魔化す。


「中に入れ、そこに居たら邪魔だ」


「邪魔とは酷い言いようだな」


 俺は言われたとおりに治療院の中に入る。どうやら客はいないようだ。病院とかの場合も客っていうのかな?


「邪魔じゃないならなんというんだ? 怪我をしているわけじゃないんだろ」


「まあそうだけどさ」


 俺たちは通路にあった長椅子に座る。


 ミナヅキは白衣の中からタバコを取り出した。


「タバコ……?」


「まさか未成年がどうとか言うなよ。俺はこっちの世界で長いんだ」


「いや、そうじゃなくてさ。タバコなんてあるんだな」


 ミナヅキはニヒルに笑い、小さなマッチ棒で火をつけた。


「当たり前さ。こういうときこの国じゃあこう言うんだぜ、『こんなものガングー時代からあるよ』ってな」


 ガングーさんね。俺みたいなやつとは違ってこの英雄って呼ばれてた男だ。シャネルがよく名前を出すのでよく知らないけど名前だけは覚えた。


 でもその人の名前が時代の名称になるくらいなんだ、そうとうにすごい人なのだろうということは分かる。


「この世界の文化、風俗は不思議だな」


 ミナヅキは俺にそう言う。


「どうして?」


「分からないなら説明するが、ガングーが生きた時代はいまから500年前。そこから500年も経って魔法というものは生まれたがそれ以外の文化がまったく根付いていない。まるで近世で時を止めてしまったかのように、だ」


「はえー?」


 俺の頭の中は疑問符でいっぱいだ。


「榎本は気づかないか」


「ミナヅキくんは昔から頭良かったもんな」


 クラスでも一番の成績だったはずだ。だからこっちの世界でも治療師なんていかにも頭の良さそうな仕事をしているんだろう。


「なんだ、俺の名前を思い出したのか?」


「当たり前だろ」


 嘘、実はさっき聞いてから思い出したんだ。でも言う必要なんてないだろう。


「それで、そろそろ本題に入れよ」


 タバコの煙が天井に向かって立ちのぼる。空調なんてないから煙はその場にとどまる。けっこうキツい臭いがする。


「ちょっとした問題があるんだ。一晩かくまってほしい」


 ミナヅキはつまらなさそうに煙をはいた。まるで溜息みたいに。


「またか?」


「学友のよしみってやつだろ? なんとか頼むよ」


「別に構わんが、地下室だぞ?」


「ああ」


「榎本1人か?」


「いや、4人」


「4人? なかなか多いな。もしかしてお前、冒険者か」


「そうだよ。でも4人パーティーってわけじゃないんだ」


 やっぱり4人ってきいたらすぐさま冒険者が想定されるのか。それくらいポピュラーなんだろうな。この世界じゃ冒険者って。


「良いなあ、冒険者か。俺も若い頃は色々行ったが……」


「まだ若いだろ?」


 と、俺は昔の学友に言った。


「そうかな? はは、そうかもな。わかったよ、今晩は一晩中鍵を開けておく。いつでも来い。それにしてもお前も大変だな。追われてばっかりで」


「ま、これでもこの世界で楽しい思いさせてもらってるよ」


「あっちに居た頃よりか?」


 ミナヅキは俺に気を使うように聞いてきた。


 俺は小さく頷く。


「ああ」


「そうか、良かったな」


 治療院の入り口のドアが開いた。


「すいませーん、先生いますか?」


 男の声だ。


「おっと、仕事だ」


 ミナヅキは素早く魔法を唱えると、どこからともなく現れた水でタバコの火を消した。


「じゃあ俺、邪魔しちゃ悪いから帰るな」


「ああ、またな」


 俺はけが人に「お大事に」と適当に言って外にでる。たぶんこれ、治ったあとに言われる言葉だろうけどミナヅキの腕は確かだし、まあ大丈夫だろう。


 久しぶりに話せて楽しかった。こういうのは同郷だからかな?


 パリィの空は晴れていた。これなら夜まで雨は降らなさそうだ。


 ……同郷だとしても、許せる人間、許せない人間がいるということだ。


 そんなの当たり前だが。


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