077 ローマ釈放
シャネルが手続きをとっている。真面目な顔をした女性の警官はシャネルの言葉にしきりに頷いている。いったいシャネルはどんな説明をしているのだろうか?
「シンク、こっちにきて」
話しが終わったのだろう、シャネルに手招きをされた。
「おう」
俺たちは女性警察官についていく。
どういうわけか警察官は涙ぐんでいる。
「大変でしたね」と、声をかけられた。
「は、はあ……」
なにが?
「嘘ついたのよ、適当に話を合わせて」
シャネルがそっと耳打ちをしてくる。
「どんな嘘だよ」
「私たちが夫婦で、ローマちゃんは家のめし使いだったの。でも私たちは悪いお金持ちにダマされてお金を奪い取らちゃったの。それで紆余曲折あって――」
「なあ、その話し長くなる?」
「結論だけ言うわ、騙し取られたお金は帰ってきた。でもローマちゃんはそれを知らずに私たちのために盗みを働いていたのよ!」
「ふーん」
まあ、シャネルが身振り手振りで話せばそんなくだらない話であろうと人を一人泣かせられるというわけだ。
というかその嘘話、必要あるか?
とくに俺たちが夫婦のあたり。
ま、なんでもいいか。
パリィ市警がつめる警察署、その地下は留置所となっているらしい。俺たちは地下へと通された。
階段を降りて地下室、部屋は無数にあるのだが人はほとんど入っていない。たぶんみんな牢屋にぶちこまれたのだろう。ここはあくまで処分を決めるまでの借りの留置所なのだ。
「こちらです」と、女性警察官が言う。
「申し訳ないんですけど鍵はこちらであけて良いですか? つもる話しもありますので」
「そうですか、では。この先にいますので」
女性警察官は、自分はここで待っていますと直立した。
なんでもいいけど俺、留置所って牢屋みたいになってると思ったんだよね。でも周囲は本当に部屋、鉄格子すらないんだ。
あいている部屋は扉があけっぱなしで中が見える。石畳の床……なんもない、トイレとかどうするんだろう。
「ここよ」
そういえばシャネルはローマに会いにきてたんだったか。
ガチャリ、とシャネルがカギをあける。
「ローマ?」
俺は声をかけながらゆっくりと中に入る。
もしかしたらやせ細ろえた悲惨な姿のローマが中にいるかと思って、おっかなびっくり入った。
でもローマはあんがい元気そう。
というか振り返って、
「お、トイレの時間? 早くしてくれよ、漏れちゃうぞ」
なに言ってんだ、こいつ?
ローマは入ってきたのが俺たちだとすぐに気がつき、顔を真っ赤にした。
「俺はなにも聞いてないぞ」
俺の中にあるありったけの優しさを詰め込んで、そう言ってやった。
「トイレがしたいの?」しかしシャネルはそういうの全然ないから、真正面から聞いた。「ここ、トイレなんてないものね」
「したいわけないだろ! 僕はトイレなんてしないんだ!」
おいおい、昔のアイドルかよ。
え、もしかして今のアイドルもトイレとかしない?
「バカなこと言ってないで、出るぞ。迎えに来てやったんだ」
「まったく、人をこんな場所に閉じ込めて。もっと早く来いよな! 怖かったんだぞ!」
その恐怖を誤魔化すようにローマは叫ぶ。
たしかにこんな場所で一人だと怖いよな。とくに人間というのは何が起こるか分からない時や理解できないものを恐怖に感じるものだ。
「変なことされてないか?」
「これだから童貞は、変なことなんてされるわけないだろ」
「そうよ、シンク。ドレンスは仮にも法治国家よ。罪人だとしてもちゃんとした人権というものはあるわ。ま、半人の場合は知らないけど」
「ふん、半人だって半分は人さ!」
「あら、ごめんあそばせ」
なんにせよ拷問もされていなければレイプもされていないと。良かった良かった。
「それで、ミラノは?」
ほい来た。
「ミラノちゃんな……」
「どこ? 早く会いたいな、僕たちのこと逃してくれるんだろ? そっちのシャネルさんに聞いたぞ、ありがとうね!」
「そうよ、明日にはドレンスを出てもらうわ。でもその前に、シンク。さっさと言いなさい」
「お、俺が言うのか?」
「私が言ってもいいけれど、こういうのは自分で言い出さないと後悔するものよ」
さあ、とシャネルに優しく肩を押される。
「あのさ、ローマ。……ごめん!」
俺はしっかりと頭を下げる。
「なんだよ、いきなり。シンクが謝るなんて気持ち悪いぞ」
「マジでごめん!」
「なんだよー、シャネルさんも変だよな? シンクが謝るだなんて」
「それがね、私も謝らなくちゃいけないの」
シャネルは目をふせた。
「なんで? というかミラノは? あれ……もしかして」
「ミラノはさらわれた。俺たちのせいだ、ごめん」
「ミラノが! なんでだよ、お前たちがついていてくれたんだろ! どうしてミラノがさらわれるんだ!」
「だからごめんって言っているのよ、私たちも悪いと思っているの」
「……ウォーターゲート商会のやつらか?」
「そうだ」と、頷く。
確証はない。だが状況から見てそうに違いない。というよりもそれ以外のやつらがミラノちゃんをわざわざさらう必要はない。
「今すぐミラノを取り戻しに行かないと! そうしないとどこの誰かも分からないやつに売られちゃう!」ローマはすぐさま立ち上がる。「お前たちも手伝ってくれるんだよな、もちろん」
話しが早い。
「当たり前だ」
「ええ、手伝わせてもらうわ。乗りかかった船ですもの」
「まったく、お前を頼った僕がバカだったよ。こうなれば死んでもミラノを取り返すからな!」
ローマはその場で地団駄を踏む。
もともとの性格が跳ねっ返りだから、こんな状況でもローマは落ち込まない。
良いことだ、俺のように自暴自棄にならない。強い女の子だ。
「今日の夜、ミラノちゃんのオークションがあるわ。私たちの計画ではそこに乗り込むことになっているの」
「うん、僕もそれが良いと思う。というかミラノがどこにいるか分からないんだ、それしかないよね。ところで、お前たちがいてミラノがさらわれるって、いったいどんな相手なんだ? シンクはいちおう勇者も倒せなかったドラゴンを倒したんだろう?」
どうやらちまたではそういう評価になっているらしい。
実際はドラゴンを倒したのは勇者である月元で、俺は疲労した月元を殺しただけなのだが。
「相手はよく分からない、一瞬だったんだ」
「でも老人だったわ」
「そうそう、それで影の中を移動していたんだ。いや、実際はどうか分からないけど」
「影……?」
「ああ、それで背後をとられたと思ったらいつの間にかミラノちゃんがさらわれていた」
ローマはそれを聞くと、一転して真剣な顔をした。
いや、違う。これは恐怖にひきつっているのだ。
よく見ればローマの体は小刻みに震えていた。
「……団長だ」
「団長? それってサーカスのか」
ローマが所属する――所属していた?――殺人集団の名だ。そのリーダーは団長と呼ばれているらしい。まさかあの老人がそうなのだろうか。
「そうか、だからウォーターゲート商会は僕のことを引き取らなかったのか。僕を拷問するよりも団長に依頼したほうが手っ取り早いもんな。団長は、なんだってできるんだから」
「待てよ、ウォーターゲート商会はお金がないからローマを引き取れなかったんじゃないのか」
「まさか、腐っても大商会だぞ。僕一人の釈放くらいわけないさ」
「つまりはその人がそれだけ信用できるってこと?」シャネルが疑うように聞く。「お願いすればなんでも叶えてくれるって」
「……そうだ。団長はそういう人なんだ、金さえ払えば殺しだけじゃなくてなんでもする。僕たちなんて逆立ちしても勝てるわけがない。団長が出てきただなんて相手が悪すぎるよ」
「そうは言うけどローマはそいつから一度逃げているんだろ? 腕に怪我はしてたけどさ」
地下の下水道から出たあと、ローマはそのようなことを言っていたはずだ。
「あれは違う。団長は僕のことを殺す気なんてなかったんだ。団長は金にならないことは絶対にしないんだ。あれは……僕に対する躾さ」
「躾だって?」
どういう意味だろうか。
「……団長は、僕の父親さ。義理というか。いや、ただ僕を買っただけの人だけどさ。でも僕の暗殺術は全て団長から習ったものだ。その僕が言うんだ、団長には絶対に勝てない!」
はあ、とシャネルが溜息を付いた。それは心底相手を見下したものだった。
俺に対してそうされたわけではないのに、俺までゾッとしてしまう。
「やる前から諦めてどうするのよ」
「そうは言うけど、お前たちだって団長と戦ったんだろう。なら分かるはずだ、どうやっても勝てないって。そもそも団長がその気になればこちらの攻撃なんて当たらないんだぞ!」
「人様の影に隠れてるだけの臆病者よ」
「だからって……」
「じゃあ諦めるの?」
「おい、シャネル」
あまりにシャネルの言い方がきつく感じた。だから止めたのだ。しかしシャネルはそんな俺を睨む。
「シンク、私はねこの子のことを思って言っているのよ。人間は諦めちゃ終わりよ、もうこれまでと思ったら風邪をひいた程度でも石ころに蹴躓いた程度でも死ぬわ。だからね、やれるかどうかは別として、やれると思ってやらなくちゃダメなのよ」
ふっ、と俺は笑った。
シャネルのこういう考えは、好きだ。
「そうだなあ、俺もシャネルの意見に賛成だな」
「……やれると思ったら、やれる?」
「それは分からないわ。でも最初から諦めてちゃあ、なんだってできないわよ」
ローマは深く、深く考える。
そのすえに、コクリと頷いた。
「やろう。大丈夫さ、戦える。団長にだって勝てるさ。僕たち三人なら、そうだろう?」
もちろん、と俺は頷く。
「あたりまえじゃないか」
「よし、そうと決まれば――よーし、行くぞぉ!」
ちらっ、とローマはこちらを見る。
これは、あれだよな。この前、一度あった。だから分かっている。
「おー!」
と、俺は言う。
ローマはニコニコと笑う。
「お前も分かって来たじゃないか」
「まあな」
こういうお約束、まあ悪くないよね。
そんな俺たちのことをシャネルが微笑ましく見つめている。
「シャネルさんも、はいどうぞ」
「え、私? 私はやらないわよ」
「そういうなよ、ほら。行くぞぉー!」
「お、おー?」
シャネルは恥ずかしそうに手をあげたのだった。




