767 スピアーについて
焚き火の炎の揺れに合わせて、ランティスが口を開いた。
「ねえ、エノモトくん。聞いても、いいかな?」
「どうぞ」
「スピアー兄さんのことなんだけど」
むしろ好都合だった。
俺はどういうふうに切り出せば良いのか迷っていたから、あちらからこうして聞いてくれれば話もしやすかった。
「先に言っておくけど、俺はべつにスピアーと長いこと一緒にいたわけじゃないぞ」
「うん」
「ただ、あいつとパーティーを組んでクエストを受けたことがあるってだけだ」
「それでも良いんだ、僕たちの知らないスピアー兄さんのことを知っているんだから」
パチッ、と火がはぜた。
焚き火の世話をしているのはランティスだ。
俺はそういうのが得意じゃない。いつもシャネルにやってもらっていた。人間、得意不得意はあるもんだが、俺は基本的に人間が生きていくために必要な行為のほぼすべてが不得意だ。
「最初に聞いておきたい。お前はスピアーがいま、どこで何をしているのか知っているのか?」
「……兄さんは、死んだ」
そうだな、と俺は頷いた。
「ああ」
「エノモトくんも知ってたの?」
「知ってた。だけどビアンテは違うらしいな」
「うん。ギルドの方から手紙で連絡が来たとき、僕はビアンテに兄さんの死を隠すことにしたんだ。もともと、ビアンテの目の手術も近かったし。そういうときに悲しい知らせを伝えたくなかった」
「手術をするつもりだったのか?」
「最初はね。けど、ビアンテが直前で怖いって言って。それで、兄さんが居てくれなくちゃ嫌だって言い出したんだ。で最初のときに言えなくてずるずるとそのまま……」
「言えなくなった、と」
「うん」
そういうのは、俺もよく分かる。
タイミングを逃すと言えることも言えなくなる。
俺だってシャネルに結婚してくれとすぐに言えれば、このゴザンス山まで来ることはなかったはずだからな。
「いつかは言わなくちゃいけない事なんだろうな」
「分かってる。けれど、僕にはその勇気がないんだ。スピアー兄さんが死んだことをビアンテが知れば、もしかしたら目の手術なんて嫌になるかもしれない」
「なあ、目の手術ってどんなことをするんだ?」
「僕も詳しくは分からないけど、一度目を切り開いて、あえて傷つけてから水魔法をかけるとか。そうしたら目が元の状態に治るらしいけど」
「うげぇ……」
なんだかグロテスクな想像をしてしまった。
それはたしかにやりたくないだろう。
「成功確率はそう高くはなくて、もちろん低くもないけど。半々くらいだって。もっとも、もしも腕の良い治療師がやればそのぶん、確率も上がるらしいけど」
俺はその話を聞いてミナヅキのことを思った。
彼がやればどうなのだろうか。少なくとも彼はパリィの街で自分の治療院を経営している。
都会で患者の数は多いとはいえ、そのぶん競争相手も多いはずだ。それでも一等地でしっかりと経営をしているところを見れば、腕は確かなのだろう。
けれど、とつぜん俺が知り合いに治療師がいると言ってもビアンテの不安が取り除かれるわけがない。彼女がどうにかして目の治療を安心して受けられるようにしなければならない。
「でもね、この前の新聞に良いことが書いてあったんだよ」
「どんな?」
「今度、パリィに教皇様が来るらしいんだ」
それを聞いて俺はエトワールさんのことを思い出す。
あの人はたしか教皇と呼ばれる立ち場の人だった。コンクラーベという投票でその立ち場を勝ち取ったのだ。
「それで?」
「誰かの結婚を祝福するためらしいんだけど、それに治療師の一団がついてくるんだってさ!」
話を聞いてみれば、それは慈善事業らしい。
諸国を回って恵まれない人たちに無償、あるいは少しの寄付金で治療をほどこす。
どうやらランティスはそれを狙っているらしい。
「あのね、スピアー兄さんはビアンテのために、仕送りをしてくれてたんだよ」
「へえ」
「でもあるとき、それがぱったりと無くなった。おかしいなって思ってて、それで冒険者として有名だった勇者が死んだって言われて。ドラゴン退治で死んだんだってね」
「ああ」
「不思議だよね、そういう噂の方が先に届くんだよ。こんな田舎町には」
「それで?」
「ギルドから、スピアー兄さんが死んだって連絡が来たんだ」
俺はじっと燃える焚き火を見つめた。
それにも飽きて、自分の手を見つめる。
俺はその場にいたのだ。あのドラゴン退治に。そしてスピアーが死ぬその瞬間に。
「エノモトくん。もしかして貴方も……その場所にいましたか?」
少しだけ迷った。
本当のことを言うか、否か。
けれど誠実に答えることが、彼ら――つまりはランティスとビアンテのためだと思った。
「ああ、いたよ」
「やっぱり! エノモトくんなんでしょう、ドラゴンを退治したの!」
「いちおう、そういうことになってるね」
でも実際にあのドラゴンを倒したのは月元だ。俺はその月元を殺しただけ。
「すごいね。あのさ、そのときスピアー兄さんってその……活躍した?」
たぶんランティスが本当に聞きたいのはそこらへんだろう。
「もちろんさ」と、俺は答えた。「彼がいなかったら、俺もいまこの瞬間にここにはいなかっただろう。死んでた」
「本当?」
「ああ。俺たちはあのとき、ババヤーガ山をいくつかのパーティーに別れて登っていた。俺とスピアーが組んだのはまったくの偶然だった、ただ最初の馬車に乗り合わせただけ。けれど一目であいつが良いやつだってのは分かったよ」
「うん」
「俺たちのパーティーはしょうじき言ってなかなか強かった。バランスも良かったし、即席にしてはチームワークも整っていた。だから山登りでは必然的に露払いというか、最前線に立つことになったんだ。それでさ、山の中腹を少し超えたところで――ヒクイドリの集団に襲われたんだ」
そこからのことは語るのがためらわれた。
でもランティスが本当に聞きたいのはここからだろう。
「俺たちは必死で戦った。他のパーティーは逃げたけど、俺たちだけはそこで踏ん張ったんだ。その結果として、俺以外の人は死んだ。でもスピアーの戦いは凄まじかったよ、強かった、本当に」
「うん……。あのさ、スピアー兄さんは最後に何か言ってたかい?」
俺は首を横に振ってから、深々と頭を下げた。
「すまない、最後の言葉は聞けなかった」
あのときのことを思い出せば、いまでも後悔する。
俺が気づかないうちにスピアーは死んでいた。
もしもあのときの俺がもっと強ければ。スピアーだけではなくみんな死ななかったかもしれないのに。
けれどそんなふうに考えても無駄なことだ。
進んでしまった時間を戻すことは人間にはできないのだから。
「兄さんは最期に死ぬときまで必死に戦ってたんだね」
「ああ」
「ならまあ……良かったのかな」
ランティスは悲しそうな顔で焚き火を見つめる。
俺はそれで、無言になるのだった。




