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076 シャネルの告白「誰かに依存していないと生きていけない女」


 次の日、俺は最悪の気分で目を覚ました。


 こんな酷い朝は久しぶりだ、イジメられて学校に行きたくなかったのに、親に殴られて無理やり学校に連れて行かれていた時期以来。


「おはよう、シンク」


 シャネルはいつものごとくもう起きていた。


「おはよう……」


 頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 もう少しで水口のやつを破産させられたところだったのに、寸前のところで切り札であるミラノちゃんを奪われた。


「ひどい顔よ、外の井戸で顔でも洗ってきたら?」


「ごめん、シャネル。キミの言いつけをやぶって外になんて出たばっかりに」


「さあ、それはどうかしら。あんがいここにいても敵は襲ってきたんじゃないかしら? わからないけどね」


 それが慰めだとしても、俺はシャネルがまだそう言ってくれるのが嬉しかった。


 彼女に失望されていないというだけで、俺はこの世界を生きていける。そんな気がするのだ。


「それで、シンク。どうするの?」


「え?」


 俺は藁束から起き上がる。


 シャネルはテーブルの上にパンを並べていた。


「復讐、するんでしょ?」


「あたりまえだ!」


 たかがミラノちゃんを奪われたくらいなんだ。


 そうだ、結局のところ俺が水口のやつを不幸にしてやれば良いのだ。ミラノちゃんはその手段の一つでしかなかったんだ。


 だけどそれだけでは済まないほど、俺とミラノちゃんは仲良くなったんだと思う。


 それにローマにだってあんなに頼まれたのだ、その約束を破ってしまった。


 あれ、そういえばローマって?


「なあ、ローマのところに行くんだよな」


「ええ。これを食べたら行きましょう」


「くそ、どんな顔をすれば良いんだよ……」


「え?」


 シャネルは心底不思議そうな顔をする。


「なんだよ」


「別に普通の顔をしていけば良いじゃない、格好いいわよシンク」


「はいはい、ありがとうよ」そんなこと言ってくれたのはシャネルと祖母くらいだよ。「でもさ、俺たちはローマにミラノちゃんのことを頼まれたんだぜ。それをさらわれてさ。おまえおめおめとローマに会いにくのも気がひけるだろ?」


「まあそれはそうね」


「だろ?」


 だからってローマを解放しないわけにもいかない。


「でもまあ、仕方ないじゃない。このさい三人でやりましょうよ」


「なにを?」


 エロいこと? まさか違うよね。だってシャネルはミラノちゃんがいるときだって嫉妬してたじゃないか。


「なにって、奪還しないの? ミラノちゃん」


「ミラノちゃんを……奪還?」


 ………………ほう。


「しないの?」


 と、シャネルがもう一度聞いてくる。


「その手があったか!」


 まさに目からうろこだった。奪われたならそうだ、奪い返せば良いのだ!


「え、というかそのつもりなのかと思ってたんだけど。もしかしてシンク、諦めるつもりだったの?」


「あー、いや。あはは」


 うーん、人間諦めてばかりいるとそれがクセになるのだな。


 これは悪いクセだから治していかなければいけないぞ、榎本シンク。


「どうせ相手の居場所は分かってるんだし、このさい派手に行きましょうよ。オークションの途中で乱入するとかして」


「いいねえ」


 感覚としてはあれだ、結婚式の途中で乱入する主人公。


 ドアをバンッ、って開けて「その結婚、待ったぁ!」って叫ぶんだよな。


「で、シンク」


「なに?」


 俺はテーブルの上に乗ったパンを手に取り、小さくちぎってから口にほうりこむ。なんでもいいけどテーブルクロスも敷かずにじかにパンを置くのはやめないか?


 うーん、あんまり美味しくないパンだなあ。


「一つだけ聞きたいの」


「だからなに?」


 ギョッとした。


 シャネルは俺に向かって杖を向けていたのだ。


「大切なことなの」


「は、はい」


 シャネルの口元は笑っている、しかし目は……笑っていない。


 ――ごくり。


 自分が生唾を飲み込む音がバカに大きく聞こえた。


「質問するわね」


「う、うん」


 これはやばいぞ。


 かなり大切な分岐路に立っている。


「ねえシンク、貴方ってミラノちゃんのこと、好き? それとも嫌い?」


 眼の前に選択肢が見える。


 間違えたら即死、あるいはバッドエンド、もしくはミラノちゃんルートか!?


「あー、いやー」


「好きか嫌いかだと?」


 ここで嫌いというのはあまりにも胡散臭い。


「まあ、好きかな」


「そうよね、シンクは可愛い子が好きだものね。そしてミラノちゃんもシンクのことが好き」


「それは……どうだろう?」


 たしかにそんな素振りを見せてはいたけど本当のところは分からない。


 ミラノちゃんは俺のことを好きなのだろうか?


 ただ誰かに頼ろうとして、それが俺だっただけじゃないのか?


「好きよ、確実にね。世の中には誰かに依存していないと生きていけない女というものがいるのよ。……私もそうだからよく分かるわ」


 シャネルの青い目が、ガラス玉のように俺を見つめた。


「シャネル……」


「ねえ、これが本題よ。貴方はどっちをえらぶの? 私、それともミラノちゃん? この騒動が終わった後、シンクの隣にいるのは、どっち?」

 

 ――シャネル。


 ――ミラノちゃん。

 

 二つの選択肢。


 シャネルのガラス玉の目に、不安そうな光がやどった。唇をゆるくむすんでいる。杖先が揺れていた。


 シャネルとミラノちゃん、か。そんなの決まっている。


「バカなこと言うなよ」


「バカなことじゃないわ。本気で聞いているのよ」


「それがバカなことなのさ」


 俺は杖を持つシャネルの手を握った。


「んっ……」


 シャネルが恥ずかしそうに目をそらす。色白なシャネルが頬を赤くする。というよりももはやピンク色にすら見える。照れているのだ。


「シャネル、キミに決まってるじゃないか」


「……本当?」


「ああ」


 当たり前だ。俺の隣にいるのはいつもシャネルだったんだ。なにせ俺たちは一緒に復習を誓った――朋輩なのだから。


「本当に本当?」


「嘘なんてつかないさ」


 シャネルは俺の手を握り返してきた、と思ったらそのまま俺に抱き着いてきた。


「分かったわ、信じる」


 俺が抱き返そうとした瞬間、シャネルは身をひるがえすようにして俺から離れた。


 それで俺はこけそうになる。


「うわっと!」


 せっかく勇気を出してシャネルを抱こうとしたのに!


「さ、朝ごはんを食べましょう」


 シャネルは一転してニコニコと笑っている。


 なんだかシャネルのこういう笑顔を見るのも久しぶりな気がする。たぶんシャネルのやつ、ここ最近ミラノちゃんがいてずっと不安だったんだろう。


 そう考えたらなんだ、可愛いじゃないか!


 だが、そう考えると疑問に思うことがある。


「なあ、シャネル。どうしてキミはミラノちゃんを助けようと思うんだ?」


 だってそうだろ。


 俺と二人っきりでいたいんなら俺のことをたきつけたりしないで、このままの生活を続ければ良いだけじゃないか。


 それをシャネルはわざわざ一緒になってミラノちゃんを助けてくれるのだ。


「そんなの分かりきったことじゃない」


 シャネルは椅子に座った。小さな口をあけてパンをかじっている。


 分かりきったことなのだろうか? 考えても分からないから聞いたのだが。


「なんで?」


「だってあの子を助けないとシンク、嫌な気持ちがするでしょ? だから私は手を貸すのよ」


 なるほど、と思うと同時にシャネルのその献身には恐れ入った。


 この子は頭の先からつま先まで俺のことを考えて、俺のことを第一に行動してくれているのだ。ありがたい、と同時にそこまでの優しさは少しだけ怖くもある。


 誰かに依存していないと生きていけない女、か。


 たぶんそんな人間、この世にはいない。


 でもシャネルは自分すらもそうなのだと言う。それはきっと錯覚だ。


 俺は無償の愛というものの恐ろしさを知った。だがそれは同時に、その愛を失うことへの恐怖でもあると思う。


 シャネルはまだニコニコと笑っている。


 俺と目があった瞬間、ウインクを一つしてみせた。



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