758 さしすせそ
ゴザンス山はパリィからかなり離れた場所にある、標高でいえば2000メートル近くの山だ。この地域一帯は中央高地と呼ばれており、けれどドレンス国土としては南部の地域だ。
山岳地帯ではあるものの、一部では観光地域としての需要がありパリィからのアクセスも馬車を使えば良好だ。
「あんたもけったいだねぇ」
と、どこか訛りのある言葉で馬車を操ってくれている男は俺に言った。
「何がですか?」
俺が乗る馬車は数人が一度に乗る旅行用の駅馬車ではなく、たまたまそこらへんを通っていた行商人の馬車だった。
ちょうどパリィでものを売った帰りということで荷台には何も乗っていなかった。だから頼んで乗せてもらえたのだ。
人見知りな俺だったが、最近は少しだけ人とのコミュニケーションにも慣れてきた。
――え、どこに行くんですか? なら一緒だ、お願いします、俺も乗せてください。謝礼は払いますから。
それくらいのことは言える。
やってみれば、なんだ簡単じゃないか。
「いまは観光もオフシーズンで、誰もあっちの方にはいかないよ。これから寒くなるしね」
「そうなんですか? いえ。べつに俺は観光じゃないんですけどね」
「そうなの? ああ、そうか。冒険者だね」
「見ての通りの」
「なにかクエストでも受けに行くの?」
「あ、いえ……そういうわけでもないんですけど」
「じゃあどうして?」
質問が多かった。
ここで黙りこくっているのも感じが悪いかと思い、なんとか答えたいのだが。
だけど、自分が結婚するからプロポーズのために指輪の材料を探しにくというのが恥ずかしかった。
けれどうまい言い訳が見つからず、けっきょくは正直に言った。
「指輪の材料を採りに行くんですよ、ゴザンス山まで」
俺がそう言うと行商人は驚いた顔をした。
「ゴザンス山、それ本気?」
「何か問題でもあるんですか」
「知らないのかい?」
「まったく」
そういえばパリィを出る前にギルドによった。そのときに、ゴザンス山の方に行くと伝えたらとても嬉しそうな顔をされたのを覚えている。
べつに俺は何も事情を聞かなかったし、どうでも良かった。けれどギルドの受付のお姉さんは俺に『詳しいことはあちらで聞いてください』なんて言っていたはずだ。
それがどうにも違和感として記憶に残っていた。
「それなら教えておくけどさ、いまゴザンス山には近づかないほうが良いよ」
「どうしてです?」
「いまあそこにはドラゴンが住み着いてるんだ」
ドラゴン……。
いや、マジか。
ドラゴンといえば俺も一度は見たことがあるが、そりゃあもう恐ろしいモンスターだ。普通の人間が逆立ちしたって勝てるような相手ではない。
それこそ冒険者たちを集めて討伐隊が組まれる程の強敵なのだ。
「クソ、だから俺が行くって言ったときにギルドのお姉さんが喜んでたのか」
ちゃんと事情を聞いておけばと後悔する。
けどギルドのお姉さんたちって美人揃いで、会話をしてるとアガっちゃうんだよな。だから上手くお喋りできないのだ。
「どうする、やっぱりパリィに帰る? こっちは引き返すことはできないけど、ここで下ろしてあげよっか?」
「いや、そういうわけにもいかない。の、かなぁ?」
これで何もせずにパリィに帰りましたじゃ、とんだ笑いものだ。
もう一生ギルドに入ることができない。
まったく面倒なことになった。ただの簡単な山登り、山頂付近で金属で出来た花を採ってくるだけだと思ったのに。
降って湧いたドラゴン退治だ。
いや、べつに俺がドラゴンをどうにかする義理なんてないのだが、けれど望まれているのはそういう事なんだろう?
どうしたもんか。
「まあ、ドラゴンは別としてもあそこは良い観光地さ。いまなら宿もすいてると思うよ。山に登るのだけはやめたほうが良いと思うけど」
「そういうわけにも行かないんですよ」
「指輪ねえ、まあたしかにゴザンス山の金属花でいまも昔も人気だからね。そういうえばあの話は知ってるかい?」
「あの話って?」
「なんでも、こんどパリィで盛大な結婚式があるとか。どこかのお偉いさんが結婚するんだそうで。いま我々行商人の界隈はその話でもちきりなんだよ」
「へえ、そうなんですか」
俺には関係のない話だな。
人様の結婚よりも、俺は自分の結婚が大切だ。
誰だってそうだろう?
「これを機会に美味いこといろいろ売りさばきたいんだけどね」
「商人っていうのは大変ですね、時事ネタをいろいろ仕入れておかなくちゃならない」
「そうだよー、そうしないといつかの武具の暴落のときみたいにひどい目を見るからね」
「あはは」
乾いた笑いが出た。
そういえばそんな事もあったね。
言ってみればその暴落も、間接的には俺のせいだったのだ。俺が勇者である月元を殺したから、魔王討伐の遠征が中止になった。
とはいえこれは結果論だが、魔王である金山を月元が倒せたとは思えない。
やっぱり俺とあいつの戦いは、ディアタナにだからアイラルンにだか分からないが、ああいうふうになるように宿命づけられていたのだろう。
「ちなみに冒険者さん、いまから行く街のことは知ってるの?」
「一度だけ行ったことがあるんですけどね」
ただあのときはシャネルと一緒で、ほとんど街のことは見て回らなかった。宿で飲んだくれていただけのような気がする。
ん?
もしかして俺ちゃんってダメ人間なのか?
「なら説明もいらないか」
「あ、せっかくなのでお願いします」
この言葉、便利だよね。
せっかくなのでと言えばだいたいの人は待ってましたとばかりに話してくれる。
これは最近気づいたことだが、世の中他人の話しを聞くよりも自分の話しをしたがる人が多いのだ。けっきょくのところ、会話の「さしすせそ」が大切。
え、知らない、さしすせそ?
『さすが~』
『知らなかった~』
『すご~い』
『せっかくなので~』
『そうなんだ~』
今日もどこかの飲み屋さん――女の子のいる――で便利にこの言葉たちが使われていることだろう。
「それなら。モンローの街は山の麓にある街さ。近くには大きな湖があって、そこでは淡水魚がたくさん捕れる」
「淡水魚、へぇ……」
この前いったときは、そういうの食べなかったな。
「名物はこの魚の丸焼きかな、どれも絶品さ」
行商人はずいぶんと嬉しそうに語る。
いわゆるお国自慢というやつだろうか、きっとこの人の出身地なのだろう。
「アルコールは?」
「ワインだね、名産は」
「なるほど」
ドレンスはだいたいどこに行ってもワインだな。
「冬は少し寒いけど、逆に夏は過ごしやすいよ」
「だから観光地になってるんですね」
「そういうこと」
話を聞いていたらなんだか楽しみになってきた。
山登りは大変だろうけど、そこそこ良さそうな街じゃないか。
「きっと冒険者さんも気にいるよ」
「はい」
俺は馬車の荷台に寝っ転がった。
天気は晴天である。このさきを行く空には雲ひとつ無い。風も気持ちが良い。
ただ、俺は少しだけシャネルのことが心配だった。
「……一人で寂しがってないかな」
つぶやいてから、自嘲気味に笑う。
寂しがっているのは俺の方だ。
こんなことなら、シャネルも連れてこればよかった。
けれど彼女へのプロポーズのためだ、一人でも頑張ろうじゃないか。




