756 年貢の納め時
とても久しぶりの更新、数日以内に終わらせます。
いままでありがとうございました。
年貢の納め時。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
「ねえ、シンク。どうなの?」
「ど、どうと言われましても……」
暗い部屋の中にはキングサイズのベッドが一つ。そこに寝転がっているのは俺とシャネル。
「そろそろだと思うのよね」
「な、なにが?」
夜明けにはまだ早いはずだ。
「もう、とぼけちゃってさ。そろそろ私たち、一緒になっても良い頃じゃないかしら?」
酔いが覚めるとはこういう事を言う。
せっかくたくさんワインを飲んで、いい気分でベッドに潜り込んで、さてこれからさらに気分だけじゃなくて良いことを……なんて思った矢先にこれだ。
一緒になる。
なんて象徴的な言葉だろうか。
「一緒にならもうなってるじゃないか」と、俺は言った。
苦しい言い訳、というよりも時間稼ぎにもならない抵抗。
「そうじゃなくてね。結婚、しましょうよ」
言った!
とうとう言いやがった、この女!
いつかは言うと思っていた、なんなら遅すぎたくらいだ。
ついにこの時が来てしまったのだ。
「冗談じゃないんだよな」
「冗談でこういうことは言わないわ」
いや、何回からこれまで言われていた気もするが。それとも全部シャネルは本気だったのだろうか?
「えっと、あの、その……」
どう答えれば良いんだ。
どう答えても、俺にとって人生の転機。もしもノベルゲームだったら選択肢が浮かんでくるところ、下手したらミスったら即死するタイプの。
「私たち、会ってから随分と時間が経ったわ」
「そうだな」
「シンクの目的も、私の目的も果たされた」
「うん」
「それでこんな広い家まで買って」
「いや、まあね」
そうなのだ、家を買った。
キャッシュで一括。
お金はたくさんあったし、なんせこっちは魔王を倒した英雄だ。御大層な勲章まで貰って、年金だといって働かなくてもお金が入ってくる。
問題はパリィには空き家というものがなくて、新しい家を建てるスーペスもなかった。なのでお金があっても家を買うことができなかったのだが。
そんなとき、たまたま空き家になった家があった。住んでいた人が外国に引っ越したのだ。
パリィの区画整理などを担当していたのは知り合いのエルグランドだ。彼は俺たちの事情を知っていたので、優先的に空き家を紹介してくれた。
持つべきものは友、ということだな。
パリィ郊外の一軒家だった。
まわりは静かで、その気になれば街にもすぐに行ける。最高の立地だった。
「ここに越してきて、そろそろ一ヶ月かしら? 私ね、思うのだけど、結婚もしていない男女がひとつ屋根の下で暮らすっておかしくないかしら?」
「いや、でも今までそうやって俺たちやってきたわけだし……」
「なあに、シンク。私と結婚したくないの?」
「いや、そりゃあ。したい、と、思う」
「歯切れが悪いわね」
「いや、なんというか突然のことで戸惑ってるんだ」
シャネルが自分の胸元に手をやった。
まずい、と俺は思う。
はっきり言う、俺はいま丸腰だった。武器もなく、なんなら衣服も着ていない、すっぴんの状態だ。もしかしたら玉ねぎ剣士かもしれない。
対してシャネルの方はその豊満な胸の谷間に杖を挟んでいた。
いや、なんで杖、それもそんなところに。
俺は思うのだが、直視できずに目をそらす。
ちなみにシャネルも裸だ。
「ねえ、シンク」
「な、なんでしょうか」
「私ね、べつに強要するつもりはないの。けれどね、もし断られるとしたら、それはちょっとショックよ。そうね、これまでの人生で一番ショック」
冷や汗が出る。
やばいな、これ。冗談じゃすまないやつだ。
「シャネル、聞いてくれ!」
「ええ、聞いているわ」
暗闇の中でシャネルの青い瞳が怪しく光る。目がすわっている。
「俺は、お前のことが好きだ」
「あら嬉しいわ」
「ただその、結婚というのはいかにもいきなりで……」
ようするに覚悟がないのだ。
「いきなり、そうかしら? これでも準備はきちんとしたつもりだけども」
準備、と聞いて俺は何かを察する。
そういえばシャネルはここ最近、日中に手紙を書いていることが多い。どこに出しているのか分からなかったし、気にもしなかったが、もしかしたらあれは知り合いに結婚についての報告をしていたのかもしれない。
見切り発車にもほどがあるが、シャネルならやりかねない。
「と、とにかく俺の心の準備が……」
「そう。つまりシンクは私と結婚してくないわけね」
「それは違う!」
これは身の危険からではなく、本心から出た言葉だ。
しかし、しかしである。
結婚って、いやマジで?
いざ自分がこういう状況に置かれて分かった。これすげえ覚悟のいることだわ。
だって結婚だぜ、つまり一生をシャネルと添い遂げる。
いや、それに対してなんの異存もないのだが。けれど不安なのだ、変わってしまうであろう生活が、俺たちの関係が、そして自分という存在が結婚することによって、一端の人間として周囲から見られることが。
俺は声を大にして言いたい。
俺はそんなに上等な人間ではないのだ!
いますぐにでもこの家から出て、叫びながら街中を駆け回りたいくらいの気持ちだった。
「難しいわ。シンクは私と結婚したいのよね?」
「で、できれば」
「じゃあしましょうよ」
シャネルが微笑んでいる。
ここで俺が「はい」と言えば、いますぐにでも結婚できるだろう。
あれ、でもそもそもこの世界で結婚ってどうやるんだ? 戸籍とかあるのか、ないのか? 教会とか行ったらさせてくれそうだけど。
そんな話はどうでもいいのだ。
いま大事なのは、俺がこの迷いの中でシャネルと結婚などできないということだ。
「とても、説明のしにくいことなんだ」
「頑張ってみて」
「キミを幸せにする自信がない」
「大丈夫よ、私はシンクと結婚できればそれだけで幸せだから」
「だとしてもだな――」
「いいじゃないの、私が幸せ、貴方も幸せ。誰も不幸にならないわ」
まずい、これは非常にまずい。
このままではなし崩し的に押し切られる。
そうなれば俺はシャネルと結婚することになる。
いや、それは良いのだけど。
良いのだけど!
じゃあ何で俺はこんなに困っているんだ!
俺は一旦落ち着こうと深呼吸した。
「うっ……」
すると、シャネルの甘い匂いがしてむせる。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃない」
「そう……ごめんなさい」
シャネルが悲しそうな顔をした。
なにかを勘違いしている、そう思った。けれど俺が弁解をする前に、シャネルはベッドに横たわる。そして俺に背中を向けた。
失敗した、シャネルを悲しませてしまった。
どうにかしないと、けれどその方法が思い浮かばない。
まずいことになった、このままではシャネルに愛想を尽かされるかもしれない。
結婚云々のゴタゴタで分かれるカップルなんていうのは、現実によくいるらしいし。
それだけは嫌だった。
どうにかしなかければ、と俺はもう一度思う。




