744 仕事をするシャオシ―
あくる日、ティンバイは夜明けと共に目を覚ました。
外に出て、空を見上げる。
「今日は晴れたか」
乾いた風が頬をうつ。このぶんなら一日中天気は良さそうだ。
「さて、どうするかな」
雨が降らないのなら、さっさと首都へ帰ればいい。道も歩きやすく、面倒も少ないだろう。日中は快晴になりすぎて暑い可能性もあるが、それでも雨でびしょ濡れになるよりはマシだ。
しかしティンバイは、もう1日だけこの村に留まってみることにした。
昨晩の子供のことがどうしても気になったのだ。
「俺様も、甘いねえ」
きっと今頃、首都の方では大騒ぎになっていることだろう。
今回の墓参りに際して、ティンバイは部下たちにも詳しくは告げずに出てきた。
『数日中には戻る』
と、汚い字でなぐり書きしたものだけをテーブルの上に置いて。
ティンバイは一介の馬賊ではない。彼の部下たちは名目上、私兵ということになっているが、事実上で言えばこの新しいルオの国軍である。つまり彼こそが、この国の軍備をつかさどるトップなのだ。
そしてその軍はトップたる攬把以外の命令は一切受け付けない。
つまり、ティンバイがこうしている間、この国の軍隊は眠っていると言っても過言ではない。もしいま、他国から侵略でもされようものなら、とんでもないことになる。
もっとも――それがありえないと分かっているから、ティンバイはこうして旅をしているのだし、もし本当にそのようなことが起これば、優秀な部下たちは縦の関係ではなく、横の関係として個別に戦線を展開するだろう。
「だから、俺様はいなくても良い。この国は平和に回っていくさ」
そうつぶやいて、ティンバイは口笛を吹きながら歩く。
こうやって1人でぶらつくのも久しぶりだった。
首都にいれば息が詰まる。
いつも周りにいる部下たち。
ご機嫌伺いばかりする文官たち。
逆に、ティンバイのことを暴力しか取り柄のない野蛮人と下に見るやからもいる。
ときにはティンバイの命を狙う敵もいるが、ティンバイとしてはこちらの方が好ましい。自分の命を一つ抱えて勇気を振り絞り向かってくる人間は、敵であれ称賛にあたいする。なので、ティンバイは自分の命を狙う刺客に対しては、賛辞をおくるために自らの手で殺すことにしていた。
「ふむ、あのガキの家はどこだ?」
こんな時間ではまだ起きている人たちも少ない。
そこれへんの家の扉を叩いて尋ねるのも気が引ける。
うまい具合にあの子供の家が分かる方法はないものかとティンバイは考えた。
そうして立ち止まっていると、前から歩いてくる人がいた。
しめた、と思う。あの子供の家の場所を聞き出そう。
「ん?」
だが、あちらから歩いてくる人の正体を見た時、ティンバイの顔は強張った。
「えっしょ、よいっしょ!」
昨晩の子供だった。
両手になにか桶のようなものを抱えている。
名前はたしか「李」と言ったはずだ。
「おい、ガキ」
と、ティンバイは話しかける。
「ひいっ!」
いきなり話しかけられて驚いたのだろう。子供は怯えた顔をする。怒られるとでも思ったのだろうか。もちろんティンバイにそんなつもりはない。
「朝から仕事か、偉いもんだな」
あちらの方でも、ティンバイと昨晩と会っていることを理解したのだろう。少し軽快しながらも、話をしてくれる。
「えらくなんてないやい、これがオイラの仕事なんだ」
「ほう」
ティンバイは桶の中を見た。入っているのは糞尿のたぐいだろう。
なるほど、この子は各々の家から人糞や、あるいは馬糞などを集めて肥料にしているのだ。
田畑を耕すためには必須の肥料ではあるが、汚い仕事でありみんなやりたがらない。だからこそ親のいない子が生きるために必死でやっているのだろう。
「どれくらい集めるつもりだ」
「とにかく沢山さ」
「ほう、そうか。俺様の愛馬も糞をする。あとで取りに来てくれ」
「いいのかい?」
「ああ。俺様の愛馬は美味いもんを食ってる。そこらへんの馬より品質の良い肥料になるだろうさ」
「分かった、あとで取りに行くよ。いま、ちょっと急いでるんだ。村長さんの家からちゃんと回収しておかなくちゃ」
「そうなのか?」
「うん。村長さんの坊っちゃんが起きる前に、ちゃんと綺麗にしておかないとドヤされるんだよ」
坊っちゃん、というのは昨晩のあの息子のことだろう。もう坊っちゃんという年齢ではなさそうだが。言ってしまえばそういう通り名なのかもしれない。
「そりゃあ引き止めて悪かったな、行ってくれ」
「うん」
ティンバイは足早に去っていこうとする子供に、忘れていたと背後から声をかける。
「おい、ガキ!」
「なんだい?」
「お前さん、名前はなんという?」
「李だよ」
「そうか、俺は張だ。名は作良という」
「作良? そいつはすげえ、あの張天白と同じだ!」
「まあな」
そもそも、その本人である。
「オイラの名前は四吉ってんだ。あざなは大なんだけど、みんなオイラが小せえから小吉って呼んでんだ」
「シャオシーか、俺様もそう呼んで良いか?」
「いいよ、チャンさん」
チャンさんという言い方はどうもこそばゆい。それに「張」という性はルオの国には大勢いるのだ。
「できればヅォリャンにしてくれ。あるいはティンバイでも良いぞ?」
「ティンバイ!? あはは。ヅォさん、その冗談はダメだよ。冗談でも張天白の名前なんて語っちゃいけないよ」
「それもそうだな」
ティンバイはカラカラと笑った。
子供――シャオシーは、後で行くよと言って、走っていった。
昨晩、村長の息子に殴られた頬は腫れていた。おそらく痛いだろうに。けれどシャオシーはそんな素振りなどまったく見せずに笑っていた。
さて、とティンバイは迷う。
昨晩の、復讐に濁った目をしたシャオシーと。
いま見た、優しく笑うシャオシー。
どちらが本当のシャオシーだろうか。
あるいは、あんな優しく笑う子を、復讐に駆り立てるような何かがあったのか。
ゆっくりと話を聞きたいところだが、人様の仕事を邪魔するわけにもいかない。ティンバイは掘っ立て小屋に戻ってシャオシーがやってくるのを待った。
しかしやってきたのは村長だった。
「旅の人、おられますか?」
「おう、まだいるぞ」
そのとき、ティンバイはたまたまモーゼルを持っていた。撃ってはいない、ただ暇だったので武術の型稽古のように、モーゼルを撃つ動作の練習をしていたのだ。
「ひいっ!」と、村長が驚く。
間の悪いことに、ティンバイのモーゼルは入り口の方。つまりは村長に向いていた。
「おお、すまん。べつに撃とうってつもりじゃねえんだ。許せ」
村長がティンバイのいる掘っ立て小屋へ来たのは、昼時だった。
ティンバイは夜があけてすぐに起きた。そうすると1日はずいぶんと長い。その長い1日を、シャオシーも仕事をして過ごしている。
「それで、何の用だ?」
「あ、いえ。もしよろしければ昼食でもご一緒しませんかと」
「どういうつもりだ?」
出ていってくれという話ならまだ分かる。だが昼食をご一緒にだ? そんなふうに歓迎されるようなことはないはずだ。
ティンバイは疑うような目で村長を見る。
真意がつかめない。
だがまあ、相手の好意を受け入れられない、というのもいかにも余裕のない男のようでティンバイとしては気分が悪い。
ここは素直に頷いておくのだった。




