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735 無理かどうかなんて


「あんたは俺の心をもてあそんだ!」


 俺は距離をとって、ディアタナの出方をうかがう。


 この女神のことだ、本当になにを


「失礼な言い方をしないでください。少し、貴方の考えかたを正しい方向へと導いてあげただけです」


「洗脳していたんだな!」


「人聞きの悪い。私は貴方のことを本当に思っているんですよ。ねえ、榎本くん」


 その馴れ馴れしい呼び方が、いまは腹立たしい。人の好意すらも、ディアタナは操ることができるのだ。それが恐ろしい。


 また、人間の感情など毛ほども大切に思っていないということが、いかいも分かり合えない考え方だということをまざまざと見せつけられた。


「俺はお前との取引になんて応じないぞ」


「元いた世界に、戻りたくないのですか?」


「俺はこの異世界で前に進んできたんだ。いまさら後戻りなんてできないし、したくもない! それにシャネルのいない世界なんて嫌だ!」


「……なるほど、バグの影響ですか。どこまでも私の計画を邪魔する」


「あんたがどういうつもりかは知らないが、俺はあんたをもう許さないと決めた」


「騙したからですか?」


 バカにするようにディアタナは笑う。


「違う」


「では、どうして?」


「お前は――俺の親のことで嘘をついた。どうせあの人たちは俺のことなんて愛していない。なのにお前は、嘘をついたんだ!」


「はっ、そんなことですか」


 もうディアタナは俺を騙すつもりはないのだろう。


 全てを諦めたように笑う。


 その笑顔はただの自暴自棄で、先程まで時折見せていた聖母のような美しさや清らかさはまったくない。


「貴方が誰かに愛されていただなんて、本気でそんなふうに思っていたんですか!」


「それでも、信じてみたかったんだ!」


「貴方を愛するのはそこにいるバグだけです!」


「ああ、いま分かったよ! 俺はそれだけで良いんだ、それ以外なんていらない」


「貴方もバグの一種なんですよ!」


 すでに、俺たちの会話は通じているようで通じていない。


 互いに好き勝手言っているだけだ。


 決定的な決別。もう取引なんてない。


 俺はディアタナを殺す、そう決めた。


「覚悟しろよ!」


 刀を中段に構えた。このまま踏み込んで、一気に斬り捨てる。


 だがディアタナはアイラルンを盾にするように立った。


「良いんですか?」


「なにっ!」


「いま、もし私が時を動かせばこの女神は死にますよ」


「アイラルンが?」


 嘘だ、と言いたかった。


 けれど俺はディアタナの言葉があながち嘘ではないのではないかと感じている。それは俺の勘が告げているのだが、残念なことに俺の勘はよく当たるのだ。


「もっとも、アイラルンを殺せば殺したで少しばかり面倒なこともありますがね。ただもう良いですよ、貴方も、あのバグも、アイラルンも、全て殺します。それでこの馬鹿げた乱痴気騒ぎも終わりです」


「できるならやってみろよ」


 ディアタナの言葉に、俺は強く挑発を返す。


「なんですって」


「あんたはさっきからそればっかりだ、俺たちの事を殺す、殺すと言って。けれど殺せていないじゃないか! 本当は俺たちのことを殺すことなんてできないんじゃないか!」


「……そう、そういう態度ですか。分かりましたよ」


 俺はディアタナに向かって、跳躍するように突進した。


 その瞬間、ディアタナは自分の指を鳴らす。


 そして、時間は動き出した。


「うおおつっ!」


 気合一閃。


 間にいるアイラルンをよけて、俺はディアタナへと斬りかかる。


 深紅に輝く刀は、俺の魔力を吸った真の『グローリィ・スラッシュ』だ。


「くっ――」


 俺の動きに、ディアタナは少しだけ反応してみせた。


 ザンッ。


 と、俺のクリムゾン・レッドがディアタナの肩を斬る。


 そして、その肩から先が消滅した。


 しかしそれは確実な失敗だった。俺の狙いはディアタナを一刀両断すること、しかし実際に消滅したのは、ディアタナの肩から先、腕の部分だけだった。


 ディアタナの顔が歪む。


 ――勝った。


 そう思っている顔だ。


 ふざけるなよ、と俺は思った。


「ざまあみろ! 榎本シンク、貴方はもう『グローリィ・スラッシュ』を使えない! これでもう私を倒すのは無理です!」


 そんなこと、誰が決めた!


「う、うおおっ!」


 俺は体中に残るありったけの魔力――それはすなわち、生命力である――を、刀へと送り込む。もしこれで魔力が全てなくなって死んだとしても。それでも構わないとする思った。


「シンク、ダメっ!」


 シャネルの叫び声が聞こえた。


 けれど俺はもう止まれない。


 止まらない。


 女神ディアタナ、人間を舐めるのもいい加減にしろ!


「隠者一閃――『グローリィ・スラッシュ』!」


 俺は振り抜いた刀を、返しながらもう一度ディアタナを斬った。


 ディアタナはまったく反応できていなかった。しかし、一瞬の後で事態に気がついた。


「なっ!」


 驚いた顔をしたときには、すでに上半身と下半身が分かれている。


 分かれた下半身の方が、まるで最初から存在しなかったかのように消えた。


 血が吹き出して、そしてすぐに止まる。


 ボトリ、と音がしてディアタナの上半身が地面に落ちた。


 俺は魔力をほとんどなくし、倒れそうになる。けれど、最後の力を振り絞って、ディアタナの残った左腕に刺した。


 こうして刀を杖のようにして、驚愕の表情を浮かべるディアタナを、見下した。


「……無理って言ったな」


 ディアタナは何も答えない。


 喋れないわけではないだろう。


 ただ、悔しそうに口を噛んでいる。


「無理かどうかなんて、やってみなくちゃ分からないさ。ただな、無理だと最初から決めつけたら、できることだってできなくなる。あんた、女神なのにそんなことも知らないのかよ」


 ディアタナは地面に縫い付けられて、すでに身動きもとれない。


 俺たちの、勝ちだ。


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