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727 シャネル・カブリオレと村の秘宝


 門から一陣の風が吹く。


 清澄な風だ。


 風がかおるという言葉があるけれど、まさしくそれだと思った。この血なまぐさい花畑の中で、シャネルが現れたその瞬間に吹いた風だけが俺にとって久々の綺麗な空気だった。


 俺はその空気を吸い込んだ。どこか甘い匂いがしたようにも感じられた。


「……やっと来られた」


 シャネルは花畑の中を睥睨へいげいすると、俺に視線を止めた。


 そしてにっこりと微笑む。


 俺はその微笑みに胸がいっぱいになった。


 初めてシャネルを見たとき、俺はこんなに美しい人がこの世に存在するのかと驚いた。


 銀髪の髪も。


 白い肌も。


 鼻筋がまっすぐ通った顔も。


 柔らかく赤い唇も。


 意思の強そうな勝ち気な瞳も。


 そのすべてが、


「綺麗だ……」


 そう思えた。


 様々な感情が俺の胸の中でうずまいた。いますぐ走り出してシャネルに抱きつきたいくらいだった。けれど俺の足は動かない。


 かわりに、シャネルがゆっくりとこちらに歩いてくる。


 ディアタナはアイラルンに突き刺さった剣を諦めて、それを手放す。シャネルを警戒するように距離をとっていく。


 しかしシャネルはそんなディアタナのことなどまったくお構いなしだ。まるで存在すらしていないかのように視線をくれてやらない。


 怒っている、と思った。


 シャネルの表情は穏やかなものだったが、その内心には烈火のごとき怒りの感情が内包されている。


「シンク……大丈夫?」


 俺のすぐ側にしゃがみこんで、シャネルはそう問うてくる。シャネルの服の裾には花の鱗片がついて、それはいつもならばシャネルが嫌がることのはずだが、いまはまったく気にした様子はない。


 俺の方を大切に思ってくれているというその気持ちが、なにより嬉しかった。


「ああ……」と、俺はなにも考えずに答える。


「嘘おっしゃい。大丈夫に見えないわ。いま治してあげるから」


 そう言って、シャネルは杖をふり短く詠唱をする。


 するとどうだろうか、俺の体が光につつまれた。次の瞬間には傷はすべて治っている。動かなかった下半身すらも自由に動く。


「すごいな」


 シャネルの水魔法はこんなにすごいものだっただろうか? そりゃあいろいろな傷はなおしてもらたが、一層すさまじくなってきた。


「うふふ、これが愛情ってものよ」


 言葉の意味は分からないが、全ての傷が治ったのならば万事オッケーである。


「シャネルさん……わたくしも」


 アイラルンがシャネルにすがりつくように体を預けようとする。


 しかしそれを、シャネルはひょいと避けた。


「ちょっと服が汚れるでしょう?」


「ひ……ひどい」


「あら、貴女腕がないじゃない。どこかに落としたの?」


「あ、ここにあるぞ」


 俺はすこし離れた場所にあったアイラルンの腕を拾い上げる。それをアイラルンの腕に引っ付けた。すると、魔法もなしに腕は自然にくっつく。なんだか気持ちの悪い生き物を見ているみたいだ。


「治ったじゃない」


「他の傷もお願いします」


「しょうがないわね」


 いかにもぞんざい、という感じでシャネルは魔法を唱えた。


 ある程度、アイラルンの傷が治る。


「え、これだけですの? まだ擦りむいた膝が痛いですわ。ほら、胸元も。さっき刺された場所がカサブタになってますわ」


「ま、こんなものでしょう。これも愛情よ」


 意味が分からない。


 しかしシャネルはケラケラと嬉しそうだし、アイラルンも笑顔だ。


 こういう雰囲気は、好きだ。


 流れが来ている、勝てそうな。


 見ればディアタナの姿は俺たちからすこし離れた場所にあった。こちらの様子をうかがうように警戒した目で見ている。


「さて、これで立てるでしょう? アイラルン」


「モチのロンですわ!」


「さて……と」


 シャネルはこれでだいたいのことはすんだとばかりに初めてディアタナの方に視線をやった。


「どうして……ここに来れたんですか?」と、ディアタナは言う。


「どうして? 決まってるじゃない、シンクがここにいたから。シンクのいる場所に来ようと思っただけよ。まったく、アイラルンが先に行っちゃうから困ったわ。こっちだって魔力は有限なのにね」


 ディアタナの高圧的な態度にも、シャネルはまったく気圧された様子はない。


 普通だったら目の前に女神がいれば萎縮するものだ。けれどシャネルにはそれがない。


「人間にできる魔法ではありません。それを2回も」


「自分の力だけじゃ、無理だったでしょうね。だからこれを使ったのよ」


 そう言って、シャネルが服の中――シャネルの服、とくにスカートの中はミステリーである――から取り出したのは、水晶玉だった。


 水晶の中には燃える炎のようなものが揺れている。


 ジェネレーターだ。シャネルが持っていた魔道具。見るのはすごい久しぶりだ。


「シャネル、それまだ持ってたのか」


「だって村の宝だもの、捨てるわけないじゃない。もっとも――使いすぎると壊れる気がしてたから使わなかったんだけどね」


 ただ今はなりふり構ってられなかったから、とシャネル。


「そんなものまで引っ張り出して、この女神ディアタナの庭まで来る。人間風情が」


「人間風情……ねえ。なるほど、あなたの主張はそれだけかしら?」


「なんですか?」


「人間が自分の所有地に入ってきたから、腹がたつ、と。そう言ってるのね?」


「そうです。なにか文句があるんですか」


「いいえ。私もその気持ちは分かるもの。他人が自分の敷地に土足で上がり込んで。大切なものに手を出すなんて許せないわよね?」


「なにが言いたいんですか」


「貴女、ルオの国でシンクに色目を使ったでしょう?」


 底冷えするようなぞっとする声でシャネルが言う。


 相手が女神だろうがなんだろうが関係ない。自分の愛する人に粉をかけた女だから許さない、という敵意をぶつけている。


「私が、ルオで? 気づいていたのですか」


「そりゃあね、人間じゃないかもしれないな、不思議だなとは思ってたわよ。けれどフウさんって言ったかしら? 女神様だったとは思わなかったけどね」


「女神に武器を向けるのですか? 貴女は私を信仰しているのでしょう? 異教徒ではないはずです。貴女の村だって――私を崇めるオブジェを作って村人みんなで守っていたでしょう」


「それはそれ、これはこれ。関係ないわ」


「……バグが」


 シャネルが一瞬だけこちらを見た。


 いくから合わせてちょうだい、と目で訴えている。


 シャネルが杖を振った。そして出たのは、ファイアボールの魔法。火の玉を飛ばす、いかにもオーソドックスな火属性の魔法だ。


 それはまっすぐディアタナの方に飛んでいく。


「バカバカしい」と、言いながらディアタナは火球を避けた。


「あら、外したわ」とシャネルはべつだん気にもしていなさそうだった。


「シャネル、どうする。俺が前で――」


 おとりになろうか、と言おうとしたところを手で止められた。


「良いのよ、シンク。貴方、疲れてるでしょ?」


「え? あ、いや……」


 疲れていないと言えば嘘になるだろう。ここに来るまでに色々あったからな。妙な問答に突き合わされて、ガングーと会って、そこから連戦。アイラルンと再開できたものの、こいつはこいつで俺の頭を悩ませてばかり。


「だからね、少し休んでて。大丈夫、すぐに終わらせるわ」


 だから、そう言われたとき俺はすごく嬉しかった。


「頑張ってくださいませ、シャネルさん!」


 アイラルンのいつもの無責任な応援。それに対してシャネルはウインクを一つしてみせた。任せなさい、とそういう態度だ。俺はそれを見て安心感と、恋心を抱く。


「人間風情……」と、ディアタナがまた俺たちをバカにする。


 それに対してのシャネルの答え。それは、無言でのファイアボールの魔法だった――。


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